その後
抗がん剤を止めることにした。
ほぼ衝動的な決断である。
十二月六日金曜日。
最後の抗がん剤を投与してもらった。夜、彼を迎えに行った際に、院長先生にそれを告げた。
「ステロイドは、どうしますか?」
先生は静かな口調で、私にそう尋ねた。
「あ、そうか。ええと…。」
ステロイド剤のことは、全く頭になかった。
「多少は緩和されるかもしれませんね。」
「はい。それは続けます。」
「では、何日分お出ししましょうか。」
私は何も考えていなかった。それゆえ特に思い付くこともなく、ただ当てずっぽうに、じゃあ二週間分ください、と、お願いした。
後から気が付いた。その質問は、本当は、あまりにも重い問いかけだったのだ。
どこまで書いていただろうか。
前回のブログを読み返すと、抗がん剤投与三回目にして、腫瘍がほぼ消失したところまでとなっている。
それが十月三十一日。
その後の一ヶ月間、ダメの抗がん剤投与は続いた。
翌週十一月七日。
朝、いつになく待合室が混んでいた。先生も忙しかったらしく、診察室に呼ばれた時には、まだレントゲンも撮っていないとのことだった。
ひととおりの問診を終え、いつもどおり、じゃあ夕方迎えに来て下さい、ということになり、そして夕方。
「実は、今日は抗がん剤が打てなかったんですよ。」
開口一番、先生はおっしゃった。
何でも、白血球の値が下がり過ぎていたのだそうだ。一週間お休みして白血球の回復を待つとのことだった。
ついでに
「この間に、体重の方も回復してくれればと思うんですけどね。」
ダメの食欲は、木曜日の抗がん剤投与から急激に落ちて、だいたい月曜日がどん底、それから徐々に回復し、水曜日辺りから安定して食べられるようになる。一週間空けば、その間に体重も取り戻せるはずだ。
予定表では、来週がお休みのはずだった。つまるところ、それが一週間前倒しとなった計算である。
十一月十四日。
白血球の値は正常に戻っていた。この日は予定どおり抗がん剤を投与する。薬は「アドリアマイシン」。
一週間の「お休み」の間、ダメはよく食べた。体重も少し戻って、四キロを少し上回っていた。
「え、三キロ代だったんですか?」
「そうですよ。」
つくづく呑気な飼い主である。というより、ちょっと考えれば明らかなことであったのだが、あの大きなダメちゃんの体重が三キロ代になることなど、全く思いが及ばなかったのだ。
思えばこの時期が、彼の腫瘍が発覚して以来、いちばんよく食べた時ではなかったか。
「一日にちゅーるを十五本くらい食べます。」
「十五本、は…多いですね。」
先生もさすがにコメントに困ったらしく、ただ苦笑していた。
残念ながら、抗がん剤を打つと、また食欲は下がった。それでも何とか、一日に四~五本は、頑張って食べさせるようにしていた。
ちなみに、彼の常食は、「総合栄養食ちゅーる・とりささみ味」である。一度、病院からお試しで、動物病院専用の「エネルギーちゅーる」を買って、与えてみたことがあったのだが(十月二十四日のことである)、「エネルギーちゅーる」が一般食であり、カロリーも総合栄養食のものと一キロカロリーしか違わないことを知って、結局、総合栄養食の方に戻した。
「調子がいいので、来週はお休みにしましょう。ですが、できれば、副作用が出ていないか、検査のために連れてきてください。無理ならいいです。」
夜、迎えに行った際に、先生から予期せぬお休み発言をいただいた。
嬉しいけど、やっぱり通院はあるんだな、と思った。
十一月二十三日。
土曜日である。
無理なら来なくてもいい、という検査のための通院であるから、日にちがずれても大丈夫だろう、ということで、その週はお休みを取らずに休日に行くことした。
予定されていたのは血液検査であったが、
「しばらくレントゲンを撮っていないから、一度撮ってみましょうか。まあ、次回でもいいのですが。次回にしますか?」
ちょっと考えて、撮ってもらうことにした。理由は単純で、今日撮っておけば、次回撮らずに済む(その分、早く会社に行ける)と思ったからである。
だが、レントゲンと血液検査を終えて診察室に呼ばれたとき、先生は、今一つ浮かない顔をしていた。
「腫瘍がね、また出てきているんですよ。」
レントゲンの画像を見せてもらうと、確かに、以前と同じ場所に小さな影が出来ていた。
「今回の薬が、効かなかったのかもしれない。」
「それって、つまり…」
「いや、要するに、その薬と体質との相性の問題ですから。今回の薬が、たまたま相性が悪かったのかもしれません。次回は前にも打った『オンコビン』ですから、それが効くか様子をみましょう。ただ、もし、それも効かなくなってきているのだったら、今やっている薬のセットを替えなければならない。」
「もっと強い薬にするってことですか?」
「いや、そういうわけでもありません。つまりは相性ですから。」
前回の薬は、効かなかった。
それが分かっただけでも、通院した価値はあったのかもしれない。
だが、そのときの私の気持ちは、「聞かなきゃよかった」であった。別に今聞かなくても、どのみち、次回の通院時には分かったことだったのだ。
こころに影が差す、とは、こういうことを言うのだろうか。
ついでに、この日は、雨の休日だったせいか、帰りのタクシーが「電話が繋がらないんです」とのことで利用できず、ダメには可哀想だったが、電車とバスを乗り継いで帰った。
十一月二十八日。
はじめから、あまり幸先の良い滑り出しではなかった。
朝からタクシー会社に電話が繋がらない。何度も掛け続けてようやく繋がり、無事連れて行くことはできたが、ダメ自身の体調も今一つな気がする。
前回の「お休み」の際は、お休みの週には食欲がほぼ完全に戻っていたのに、今回は「ちゅーる十五本」というわけにはいかず、七、八本がせいぜい、といったところであった。
レントゲンは、結局、撮った。やはり小さくはなっていなかった。
白血球の値は正常で、
「副作用は出ていません。」
と、先生はおっしゃるが、食欲の戻りが遅かったことは事実である。その旨はお話しした。
呼吸はどうか、ということを、当然ながら毎度尋ねられるのだが、正直、私にはよく分からなくなってしまっている。じっと眺めていると、呼吸するたびに体が小さく動くのが、それが正常範囲内なのか、それとも努力性呼吸なのか、判別がつかない。荒い息をしているように聞こえて、どきっとして聞き直すと、単に喉をゴロゴロ鳴らしているだけだったりする。
ステロイド剤は、前回「二日に一回」に減ったのに、当然のごとく、「一日一回」に戻っていた。
そして、十二月六日。
金曜日になったのは、単に私の仕事の都合である。前日五日にどうしても休むことができず、さらに、翌六日の午前中も外すことができなかったため、午後イチの四時に連れて行き、診察時間終了の七時前に引き取る、という強行軍にしてもらった。
夕方、まず診察室に入り、ダメを預けつつ問診をする。
「何だかずっと気持ち悪そうで…」
食欲は、はっきり言ってほとんど戻って来なかった。いつも月曜日が底だからと、週が明けてから回復するのを待っていたのだが、多少は舐められるようになった程度で、一時期は先生を苦笑いさせるほど食べていた「ちゅーる」も、どんなに頑張っても一日に三本程度。食欲のあるときは止めていた強制給餌も、すでに毎朝の日課になってしまっている。
結局、一週間ずっと気分が悪かったのだ。そこにまた抗がん剤を打ち、さらに気持ち悪くさせるのかと思うと、それで回復してくれればという期待の反面、何だか気が重かった。
「呼吸はどうですか?」
「あまり変わらないと思います。」
これも毎度のことなのだが、日々、食べさせることばかりを考えている私は、どうしても食欲のことばかりに目が行ってしまい、呼吸の状態については、尋ねられてから、はてどうだったかしら?と思い返してみることがほとんどである。だが、思い返してみても、最近の彼は、咳こそしていないものの、常に具合が悪そうな様子なので、それが、「息が苦しい」状態なのか「気持ちが悪い」状態なのか、あるいはその両方なのか、正直、私にはもう判別がつかない。
私が目の前に置いてやった皿に、興味を示すでもなく、かといって積極的に拒否する気力もなく、ただ沈鬱な表情で黙って座っている彼を見ると、自分が何をしているのか、分からなくなってくる。
やっぱりこれは、彼の苦しみをいたずらに引き延ばしているってことなんじゃないだろうか。そんな疑いがちらりと頭を掠めたことも、何度かあった。
「じゃあ、レントゲンを撮りますから。」
言われて、待合室で待つことしばし。
再び呼ばれて診察室に入ると、
「やはり…効かなかったようです。」
レントゲンの画像には、腫瘍の影がはっきり映っていた。気管が圧迫され、半分よりはやや太いものの、かなり細くなってしまっているのが分かった。
「今回は、最初にやって効いた『アスパラギナーゼ』という薬を入れます。それで効けば、次回から内服薬に切り替えます。もし効かなかったら、この薬のセットは替えなければならない。」
後半部分は、前回と同じ話だ。
「内服薬って…」
家で毎日、何か飲ませるのかな?
「四週間に一回、カプセルのお薬を飲ませます。」
「四週間に一回?それじゃあ…」
むしろ今までより簡単ではないか。不可解だが、ちょっと嬉しい話でもある。
そんな私の気配を察したのか、
「デメリットとしては、もしその薬が効かなくても、四週間、何もできないことですね。効かなくても、副作用は続く。いわば賭けです。」
なるほど。だから、なるべく避けたい方法であるわけだ。
対して、「薬のセットを替える」ことのデメリットについては、やはりよく分からなかったのだが、先生はわざとなのか無意識になのか、ごくさりげない口調で、ちらりとおっしゃった。
「効かなくなると、早い子も多いんですよね。」
六時ごろ迎えに来て下さい、と言われ、いったん帰宅する。
途中、かかりつけのドクターミツコの病院に寄り、アタゴロウの喘息の相談をしてから、家まで歩く途中、ふいにケーキが食べたくなった。
私は女子としては甘いものへの執着が薄い方だと思うのだが、なぜかその時は、どうしてもケーキが食べたくてたまらなかった。それも、生クリームがたっぷり乗った苺ショート。苺じゃなくても、生クリームのやつ。
ま、いいか。ここまで食べたいのなら、食べればいいんだ。そう思って、だがさすがにケーキ屋さんは避け(絶対に複数買ってしまうから)、コンビニを二軒はしごして、結局、家の近くのローソンで「カプケ」を買った。
家に着いて時計を見ると、迎えに出掛ける時刻まで、使える時間は三十分程度である。
ちょうどいいや。お茶してから行こう。
抗がん剤を打たれているダメちゃんには申し訳ないが、コーヒーを淹れて、買ってきたケーキを食べることにした。
お茶を飲みながら、暇にまかせて、スマホをいじり始める。
先生の言う、内服薬の抗がん剤って、どんなものなんだろう。
単なる興味本位で、関連サイトをちらちらと覗いていた。内服薬に関する情報はあまり見つけられなかったが、代わりに、違うコトバを見つけてしまった。
抗がん剤の…暴露?
いったい何のスキャンダルだろう?
ついつい気になって、そのサイトに入ってしまった。
勘の良い人には、もう分かっただろう。結論から言えば、これは誤変換である。そこに書かれていたのは、抗がん剤の「曝露」の話だったのだ。
恥ずかしながら私はそれまで、抗がん剤の「曝露」について、まったく無知だった。抗がん剤を、何だかよく分からないけど副作用の強い薬、くらいにしか思っていなかったのである。
私と同じく、「曝露」について知らない方のために、少しだけ解説しておく。(ただし、断わっておくが、以下は全て、私がネットから掻き集めた巷の情報で、医学的裏付けは確認していない。ゆえに話半分に読んでおいてほしい。)
そもそも抗がん剤は、別に癌細胞を識別して狙い撃つ薬ではない。単に、活発に細胞分裂している細胞を攻撃するのである。オトナの体の大部分は活発に細胞分裂などしていないので、必然的に、癌細胞のみがダメージを受ける、という理屈なのだが、実は、オトナの体の中にも、生涯、活発に細胞分裂を繰り返す組織がある。その代表例が、消化器の粘膜と、白血球と、毛母であり、抗がん剤の副作用として広く知られる症状が「吐き気、脱毛、白血球の減少」であることは、ここに由来する。
ここまでは、最初の頃に調べていて、私も認識していた。
「曝露」というのは、要するに、抗がん剤の成分が、取扱い時にミクロ単位で飛び散ったり、あるいは患者の体内から排出されたりなどして、別の個体に取りこまれ、その体内で健康な細胞を攻撃することである。
抗がん剤は自然界に存在しないものであるため、勝手に消滅することはほぼ期待できない。さながら放射性物質のごとくである。
それゆえ対策はひたすら防護に尽きるのだが、薬そのものの飛散や揮発はもとより、患者の体からの排出ルートも多岐にわたる。大半が排泄物。あるいは吐瀉物。また、呼気にも含まれるし、皮脂腺を通じて体表にも染み出す。毛髪や、動物なら被毛にも含まれる。このため、実際に抗がん剤を調合したり投与したりする医療従事者の防護対策は言うまでもなく、患者の家族に対しても、「排泄物や吐瀉物を素手で始末しないこと」「洗濯物は分けて洗うこと」などの指導をするのだという。
もちろん、それが他の個体の体内に取り込まれても、大半は免疫細胞により排除される。だが、ごくわずかな「生き残り」が生じると、それが染色体異常を引き起こし、結果として発癌性を持つ。いわば癌の二次感染である。
そんな恐ろしい話だったのだ。
私は衝撃を受けた。
私の眼前に、数日前のダメとアタゴロウの姿がフラッシュバックする。
アタゴロウはいい奴だ。彼はおじさんを慕っている。それゆえであろう、ダメが病みついてからというもの、アタゴロウは甲斐甲斐しく彼の世話をやくようになった。私の目に浮かんだのは、そんなアタゴロウがひときわ熱心に、ダメの首や頭を舐め整えている様子であった。
体の大きさから考えても、作用の強さから考えても(註:人間の抗がん剤は副作用覚悟でギリギリまで多量に投与するが、猫の場合は副作用が出ない範囲内で投与する。猫の悪性腫瘍が抗がん剤で治癒に至らないのはそのためでもある)、ダメの抗がん剤が私に深刻な曝露をもたらす可能性は低いと言えるのだろうが、だが、猫同士はどうなのだろう。
我が家の猫達はトイレを共用している。つまり、間接的に、ダメの排泄物に素手(素足)で触っている。飲み水も一緒だし、皿の残り物も食べたりする。そして、互いを舐め合う。一般的な人間同士の接触より、ずっと濃密ではないか。
動物の場合は、患畜を隔離すべきだ、と、書いているサイトもあった。そうは言っても、ではダメだけを隔離してケージに入れ、誰も接触せずに、ただフードと水を与えるだけの生活をさせるとしたら。それでは、そもそも何のために治療をしているのか、分からなくなってしまう。
私自身に関しては、深刻な曝露の可能性は低いだろう、と、書いた。
理屈では分かっている。だが、自分自身についても、怖いという意識を持ってしまったというのが正直なところだ。
気持ちを抑えることはできる。だが、知ってしまった以上、私は常に、そのことを頭にちらちらと思い浮かべながらダメに接しなければならない。それはあまりにも彼に可哀想で、そして、私にとっても辛すぎる。
抗がん剤を止めるという解決法は、極端すぎるだろうか。だが、投与を続けている限り、我が家の他二匹(と私)は、曝露のリスクから逃れることはできない。
ダメは私にとって特別な猫だ。だが、だからといって、それが他の二匹の健康にリスクを与えていいという理由にはならないのだ。
結局、病院に着いたのは、六時半ごろだった。
自分がどうしたいのか、その時点においても、私には分からなかった。しかし、心は決まっていた。
抗がん剤を、やめる。
だが、その結論に至ったのが、我ながらあまりにも唐突で、衝動的すぎるため、それが一時の気の迷いでないと言い切る自信が、全くなかったのだ。
そして、心の隅では、最初に曝露のリスクについて教えてくれなかった先生を恨む気持ちも、ほんの少し、持っていた。
知っていたら、最初から、抗がん剤は選択しなかったかもしれないのに。
その微かな恨み事も含めて、先生に会ったらどう話そうか。順番を待ちながら、診察室で言うべき台詞を考えては、何度も頭の中で練習していた。
その日の患者は、多分私(ダメ)が最後だったと思う。
名前を呼ばれて診察室に入ると、いつもどおり、先生は、血液検査の結果から説明を始めた。
私は聞いていなかった。聞いていることができなかった。
先生が言葉を切ったところで、私は簡単に切りだした。
「先生、私やっぱり、抗がん剤はもうやめようと思ったんです。」
わずか一時間ほどの間に、なぜ突然、考えを変えたのか。不審気なまなざしを向ける先生に質問する隙を与えず、私は続けた。
「私、全然知らなかったんですけど、あの、曝露って言うんですか…」
やっぱり、うまく言葉が続かない。
先生は、私が急に何を言い出したのか、一瞬、ピンとこない様子であったが、すぐに理解して微笑みを浮かべた。
「ああ。それは気にしなくて大丈夫ですよ。」
なあんだ、そんなことか、とでも言いたげな。
まるで悪意のない微笑みだった。
「でも、私自身はともかく、うちにはあと二匹いますから。うちはトイレも共同ですし、ご飯の残りも食べ合ったりします。それに、猫同士舐め合ってます。」
言葉を挟もうとする先生を制するように、私は続ける。
「そのリスクと、この子の余命とを秤にかけたら――。」
本当は、自分がどんな言葉で先生に話したのか、はっきり覚えていない。
だが、これだけは覚えている。自分でも意識していなかったのだが、そのとき、多分初めて、私は先生の前でダメのことを「この子」と呼んだ。そして、はっきりと「よみょう」と言った。
先生の眼の色が、変わった。
その映像は、今でも私の目に焼き付いている。
眼の色が変わるという言い回しには、通常、あまり良い意味がないが、他に表現する言葉がない。私は見たのだ。先生の瞳の中に、それまでとは違う、えもいわれぬ色が広がっていくのを。
それは、優しさ、だったと信じる。
「ステロイドは、どうしますか?」
先生は、とても静かな口調で、私に尋ねた。
いつものように、淡々とした語り口だった。カルテの上にペンを走らせながら。だがそこに何を書いていたのか、私は見ていなかった。
会計を待つ間、自分でも思いがけず、待合室で私は泣いた。
待合室には私と、業者さんと思われる男性ひとりしかいなかったから、受付の看護師さんは私が泣いているのを見ていたと思う。そして、それはおそらく、院長先生にも伝わったことだろう。
結局、先生は、私の決断をどんな思いで受け止めたのか。
それから二日経って、私の中には、当初とは違う感情が芽生えてきた。
それは、解放感、だろうか。
もう、病院にダメを連れて行かなくて済む。
そして、――これは実は、今に始まったことではないのだが――食事だって、ただ彼が好きな物を与えて良いのだ。薬は飲ませるけど、嫌なことは一切させずに、ただ互いの心の赴くままにベタベタしていればいい。赤ちゃんのように甘やかして良いのだ。
私は彼の仔猫時代を知らない。
痩せて小さくなった彼は、私には何だか、仔猫みたいに見える。もしかしたら、今のこの日々は、失われた彼の仔猫時代を取り戻すための時間なのかもしれない、などと考えてみる。
ただ一緒にいることが、幸せなのだ。それを強く感じる。
そして、それを感じる時間を与えられたことに、感謝しようと思う。
だが、それとは違う、もう一つの感情が、まるで光と影のように、私の心に冷ややかに差していることも事実だ。
ある時点で、ふと思った。
これから先は、ひとりぼっちなんだな、と。
ここから先は、もっと辛い時間が待っている。だが、その辛い時間に、私はひとりで向き合って行かなければならない。
誰かに助けてほしいとか、励ましてほしい、慰めてほしいなどといった感情は持っていない。まして、助言だの意見だのは、もっと要らない。これは私達の問題だ。私とダメの時間を、誰にも邪魔されたくない。
それでも、「もう病院に行かないのだ」と思った時、私は、自分がまるで糸の切れた凧になったように感じた。
知らず知らずのうちに、心の中で、先生に頼っていたのだ。
薬を何日分出しますか?と尋ねた時、先生は、内心、どう思っていたのだろう。
あんなこと言っても、一週間後には前言を撤回して戻って来るさ、と思っていたかもしれない。
あるいは。
この飼い主には、もう会うこともないだろう、と思っていたのか。
二年前と同じだ。診察室を出た時、私はいずれも、もう二度とこの先生と会うことはないかもしれない、という事実に全く思い至らなかった。だが、二年前と今回とでは、その意味するところは全く違う。
ざっくばらんで、まるで友達のように付き合えるドクターミツコとは対照的に、この先生は、ご自分の感情を見せない人だ。冷たいとか、非人間的だとかいうわけではない。ただ何事も淡々と、自分自身の見解がどうであるかは悟られぬよう、事実と見通しだけを客観的に伝え、判断は完全に飼い主の側に委ねる。それは時として残酷で、「正解」を教えてもらえないことの心許なさに戸惑いもする。
しかし、今になって、その客観性が何を意図したものなのか、私にも少しだけ分かった気がする。
私は私の目の前のダメだけを見、私だけが感じる、彼の「今」を受け止めて、自分の心と感性だけを頼りに判断しなければならない。
あのとき、先生が何を思っていたのかは、知らない。
だが、今、私は、二週間後があることを、信じる。
追記。猫の抗がん剤投与による曝露のリスクについては、実際のところ、ネットでも取り上げているサイトはごく少数しかなかった。このうち一番詳しく書いていたサイトは、私が完全には信用していないサイト(おそらく嘘ではないが、バイアスがかかっていると思われる)である。ここに書いたのは私の「懸念」に過ぎず、飼い主や同居動物に対する曝露の可能性は通説ではないことを、念のため書き添えておく。