飼い猫・野良猫・そしてステイホーム

 

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 ようやく東京も緊急事態宣言が解除された。

 とはいえ、長い巣ごもり生活にも終止符が打たれ、これからは、晴れ晴れと自由を満喫する夏――というハナシにはならないのが現実である。

 まず、そんなに簡単に警戒をゆるめるべきではない、という正論。もちろんだ。臆病者の私は、現在の状況をそんなに信用していない。ここで皆が街に繰り出したら、あっという間にまた状況が悪化するのではないかと深く疑っている。ゆえに、自分自身も、怖くて以前の生活に戻せる気がしない。習い事、飲み会、そして美容院さえ、やはり足を踏み入れるには今一つ気が進まないのだ。

 こんなふうに書くと、私の心理状態は「コロナうつ」に近いのか?という誤解を招くかもしれない。が、心配して下さった方々(いればだが)、すみません。実際は逆です。

 自分で言うのも難だが、私は完全に政府の想定外だった筈だと断言できるほど、ステイホームを苦にしなかった人間なのだ。

 ステイホーム。

 私はこれを内心、「合法的引きこもり」と呼んでいた。

 今回のことで、改めて自覚した。私は本来、引きこもり体質なのだ。

 おうち大好き。

 猫さえいればいい。

 唯二の問題点は、自分で料理していると美味しいものが食べられないという点と、そして、我が家には現在、飼い猫が一匹しかいない(しかも普通サイズ)という点である。

 

 

 え?

 二匹いるだろうって?

 よく読んでください。私は「飼い猫が一匹」と言っているのですよ。

 飼い猫が一匹。そして、毎日ご飯を食べに来る家庭内野良が一匹。これが我が家の猫構成である。

 

 

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(2020年1月18日撮影。顔の傷が治ってきたころ)

 

 

 ダメはやはり、我が家の中心的存在だった。

 みんなが彼を大好きだったから。

 ダメの闘病から死までの激動の中で、いちばんその影響を受けたのは、実は玉音ちゃんではなかったか。

 彼のいない生活がすっかり普通となってしまった今、当時を振り返ってみて、私はそんなふうに考えている。

 ダメの死の前後、玉音ちゃんが顔面を掻き壊し、傷がドロドロになって「お岩さん」状態であったことを、ご記憶だろうか。

 顔まわりであること、掻き壊す(つまり、痒い)ことから、これはやはり、アレルギーでなはいかという予想のもと、検査をしてもらったのだが、意外にも結果は「シロ」であった。ただ、同時に行った患部の培養検査では、細菌感染が確認された。

 エリカラをつけたものの、やはり痒いのだろう、後足で顔を掻こうとする行動が治まらず、結局二週間近くも付けっぱなしだったか。しかし今度は、エリカラの接する首周りにハゲができ、それがあまりに痛々しいので、抗生剤が効いて傷がきれいになってきたところで外した。外したら、案の定、また顔を掻き壊した。

 やはりカラーなしでは駄目なのだろうかと迷いながら見守っていると、今度は細菌感染しなかったと見えて、やがて傷がきれいになってきた。が、もう少しだと安心しかけると、また掻き壊す。

 そんな状況が、延々繰り返されていたのだが。

 ダメが亡くなってしばらくして、その「負の連鎖」が止まった。

 痒みはまだ時々出るようで、時々引っ掻き傷を作っているが、悪化することなく治る。

 首周りのハゲもすっかり生え揃った。こればかりはエリカラで擦れたせいだと思っていたのだが、これも症状の一環だったらしい。ダメの首輪ハゲのように毛が生えなくなるようなこともなく、完全に綺麗になった。

 後日のことであるが、アタゴロウのネブライザー薬を動物病院に貰いに行った際、ドクターミツコに、玉音のお岩さん事件のことを訊いてみた。

「あれはつまり、引っ掻いた傷にバイ菌が入っちゃったからあんなに悪化しちゃったってことですよね。」

「そうそう。」

「だから、お薬も、痒みの原因そのものを止めたわけじゃなくて。」

「そういうことです。」

 そこで私は、持論を述べる。

「先生、私、あれってやっぱり、ストレスだったんじゃないかと思うんです。あの頃、私も大治郎にかかりっきりで、いっぱいいっぱいだったから。」

 

 

 ダメが亡くなった直後の二~三日。

 ほんとうに、それだけの期間であるが。

 玉音は急に、甘えっ子になった。いや、仔猫返りした、というべきか。

 ご飯時になると、私の足元まで来て、スリスリ、ニャアニャア言う。

 私はちょっと驚いた。彼女のそんな行動は、仔猫の時以来だったからだ。

 夜も一緒の布団で寝たような気がする。これも、仔猫の時以来だ。

 記憶が曖昧だが、私が食卓の椅子に座っているときに、ふらりとその椅子の下に来たのも、この時期だったような気がする。

 淋しかったんだな、と、不憫に思った。

 私がここで「淋しいんだな」ではなく「淋しかったんだな」という言葉を使うのには、理由がある。

 彼女は実はああ見えて、食事時は「食べるの見てろ」系の猫である。ジプシー喰いをするので、ちょっと食べては場所を替え、私が皿を持って追いかけてくるのを待っている。そして、それをひとしきり食べて、皿の上がまばらに空いて来ると、今度は私の顔をじっと見て、「集めて」と念を送ってくる。

 そういう子なのに、私は彼女が、自分から何も要求してこないのを良いことに放置していた。彼女はお腹がいっぱいになるとさっさと姿を消すのが常なので、皿の前からいなくなると、それ以上追及することなく残り物を片付けていた。

 ダメの闘病中、玉音は本当に、食事時以外は押入れに籠りっきりだったと思う。

 もともと、私と同じ引きこもり体質なので、そういうものだと思って気にしていなかったのだが、彼女は彼女なりに、遠慮していたのかもしれない。そして、自分が顧みられていないと悟って、自ら距離を置いていたのかもしれない。

 もっとも、私自身、彼女のそういった変化に、全く気が付いていなかったわけではない。周囲の友人たちに猫たちの様子を尋ねられると、

「玉音がすっかり野良返りしちゃってさ。」

と、冗談まじりに答えていた。構ってもらえない玉音が、飼い猫であることを半ば諦めたような状態であったことは、一応認識していたのだ。

 

 

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(2020年5月2日撮影。遠くからほぼ隠し撮り。ボケているのはそのせい。)

 

 玉音は、ダメが好きだった。

 ムムのように、積極的に甘えに行くことはなかったが、「何となく」おじさまの近くにいることは、よくあった。ダメも自分から積極的に他猫に構うタイプではない。常に「甘えさせる」側の男だ。この二匹は、そういう意味で相性が良かったのかもしれない。

 私が床に座っていると、ダメはいつも、いつの間にか私のお尻の後ろに座っていた。それも、ギリギリ接触しない程度の距離感で。

 彼は人間とのスキンシップが嫌いではなかったが、長時間の触れ合いは苦手だった。撫でても、毛皮に顔を寄せても、膝に乗せても、ブラッシングでさえ、一応ゴロゴロ言って喜ぶくせに、すぐに逃げてしまう。だが、逃げたくせに、そのへんを一回りするとまた戻ってきて、私の近くに座る。そんな猫だった。

 玉音も似たタイプなのかもしれない。

 彼女は未だに、私が手を出すと逃げる。だが、私の方が一瞬早く、体に手を触れてしまうと、気持ち良さそうに撫でられている。腰を叩かれるのも相変わらず好きだ。

 濃密な接触より、近くにいることの安心感を求める。自分から甘えることは苦手だが、相手から愛されているサインを、常に求め続けている。形は違っても、彼等に共通するのは、そういったある意味猫らしい、愛に対する態度、だろうか。

 玉音にとってダメは、近くにいると安心できる、居心地のよい存在だったのだと思う。

 あの頃、玉音はダメの死期が近いことを理解していたのだろうか。

 元旦のブログに、玉音がダメの近くでご飯を食べている写真を投稿している。このとき、彼女はどんな気持ちでおじさまの傍にいたのだろう。偶然、ご飯場所が近くになっただけなのか。それとも、彼女が敢えておじさまの近くに行ったところに、私が無理矢理、皿を持っていたという経緯だったか。もはや覚えてはいないのだが。

 だが、少なくとも、あの頃、彼女は孤独だった。それだけは間違いない。

 

 と。この辺で、

「あれ?ちょっと待って??」

 疑問の声が上がるに違いない。

「玉ちゃんには、夫がいるでしょう?」

 ハイ。いますよ。

 呑気・天真爛漫・甘えん坊将軍と、三拍子揃った黒白がね。

 

 

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 別にね、この夫婦、仲が悪いわけじゃないんですよ。

 ただ、やはり性格が違い過ぎるのではないかと思う。警戒心が強くて野良気質の玉ちゃんと、脳天気に飼い猫生活を満喫しているアタゴロウとでは。

 しかも、当時、私達の眼は、全員、ダメちゃんに向いていた。脳天気なアタゴロウでさえ、私に甘えつつも、常におじさんを気遣い、おじさんに寄り添っていたのだ。

 私とダメちゃん。アタゴロウとダメちゃん。

 玉音には、入る隙間がなかったんだろうな、と思う。

 そのアタゴロウであるが、おじさん亡き後の精神状態は、意外にも彼の方が安定していたように思う。少なくとも、表面上は。

 いや。

 というより、もともと甘えん坊ゆえ、その延長線上の反応であるから、変化が目立たなかっただけなのかもしれない。

 こいつは、どストレートに、私に甘えてくる。

 私の方も、甘えさせてくれる猫がいなくなったので、手近なところにいるこいつを、ひたすらいじり倒す。共依存関係である。

 となると。

 こいつ、もしかして今、我が世の春を満喫しているのではないかな?という疑いさえ、ちらりと頭を掠めたりもするのだが、やはり、そうとも言い切れないようだ。

 遊び相手がいないのである。

 ダメはジジイだったけど、何だかんだで、ダメとアタゴロウは、しじゅう追いかけっことプロレスに興じていた。いや、ダメにしてみれば遊んでいるわけではなく、しつこく絡んでくるアタゴロウに腹を立てて制裁を加えていただけなのかもしれないが、とにかく、毎日のように二匹でドタバタやっていた。それが、今はないのである。

 たまにアタゴロウがひとりで駆けまわっているときがあるが、たいていは単なるウンチハイである。

 玉音は、遊ばない猫なのだ。何しろ野良だから。

 たまに二匹で走っているなという場合は、ほぼ間違いなく、アタゴロウが一方的に玉音を追いかけ、玉音が必死で逃げているパターンである。アタゴロウが玉音にちょっかいを出し、玉音が嫌がって拒否しているという構図だ。

 おそらく、だが、もしこの二匹が本当に猫プロレスになったとしたら、玉音はアタゴロウから見て、完全に格下なのではないか。体もアタゴロウより小さいし、だいいち、このお嬢さんは、どうも何だか弱っちいのである。逃げる俊敏性は持ち合わせているが、彼女がアタゴロウに手を上げたり、組みついて猫キックしたりする場面は、ちょっと想像できない。(昔はやっていたけれど。)だからこそ玉音も、必死で逃げるのだろう。

 ――と、思っていたのだが。

 最近になって、どうやらそればかりでもないらしい、ということに気付いた。

 実はね。

 今まで黙っていたけれど、実はこのアタゴロウという男、呑気・天真爛漫・甘えん坊将軍のくせに、大きい声では言えないけど、エロ男でもあるんですよ。

 去勢雄でも、生殖本能が残り、交尾のまねごとをしようとする個体もいる、というのは、別に珍しくもない事実であるようだが、実際にそれが家にいると、ちょっと困ったことにはなる。

 つまり、アタゴロウが玉音に絡むときというのは、どうやら、無理矢理マウンティングしようと試みているとき、という疑いが強いのだ。

 ダメちゃんがいた時も、こいつは、ダメの背中に乗ろうとして振り落とされ、滅茶苦茶怒られていた。そこから追いかけっことプロレスに発展する場合も相当あったと思われる。だが逆に、それがプロレスにすり替わることで、ある意味、険悪ムードは回避されていたのだ。

 しかし。

 今度の相手は玉音である。こうなると、本物のセクハラである。

 最終的には、玉音が押入れかどこかに逃げ込み、アタゴロウも諦めて終わりになる。その後は二匹ともケロリとしているので、まあ深刻な事態にはならずに済んでいるのだが。

 なお、アタゴロウの名誉のために言っておくが、彼も普通に玉音と仲良くしたいという気持ちは持っているのだと思う。ご飯待ちの間、アタゴロウが玉音の頭を舐めている場面はしばしば見かける。玉音の方はそっけないのだけれど。

 

 

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(ジプシー喰いの最終地点はここ。立てかけたマットレスの陰である。)
 

 

 そうこう言っているうちに、我が家も「人間一人・飼い猫一匹・ごはんを食べに来る野良さん一匹」の状態が定着し、それぞれが勝手にマイペースで暮らす、本来のスタイルに落ち着いた。

 唯一違うのは、ステイホームのお陰で、私がやたらと家にいるということだ。

 ついでに、これは本当に細かいことだが、洗濯用の洗剤を替えた。私はもともと、環境負荷を考えて、セスキ・重曹・酸素系漂白剤というトリオで洗っていたのだが、これだと界面活性剤が含まれない。ウィルス対策的には界面活性剤を使った方が良いのではないかと、環境に優しい界面活性剤入りの洗剤を探して購入してみたところ、これが何と、「すすぎゼロ回でOK」という、超ラクチンな洗剤だった。思わぬ副産物である。

 これで朝の洗濯が楽になったこともあって、このごろは、玉音嬢のジプシー喰い&「食べるの見てろ」にも、割合律儀に付き合っている。玉音の方も、まだ時々顔が痒いようで引っ掻き傷を作ってはいるが、大事には至らず、極めてマイペースで暮らしている。

 このごろは、気温が上がったためか、押入ればかりでなく、キャットタワーのボックスや、カーテンの陰が玉音の定位置となり、結果的に私と「見えないけど同じ空間にいる」という時間が増えてきているのだが、これも一定の進歩と言えるのだろうか。

 甘えん坊エロ将軍の方も、適当に腹を出しながら、呑気に暮らしている。そういえば、喘息の方も、冬の間は一ヶ月~一ヶ月半おきのペースでネブライザーを行っていたのだが、春先から症状が落ち着いてきたようだ。単に気候が変わったからだと思っていたが、ひょっとして、冬場の調子の悪さの方が、ストレスの影響だったのだろうか。

 

 

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 こんな言い方をすると、怒られてしまうかもしれないけれど。

 コロナは私にとっても、もちろん、恐怖だ。自分は一般的に言われる重症化リスクは低い部類に入るのだろうが、そのリスク傾向だって、今後もそうであるとは言い切れない。自分が感染してしまった場合、在宅療養できる保証はどこにもないのだ。そうしたら、うちの猫たちはどうなるのだろう。

 だいいち、もしもそのとき、日本が医療崩壊をおこしていたら、自身の生命の保障さえ危ういのではないか。

 だが。

 それでも、ステイホームだけをとってみれば、それは、一家の精神的な大黒柱を亡くしたばかりの我が家に取っては、良い目に出たと言っていいような気がする。

 私は本来、引きこもり体質なのだ。

 おうち大好き。猫さえいればいい。(ダメがいればもっと良かったけど。)

 もちろん、それを苦にしなかったのは、完全な引きこもりではなく、たまに在宅勤務を挟みながらも基本的には出勤し、職場の人たちと交流していたからだと思う。

 在宅勤務も、普段できない勉強や資料作成ができて、不謹慎かもしれないが、私にとっては有意義であった。

  

 

 ま、こいつには散々邪魔をされたけどね。

 

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証拠写真