さらば、いとしのエリー
裏返したこともある ボコボコにしてもなお
舐めたいおケツがあればいいのさ
俺にしてみりゃ これで最後のmisery
エリー my love so sweet
さらば、大玉サンド。
おかえり、いとしの木の砂よ。
私はもう待てなかった。
月曜日の夜。抜糸から二日後に、万難を排して、私はトイレ砂を交換した。
本当は、日曜日に交換すれば、月曜日の燃えるゴミに出せたのだが、日曜夜の段階で、アタゴロウのカサブタの痕は、まだ乾ききったという見た目ではなかった。
院長先生も「二日くらい」と言っていたではないか。その当初の指示に従えば、交換は月曜日だ。そこにカサブタの痕という問題が加わったのだ。
そして、月曜夜。
二日前に見つけたカサブタの痕は、だいたい乾いて、色も当初より沈んだ赤に変わっていた。だが、赤いと言えば、まだ赤い。エリカラを取るには少しばかり不安があった。その赤はじきにまたカサブタになり、痒くなる。そうしたら、結局、アタゴロウはそこを舐め壊すのではないか。
しかし。
砂の交換は別問題である。要するに、傷が濡れていなければいいのだ。おがくずが付着さえしなければ良いのだから。
(先に、砂だけ交換しよう。)
そのとき、飼い主として彼の苦難に最後まで付き合うべきではないのか、という意味不明のためらいが生じたのは事実である。
(いやいや、そこは別に、付き合う必要のあるところじゃないから。)
そして、私は砂を交換した。
本猫より一足早く重荷から解放されて、ほっとしたわけだが、祝杯を上げたい気分より、もう勘弁してくれという疲労感の方が強かった。
まあ、そんなわけで。
私自身は、月曜日の段階で、とりあえず問題の解決を見てしまったのである。
となると。
おおかた予想はつくだろう。私はアタゴロウのエリカラ撤去に、大して熱意を感じなくなってしまったのである。
いえ、もちろん、毎日考えてはいましたよ。
今日こそは、外してやろうか、と。
そう思って、毎日、アタゴロウをひっくり返しては、新しく出来た尿道口をチェックしていたのだが、よくよく見てしまうと、これがまた、なかなか赤みが引かないと来たもんだ。そろそろいいかな、と思うと、違うところが赤いような気がしてきたりする。おそらく、抜糸後も少しずつ、まだ残っていた微細なカサブタが剥がれ続けていたのだろう。
そうこうしているうちに、完全にタイミングを逃した。
結局、アタゴロウは、抜糸から一週間、エリカラを付けたままだったのである。
(十月二十二日撮影)
猫にとってエリカラは、おそらく不快この上ないものであろう。
何しろ、グルーミングができない。人間にしてみれば、長らく風呂に入れないのと同じだ。そのせいなのか、それとも、術後、多少の尿漏れがあったのか、アタゴロウを膝に乗せると、いつもほんの少し、おしっこ臭い匂いが漂っていた。可哀想だとは思ったが、そもそも、エリカラとはそのために付けているものなのだから、まあ仕方がない。
その上、動きも悪くなるようだ。ただし、それが人間には幸いして、エリカラを付けているアタゴロウは、常に何の苦もなく捕まえることができて便利だった。捕まえて膝に乗せ、水や薬を飲ませる。ついでに、ひっくり返して患部を観察する。写真まで撮れてしまったのは、まさにそのお陰である。
人猫共に困ったのは、食事であった。
退院直後、アタゴロウは、エリカラをすっぽりと皿に被せる形で、頭を下に向けてご飯を食べていた。その方法なら、別に食べるにあたって支障はない。
しかし、やはり、猫の食事の仕方として、その体勢は自然ではなかったのだろう。
抜糸の前後から、彼は、ドライフードを食べる場合に限り、頭を斜め前方から皿に近付けようとし始めた。そうなると、頭が皿に到達する前に、エリカラの下部が、皿にひっかかることになる。いや、正確に言えば、エリカラの下部で、皿を押しやってしまうことになる。
いつしか、食事時になると、ズズズ…ズズズ…、と、皿が床の上を移動する音が響くようになっていた。
何だろう?と、不思議に思って観察を始めた私の目に映ったのは、実に哀れを誘う光景であった。
青いブレードを装着した黒白のブルドーザーが、厳かなる緊張感を持って、ドライフードの皿をしずしずと前方に運んでいたのである。
彼の目は真剣そのものだった。
私がエリカラの罪というものを悟ったのは、まさにその瞬間であったと言っていい。
それでも私は、ぐずぐずとためらっていた。
尿道口の赤みが、なかなか消えない。だが、アタゴロウの様子を観察していると、グルーミングがしたくて毎日必死にエリカラを舐めてはいるが、特に股間を気にしている様子ではない。これなら、外しても大丈夫なのではないか。
しかし、ここまで来ると、どうせなら完全に綺麗になってから外したい、という、訳の分からない完璧主義が生じてくるのである。
事態は完全に泥沼化した。
そして、ついに金曜日。
十月二十日である。
(抜糸から一週間か…。)
今日こそ外そうか。だが、まだ少し赤い所がある。
最初に気付いたカサブタの痕の赤みはほぼ終息したのだが、昨夜、そこより内側、尿道口にちょっと入った辺りに、また赤っぽい部分を見つけてしまったのである。
(だいいち、一週間というなら、明日の方が区切りがいいんじゃないか。)
一体、何の区切りだ。
そんな自分突っ込みを入れつつ、エリカラを舐めるアタゴロウをぼんやりと眺めていた私は、突然、あることに気付き、声にならない叫び声を上げた。次の瞬間、彼のエリカラをはっしと捕らえ、びっくりして暴れる彼を押さえつけながら、もどかしくテープを剥がしスナップをはずす私がいた。
何の前触れもなく、突如として自由の身になったアタゴロウは、数秒間、何が起こったのか理解できないというふうに、空を見つめて静止していた。
話は、抜糸の日の夜に遡る。
猫たちがそれぞれ、お気に入りの場所でうたた寝を始めた、夕食後。
無音のリビングに、コトリ、と、何か物が落ちる音が響いた。
どうやら、ケージの中で何かが落ちたらしい。その「何か」を拾おうとして、アタゴロウが寝ているケージの中を覗き込んだ私は、思わずドキリとした。
エリカラが外れていたのである。
新しく付けてもらった青いエリカラは、前のものより緩いようだという印象はあった。気のせいだろうと思って放置していたのだが、実際に緩かったらしい。スナップは嵌まったまま、頭がすっぽりと抜けていた。
これは、まずい。
慌ててエリカラを拾い、合わせ目の部分を固定しているテープを剥がし、スナップを外して、ぼんやりしていたアタゴロウの首に巻き付ける。スナップの留める位置を前よりきつめにし、テープを貼り直す。
もちろん、アタゴロウは、おとなしくされるがままになどなっていない。もがいて逃げようとするのを片腕で締め上げるようにして、もう片方の手でテープを貼る。当然、綺麗に貼れるわけもなく、テープは一部、テープ同士がくっつき、浮き上がってしまっていた。
それでも、合わせ目はきっちりと固定できたので、見た目は悪いが使用には差し障りがない、と、思っていたのだが――。
金曜日の夜、私が見たのは、その浮き上がったテープの端を、むしゃむしゃと齧っているアタゴロウの姿であった。
エリカラは完全な固定ではない。被せているだけから、頭の周りをくるくる回せるわけであるが、そうなると、合わせ目の重い部分が、必ず下に来る。被毛に貼り付けでもしない限り、どうやっても、テープの端をアタゴロウの口元から遠ざけることはできないのである。
アタゴロウは彼なりに考えて、テープを剥がそうとしていたのだろうか。いや、私にはそうは思えない。彼は齧ったテープを、そのまま食べてしまう勢いだったのだから。
要するに、その時の私の心の叫びは、
(そんなもん食うな!!!)
だったのだ。
グルーミングができるようになったアタゴロウは、まず、前足と胸元を舐め、顔を洗った。
それからゆっくり、上から順番に、全身を丁寧に舐めていった。
尻や股間を舐めたのは、相当時間が経った後、他の体のパーツを全て舐め終わった後であった。
さらば、いとしのエリカラ。
アタゴロウは完全に、元の生活に戻った。
おしっこ臭い匂いは、きれいに消えた。
もう必要以上に、家主に媚びを売ることもない。
強制給水しようとすると、全速力で逃げ回る。(それでも近寄って来るので、適当なところで結局捕まる。)
おじさんにのしかかっては、その大きな頭を舐めまわし、耳の中を、しつこいくらいピカピカに舐め上げる。
そういえば、アタゴロウが自らグルーミングが出来ずに苦悶していた時、妻もおじさんも、代わりに舐めてやろうなどという親切心は、いっさい起こさなかったらしい。おしっこ臭かったからだろうか。
エリカラは、ひょっとして、友情と夫婦愛を測る試金石でもあったのだろうか。
だとしたら、これにより露呈された彼の隠された孤独に、アタゴロウが気付いていないことを、祈るばかりである。
齧ってもっとbaby 無邪気にon my mind
毟ってもっとbaby 素敵にin your sight
誘いヨダレの日が落ちる
エリー my love ――
SO LONG!!
そういえば、アタゴロウのカビ疑惑はめでたく「陰性」でしたとさ。