ゼロの脅威

 

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 昨年十一月十八日。

 後ろめたさにびくびくしながら猫専門病院の診察室を訪れた私を迎えたのは、イケメン獣医師の爽やかな笑顔だった。

「やあ。きょうは、どうしましたか?」

 ――へ!?

 怒られるかと思いきや、“どうしましたか”って…。

 むむむ。そうきたか。

 全く悪意も殺意も感じさせない自然体の微笑み。これがいわゆる、柳生新陰流無刀取りというやつだな。

「いえその、尿検査に…。」

 私は全力で、引きつった笑顔を作って答える。

「ああ、そうでしたか。」

「あの、暑かったんで、無理矢理連れて来て熱中症にでもなったらと思いまして――。」

「どれ。じゃあ診せてください。」

 いやいや。あろうことか、イケメン先生は、私が尿検査をサボっていたことの言い訳なんか、聞いちゃいないのである。

 その前の尿検査が、二月二十四日。「二~三ヶ月に一度は検査を」と言われていたのに、すでにおよそ九ヶ月が経過している。要するに、二回連続でサボった計算となる。

(さては、サボっている間に、「この飼い主はダメだ」と、見捨てられたか。)

 ま、そのとおりなんだけどさ。

 こうしてお咎めなしでアタゴロウを先生に預け、待合室で待つことしばし。

 検査が終わり、イケメン先生の示した結果は、予想どおりとも、予想外とも言えた。

「やっぱり、ストラバイトが相当出ていますね。」

「・・・・・。」

 示された検査結果の紙を見て、私は思わず絶句した。

 

 

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 何なんだ、この「+」の数は。

 こんなに頑張ったのに。いや、手間ではなくて、かけたのはお金だけ、だけど。

 先ほどの問診の際、与えているフードを訊かれて「ドライはc/dのマルチケアコンフォート、ウェットはc/d缶とphコントロールパウチをローテーションで、加えてクランベリーリリーフ(サプリメント)を週に一~二回。他のものはあげてません!」と自信たっぷりに答え、先生も満足げに頷いていたのに。何もかもが、結局、全然効いていなかったのである。

「でも、手術したからもう詰まることはないんですよね。このままだと、何が良くないんですか?」

「結石になります。」

 ハイ、愚問でした。

 これでもう、ダメ飼い主決定である。

 再び、s/dを勧められたが、食べないからと断り、

「たまに、私が目を離した隙に他の子のごはんをつまみ食いしちゃったりするので、そういうことがないように気を付けます。」

と、遠回しにアタゴロウ自身に責任をなすりつけておいて、逃げるように猫専門病院を後にした私であった。

 

 

 その後の私の行動には、賛否両論あるかもしれない。

 猫専門病院を出た私は、そのまま自転車を進め、かかりつけのドクター・ミツコのもとに駆け込んだのである。

「先生、どうしましょう。」

「うーん、よっぽど出来やすい体質なのねえ。」

 先生も途方に暮れた表情で言う。

「でも、s/dは、常食にはできないんですよね。」

「ああ、あれはダメ。長くても半年。」

 s/dには、わずかではあるが塩分が含まれている。喉を乾かせ、水を飲ませるためだ。だが、その塩分の影響で、内臓脂肪が溜まり、お腹の中がベタベタになっている猫を、ミツコ先生は見てきているという。

「それか、phコントロール・ゼロにするか。」

「ゼロは維持食になるんですか?」

「あれは大丈夫ですよ。もう、アタゴロウくんくらいのレベルだったら、ゼロにした方がいいかもね。」

 それでストルバイトが消えるなら、ある意味、いちばん簡単な解決法である。

「じゃあ、今あるc/dを食べ終わったら、ゼロにしてみようかな…。」

 先生にともなく、自分にともなく、弱々しい声で呟きながら、だがそこに、深い敗北感を噛みしめている私がいる。

 結局、ロイカナに頼るしかないのか。

 でもねえ。

 アタゴロウにロイカナを出したら、間違いなく、もっと大きな猫が釣れちゃうよね。

「でも、いちばんいいのは、お水をたっぷり飲ませること。」

「・・・・・。」

 実は、シリンジ給水は、とっくの昔にやめている。アタゴロウが嫌がるのを見て、だんだん可哀想になってきたからだ。

 でももう、飲み水は三箇所に置いている。これ以上、彼等にとって身近かつ、置きやすく蹴飛ばしにくいところがあっただろうか。

「ささみのゆで汁とかは、飲ませてもいいんですよね。」

「ああ。大丈夫ですよ。」

 だが、言いながら、

(ぜったいやらないな。)

という、妙な確信があった。何度かやってみたことはあるが、うちの猫どもは、その手のものに関する関心が今一つ希薄だ。頑としてキャットフード以外のものを食べさせずにきた私の方針が災いしたのか。だいいち、私はそんなにマメじゃない。

 友人さくらは、やっちーに薬を飲ませるため、薬をくるむ白身魚のペーストを、毎日手作りしているというけれど。

 

 

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 もう一つ。

 気になっていたことを尋ねてみた。

「あの、尿検査なんですけど、あちらの病院では、その場でお腹を押してオシッコを採っているんですが――。」

「ああ、圧迫排尿ね。」

「その場で採った尿で検査したいからってことなんですけど、先生はやらないでしょ。」

「ああ、あれはねえ。猫にストレスがかかりますからね。それに、オシッコが腎臓に逆流しちゃう可能性があるんですよ。」

 先生は淡々と言う。

「あっちでは、二~三ヶ月に一度、尿検査って言われてるんですけど。」

「まあ、その程度なら大丈夫でしょうけどねえ。」

 ミツコ先生だって、圧迫排尿を全然やらないわけではないのだ。現に、慢性腎不全で亡くなった故ミミさんの、最初の診察の際には、先生は私の目の前でおしっこを絞り出して検査している。あれは要するに、慢性腎不全が進んでいるに違いないという先生なりの確信があり、それゆえ飼い主(しかも、何もできない私)に採尿させている余裕はないという判断だったのか。

 だが、同じく腎機能が弱ってきている(ことが血液検査により判明した)ダメちゃんの尿検査については、「ここで採ってもらえないんですか?」と頼んでみたがニベもなく却下された。基本的には、「猫が自然排尿したところを、飼い主に自分で採らせる」主義なのである。

 しかし、ミツコ先生がここまで圧迫排尿を避けているとなると、アタゴロウの尿検査についても、二~三ヶ月に一度とはいえ、無理に圧迫排尿させることに不安が生じてくる。現に今日だって、イケメン先生は『いやあ、あまり溜まってなくて大変でしたよ』とおっしゃっていたのだ。

「ハイ、これ。」

 またウロキャッチャーを渡された。

「ありがとうございます。じゃあ、もし採れたら持ってきます。」

 受け取りながら、だが、心の中で、いつになるか分からないけどね、と、つぶやく。

 アタゴロウ以前の問題で、当初、昨年の春先の予定であったダメちゃんの尿検査だって、未だに出来ていなのである。何しろ彼は、私が家にいると、朝オシッコをしないのだ。夜はこれ見よがしにするくせに。

 

 

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 ところが。

 アタゴロウには、ジジイにない素直さがまだ残っていたのである。

 二月十六日土曜日のこと。

 私が朝、歯を磨いていたら、アタゴロウがやってきて、トイレの中を嗅ぎまわり始めた。

 あ、これは…、と、ピンときた。

 私の予感は当たり、見事、オシッコ採取成功。しかも、普段なら土曜日の午前中は用事があるのに、この日はたまたま空いていたときたもんだ。

 ついでに、ダメちゃんもしてくれないかな、と淡い期待を抱きつつ、アタゴロウの尿を採取したウロキャッチャーの袋に「ア」の字まで書いて、ジジイに熱視線を送り続けたのであるが、残念ながら百戦錬磨のジジイはその手には乗らず。

 結局、「ア」の字の袋だけを握りしめて、ドクター・ミツコの元に勇み乗り込んでいったのであるが――。

 結果は、予想だにしないものであった。

 ウロキャッチャーから絞り出された尿に浸した試験紙には、鮮やかなオレンジ色の反応が表れていたのである。

「これは…。」

 混乱のあまり言葉が続かない。呆然と立ち尽くす私に、

「酸性ですね。」

 ドクター・ミツコは、厳かに、そう、告げたのだった。

 

 

 その瞬間、私の脳裏を掠めたのは、自分の尿結石に関する知識は、そもそも全て根本から間違っていたのではないか?という疑いであった。

「てことは、ストルバイトは…。」

「そ。今度心配なのはこっち。」

 先生は、以前にも見せてくれた説明用のチャートを取り出して、「シュウ酸カルシウム」の項を指さして見せた。

「ストルバイト、ストルバイトって大騒ぎしていたら、いつの間にかシュウ酸が増えちゃったっていう…。」

 それは、アタゴロウのような個々の猫についても「あるある」であるようだが、同時に、世間的な潮流でもあるらしい。

「――ゼロ、恐るべし。」

 私は思わず、小声でつぶやいていた。

 在庫がたっぷりあったc/dコンフォートをようやくにして消費し、我が家に「phコントロール・ゼロ」がやってきたのは、一月二十日前後。まだ切り替えて一ヶ月も経っていないのに。

 ゼロの破壊力は、アタゴロウの「++++」のストルバイトを跡形もなく溶解し、なかんずく、彼の尿を完全に酸性に傾けたのだ。

 私のつぶやきが聞こえたのか、先生がさりげなく提案する。

「もしかしたら、ゼロじゃ強すぎるのかもね。1(ワン)にしてみるとか。」

 あ、そういうシリーズ構成になっていたんだっけ。

 もとよりロイカナを食べさせる気がなかったので、真面目に調べたことがなかった。

 猫でもワンなんですか?というオヤジギャグがつい頭に浮かんでしまったのだが、それはそれとして、その時、私の頭の大半を占めていた思いを、もしあのイケメン獣医師が知ったなら、おそらく私は、猫専門病院を出入り禁止にされたことだろう。

 そのとき、私が心から思っていたことは、

(ゼロを買い足さなくて良かった…。)

という安堵感、ただそれだけだったのである。

 一月二十日頃にアマゾンで購入したゼロは、二キログラムのパックである。予想どおり、アタゴロウは喜んで食べたので、想定以上に減りが早く、そろそろ次を買い足そうかと考えていた矢先であった。しかも、こんなに消費が早いなら、今度は何パックかまとめ買いしようかな、とさえ、ぼんやりと思っていたのである。

(ああ、危なかった…。)

 ギリギリセーフ、であった。

 だが、そうは言っても、我が家のゼロだって、まだそこそこの量が残っている。

 いくら何でも、あれを全部捨てちゃうのもちょっと、ねえ。

 そこで、

「じゃあ、少しずつゼロに切り替えてみて、完全に切り替わってしばらくしたら、また、オシッコ採ってきます。」

 と、前向きなのか後ろ向きなのか分からない発言をしてみたのだが、

「そうですね。完全にワンに切り替えて、一週間くらいしたらまた持ってきてください。」

 ――一週間!(早い)

 そんなにすぐに、変化が表れるものなのか。

 でも、次がいつになるか、正直、約束はできないんだけどな。

 まあ、いいか。先生はウチにあるゼロの在庫の量なんて知らないんだから、「やっと切り替え終わりました~」のテイストで、にっこり笑って来ればいいや。

「じゃあ、先生、もう一本ください。」

「ハイ。じゃこれ。」

 おかみさん、もう一本付けてくんな――はいよ、ほどほどにしときなさいよ。

 ああ駄目だ。今日はもう、まともな思考ができそうにない。それもこれも、ゼロショックで脳味噌が壊れたせいだ。

 

 

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 と、いうわけで。

 アタゴロウくんのオシッコ問題は、未だ解決に至っていないのである。

 これは後で気が付いたのだが、今回の酸性発覚でギリギリセーフだったのはゼロだけではない。サプリメントとして与えていたクランベリーリリーフについても、そろそろ底が見えかけてきたところであった。これも買わなきゃと思っていたところだったのである。

 だが。

 そのことに思いあたり、別の可能性が浮上した。

 ひょっとして、今回の酸性値の原因は、ゼロが強すぎたのではなく、クランベリーリリーフが余計だったということではないのか。

 今回の尿検査のちょうど一週間前まで、アタゴロウはゼロに加え、クランベリーリリーフをも摂取していた。一週間前に喘息の薬を飲ませ始めたので、そのとき、薬を飲んでいる間はお休みにしようと思って止めたのだが、それまではせっせとウェットフードに混ぜて食べさせていたのである。

 ドライフードをc/dからゼロに替えた際に、サプリメントは要るのだろうかとちょっと考えはしたのだが、アタゴロウのストルバイトがあまりにも酷いので、やはり併用した方がいいのではないかと思って、そのまま与えて続けていた。

 しかし。

 ゼロ、恐るべし。

 私が考えていた以上に、ゼロの効果は凄かった。

 先生の話しぶりから、食餌によって尿のph値に変化が出るタイミングは割合早いのだということが分かった。先生は「(フードを)切り替えてから一週間」とおっしゃったが、それを言うなら、クランベリーリリーフを止めてから今回の尿検査まで、ちょうど一週間経っている。喘息の薬は尿phには関係ないと、先生はおっしゃっていた。ではやはり、あの驚異の酸性値は、ひとりゼロの威力に因るものであったのか。

 微妙なところである。

 うーん、やはり。

 ゼロ、恐るべし。

 それにしても、あの朝、アタゴロウが私の目の前でオシッコをしてくれて、本当に良かったと思わざるを得ない。

 でかしたぞ、アタゴロウ。良くやった。

 

 

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 ところで。

 実は、ゼロ効果は、尿ph値だけにとどまらなかったことを報告しなければならない。

 アタゴロウが、ウェットフードをよく食べるようになったのである。

 ロイカナは猫にとって美味しいのだろう。ロイカナを出すと食いつきよく完食する、というのはもとより分かっていたことであるが、アタゴロウの場合、なぜか、ドライの前に出すウェットフードまで綺麗に一気食いするようになったのだ。

 これまで、後半戦はドライフードをまぶしたりして、なだめすかして食べさせていたのに。

 もちろん、ゼロ=ロイカナドライに対する執着は強い。c/dの時より多めに食べさせていると思うのだが、それでも未練がましく、いつまでも皿の前に座って視線を送ってくる。最初は本当に足りないのかと思って少しずつ「お代わり」を与えていたのだが、どうやらきりがないらしいと知ってやめた。(もう終わりよ!と言い続けていると、やがてあっさりと諦める。)

 だがなぜ、ウェットフードまでよく食べるようになったのか。

 謎である。

 ちなみに、私が当初警戒した「ロイカナを出すともっと大きな猫が釣れてしまう」という事態であるが、これは起こらなかった。起こり得なかったと言っていい。

 なぜって。

 もっと大きなジジイが、アタゴロウの残り物を求めて彼の皿を覗きに行っても、そこにはもはや、草一本生えていないからである。

 とはいえ、以前はその巨体の発する空気圧でアタゴロウを排除し、彼の皿を強奪していたジジイである。その気になれば、まだロイカナを食べているアタゴロウを強制的に立ち退かせ、自分がそれを横取りすることだって、できなくはないはずである。

 なぜジジイがそれをやらないか。それは、アタゴロウがロイカナを一気食いしているとき、彼は彼で、自分のご飯を必死に食べているからである。

 そう。

 この説明のつかないゼロの効果。それは、

「アタゴロウだけでなく、他の二匹もよく食べるようになった」

 ということなのである。

 玉音ちゃんも、お得意のジプシー食いをやめて、男子チームの食事場所にほど近い椅子の下で待つようになった。そして、移動・休憩なし、または休憩一回で、きれいに完食するようになった。

 賄い婦としては、実に助かる話ではある。

 とはいえ。

 私の心中には、若干複雑な思いが残っている。

 あれほど苦労して、ロイカナを卒業したのに。

 うちはロイカナなんか出しません。プレミアムフードざますから、と、間接的にロイカナをディスりまくっていたのに。

 結局、ロイカナの恩恵をありがたく享受することになろうとは。

 嗚呼。

 返す返すも――。

 ゼロ、恐るべし。

 いや。おそらくこの効果は、ゼロからワンに切り替えても同じだろう。同じであることを祈っている私がいる。

 ついでに言うと、ゼロは一種類だが、もしワンに切り替えられたとしたら、ワンの方は味が二種類あるのだ。ローテーション(といっても単なる交代であるが)が組めることになる。アタゴロウ自身は大して気にしていないかもしれないが、飼い主的にはちょっと嬉しいのである。

 いやはや。

 ロイカナ、恐るべし。

 いや、本当に。

 恐れ入りました、と、言うほかはない。

 

 

 やっぱり、人であれモノであれ、うっかり悪口なんて言うもんじゃないな。

 

 

 

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 ちなみに、これがクランベリーリリーフ

 

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中身は粉末 

 

 

 

謹賀新年

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今年のトップバッターは、アタゴロウくんでした。

 

 

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では、次はダメちゃん。

 

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ちょっと、ダメちゃん!

もうちょっと、おめでたそうな顔、できないの?

 

 

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さいですか…(新年早々)

朝食後に撮影したのが敗因か。 

 

それでは、次の方。

 

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こちらも、先にメシを出したのが失敗だったらしい。

 

ではやはり、ここはアタゴロウくんにキメてもらおう。

 

 

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いやそこ、普通、「前を向いて」だろう。

 

てなわけで。

今年もよろしくおねがいします。

 

 

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(おまけ。本日の玉音嬢)

 

 

 


 

 

 

年末墓参

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(本日のダメ)



 

 

 道路の落葉を掃く人がいる。

「大変ですな。風もあるし。」

「いやもう。向こうから吹くからね。」

 近くに停めた車の主が話しかけている。二人は知り合いなのだろう。

「いつもなら、今頃はもう散り終わっているんだけどねえ。」

 街路樹の公孫樹には、まだ黄色い葉が半分ほど残っている。そういえば、昨年は、もっと残り少なかっただろうか。私は寒空に聳える梢をちらりと振り仰ぎながら、黙ってその横を行き過ぎる。片手に、コーヒーを満たした蓋つきのステンレスマグを持って。

 

 

 都内某所。曹洞宗の小さなお寺がある。そこに、私の恩師が眠っている。

(先生、こんにちは。)

 毎年末、恩師の墓を訪れるのが、私の習慣になっている。

 大学時代のゼミの指導教授は、当時から難病を患っていた。とはいえ、普通に講義も校務もこなしていたし、学生と一緒に酒も飲んだ。煙草も大好きで、研究室の書棚にぎっしりと並んだ書籍は、煙草のヤニで、一様にセピアがかった色に染まっていた。

 恩師が亡くなったのは、卒業して十年ほども経った頃だろうか。

 私は、友人からのメールでそれを知った。

「S先生って、猫山ちゃんの恩師じゃないの?死んじゃったよ。」

 友人は、新聞の訃報欄でたまたまそれを目にしたらしい。あまりに簡潔な第一報の後、確かインターネットで自らそれを確認し、その後、ゼミの友人から通夜の連絡が入った。

 通夜は大雨だった。それだけは覚えている。

 恩師を失って、私が感じたのは、悲しみよりも後悔だった。

(なぜ、こんなに御無沙汰をしてしまったのだろう。)

 話したいことが、たくさんあったのに。

 メールをくれた友人は、間違いなく恩師と気が合うと私が確信した人だった。だから、いずれは紹介して、皆で一緒に飲もうと、勝手に計画していたのに。

 いつかは、と思っていた。だが、その「いつか」は、永遠に来ないのだ。

 仕事の話、趣味の話、時事問題。職場の人とも、女友達とも違う。別の視点で、別の距離感で、先生と分かち合いたいと思っていた様々な話題が、その時を限りに、すべて封印されてしまったように思えた。

 死とは、とりかえしのつかないものなのだ、という当たり前のことを、私はこのとき、はじめて知ったのかもしれない。

 それだから、だろうか。

 煙草のヤニに染まった研究室を訪れる代わりに、私は恩師のお墓に出向く。暮れていく年に思いを巡らし、気が付いたことをとりとめもなく恩師に報告する。もちろん、墓は答えない。

 乾いた冬空を見上げ、同じ後悔を繰り返すために、私はここに来るのかもしれない。それでもちっとも学習しない私を、恩師はきっと苦笑いしながら眺めているのだろう。

 

 

 私に「書くこと」の楽しさを教えてくれた恩人が、生涯に三人いる。

 私の読書感想文にはじめて目を留めてくれた、小学校二年の担任の先生。国語教育、特に作文(生活文)に力を入れ、書き方の基本を教えてくれた、小学校五、六年の担任の先生。そして、大学三年から四年でお世話になったゼミの指導教授だ。

 その指導教授の教育法は、もしかしたら、学部の中でも異色だったのかもしれない。とにかく「書かせる」先生だった。何よりもまず、論文の書き方、スタイルをたたきこみ、さらに、文体にも論文らしいクオリティを求めてくる人だった。

 実際、先生の書いた論文は、読み易くも格調高く、その文章の美しさにおいて水際立っていた。何人もの研究者が寄稿した論文集などを読むと、その差は歴然だったのを覚えている。

 学生は机上の空論をやれ、というのが、先生の持論だった。当時、学部の教授陣には、フィールドワークを重視する人が多かったから、その点においても、大学という研究者のヒエラルキーの中で、先生自身、ちょっとした異端児だったのではないか。

 先生は、私達が二年生のときに、一年間のサバティカル(研究休暇)を取っていたので、三年で専攻を決め、サブゼミの顔合わせをした際に、先生の人となりを知っている学生は一人もいなかった。同じ理由で、本ゼミ生(四年生)もいなかったから、先生が開口一番、

「ここに集まっている皆さんは、多かれ少なかれ変わり者だと思います。何しろ、去年、私はいなかったのですから。」

と、挨拶したのは、的を射た発言であったと言っていい。私もその「変わり者」であったわけで、また、そう発言した先生その人も、同じく「変わり者」であったわけだ。

 それにしても、全く情報のないゼミに入るというのは、学生にとっては一種のギャンブルである。その点、私達変わり者軍団は、賭けに負けたと言ってもいいかもしれない。それからの二年間、夏休みも春休みも「レポート」と称して論文を一本ずつ書かされ、さらに、休み中の合宿と休み明けの最初のゼミで、その論文の内容をプレゼンしなければいけないという、他ゼミに比べ、きっちりと厳しい執筆(?)生活が待っていたのだから。

 だが、今にして思えば、それは楽しい学生時代だった。今書いているような駄文と違い、論文書きは苦しい。それでも、書き上げること、即ち、文章という手段で何かひとつのワールドを構築することの充実感は、それだけである種の陶酔をもたらす。そんな経験ができたのも、卒業論文という無責任きわまりない名目のもと、先生の言う「机上の空論」を思い切りやらせてもらえたからに違いない。

 その後の人生で、そんな機会は決してないということを、社会人になって、ようやく私は悟ったものである。

 

 

 ステンレスマグの蓋を開け、コンビニで買ったコーヒーを墓前に供える。漂うのは線香の香りではなく、コーヒーの香りだ。

(先生、ホットコーヒーは久しぶりでしょ。)

 墓前には、すでに缶ビールが備えてある。お家の方だろうか。よくお解りの方だ、と、私はひそかに苦笑する。

 さて。

 何を報告しようか。

(今年は、何もないな…。)

 いつも、自分の書いた「文章」に関することは、必ず報告している。まあ、たいていは仕事のマニュアルを作ったとか、その程度のことなのだが。もちろん、このブログのことも話しているが、残念ながら今年はほとんど更新していない。

 マニュアルは作っていないけど、研修資料は作った。私は今、職場でいちばんの古株なので、時々、職場内研修で講師をやる。その資料作りも好きだし、研修を企画することも好きだ。さらに、気が付いたら、係内限定とはいえ、講師をやること自体にもあまり抵抗がなくなっていた。

 いくら内々の小規模なものでも、研修講師を頼まれると嫌がる人が多いのに、私は断らないので、上司には感謝されているらしい。おかげで、職場では好き放題やらせてもらっている。

(でも、昇任試験は断わりました。)

 まあ、それは、ずっと断り続けているんだけどね。

 リーダーになりたいとは全く思わない。そんな器ではないし、臆病で人見知りだから、そんな立場に立たされたら、多分、ストレスで体を壊す。私の理想は、自分がリーダーになることより、次代のリーダーを育てる人になることだ。

(私、先生みたいになりたいんです。)

 突然ひらめいた自分の心の声に、自分ではっとする。

 先生は、講義が好きだと言っていた。それも、大教室で大勢の学生を相手に講義するのが快感だと。

 研究者というものは、研究だけが好きで、先生稼業は生活費を稼ぐためにしぶしぶやっているのだと思い込んでいた私は、心底驚いたものである。だが先生は、“その中にも、シャイでティミッドな自分もいるのだ”ということも、おっしゃっていた。

 ここで「ティミッド」(timid=臆病な、内気な)という英語が出てくるあたりが、さすがイギリスに留学した人なのだが、その「シャイでティミッド」と「講義が好き」のつながりが、当時の私には全く分からなかった。だが、それが両立するものだということが、今の私にはよく分かる。私にはまだ、大教室で講義するほどの度胸はないとはいえ。

(私、ひょっとして、先生に似てきたのかな…。)

 教授になりたくない、いつまでも助教授(今で言う准教授)のままでいたい、と言っていた先生。夏休みも春休みも学生を遊ばせようとせず、そうして集まってきた何十本もの拙い論文に、丁寧に目を通し、朱を入れていた先生。学生が、そして教育活動が好きだった先生。

 そういえば、私は、先生の逝った歳を越えたのだろうか。

 何故とはなしに、うっすらと涙が出る。

 今なら。

 そう、今なら、もっと色々な話が、もっと深い話ができるのに。

 大学生なんてほんの子どもだ。学生時代の私は、当たり前だが、全然先生に追い付いていなかった。あまりにも物を知らなくて、薄っぺらで、ついでにお酒も飲めなかった。

(飲みたいねえ、先生。)

 お酒を飲んで、じっくり話してみたかった。

(でももう、私も飲める盛りは過ぎちゃったけどね。)

 ふと、思う。

 先生がご存命だったら、今、いくつになられるのだろうか。

 確か、私が四年生のときに、四十歳になったと言っていたはずだ。となると――、

(あれ、じゃあ、ダメちゃんと同じくらい?)

 とんでもないところで、ダメを思い出した。

 猫と一緒にされたら、先生は怒るだろうか。いや、むしろ、内心面白がってネタにするだろう。

「猫山さんちの猫と一緒とは、感慨深いですね。俺もいよいよ出世したなと。」

 そんなことを真面目くさってしみじみと話す先生の姿が目に浮かぶ。誰にともなく、私は低く笑ってみせる。

  

  

 風は既に止んでいた。

 落葉を掃く人はいなかった。無人の車だけが、ぽつんと路上に残っていた。

 親子連れが信号を渡って来る。小さな女の子がはしゃいでいる。大晦日、こんな何もない通りを、あの親子はどこへ行くのだろう。買い物を済ませたようにも見えないけれど。

 コンビニの前を行き過ぎながら、文章を書きたい、と、ふいに思った。

 あまりにもブログを放置し過ぎだ。それは分かっている。常に、書きたいという気持ちと、時間のなさとの、せめぎ合いなのだ。

 だが、書き留めないままに、日々は無情に流れ過ぎて行く。書き留めなかったことは忘れていく。まるで何も起こらなかったかのように。そして、ネタは生ものだ。時期を過ぎてしまったら、もう書けない。

 今年だって、いろいろあったのに。

 ダメの脚の手術。(良性の脂肪種だった。)アタゴロウの尿検査。玉音の予防接種。つい最近は、毎年恒例のクリスマスパーティが我が家であって、アタゴロウがはじめて、りっぱにホスト役を務めたのだ。

 それから、夏のフェリウェイ購入と、さっさと使用を諦めたその顛末とか。

 それから…。

 それから…。

 ほら、もう忘れている。

 一日一日を大切に生きるということは、簡単そうに見えて難しい。書き留めることは、その最も手軽な実践方法でもあるはずだ。

 そう、分かっているのに。

 猫たちとの日々を大切にしたい。そう願いながらも、せわしなく流れて行く日々を、ただなすすべもなく見送るだけの私がいる。

 三人の恩師は誰も、私に「文章を簡潔に書く」という躾を施すことができなかった。その点さえ身につけておけば、このブログだって、人並みに更新ができただろうに――と、愚にもつかない言い訳を述べてみる。

 

 

 そして、今。

 大掃除を途中で投げ出して、PCを叩いている私の椅子の下に、ダメがいる。

 今度の二月で、彼は十四歳になる。すっかり老境だ。もちろん、すでによく分かっていたことなのだが、今朝、布団の上の彼の口許の白髪が喉元にまで広がっているのを見て、しみじみとそれを実感した。そして、思った。

 あと何年、彼と一緒に居られるのだろうか。

 考えたくない。

 いくら他の二匹がいるといっても、彼のいない生活など、私には考えられない。

 だが、いつか必ず、その時は来るのだ。

 とりかえしがつかない、という、あの思いはしたくない。その時、後悔しないために、私はどうしたら良いのだろう。

 いや、そんなことは不可能だ。後悔は必ず、するのだ。

 日々、「来るべき日」を予感して、覚悟を胸に秘めて暮らしていくのか。しかし、それが正しいやり方だとは、どうしても思えない。それよりは、今日のこと以外は何も考えず、日々を当たり前に生きていくことの方が、ずっと幸せに近いように、私には思えるのだ。

 そしてその日を迎え、おそらく、私は激しく後悔する。彼と一緒にできなかった、彼のためにできなかった、様々なことのために。

 もしかしたら、後悔とは、一つの弔いの形なのかもしれない。十数年前に胸を満たした私の苦い後悔が、こうして毎年、私の足を恩師の墓に向けさせているのだから。だとしたら、それは必要悪だ。

 だが――。

 ただひとつ、愛情だけは。

 愛情だけは惜しみなく、隠すことなく、彼等に注いでいきたいと思う。

 机上の空論が学生の本分なら、学生時代にそれをやり切ったからこそ、私の後悔はその苦さの中に一抹の清々しさがある。論文そのものは本当に拙いものであったけれど、そして、その後、先生に御無沙汰をしたことで、私自身は激しく後悔しているけれど、先生はそんな私を笑って見てくれているに違いないと信じられる安心感がある。

 猫飼いの本分は、猫を愛することだ。

 だからね、ダメちゃん。

 何年経っても私は未熟な飼い主だけど、愛情だけは精一杯、注ぎ切るからね。

 君の大きさ、あたたかさ、柔らかさ。それから、他猫のご飯の強奪も、ウンチ後のお尻を床に擦り付けた痕跡も、ところ構わず「エ」をすることも、そして、それらに対して私が君にする、クソじじい呼ばわりも。

 すべての普通の生活。

 何気ないできごとの全部が、君に対する愛なのだから。

 そうやって、一日一日を、大切に生きていきたい。

 

 

 あ、でも、念のため言っておくけど。

 愛情イコールご飯、ではないからね。

 ダイエットも愛のうちです。そこは心得ておくように。 

 

 

 

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そ。スマイル0円、みたいなもんさね。

 

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(本日の玉音ちゃん)

  

 

 

 

 

 

 

ダメちゃんサイボーグ伝説

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 ダメちゃんこと猫山大治郎氏が我が家に来て、早や十三年。

 喜びも涙も分かち合い、唯一無二の相棒として共に歩んできた私達であるが、この頃になって、私は遅ればせながらある事実に気付き始めた。

(ダメちゃんは、普通の猫ではないのではないか――。)

 仔猫、もとい、中猫時代を過ごしたYuuさんの家では「まあまあ大きめの猫」程度だった彼は、我が家に来てから、爆発的に巨大化した。

 それは、まあいいとして。

 十三歳六カ月と言えば、私の使っている二十年以上前の計算法によれば、人間にして六十八歳。だが、数年前に私が出来心で購入した『最新 ネコの心理』という本(今泉忠明著・ナツメ社刊/二〇一一年)によれば、八十八歳である。

 であるのに。

(若すぎる…。)

 何しろ、未だに、朝が来るたび七歳年下のアタゴロウと壮絶な猫チェイスを繰り広げているのだ。平気で寝ている私を飛び越え、キャットタワーに駆け登り、「おわあ、おわあ」と、メスを巡る喧嘩のような声でアタゴロウを威嚇する。そして、未だに、アタゴロウより強い。

(これが八十八歳のすることか。)

 ハッスルじじいである。

 ま、だからこそ若い娘にもモテるのだろうが。

 先日、同僚から、

「猫を歯ブラシで撫でてやると喜ぶんだって。」

 という話を聞き、なるほどと思って歯ブラシを見せたところ、何を勘違いしたのか、彼は(アタゴロウもだが)狂喜乱舞した。

 ただし、それは、「撫でて欲しくて」という意味ではなかった。

 となると、あとは、推して知るべしである。私の方が身の危険を感じたので、早々に歯ブラシは片付けた。徹頭徹尾、静かに撫でさせてくれそうな気配は、微塵もなかった。

 そんな男である。

 しかも。

 痩せない。ちっとも。

 食欲も、落ちない。

 爺さん臭くなったことと言えば、口の周りの毛が白くなったことと、便秘がちになったこと、そして、若いころより傍若無人になったこと、くらいである。

 腎機能が落ちてきたらしいので、一応、腎臓ケア対応のフードを食べさせているのだが、彼自身は、アタゴロウの食べている尿石症対応のフードの方が好きらしい。ダメの食餌療法はそれほど厳密なものではないので、彼がアタゴロウの残り物を片付けることは許しているのだが、それをいいことに、私が見ていないと、まだ食事中のアタゴロウのご飯をも盗み食いする。それも、アタゴロウが皿から顔を上げた途端に、自分の皿から瞬間移動し、彼を押しのけるようにして強奪するのである。

(若すぎる…。)

 というより、大人げない、というべきか――。

 彼の妹と言われている(実際には血の繋がりはない)、三ヶ月歳下のりりが、すっかり「おばあさんねこ」になって、家人の膝の上にばかりいるのとは、エラい違いである。

 これは、私ひとりの感覚の問題ではない。今年の六月、たまたま他の用事でやりとりした際に、Yuuさんに下の写真を送ったところ、

 

 

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 何歳に?と訊かれた。

 十三歳だと答えると、

「見えませんね。もっと若く見えます。」

 猫のプロが言うのだから、間違いない。彼は自身の年齢をはっきりと裏切っている猫なのである。

 そして。

 つい先日のことである。

 私の疑惑は、立証された。

 

 

 ダメちゃんは、サイボーグだったのだ。

 

 

 以下に、その証拠をお目にかけよう。

 

 

 某ショップで彼のフードをネット購入したところ、送られてきた段ボール箱には、こんな衝撃のシールが貼られていた。

 

 

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 ちなみに、中身はこれ。

 

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 一見、普通のドライフードであるが、これを色を飛ばしてみると――

 

 

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 何と。

 何かマイクロチップ的な物に見えてくるではないか。

 忘れてはならない。猫は赤い色を認識できない。赤っぽい色のものは、彼らにはモノクロに見えているのである。この写真のように。

 

 

 この「マイクロチップ的なもの」は、私に、幼少時の古い記憶を呼び覚ましたのだ。

(これと似た設定、読んだことがある――。)

 小説ではなく、漫画だった。それは間違いない。

 動物に、無機物をエサとして与える。何か科学技術っぽいもの。どう考えても、生き物のエサではないもの。

 人間には危険なものであったような気も…。

 記憶を辿るうちに、「アイソトープ」という言葉を思い出した。それから、絵と台詞の雰囲気。あれは、「サイボーグ009」ではなかったか。

 なるほど。

 サイボーグのゴハンね。

 漫画で見たその「アイソトープ」は、小さな円柱状だったような気もするが、まあ、似たようなものだろう。

 サイボーグたちは、普通に人間の食料も消化する。島村ジョーは旧友のヤスと一緒にパンと牛乳を食していたし、他のメンバーも、確かヤギらしき動物の肉を炙ったものを食べていた。ダメちゃんがアタゴロウのフードを食べたって、何の不思議もない。

(註:ゼロゼロナンバーのサイボーグたちは、通常の消化器官と体内原子炉という、二系統の動力源を持っているのだそうである。彼等が核燃料を体内に取り入れる場面は見た覚えがないが、生体に影響を与えない何らかの方法で、補給を行っていたのだろう。)

 だが、漫画では、アイソトープを食べていたのは人間型のサイボーグではなく、動物だったような気がする。何か、猛獣っぽいもの。

 猛獣のサイボーグ、だったかな? 

 と、いうわけで。

 その疑問を解くべく、その夜は何時間もかけて、ひたすら、ネット検索しまくっていた。(我ながら、びっくりするほど無駄な時間の使い方である。)

 で。

 以下がその検索の結果である。

 

 

 放射性アイソトープをエサにする動物は、「サイボーグ009」の「黄金のライオン編」に登場する。そう、正にその、タイトルとなっている金色のライオンである。

 舞台は独立運動に揺れるアフリカ。キリマンジャロ付近。

 うーん、時代を感じるなあ。(ちなみに、同じコミックスに収録されているのは、ベトナム戦争を舞台とする「ベトナム編」である。私はいずれも子供のころに読んだ。)

 008(ピュンマという名前だったことを、私は全く覚えていなかった)から「独立運動を妨害する、口から火を吐く黄金のライオンを倒してほしい」と依頼され、ピュンマの故郷を訪れた009は、黄金のライオンが仔ライオンを盾に取られて本国側に操られ、村や鉱山を攻撃していることを知る。その黄金のライオンのエサが放射性アイソトープで、ここは私の記憶なので不確かなのだが、毎日二個もらううちの一個を、仲間である「黄金の木」に分け与えていた。

 で。

 そんなアブない物を食べる、「黄金のライオン」と「黄金の木」の正体は――。

 009は瞬時にして見破る。彼等はロボットでもサイボーグでもない。その正体は「地球外生命体」なのであった。

 

 

 え??

 サイボーグじゃなかったの?

 

 

 何と!

 じゃあ、ダメちゃん、キミも本当は、地球外生命体なのか??

 

 

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 はっ!!

 そ、そうだった。

 

 

 猫はフェリネ星人である。

 その説を、私は米原万里さんのエッセイで知った。曰く――、

 同じ銀河系宇宙に存在するものの、われわれの太陽系からは何万光年も離れた別の太陽系に、われらが地球の生態系と驚くほど似通った条件を持つ惑星がある。そこでは高度の知能を持つ動物が文明社会を創り出したが、異常に発達した殺戮兵器の使用を伴う戦争の結果、星の生態系は回復不可能なほどの壊滅的打撃を受けてしまった。

 その惑星、即ちフェリネ星の権力者やその傘下のエリート科学者たちは、三十隻の宇宙船で惑星を脱出し、移住先として地球に白羽の矢を立てた。彼等はおそらく穏便に地球を征服する方法として、地球の万物の霊長たる人間の嗜好を研究し尽くし、地球人が無条件に魅了される動物の形にメタモルフォーゼして、地球に降り立った。

 それが猫だ、というのである。

 要するに、フェリネ星人たちは、猫に化けて地球人に近付き、地球人を骨抜きにした上で地球を乗っ取ろうという魂胆なのだ。

 この話は、以前にも紹介したことがある。

 

damechan65.hatenablog.com

 

 ちなみに、その後、私はそのエッセイ集『ヒトのオスは飼わないの?』と、ブックオフで再会した。それが今、手元にある。

 読んでいると、犬猫の医療事情などが、やはり、古い。時代を感じる。

 冒頭の一文を読むと、米原さんがこの本の原稿を書き起こしたのは「一九九八年一月」だという。何と、二十年前の本なのであった。

 まあ、さすがに。

 アフリカ独立運動や、ベトナム戦争の時代にはかなわないけれど。

 だが、米原さんの説によれば、クレオパトラが猫を愛でたのは、フェリネ星人たちが、当初、影響力を持つ王侯貴族を重要視した証拠だという。つまり、フェリネ星人の方が、放射性アイソトープを食べる黄金のライオンより、ずっと古くから地球に存在したわけだ。その末裔が、今、我が家にいる三個体なのである。

 

 

 ともあれ。

 件のドイツ製精密機器は、サイボーグなのかフェリネ星人なのか知らないが、ダメちゃんの生命維持プログラムに適合したらしい。

 精密機器アニモンダを体内に取り込んだ彼の体は、嗅覚を通じて地球人の精神神経系にダメージを与える、例の巨大廃棄物を、順調に生産し始めたものである。

 

 

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 追記。

 先日、友人のRさんの愛猫コタローくんの訃報に接した。 

 コタローくんは、私の実家のりりと同い年である。ダメちゃんの三ヶ月後輩に当たる。心臓の不調であったというが、突然のことで、未だに信じられない思いがある。

 このブログにも何度か書いているが、容姿・キャラともに王子であるコタローくんは、どこから見てもRさんの「年下の彼氏」であった。お洒落で個性的なRさんと、青い目の王子コタローくん。ふたりは「似合いのカップル」であったと言っていい、と思う。

 Rさんはもともと、友人さくらの友人である。私がコタローくんたち兄弟のことをさくらに話したのがきっかけで、Rさん宅にコタローくんが行くことになり、そこでRさんと私は初めて知り合ったのだった。

 そんないきさつがあったため、Rさんからは、「いいご縁を紹介してくれたのを感謝します」とのメッセージをいただいたのだが、それは違う。

 私が縁を繋いだのではない。コタローくんは、自分からRさんを選んで、彼女のもとにやってきたのだ。そして、結果論かもしれないが、むしろ、彼が私達の縁を繋いでくれたのである。

 猫という動物は、時として、人知の及ばぬ凄い力を使うことがある。

 フェリネ星人は、地球人よりもずっと優れた知的生命体、なのだから――。

 

 

 ありがとう、コタローくん。

 

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園子は腹を舐めすぎる


  
 
 越智への恋情が、生理的に雨宮の肉体を拒否したのかと、さすがに私は慄然とした。じぶんの不安をひとりで持ちきれず、私は雨宮の手にすがりつくと、口にしてしまった。
「越智さんが好きになってしまったの。こんな気持ちはじめてなの」
 雨宮もとび起き、私の肩に両手をかけ、激しくゆすぶった。私が夢でもみているのかというふうに――。
 私は震えながら涙を流していた。
「越智は、越智はどうなのだ」
 それは私がききたいのだ。越智と私がふたりだけで話したこともないとわかると、雨宮はすっかり安心した。
「会社の事務員にも、越智のファンが何人もいるらしいよ。あんな男のどこがいいんだろう。女たらしってああいうのをいうのかな」
瀬戸内晴美『花芯』より。以下同)

 あれは夢だったのだろうか。
 アルコールの後の二度寝。秋の澄んだ夜気は明け方の肌寒さを予感させるものの、慌ただしく済ませたシャワーの火照りで、体はけだるく蒸し暑さを感じている。遠浅の海のように、なかなか深い眠りに至らぬまどろみの中、私は目を閉じたまま、ぼんやりと猫たちの気配を感じていた。
 ダメがいる。私の枕の右側の定位置に。
 誰かが掛け布団の上に飛び乗った。あれはアタゴロウだ。いつものように、私の脚の間に陣取って、体を舐め始める。
 そして。
 もう一匹、猫が来た。
(玉音ちゃん…?)
 そう。玉ちゃんだ。
(珍しいな。)
 玉音は通常、私と一緒には寝ない。起床時には布団の周りにいるが、就寝時には、たいていリビングの片隅か、押入れの中にいる。寝る時はいつもひとりなのだ。
 その玉音が自分から私の布団に乗り、眠る私の様子を窺いながら、そっと私の右側を、頭の方へ向って進む。そして――
(…え。)
 座ったのだ。私の枕のすぐ横に。ダメの大きな体と枕の間に無理矢理潜りこむようにして、玉音は枕の下に半ば埋もれながら、顔を上げて私の方をじっと見つめた。
 猫は飼い主に対する信頼度が高いほど、頭の近くに寝るという。
 まさか玉音ちゃんが。それも、ダメを押しのけて。
 これは夢だ。夢に違いない。
 押しのけられたダメは、私の胸の横に移動し、掛け布団の上の私の腕を舐め始めた。ひとしきり、別の場所を探すかのようにもぞもぞしていたが、やがて諦めたように、玉音の隣、私の枕から猫の体一つ分離れた場所に戻った。私はそのまま、意識を失った。
  
  
 玉音の腹ハゲに気付いたのは、一年ほども前だろうか。
 もともと玉音は、始終ハゲを作っている猫だった。ふと気が付くと前脚の毛が、直径五ミリ程度だろうか、ごっそりと抜けて、ふかふかの毛皮に穴が開いている。最初に疑ったのは、夫であるアタゴロウのDV(要するに、ケンカ傷)であった。それから、カビ疑惑が持ち上がったのだが、培養検査を経て、その疑惑も否定された。
 そうこうしているうちに、これまでにない大きなハゲがお腹にできていたのである。
 昨年の八月二十七日の記事にそのことを書いているので、発症時期はほぼ間違いない。ただし、その後、九月十八日に「夫唱婦随」で病院に行った時の記事には腹ハゲの記述はないし、さらにその後、十二月十七日に玉音自身の予防接種のため通院した際にも、特に腹ハゲを診てもらった記憶も記録もない。その時点では、いったん、ハゲは解消していたのか。
 だが、いずれにしても、根本的解決には至らなかった。玉音のお腹は今もって皮膚のピンク色を垣間見せし、さらにこの頃は、それが内腿にまで広がっている。そのほかに、断続的ではあるが、前脚や後脚にも、時折、例の毛皮の穴ができているのである。
(なぜ、こんなことに…。) 
 ネットで情報を漁ってみた。人に訊いたり、もちろん、獣医さんにも相談した。
 それら情報を総合すると、猫のハゲは、ほとんどが「アレルギー」もしくは「ストレスによる過剰グルーミング」、あるいは、小さいものなら「ケンカ傷」のいずれからしい。獣医さんははじめからストレスではないかと言っていたが、私はどうにも納得がいかなかった。
 玉音はもともと、臆病な猫である。神経質と言えないこともない。だが、それは今に始まった話ではなく、むしろ、家の中でさえびくびくしていた彼女も、少しずつ環境に慣れ、室内でものんびりとくつろげるようになりつつあるのだ。家の環境自体も、別に、近所で工事の騒音がするとか、頻繁に人が訪ねてくるとか、彼女のストレスになるような変化が生じているわけではない。それなのに、なぜ今更…という感が否めないのである。
 むしろ、アレルギーではないのか。
 頭に浮かんだのは魚アレルギーである。そこで、フードを全て肉系に替えてみた。ついでに、たまたま友人からアレルギー対応のフードをもらったので、それも試してみた。
 だがどうやら、関係なかったらしい。
「アレルギーなら顔に出ますからね。お腹だったら、ストレスでしょう。」
 獣医さんには、再三、そう言われていたのだ。
「痒がってますか?」
「いいえ…。」
 では、やっぱりストレスなのか。
 ストレスでハゲると言っても、人間のような円形脱毛症とは違う。過剰グルーミングにより被毛を取り過ぎてしまう、ということなのだが。
「でも、そんなに始終グルーミングしているようにも見えないんですけどね。」
 言い終わって気が付いた。そもそも彼女は、ご飯時以外は、見えるところに居ること自体が少ないのである。これでは、過剰グルーミングしていたって、私が気付くわけがない。
 
 

 
 
 そんな玉音ちゃんであるが。
 それでも、彼女はこの一年の間に、劇的な進歩を見せているのだ。
 どうやら、ようやく野良の誇りを捨てて、飼い猫になる気になったらしい。
 私を見ても、反射的に逃げることはなくなった。逃げるべきか逃げざるべきか、数秒考えてから行動するようになったのである。
 そして。
 そう。冷静に考えていただければ、たいていの場合は、逃げる必要なんてないのである。私が彼女に接近するのは、「ご飯をあげるとき」と「撫でるとき」と「たまたま通りかかったとき」だけなのだから。
 おそらく、彼女にとって思案のしどころとなるのは、このうち「撫でるとき」であろうが、あろうことか彼女は、撫でられること自体が好きになったようなのである。
 いや、この言い方には語弊があるかもしれない。彼女はもとより、撫でられることが嫌いではなかった。ただ、撫でるために私が接近してくるのが怖かったのである。だから、後ろから手を近付ければ背中やお尻は撫でさせたし、一度手を触れてしまえば、撫でる範囲を広げても、別段、抵抗もしなかった。あるいは、遠くから手を伸ばして触る分には、別に不満も述べなかった。
 それを敢えて、好きになったようだ、と言うのは、時折、自分からそれを望んでいるのではないか、と思わせる行動が増えてきた、という意味である。
 これもまた誤解を招きやすいが、彼女はもとより、撫でられることより「腰パン」好きである。同じスキンシップでも、「腰パン」なら以前から要求されていた。
 決まって私がお風呂に入る前、洗面所で歯を磨いていると、「時間ですけど…」と言わんばかりに、何かを期待するまなざしで覗きに来る。早く寝たい時などは内心甚だ迷惑なのだが、せっかく甘えに来てくれたものをそう無下にもできない、ということで、これまでも時間のある限りは付き合ってやっていた。
 それがこの頃は、腹ハゲに絡むストレス疑惑があるから、どんなに眠くても、断れなくなってしまったものである。ストレスの原因が特定されていない以上、「引っ込み思案で甘え下手な玉音ちゃん」の、勇を鼓しての甘え行動を無視するなんて、飼い主として失格だ、という謎の強迫観念のようなものが生じてしまったのだ。
 何だか、玉音ちゃんにいいように振り回されているなあ、と思う。まあ、それは、私が彼女にメロメロだから仕方がないのだが、彼女の方も、むしろ悪気がない分、そこそこ悪いオンナであるような気がする。
 だが、良くも悪くも、こうして甘やかしていると、彼女の方もさらに甘える勇気を持ち始める。(調子に乗るとも言う。)
 結果。
「要求」の場面が、もう一つ出来た。
 起床時の布団の上である。
 ここも、もとより、数少ない「玉音ちゃんが平気で私に寄ってくる場所」である。と言っても、元は単に布団の上に乗ったり、時には、掛け布団越しに私の体の上に乗ったりするだけだった。それがこの頃は、私の至近距離にうずくまって背中を出し、私の方をちらちらと振り返っては視線を送ってみたりするのである。
 どう見ても「撫でろ」と言われているようにしか見えない。
 事実、手を出して撫でてやると、全く逃げるようなこともなく、そのまま撫でられているのである。嬉しいには違いないが、これのお陰で、私は朝食を食べ損ね、パンを引っ掴んで出勤することも、あったりするのだ。
 夜中に「お尻を叩いて」と要求されたり。
 朝は朝で、ベッドに引きとめられたり。
(この娘っ子は、実はヤバい女なんじゃなかろうか…。)
 いずれも、わざとではない。だがこの場合、むしろ彼女自身にその自覚が全くない辺りが、“本物”なのである。
 
 

 
 
 ところで、その間、他の二匹はどうしているのかと言うと。
 ダメちゃんは一緒に布団の上にいる。彼は基本的に、私を起こして朝飯を出させるのが最終目的なのであるが、玉音がそうして甘えていると、やきもちを焼くのか、時折、玉音を追い払うように間に割り込んで、これ見よがしに背中を差し出す。私がその背中を撫でると、大きな音でゴロゴロ喉を鳴らす。押しのけられた玉音は、私から一歩離れたところに留まって、今度はダメの頭の匂いを嗅いだりする。
 シャッターチャンス!と、私はすかさずスマホを拾い上げる。
 何しろ、相手が誰であれ、玉音ちゃんともう一匹とのツーショット写真を撮れる機会は、なかなかないのだから。
 そうして撮った写真のうちの一枚がこれ。
 
 

  
 
 この写真を、猫好きの先輩にLINEで送ったら、
「可愛いー」
 と、返事が返って来た。続けて、
「仲良しって感じ」
 うーん。
 いや、偶然並んだだけだと思うんだけどな。だいいち、玉音の夫はアタゴロウだし。
 あれ…。
 そういえば、アタゴロウは?
 そういえば、玉音が甘え始めたのに反比例するように、最近、アタゴロウは、起床時間帯に私の布団に来ることがなくなった。就寝時には必ず掛け布団に乗ってきて、私の脚の間で寝るのに――。
 
 
 六月三十日。
 アタゴロウの予防接種の際に、玉音も一緒に連れて行った。そして、一年越しの腹ハゲを、実際に先生に診てもらった。
「ああ、これはストレスですね。」
 先生は断言した。
「ほら、短い毛が残ってるでしょ。それに場所が、自分で舐められるところだけですよね。明らかにグルーミングのし過ぎです。」
「でも、ストレスの原因が、特にないんですけど。」
 私は弱々しくも、必死の抵抗を試みる。
「むしろこの頃は、凄く懐いてきているんです。部屋の中でも、最近はずいぶんくつろげるようになって。猫同士も、別にトラブルはないですし。」
「まあ、ね…。」
 私の反論に、先生と助手さんは、顔を見合わせ、意味ありげに笑った。
「いろいろあるんですよ、猫の世界にも。」
 
 
 雨宮は漸く私に暴力を振るうようになった。暴力で私を犯すことの浅ましさが、雨宮の自尊心を傷つけた。持ってゆきばのない鬱憤を、所かまわず擲(なぐ)りつけてまぎらわした。そうした後、傷だらけになった私をかき抱いて、雨宮は男泣きに泣いた。
「園子、どうしたんだ園子、そのこう・・・・・」

 
 

(イケメンじじい=女たらし)
 
 
 深夜三時。
 玉音に自分の場所を取られ、私の腕を舐めていたダメ。
 あれは、私に何かを訴えていたのか。玉音を追い払え、とでも?
 だが結局、彼は私の胸の横を離れ、玉音の隣に落ち着いた。彼の巨体と、私に対する強い執着と、そのボス猫、もしくは私のナンバーワンキャットとしての揺るぎない自信は、その気になれば、自ら彼女を追い払うに一瞬の躊躇も必要としないはずなのに。なぜ彼は、自分の特等席を玉音に譲ったのか。
 もしかしたら。
 そう、もしかしたら。
 彼が元の位置に戻ったのは、私に二番目に近い位置を確保したのではなく、玉音の隣に戻ったということなのかもしれない。玉音は玉音で、ダメと枕の間に潜りこんだのは、私の隣に来ようとしたのではなく、私とダメを引き離し、自分がダメの隣で寝たかったということなのかもしれない。
 となると。
 ダメが私の腕を舐めにきたのは、単なる「お世辞」だったのか。
 俺は玉音と寝るから、あんたはひとりでイイコにしてな、という――。
 だが。
 それは駄目だ。断じて、駄目だ。
 だって玉音ちゃん、あなたはアタゴロウの妻でしょう。
 親が勝手に決めた結婚とはいえ、彼は優しくて、優秀で、あなたにとっては幼馴染でもある、申し分のない夫じゃないの。彼のDV疑惑だって、もうとっくに晴れているのだし。だいいち、ダメおじさんは、そんなあなたの夫の上司じゃないの。
 ダメちゃん、あんただって、いい歳して人妻を誘惑なんて、してるんじゃないよ。この女たらしが。
 今なら私にも、北林未亡人の気持ちが分かるような気がする。
 ダメは私のもの。でも、玉音ちゃんのことも、可愛くて仕方がない。
 そして、可哀想なアタゴロウ。愛しいアタゴロウ。キミはいじらしいオトコだ。
 
 
 ――あ。
 もしかして。
 玉音ちゃんのストレスって…。
  
 
 たそがれの光は、もう夜の灯に変っていた。私は無意識に微笑んでいた。
「きみほどの女は、しらない。」
 男は低い声で、ひとりごとのようにつぶやいた。
「私は世界もずいぶん歩き、さまざまな女をしっているつもりだ……。しかし、きみほどの女はしらない」
 男は繰りかえしていった。大きな掌が言葉の伴奏のように、私を愛撫した。「きみのこんな女らしさ、女の完璧さは、私のように、人生のほとんど終りに近づいた者の目には、怪しくみえるより、痛々しい……。きみはおそらく、きみの恵まれた稀有な官能に、身を滅ぼされるよ。それが私には見える。それだけに、きみがいじらしくてどうしてあげてよいかわからないのだ」
 老いた男は、もう一度私を、それ以上優しく扱えまいといったふうに抱きよせた。私の胸に、柔かな白髪の頭をうずめ、うわごとのように囁いた。かすかな、気配ほどのひくい声であったけれど、私は聴いてしまった。
「かんぺきな……しょうふ……」
 いきなり、全身の皮膚をはぎとられる、痛みと寒さが、私を襲った。
 

 
 猫の場合、「全身の皮膚」は、「全身の被毛」、だろうか。
 
 
 おい、ダメじいさん。
 あのときキミは、玉音ちゃんの脇腹にくっついて、一体何を囁いていたんだ!?
 
 
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 

さらば、いとしのエリー


  
 
 裏返したこともある ボコボコにしてもなお
 舐めたいおケツがあればいいのさ
 俺にしてみりゃ これで最後のmisery
 エリー my love so sweet

 
 
 さらば、大玉サンド。
 おかえり、いとしの木の砂よ。
 私はもう待てなかった。
 月曜日の夜。抜糸から二日後に、万難を排して、私はトイレ砂を交換した。
 本当は、日曜日に交換すれば、月曜日の燃えるゴミに出せたのだが、日曜夜の段階で、アタゴロウのカサブタの痕は、まだ乾ききったという見た目ではなかった。
 院長先生も「二日くらい」と言っていたではないか。その当初の指示に従えば、交換は月曜日だ。そこにカサブタの痕という問題が加わったのだ。
 そして、月曜夜。
 二日前に見つけたカサブタの痕は、だいたい乾いて、色も当初より沈んだ赤に変わっていた。だが、赤いと言えば、まだ赤い。エリカラを取るには少しばかり不安があった。その赤はじきにまたカサブタになり、痒くなる。そうしたら、結局、アタゴロウはそこを舐め壊すのではないか。
 しかし。
 砂の交換は別問題である。要するに、傷が濡れていなければいいのだ。おがくずが付着さえしなければ良いのだから。
(先に、砂だけ交換しよう。) 
 そのとき、飼い主として彼の苦難に最後まで付き合うべきではないのか、という意味不明のためらいが生じたのは事実である。
(いやいや、そこは別に、付き合う必要のあるところじゃないから。)
 そして、私は砂を交換した。
 本猫より一足早く重荷から解放されて、ほっとしたわけだが、祝杯を上げたい気分より、もう勘弁してくれという疲労感の方が強かった。
 
 
 まあ、そんなわけで。
 私自身は、月曜日の段階で、とりあえず問題の解決を見てしまったのである。
 となると。
 おおかた予想はつくだろう。私はアタゴロウのエリカラ撤去に、大して熱意を感じなくなってしまったのである。
 
 
 いえ、もちろん、毎日考えてはいましたよ。
 今日こそは、外してやろうか、と。
 そう思って、毎日、アタゴロウをひっくり返しては、新しく出来た尿道口をチェックしていたのだが、よくよく見てしまうと、これがまた、なかなか赤みが引かないと来たもんだ。そろそろいいかな、と思うと、違うところが赤いような気がしてきたりする。おそらく、抜糸後も少しずつ、まだ残っていた微細なカサブタが剥がれ続けていたのだろう。
 そうこうしているうちに、完全にタイミングを逃した。
 結局、アタゴロウは、抜糸から一週間、エリカラを付けたままだったのである。
 
 

(十月二十二日撮影)
 
 
 猫にとってエリカラは、おそらく不快この上ないものであろう。
 何しろ、グルーミングができない。人間にしてみれば、長らく風呂に入れないのと同じだ。そのせいなのか、それとも、術後、多少の尿漏れがあったのか、アタゴロウを膝に乗せると、いつもほんの少し、おしっこ臭い匂いが漂っていた。可哀想だとは思ったが、そもそも、エリカラとはそのために付けているものなのだから、まあ仕方がない。
 その上、動きも悪くなるようだ。ただし、それが人間には幸いして、エリカラを付けているアタゴロウは、常に何の苦もなく捕まえることができて便利だった。捕まえて膝に乗せ、水や薬を飲ませる。ついでに、ひっくり返して患部を観察する。写真まで撮れてしまったのは、まさにそのお陰である。
 人猫共に困ったのは、食事であった。
 退院直後、アタゴロウは、エリカラをすっぽりと皿に被せる形で、頭を下に向けてご飯を食べていた。その方法なら、別に食べるにあたって支障はない。
 しかし、やはり、猫の食事の仕方として、その体勢は自然ではなかったのだろう。
 抜糸の前後から、彼は、ドライフードを食べる場合に限り、頭を斜め前方から皿に近付けようとし始めた。そうなると、頭が皿に到達する前に、エリカラの下部が、皿にひっかかることになる。いや、正確に言えば、エリカラの下部で、皿を押しやってしまうことになる。
 いつしか、食事時になると、ズズズ…ズズズ…、と、皿が床の上を移動する音が響くようになっていた。
 何だろう?と、不思議に思って観察を始めた私の目に映ったのは、実に哀れを誘う光景であった。
 青いブレードを装着した黒白のブルドーザーが、厳かなる緊張感を持って、ドライフードの皿をしずしずと前方に運んでいたのである。
 彼の目は真剣そのものだった。
 私がエリカラの罪というものを悟ったのは、まさにその瞬間であったと言っていい。
 
 
 それでも私は、ぐずぐずとためらっていた。
 尿道口の赤みが、なかなか消えない。だが、アタゴロウの様子を観察していると、グルーミングがしたくて毎日必死にエリカラを舐めてはいるが、特に股間を気にしている様子ではない。これなら、外しても大丈夫なのではないか。
 しかし、ここまで来ると、どうせなら完全に綺麗になってから外したい、という、訳の分からない完璧主義が生じてくるのである。
 事態は完全に泥沼化した。
 そして、ついに金曜日。
 十月二十日である。
(抜糸から一週間か…。)
 今日こそ外そうか。だが、まだ少し赤い所がある。
 最初に気付いたカサブタの痕の赤みはほぼ終息したのだが、昨夜、そこより内側、尿道口にちょっと入った辺りに、また赤っぽい部分を見つけてしまったのである。
(だいいち、一週間というなら、明日の方が区切りがいいんじゃないか。)
 一体、何の区切りだ。
 そんな自分突っ込みを入れつつ、エリカラを舐めるアタゴロウをぼんやりと眺めていた私は、突然、あることに気付き、声にならない叫び声を上げた。次の瞬間、彼のエリカラをはっしと捕らえ、びっくりして暴れる彼を押さえつけながら、もどかしくテープを剥がしスナップをはずす私がいた。
 何の前触れもなく、突如として自由の身になったアタゴロウは、数秒間、何が起こったのか理解できないというふうに、空を見つめて静止していた。
 
 

 
 
 話は、抜糸の日の夜に遡る。
 猫たちがそれぞれ、お気に入りの場所でうたた寝を始めた、夕食後。
 無音のリビングに、コトリ、と、何か物が落ちる音が響いた。
 どうやら、ケージの中で何かが落ちたらしい。その「何か」を拾おうとして、アタゴロウが寝ているケージの中を覗き込んだ私は、思わずドキリとした。
 エリカラが外れていたのである。
 新しく付けてもらった青いエリカラは、前のものより緩いようだという印象はあった。気のせいだろうと思って放置していたのだが、実際に緩かったらしい。スナップは嵌まったまま、頭がすっぽりと抜けていた。
 これは、まずい。
 慌ててエリカラを拾い、合わせ目の部分を固定しているテープを剥がし、スナップを外して、ぼんやりしていたアタゴロウの首に巻き付ける。スナップの留める位置を前よりきつめにし、テープを貼り直す。
 もちろん、アタゴロウは、おとなしくされるがままになどなっていない。もがいて逃げようとするのを片腕で締め上げるようにして、もう片方の手でテープを貼る。当然、綺麗に貼れるわけもなく、テープは一部、テープ同士がくっつき、浮き上がってしまっていた。
 それでも、合わせ目はきっちりと固定できたので、見た目は悪いが使用には差し障りがない、と、思っていたのだが――。
 
 
 金曜日の夜、私が見たのは、その浮き上がったテープの端を、むしゃむしゃと齧っているアタゴロウの姿であった。
 
 
 エリカラは完全な固定ではない。被せているだけから、頭の周りをくるくる回せるわけであるが、そうなると、合わせ目の重い部分が、必ず下に来る。被毛に貼り付けでもしない限り、どうやっても、テープの端をアタゴロウの口元から遠ざけることはできないのである。
 アタゴロウは彼なりに考えて、テープを剥がそうとしていたのだろうか。いや、私にはそうは思えない。彼は齧ったテープを、そのまま食べてしまう勢いだったのだから。
 要するに、その時の私の心の叫びは、
(そんなもん食うな!!!)
 だったのだ。
 
 
 グルーミングができるようになったアタゴロウは、まず、前足と胸元を舐め、顔を洗った。
 それからゆっくり、上から順番に、全身を丁寧に舐めていった。
 尻や股間を舐めたのは、相当時間が経った後、他の体のパーツを全て舐め終わった後であった。
 
 

 

 

  
 

 さらば、いとしのエリカラ。
 アタゴロウは完全に、元の生活に戻った。
 おしっこ臭い匂いは、きれいに消えた。
 もう必要以上に、家主に媚びを売ることもない。
 強制給水しようとすると、全速力で逃げ回る。(それでも近寄って来るので、適当なところで結局捕まる。)
 おじさんにのしかかっては、その大きな頭を舐めまわし、耳の中を、しつこいくらいピカピカに舐め上げる。
 そういえば、アタゴロウが自らグルーミングが出来ずに苦悶していた時、妻もおじさんも、代わりに舐めてやろうなどという親切心は、いっさい起こさなかったらしい。おしっこ臭かったからだろうか。
 エリカラは、ひょっとして、友情と夫婦愛を測る試金石でもあったのだろうか。
 だとしたら、これにより露呈された彼の隠された孤独に、アタゴロウが気付いていないことを、祈るばかりである。
 
 
 齧ってもっとbaby 無邪気にon my mind
 毟ってもっとbaby 素敵にin your sight
 誘いヨダレの日が落ちる
 エリー my love ――
 SO LONG!!

 
 
 

 
 
 そういえば、アタゴロウのカビ疑惑はめでたく「陰性」でしたとさ。