正月二日
昨日の地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。
寒さ厳しき折、せめて、体調を崩される方が一人でも少ないことを願ってやみません。
新年のお祝いは、控えさせていただきます。
以下、ご挨拶のみ、ほんの気持ちだけ。
ここ数年、どんなにサボっても大晦日と元旦はブログを更新するようにしていたのですが、ついに、昨日はサボりました。
まあ、誰もが「やっぱりね」」と思ったでしょうが、訪問してくださった方、すみませんでした。
遅ればせながら、元旦のご報告を。
元旦の朝。
目覚めたら、布団の上に茶色いのがいた。
他二名は、私が起きないので見捨てて他へ行ったらしい。
と思ったら、樽が戻ってきたので、お正月用に二匹仲睦まじい写真を狙ってみる。
ハイこっち。仲良くくっついて!!
押し付ける。
押し付ける。
拒否られる。
ではなくて、ここでした。
このあと、例年どおり実家に顔を出し、
しかしながら、今年はりりがいないので、写真は撮れず(涙)、
ただただ茶のみ話に、おせち料理と夕食にお寿司をゴチになって帰宅。
で。
で…。
実は、昨日の朝食は自分で用意したおせちとお雑煮を食べていた。
簡単とはいえ、一応、いろいろ並べるので、当然ながら食べ過ぎ。
午後二時頃に実家に行き、大してお腹が空いていないので、昼は実家のおせち(購入)のうち、自分では作れないような(買わないような)料理を選んでつまみ食い。
夜は、七時頃にお寿司をいただいて、満腹して帰宅。
そうしたら――。
急に豪華なものを食べて、お腹がびっくりしちゃったんだな。
家に着くころ腹痛発症。
ブログは断念して、お風呂で温めて寝ておりました。
胃腸まで貧乏性な自分が哀しい。
一夜明けて元気になったので、今日は恒例の猫初詣。
友人さくらと、コタローカノ(現在は白キジーズ母)のRさんと、三人でお詣りに。
「毎年、三人で来られることに感謝しないとね。」と、言い合いつつ。
お詣りの後、三人でお茶をしながら、昨夜の腹痛の話をし、
「いやあ、まさかノロ?って思って焦ったよ。」
焦った、というのは、私は明日、職場代表?で休日出勤だからである。
「今、ノロも流行っているらしいよ。気を付けないと。」
まあ、当分、お寿司なんてほぼ食べないと思うけどね。(ちなみに、実家の者も全員元気なので、お寿司原因のノロの疑いはありません。)
ただ、その流れで、話題が「ノロの辛さ」となった際、経験者のRさんが、
「ノロは人間の尊厳を全て破壊する。」
と、静かながら断固たる口調で言い切ったことが、鮮烈に印象に残ったお正月である。
樽腹に言われたかないわ。
いつの間にか大晦日
わわわわわ!!!!
もう大晦日。というより、もうじき年が明けてしまう。
すみません。今年も真面目に更新しませんでした。
で。
その後ですが。
茶白のお嬢さんは、しっかり我が家に居座っています。
いや。
もう、「お嬢さん」なんてもんじゃないな…。
友人達には、まだ可憐なうちにお嬢さんを見においで、と、言っていたのだが。
まだ彼女が来て日が浅いころに、一度、我が家に来た友人さくらは、「高身長の美人キャラに育ちそう」と言ってくれたが、残念ながらそうはならなかった。
十月にワクチン接種に連れて行ったとき、お嬢さんの体重は三・二キロだった。
「まだ大きくなりますよ。」
先生がおっしゃったことを受けて、さくらは「高身長」と言ったのだが、我々の予想に反し、その「大きく」は、タテではなくヨコだったのである。
だいたい十一月に入ったころから、私の脳裏に、ウィスキーの幻想がよぎるようになっていた。
目の前を、白のペイントを施した茶色の樽が横切るのである。
小さな樽である。だが、その代わりに、「のしのし」という擬音が付く。
いやちがう。これは猫だ。
小さな頭。ややO脚気味の四肢。ペンライトテール。
そして――
樽のような胴体。
「確かに、樽だわね。」
それから二か月足らず。昨日、久しぶりに我が家に立ち寄ったさくらは、あっさりと前言を撤回した。
「でも可愛い。顔ちっちゃいわねえ、アナタ。」
樽はさくらの膝の上である。
なるほど、小顔か。
モノは言いようだ。
「そう、頭ちっちゃいんだよね、こいつ。栗助の半分くらいしかない。」
言いながら、思い出す。
姉が以前、実家のりりについて力説していたこと。
「何しろ、味噌汁一杯分くらいの脳みそしかないんだから。」
我が姉ながら、このひとは時々、実にパンチの効いた発言を放つのである。それ以来、味噌汁に味噌を入れるたびに、私はその一言を思い出す。
そのりりも、十月二十五日にこの世を去った。十八歳と六か月、大往生だった。
樽嬢は、ちょっとりりに似ている。
だれにでも物おじせず甘えるところ。やたらとベロベロ舐めるところ。
「こいつも、味噌汁一杯分だな。」
味噌汁頭の先輩にあやかって、元気に長生きしてもらいたいものである。
とまあ、いろいろあったのですが。
今年もサボっていてすみませんでした。
どうぞ、よいお年を。
おまけ。隠し絵クイズ。この中に猫は何匹いるでしょう?
正解は「三匹」でした。アタゴロウもいますよ、グレーのクッションの中に。
晩年のりり。二〇二三年元日旦撮影。
栗助くんの無駄にデカい話
今日は趣向を変えて、栗助くんのハナシである。
ハイ、正直に言います。これはもっと前に、茶白お嬢さんが来る前に投稿しようと思っていた話である。例によってサボっているうちに時期を過ぎてしまっただけ。
もう今更感いっぱいであるが、ご勘弁いただき、頭の中を少し巻き戻して読んで下さい。
つい先日まで、我が家はワクチンラッシュであった。
本当は、アタゴロウのワクチンは七月であったのだが、何しろこの暑さである。猛暑の中自転車を走らせるのは、私自身も厳しいが、だいいち猫は大丈夫だろうかと、さすがに躊躇する。
そうこう言っているうちに、九月予定の、栗助のワクチンのお知らせが届いてしまった。
うーん、二匹か。いっそ、一緒に連れていけないかな。(自転車でそれは無理。)
なんて、うだうだ考えているうちに、そんなにのんびりしている場合ではないことに、はたと気付いた。
理由は、今となっては説明するまでもあるまい。茶白お嬢さんのトライアルを控えていたからである。
ヤバい。もう一か月を切っているじゃないか。
と、いうところで、折よく土曜日の昼間に雨が降り、気温が少し下がった。八月二十六日のことである。
八月も末である。日没も早くなっている。これなら、猫をつれて自転車で走っても大丈夫ではないだろうか。動物病院は七時までやっているから、六時までに帰宅すれば、十分間に合うはずだ。
予定を切り上げて急いで帰宅し、アタゴロウを背負って自転車を走らせ、無事ワクチン終了。
「じゃあ、これからもう一匹連れてこようかな。」
調子に乗って勢い込む私を、先生はやんわりとたしなめて、
「そんなに無理しなくても。明日も午前中、やってますから。」
でも、午前中じゃ駄目なのよね。九時を過ぎたらもう暑いから。
結論から言えば、やはりダブルヘッダーは諦めた。久々に自転車に乗ったので、タイヤに空気を入れたのだが、慌てていたのでそれが甘かったらしい。帰り道はペダルが重く、漕いでも漕いでもスピードが出ない。ようやく家まで辿り着いたものの、重たい栗助を背負って、もう一度、この自転車に乗る根性は、私にはなかった。
一週間後。
午後の用事を済ませ、足早に自宅へと向かう私の表情は険しかった。
時刻はすでに、午後五時を回っている。
雨は降らなかった。だが、さすがに九月である。その日も、七、八月と比べれば、夕方の気温は落ち着いていた。とはいえ、それが今後も続く保証はない。
(何としても、今日、決めねば。)
先週は、急遽、思いついての強行軍だった。だが今日は違う。
この一週間、次なる試練について、じっくりと検討したのだ。
だが。
(これは、厳しい戦いになるかもしれぬ。)
苛酷な現実に直面し、心の中は密かに絶望で満たされていた。
いや、駄目だ。そんなことでは。
猫と対峙する者は、心を強く持たなければならない。決して失敗のイメージを持ってはならないのだ。奴らは悪魔と同じだ。人の心の弱いところにつけこんでくる。(「バチカンのエクソシスト」、面白かったですよね??)
何を言っているのかというと。
要するに、私はそれまで栗助を捕獲したことがない、という事実に思い至ったのだ。
しかも、抱っこさえしたことがない。
栗助を「にゃんくる川崎店」さんから譲り受けたとき、
「触らせてはくれますけど、お手入れはさせてくれない子ですね。」
と言われたことを、私は自分に都合よく真に受けていた。簡単に言えば、彼がケージから出てきて以来、完全に放牧状態で、戯れに二、三度ブラシを当ててみた以外、何もしなかったのである。
いや。
正確に言えば、ちょっと持ち上げてみたことは、ある。
胴体に手を回して、まっすぐ垂直方向に離陸。そのまま抱っこしてみようかなと思ったら、必死にもがいた末に、力づくで逃げられた。
そのとき、思ったこと。
その一。重い。
その二。こいつは爪を切らないと、人間は手も足も出ないな、と。(そのくらい痛かった。)
そんな話を職場の猫仲間にしたのは、春先の話だったのではないだろうか。その時点から、
「いやあ、病院連れて行くときどうしようかなーって、今から心配ですよ。」
なんて言っておきながら、全然心配なんかしていなかった。というより、完全に失念していた。
それを今頃になって思い出した。そして、何の対策も考えておかなかったことを、今更ながら深く後悔した。
捕獲なら、玉音ちゃんで散々やってるじゃない、と言われるかもしれない。
だが。
玉音やアタゴロウに使った手法は、栗助には通用しないかもしれないのだ。
猫の捕獲は、「狭い場所に追い込む」がセオリーである。それを私は、玉音とアタゴロウから学んだ。広い空間を走り回られると、人間には勝ち目がない。だが、猫の哀しい性で、奴らは追われると狭い場所に逃げ込む。これを利用して、狭い場所(我が家の場合は押入れ)に猫を追い詰め、奴らがそれ以上後退できなくなったところで、襟首を片手でがっしりと掴み、もう一方の手で胴体を掴んで、あとは力任せに引き摺り出す。
これは力比べである。猫は必死に周囲のものに爪を立ててしがみつくが、それに負けてはならない。また、襟首を掴む手も、決して放してはならない。そして、押入れから引き摺り出した後は、四本の足の動きを片手で封じつつ、速やかにキャリーバッグに収納すること。つまり、結局のところ、力とスピードがものを言うのである。
アタゴロウと玉音には、これで何とか勝てた。
彼らは軽いし、それに、最終的には観念して、抵抗を諦めてくれるような節がある。
ちなみにダメちゃんは、そこまで激しく抵抗しなかった。彼はある意味、悟ったところがあり、つまり往生際の良い猫だったのである。
だが、栗助は。
奴は重い。力も強い。爪が伸び放題で尖っている。そして往生際が悪い。
悪い条件しかないのである。
(勝てる気がしない…)
いいや、駄目だ。今日、必ず勝つのだ。
チャンスは今日と、あと一度(来週)しかない。その来週だって、雨が降ったらアウトだ。だいいち、ここで私が奴に負けたら、我が家は無法地帯になってしまう。この世に正義はあるのか。
しかし。
タイムリミットがある。遅くとも六時半には自宅を出発しなければならない。帰宅は五時半を過ぎるだろう。僅か一時間弱の間に、勝てるのか、自分――。
一時間後。
私は肩に食い込むリュックキャリーの重さに耐えながら、動物病院に向けて自転車を走らせていた。
今回は、両方のタイヤにしっかり空気を入れた。ペダルを踏む私の足どりは軽い。
勝負は、あっけなくついた。ほぼ私の不戦勝であった。
何が起こったか、というと。
来るべき戦いの時を思って眉根を寄せながら、キャリーの中に保冷剤をセットしていた私が、ふと顔を上げると、そこに栗助がいた。そして、
(何してんの~?)
と、言わんばかりに、自らキャリーに顔を突っ込んだものである。
ハイ、終了。
そのままひょいと持ち上げて、あっさりとキャリーイン。
(チクショウ、騙したな!!)
と、思ったかどうかは別として、奴は焦って暴れたが、もう後のまつりである。
いやいや。
実に茶トラらしい。
いいねえ、茶トラって。お馬鹿で。(←茶トラに対する偏見である。)
ただし、往生際が悪いのは予想どおりである。まあ、暴れるわ、騒ぐわ。
マンションのエレベーターを待つ間も力いっぱい鳴き喚くので、もう、ご近所さんに恥ずかしいやら、申し訳ないやら。
しかも、歩いている間も、自転車に乗っている間も、キャリーの中で鳴きながらごそごそ動き回るのである。なにしろ重いから、その都度私は、バランスを崩すのではないかと心配になる。
信号待ちの間もずっと鳴いているので、周囲の人たちの好奇の視線が痛かった。
往生際の悪い男は、とことん往生際が悪い。
動物病院に着いたものの、こんどはキャリーから頑として出て来ない。我が家のキャリーは内壁が布張りとメッシュ(窓部分)なので、爪が使えてしまうのである。
そこを無理やり引っ張り出そうとすると、他の猫はたいてい、底に敷いたバスタオルをぶら下げて出てくるのが定番である。だが、こいつは器用なのか、四本の足でそれぞれキャリー本体のどこかに爪を立てている上に、無駄に力が強い。結果、猫を持ち上げるとキャリーまで一緒に付いて持ち上がってくるのである。
それでも何とか引っ張り出し、診察台に載せて体重を測る。
「五・八五。大きくなりましたね。」
「あれ、六キロなかったですね。」
私が思わずそう口にすると、一年前は五・二キロであったことを指摘された。
「六キロあったら、相当大きい猫ですよ。」
「そうなんですか?」
「ええ。」
でも、大治郎さんは、常に六キロ代半ばでしたけど?
先生は忘れているのかもしれない。だとしたら指摘するのも失礼かと思い、その場は何も言わずにおいた。
とにもかくにもワクチンを終え、
「もうしまってもいいですか?」
「いやちょっと。お口の中を見ましょう。」
そうだった。先週、私が自分から相談したんだった。
こいつは食べるのが下手で、フードを周囲の床に食べこぼす。ゆえに歯が悪いのではと疑ったのだ。もともとFIV持ちだから、それは大いにありうる。
「どれどれ…うーん、微妙ですね。赤くはなってますけど。」
そこまで酷くなかったか。
「これこそ、インターベリーが効く状態ですね。試してみますか?」
「すいません。無理です。」
インターベリーとは。
先週、勧められた治療薬である。先生的には、今、イチオシの口内炎ケアのようなのだが、何しろ、歯茎に直接塗り込まなければならないのだ。
歯茎に塗り込むって。
こいつにか?
玉音ちゃんの次に無理だ。こいつの歯茎が綺麗になる前に、私が病院送りになるかもしれない。(多分、それはない。)
というわけで、その日はワクチンのみで帰宅と相成ったのであるが。
往生際の悪い男は、最後まで往生際が悪かった。
まず、キャリーに入らない。キャリーの縁に足を踏ん張って、頑として入るのを拒否する。
「だから、お家に帰るんだってば!」
普通の子は、状況を理解して、帰りは素直にキャリーインするのである。
何とか詰め込んでジッパーを閉め、キャリーを椅子の上に置いたまま会計をしていると。
背後でドスンという音がした。
「ごめんごめん。痛かった?」
キャリーが丸ごと床に落下していた。(大した高さではないので安心してください。)
咄嗟に謝ってしまったが、後から考えるに、あれは私のせいじゃない。栗助がキャリーの中で暴れたのだ。長年、いろいろな猫を入れて同じことをしているが、キャリーごと落下した猫など前代未聞である。普通の猫は、「帰る」と分かると、その後は大人しくするものだ。
そんなこんなで、ようやく動物病院を後にした私たちである。
残暑厳しいとはいえ、季節はもう秋である。帰路はもう、とっぷりと日が暮れていた。
気温は適度に下がっており、サイクリングには問題ない道のりであった。だが、自転車のライトを点けてゆっくりとペダルを踏む私の背中で、往生際の悪い男が、力なく鳴きながら、なおも、もぞもぞ・ゆさゆさしていたことは、言うまでもない。
友人たちに栗助のワクチンの話をしたついでに、「六キロは相当大きい」説について、さくらに尋ねてみた。
「でもさ、大治郎さんは普通に六キロ超してたんだけどねえ。」
「六キロは、普通ではない。」
さくらはきっぱりと答えた。
「え、そうなの?」
「かなり大きい。」
私は意外に思った。そもそも、私が大猫好きになったきっかけを作ったのはさくらである。より正確に言うなら、さくら家の初代猫である。彼はさくら母が近所で拾ってきた雑種であるが、一時期は七キロをも超えた大猫だった。それもおデブなわけではなく、背が高くてがっしりして筋肉質、喧嘩が強くておまけにハンサムという、ファイアマン的ナイスガイだったのである。
「七キロ以上は問題のある肥満、それか、洋猫とかの大型猫、って感じかしら。臨床では。」
さくら自身は医療従事者ではないが、医療関係者に知り合いが多いので、その辺の意見には信憑性がある。
「え、だって、お宅のハンサムくんは?」
「彼はねえ。昔、おじいさんの獣医さんに言われたの。『生まれながらのボス。限られた個体数しか生まれないタイプ』って。」
その話は、聞いたことがある。
そのとき私は思ったのだ。もしかして、ダメちゃんも、そのクチなんじゃないかしら?と。
今となっては、そうに違いないと確信している。ダメちゃんはボス猫だった。いなくなってみるとよく分かるのだ。我が家の猫社会(と言っても二~三匹だが)には、いかなる場合でも、彼を頂点とした確固たる力関係があり、それは抜群の安定感だった。
温和で心優しい彼が「ボス」というのは、いわゆる「ボス猫」のイメージからは違和感があるかもしれない。だが、猫の場合、ボスの個体は別にメスを独り占めして威張っているだけの存在ではない。ボス猫(雄)が、母親を亡くした仔猫の世話をしていたというのは、案外、よく聞く話だ。ボス猫に求められる資質とは、大きさ・強さに加え、他猫を受け入れ、守り助けてやる、度量の大きさなのではないか。
ダメちゃんは、別に、かいがいしく仔猫の世話なんてしなかった。だが、来るものは拒まず、好きなように甘えさせてやっていた。それゆえであろう、彼が何もしなくても、他の猫はみんなダメちゃんを慕っていた。
人徳ならぬ猫徳である。
「うちの彼もダメちゃんも、他猫を受け入れられる強さがあったんだね。」
さくらの言うとおりだ。ダメちゃんのデカさには理由があった。決して「無駄にデカい猫」ではなかったのだ。
それに対し。
例の五・八五キロは、今のところ、その観点からは無駄なデカさであることを否めない。
(ダメちゃん・アタゴロウ・玉音。2015年5月撮影)
もっとも、ダメちゃんだって、最初からボス猫の貫録を備えていたわけではない。彼が急成長したのは、先住であったミミさんが亡くなり、その後継として、仔猫のムムを迎えてからである。
チビ女子に無邪気に甘えられて困っていた大猫は、断り切れずに甘えさせているうちに、どっしりしたオトナの安定感を身につけた。
栗助は、どうだろう。
後輩女子を可愛がるうちに、少しはオトナらしくなるのだろうか。ボス猫にはならないにしても。
いくら自分の方が大きいとはいえ、彼が大好きなアタ先輩を押しのけて下剋上を狙うとは、到底思えない。彼のポジションはあくまで中間管理職である。
しかも、栗助と茶白お嬢さんの出会いは、ダメちゃんとムムの時とは条件が違う。
当時、ムムは生後三か月、人間に換算すると小学校に上がったか上がらないかという幼女であった。それに対し、茶白お嬢さんは、すでに推定七か月超。女子中学生か、下手をするとJKである。アラサー男とJCもしくはJK。人間の場合だって、ひょっとすると女子の方が大人びていたりする年齢差ではないか。
むしろこっちが、下剋上されたりしてね。
まあ、栗助くんには、今のままでいてほしいような気も、しないでもないのだが。
でもね、栗助くん。
一言だけ言わせてもらう。
少なくとも、動物病院から帰るときは、「帰る」と分かって大人しくした方がいいと思うんだよ。キミのためにもね。
本日のお嬢さん
お嬢さんも腹を出しているが、男どももお嬢さんの存在に慣れたらしい。お互い、いるのは知っているが完全無視を決め込んで、それぞれ勝手にやっている。
まだしばらく、静観かな。
ファーストコンタクト
三日目である。
昨夜からは栗助もご飯を完食するようになった。アタゴロウはもとより平常運転。お嬢さんの方は、初日はウェットを残していたのだが、それは食器のせいでもあったのだと思う。玉音が仔猫時代に使っていたティーカップによそっていたのをやめて、平皿で出したら、一度で完食した。カリカリの方は少しずつしか食べないが、彼女はもともと「ちょこちょこ喰い」のクチらしい。
今朝は目が覚めたら、私の枕の隣に栗助がいた。いつもの朝である。
(栗助は大抵私の頭の横で寝ている。猫が頭に近い位置で寝るのは飼い主を信頼している証拠と言うが、彼の場合、私が目を覚ますと一目散に逃げていくので、その説が当てはまるのかは分からない。)
で、お嬢さんの方は、というと。
私が目覚める前、彼女が大人しくしていたのかは分からない。
だが、彼女も、遠くから私が起きたことを察したらしい。寝起きの、ほぼ何も見えない裸眼でぼんやり眺めていると、やがて猫とおぼしき影がケージの四階から現れ、ちょっとしゃがれた声で短く鳴きながら、ケージの中をせわしなく上下運動しているらしき気配が見て取れた。
(初日撮影)
栗助の時はかなり長いこと掛けっぱなしにしていたケージの覆い布であるが、今回は、もうすでに、ケージの四階部分を隠すのみになっている。
そもそも、今回は覆わなくて良いかも…とさえ思っていたのだが、
「先住ちゃんのために、隠しておいた方がいいでしょう。」
という保護主さんのアドバイスにより、最初はひとまずフルクローズした。
が。
初日。アタゴロウは慣れたもので、さっさと布を潜ってケージを覗きに行ったものである。それもはじめから、何のためらいもなく頭を下げて潜り込んだ。
私はちょっと驚いた。そして焦った。
そういえば、去年、アタゴロウは「自分から布を潜る」ということはしなかった。即ち、布が掛かっていたら、それ以上、外から突破しようとはしていなかったのである。だから今回も、まさか彼が布の中に侵入しようなどとは、全く考えていなかったのだ。
だが、よく考えれば、それは別に驚くようなことではない。彼はいつも部屋の掃き出し窓のカーテンを潜って、窓際で日光浴しているのだから。
てことは。
あんまり、布の意味がなかったかしら。
いや、意味はあった。その頃はまだ、お嬢さんは四階に籠っていたので、一階の至近距離から見上げても、姿は全く見えなかったはずである。それゆえ、この時点ではまだ、猫同士の対面には至らずに済んだものと思われる。
(初日撮影)
昨日の栗助のものぐさ説であるが、少々説明が足りなかったように思うので、ここで補足しておく。
環境に慣れにくい栗助を、私がものぐさ認定する理由について、である。
もちろん、栗助が日本語で説明してくれるわけでもないし、私が彼の心の中を覗けるわけでもない。
だが。
分かるのだ。
なぜって、私も同類だから。
子供の頃から、私は「臨機応変」というのが苦手だ。物事がシナリオどおりに進んでいる間は良いのだが、いったん想定外の事態に直面すると、そこで即座に思考が停止してしまう。判断力も決断力も皆無なのである。
悪いことに、年を追うごとにそれは顕著になり、おかげで昨今は「ショッピング」というのがすっかりキライになった。
何を買うか、どこで買うか、どの製品を買うか。最初から完全に決まっている場合はノープロブレム。だが、いざ店頭で、その商品が売り切れていたり、あるいは予想外に選択肢が増えたりすると、迷い過ぎて決められなくなる。頭の中であれこれ考えながら、同じ売り場を行ったり来たり、いつまでもそうして挙動不審なものだから、そのうち店員さんの目が気になりだす。万引き犯だと疑われているのではないか?と、心配になり、そうなるとさらに焦り、何も考えられなくなって、結果、自分の望んでいたものとはかけ離れたものを買ってしまったりするのである。
話がそれたが、つまるところ、想定外の事態に直面すると恐慌をきたす、という点が、まずは一緒だということ。
だが、単純に臨機応変が苦手と言う人は、おそらく、世の中にそれなりにいると思う。
問題は、その後である。
想定外の事態に、その場で対処できなかった場合。
問題点を熟考し、情報を集め、他者の意見を聞き、もう一度最初に戻って対策を練り直す――というのが、正しい態度であろう。
が。
私のようなタイプは、もうその瞬間から、エスケープすることしか考えられなくなるのである。先程のショッピングの例で言えば、買い物自体をキャンセルしてしまいたくなるのだ。もっと言えば、その品物を「買おう」と考えたこと自体、最初からなかったことにしてしまいたくなるのだ。
そうすることにより時間が解決する場合もある。だが、たいていの場合、それは単なる問題の先延ばしであって、放っておいても事態は好転しない。
一週間後のお呼ばれに来ていく服がないから、お店に買いに行く。ところが、予算内に収まる商品がない。嫌になって何も買わずに帰るのは勝手だが、そうなると、お呼ばれの前日に、結局また来店することになる。だが、そのときには、もう既に一番高い服しか残っていない――なんてことは、よくあることだ。
最初からちゃんと考えればいいのである。冷静に考えれば、それならお店にある中で一番安い服を買って、差額は何かの予算を削って切り詰めればよい。その思考を放棄してエスケープするから、結局、損をするのだ。
この辺りが、栗助と私の共通点である。
想定外の事態に直面したら、まずは見なかったフリをする。そして長時間経った後に、結局は行動することになるのだが、その間、問題について沈思黙考していたのかと言うと、そんなことはない。ただサボっていただけ。
四か月もケージに引きこもっていた栗助は、こう言っちゃナンだが、ケージの中で幸せそうに引きこもり生活を満喫していた。別に彼も、一生ここにいようと思っていたわけではないと思うが、かといって、彼が悩んだり考えたりしていなかったことは確実である。先のことなど何も考えず、行動にも移さず、とりあえず現状でまあいいかと、流されるままに、日々、サボっていたに過ぎない――と、確信する。
要するに、私も彼も、喫緊でない問題を進んで解決していくだけの精神力がないのである。ありていに言えば、分からないことは全て面倒臭いのだ。こんな言い方をしたら、身も蓋もないけれど。
でもねえ。
だからって。
四か月もケージ暮らしって、そんなの、アリか?
私が彼を「史上最強のものぐさ男」と呼ぶ理由が、お分かりいただけただろうか。
ところで、本日のトピックスと言えば、アタゴロウとお嬢さんとのファーストコンタクトであろう。
これも朝の話である。だがこのときは、私もすでに眼鏡をかけていたので、ぼんやりではなく、しかと目撃した。(残念ながら写真は撮れなかった。)
ケージの一階に降り立っていたお嬢さんに向かって歩み寄ったアタゴロウは、ケージの金網越しに、お嬢さんに
「シャー」
と言った。そう言い捨てて、そのまま歩み去った。
以上。
それだけである。
その後は、双方とも何事もなかったように平常運転である。もとい、お嬢さんの方は、そもそも無反応だった。シャーくらいでは全く動じないらしい。
ついでに言うと、眺めていた私の方も、
(おっ)
と思っただけで、別に喜びも悲しみもしなかった。我ながらスレたもんである。
私に言わせれば、猫同士のファーストコンタクトにおいて、「シャー」は単なる挨拶である。そんなの、言うに決まっているのだ。(言わない場合もある。)
見るべきは、その前後の状況である。
今回、アタゴロウは、「シャー」を言い捨てただけで、その後、怒りもしなければ不機嫌にもならなかった。そもそも、ケージに近付く時だって、普通にゆったり歩いている。おそらく、彼の目的としては、よそ者を偵察に行っただけで、威嚇して追い払おうというまでの意図はない。そんな気迫は感じなかった。
もっとも、アタゴロウがお嬢さんに「シャー」を言う現場を、実のところ、私は今日、もう一度目撃している。その二回目は「挨拶」ではなく、明確な意味を持ったものだった。
アタゴロウが、ケージの中にあるお嬢さんのご飯を狙ったのである。
お嬢さんはちょこちょこ喰いをするので、皿の中にはまだカリカリが残っていた。皿はケージの二階正面、引き戸の付近にある。そこがご飯場所であることを察知したアタゴロウは、金網に前足をかけて立ち上がり、お嬢さんのご飯を横取りしようとした。
「何すんのよ、この泥棒猫!」
と、叫びはしなかったが、四階にいたお嬢さんは彼に気付き、自らの権利とご飯を守るべく、三階に飛び降りた。そこで、二階を覗き込むアタゴロウと目が合ったのである。
アタゴロウが「シャー」を言ったのは、まさしくこの瞬間である。
シャーも何も、泥棒はお前の方だろう。
とにかく、そんなわけで、アタゴロウのご飯泥棒は未遂に終わり(ただし、実行したところで本当に手が届いたかは分からない)、お嬢さんは見事、泥棒撃退に成功したのだった。
ううむ。なかなか大した度胸のあるお嬢さんではないか。
お嬢さんが怖いもの知らずなのか、アタゴロウにそこまでの迫力がないのか、そこは定かではない。だが、とりあえず第二ラウンドまで、両者は互角に対峙している。
(初日撮影)
で。
栗助である。
彼も頑張った。ケージの近くまで行って、お嬢さんと目を合わせた。
昨日まではリビングに入ろうともせず、北側の部屋か押し入れに籠りっぱなしだったのだから、これは彼にとって、月面着陸にも等しい大きな一歩である。
栗助はただ、自分よりずっと小さなお嬢さんを、黙って眺めていた。
お嬢さんもただ、だが幾分怪訝そうに、この大きな虎猫を見返していた。
それだけである。
ウーもシャーもない。互いに、近付こうとも遠ざかろうともしない。
栗助はそのまま、のっそりと歩み去った。
その後、栗助は私が見ただけでも、最低三回は同じことを繰り返している。
(本日撮影)
猫が鳴き声を立てるのは、喧嘩の時を除き、基本的には母子間のコミュニケーションだけだと聞いたことがある。猫同士は通常、声で会話することはないのだと。
ケージ越しにじっと見つめ合いながら、栗助とお嬢さんは、人間には聞こえない声で、何か会話していたのだろうか。
いや。
私は確信する。栗助は何も話していない。お嬢さんも、何も語っていない。
なぜって。
お嬢さんに近付いた時、栗助はノープランだったに違いないから。
そしてもし、お嬢さんが栗助に何か言っていたのだったら――。
栗助は決して、同じ日のうちに同じことを繰り返すなんてしなかったに違いない。その時点で、栗助にとって、お嬢さんとの邂逅ははじめからなかったことになっていたはずだから。
私には分かるのである。なぜって、彼と私は同類だから。
ものぐさ男と囚われの乙女
誰も住んでいなかったはずのその屋敷に異変が生じたことに気付いたのは、おそらく、クリストファーただ一人だった。いや、今にして思い返すと、アタンリーは彼より先に気付いていたのかもしれない。だが、世慣れた男は、見ないふりを決め込むことに慣れていた。だからこそ、クリストファーがその話をしようとすると、巧みに話題をそらし、あるいは、無言の圧力で彼を沈黙させていたのだ。
釈然としない思いを抱えたクリストファーが最初に気付いたのは、屋敷の窓のカーテンがいつのまにか全て閉ざされていることだった。見れば、しばしば無造作に半開きになっていた扉にも、きっちり掛け金がかけられ、中の様子を窺うことができないようになっている。バルコニーに続く天窓も閉ざされ、日当たりの良いサンルームに置かれていたマホガニー製と思しき寝椅子も、いつの間にか室内に取り込まれたようだ。何もかもが隠され、閉鎖された屋敷は、外部の者を拒絶するような、何かいわくありげな沈黙に包まれていた。
(誰かここに越してくるのだろうか。それとも、屋敷を取り壊すのか。)
それは得体の知れぬ、嫌な予感だった。
彼のその予感はある意味、当たったと言っていい。
その数日後、屋敷の近くを通りかかったクリストファーは、窓のカーテンの向こうから、微かな音が聞こえてくることに気付いた。
衣ずれのような音。あるいは、何かを引っ掻くような音。
(誰かが、この中にいるのだ。)
だが、窓もドアもカーテンも、陰気に閉ざされたままである。一体、誰が、どんな目的でこの中に潜んでいるのか。クリストファーは胸騒ぎを覚えた。
(盗賊か。あるいは、テロリストどものアジトなのか――?)
ところがその翌日、遠巻きに屋敷を眺めていたクリストファーは、あっと声を上げそうになった。同時に、心臓を白い手でぎゅっと掴まれたような気分になった。
屋敷の三階の窓のカーテンが、わずかに引き上げられている。
彼は立ち尽くし、まるで小さな子供のように、ただ、ただ、見開いた目で、窓を見つめ続けた。
そのわずかな隙間から、彼は見たのだ。
小さな白い顔。彼の赤毛よりもっと明るく、やわらかくその顔を縁取る豊かな髪。彼女は大きな目をやや伏せるようにして、心細げに下界を眺めている。小さな唇が動いて、何か言葉を発したようだったが、彼の耳には届かなかった。
(助けを呼んでいるのだ。)
咄嗟に、彼はそう思った。だが次の瞬間、彼女の姿は窓辺から消えた。あっという間の出来事だった。
どのくらい経ったろう。
我に返ったクリストファーは、もう一度、屋敷を眺め渡した。そこには誰もいる気配はなかった。
(俺は夢を見たのだろうか。)
だが、夢と言うにはあまりに生々しく、乙女のたおやかな姿は、彼の脳裏に強く焼き付いていた。
屋敷に踏み込んで、確かめてみるべきだろうか。だが、奇妙なためらいがクリストファーの屈強な体をこわばらせていた。盗賊やテロリストが怖いのではない。あの乙女に会いたいという気持ちと、会うことを恐れる気持ちがせめぎ合い、あれは夢だったのだ、夢に違いない、と、自らに言い聞かせ、彼の足を止めさせたのだ。
「また残すのかい。」
下宿の女将は怒ったような口調で、だが少し嘲笑うように言った。
クリストファーはよそ見をしたまま答えた。
「ちょっと気になることがあるんだ。」
女将は唇をゆがめて笑った。
「はいはい、分かりましたよ。食事も喉を通らないってね。」
女将は容赦なく皿を下げると、半分近くも残った魚肉をゴミ箱にぶちまけた。クリストファーは黙って席を立つと、すれ違いざまに入ってきたアタンリーに挨拶もせず、ふらりと外へ出て行った。
呆れたように彼の後姿を見送っていたアタンリーは、振り返って女将に尋ねた。
「一体どうしたんだ、あいつは。」
「どうしたもこうしたも、若い連中にはありがちなことさね。」
アタンリーはニヤリと笑った。
「囚われのお姫様か。騎士の血でも騒ぐのか、お坊ちゃまらしい夢だな。」
アタンリーはテーブルにつくと、意外なほどに正しいマナーでナプキンを使った。女将はアタンリーの前に大盛りの干し肉の皿を置くと、彼の正面に立ち、手を腰に当てて言い放った。
「でも、ま、あたしの見立てでは、あれはキリキリ舞いさせるお嬢様だね。お坊ちゃまの手に負えるタマじゃないよ。」
ああ。
また下らないものを書いてしまった。
茶白少女は、びっくりするほど早く、新しい環境を受け入れたようだ。
さすがに初日は少なめだったが、我が家のカリカリを食べ、パウチは黒缶だから、多分、初めてではないだろうが、ためらいなく口を付け、その日のうちにトイレも(大小とも)使った。
二日目の今日は、どうやらもう退屈し始めたらしい。悠々とくつろぎきって寝ている様子なのだが、私がケージを覗き込むたびに、
「遊んで~!」
と、有言の圧力をかけてくる。
無言の圧力、じゃないよ。
有言である。「ニャ、ニャ、ニャ」と、鳴いて呼ばわるのだ。
放置していると諦めてまた寝に入るのだが、静かだなと思って様子を見に行くと、とたんにスイッチオンになる。若い猫はエネルギッシュである。
「アンタ、可愛いわねえ。」
スリスリ体を寄せてくるのをグリグリ撫で回しながら、つい、そんな言葉が口をついて出てくる。本当に、小づくりで可愛らしい顔をしている。ただ、アレルギーで目の周りが赤く、涙目になりやすいとのことで、おかげで写真に撮ると目つきが悪く見えてしまうのが、もったいないところではある。
だが、私は見逃さない。
「可愛いねえ。」
という私の賛辞に喉を鳴らす彼女の顔に、
「当然でしょ。」
とでも言いたげな、まんざらでもない表情が浮かんでいることを。
実はこの子、自分が可愛いって、知っている方に三千点。
大人しい、良い子。
自分の立場をわきまえ、上手に身を処すことができる。人にも猫にも適切に対応できる優等生。
そのとおりのお嬢さんだと思う。
少なくとも、温和な子だと思う。だからきっと、うちのシャイボーイズとも上手くいく。
でもね。
初対面の可憐なイメージとは、若干違うような気がしてきたのも事実である。
そろそろ地が出てきたと言うか。
そもそも、まず、この環境の激変に、全く動じない、肝の据わりよう。
初対面の人間にも愛想をふりまく物怖じのなさ。いや、如才のなさ、と言ってもいいかもしれない。人間の心を掴む術をしっかりわきまえてる。
もちろん、本当に人間が好きなのだとは思うが、でも何かちょっと、気のせいか、女子らしいあざとさを感じるんだな。(そこが女子猫の魅力なのだが。)
よく動いて、結構元気だし、それに、もしかしたら、いたずらっ子かもしれない。
そう思い始めたきっかけは、二つある。
一つめ。昨夜遅く、彼女が「大」の方をしたときのこと。
その少し前から、お嬢さんはニャンニャン言いながら一階をぐるぐる歩き回っていたのだが、私はブログ書きが佳境に入っていたので、とりあえず放置していた。
そうしたら。
突然、トイレに仁王立ちになったかと思うと、物凄い勢いで砂を掘り返し始めたものである。
そこに親の仇でも埋まってるのか?という勢いで。
ケージの前には、掘り返された砂がそれこそ雨あられと降り注いでいる。この勢いで継続したら、五分も経たないうちにトイレは空っぽになってしまうに違いない。
だが、そうなる前に、彼女は砂堀りをやめた。そして、しとやかに思うところをなすと、すっきりした顔で、優雅に寝床に戻って行った。
い、いまのは…。
そ、そうだよね。ただ、砂を掘るのが好きってだけだよね。
だがその時、
(構ってやらなかったから、キレられたのでは…)
という疑いが、私の頭を掠めたことは否定できない事実である。
二つめ。これは今日の午前中の話。
先に説明すると、今回は、水入れを二階の壁に取り付けてある。百均で買ったかごに同じく百均で買った容器をはめ込んだものだ。
栗助の時は、家に二つあるヘルスウォーターボウルのうちの一つを一階の床に置いたのだが、今回は爪とぎ用にガリガリサークルを入れたので一階が狭い。スペース省略のために、また、トイレと水飲み場が近いのもあまり良くないとも聞くので、敢えて二階に設置した。
今朝、一夜明けてケージの中を見ると、二階に敷いたマットが捲れている。敷き直そうとすると、マットも床も濡れていた。察するに、お嬢さんの体が当たって水入れが傾いたか、マットが捲れるときに引っかかったのだろう。
あ、そうか。
水を入れるのだから、下にペットシーツを敷くべきだったな。
そこで、水を取り替えると同時に床を掃除して、今度はマットの上にペットシーツを重ねて敷いた。その一連の作業を、お嬢さんは、三階のクッションの上から興味深げに眺めていた。
そして。
私が作業を終え、ケージの引き戸を閉めた途端。
間髪を入れず二階に降り立ったお嬢さんは、一瞬の躊躇もなく、敷いたばかりのペットシーツを引っこぬいて、まだカリカリの残っているご飯皿の上に放り投げたのである。
え…?
いや、これって。
普通に考えたら、嫌がらせだよね。(まあ、遊んだのだろうが。)
笑えるのは、そのペットシーツが綺麗に折りたたまれていたことである。やっぱり、礼儀正しい淑女には違いないのだ。
(なかなかの大物だ。)
私はさらに、彼女が好きになった。
そんな大物お嬢さんであるから、自分より大きな男子猫たちに凝視されても、華麗にスルーしている。
逆に、男子たちの方が、警戒して腰が引けているのだ。特に栗助が。
今日も暑かった。私はクーラーより扇風機が好きなのだが、リビングの温度計も三十二度に達したし、だいいち、布で覆われたケージにいるお嬢さんは暑かろうと思い、午後二時を回った後、ようやくクーラーのスイッチを入れることにした。
クーラーを入れたら、当然ながら窓を閉める。そして、リビングのドアを閉めようとしてはたと気が付いた。
猫どもがいないじゃないか。
二匹とも、北側の部屋に行っていた。
クーラーを入れないなら、北側の部屋の方が涼しい。それは分かっている。だが奴らは、普段、それでもリビングか寝室で寝ているのだ。
つまり。
奴らは、お嬢さんを警戒して、北側に逃げていたのである。
「アタ、クリ、こっちおいで。クーラー入れるよ。」
呼びに行ったのだが、二匹とも頑として動かない。まあ、北側の部屋は窓を開けておけばそこまで暑くないし、とりあえずいいやと、放っておくことにした。
こうして、ほんの一時であるが、本日我が家の猫界では、「新入り女子のみが冷房の恩恵に浴する」という異例の事態が発生したのである。
その後、もう一度呼びに行ったら、栗助だけが戻ってきたのだが、それは奴がアタゴロウより暑がりだからではないか。ただし、戻ってきたら今度は押入れに籠ったのだが。
そうは言っても、男子どもも少しずつ、ケージに近付きつつある。
アタゴロウとお嬢さんは、距離はあるものの、何度も見つめ合っている。即ち、お嬢さんの存在はしっかり認識されているのであるが、だが彼は変わらず平常運転である。
ご飯もしっかり食べる。出すものも出す。甘えるときは甘える。
問題は栗助である。
さすがにご飯時には、アタゴロウと連れ立ってやってくるのだが、催促だけしておいて、いざ食べ始めると、急にお嬢さんが気になるらしい。一口食べては振り返り、また一口食べては振り返り、しているうちに、何かの拍子に食べるのを止めてしまう。結果、食欲はあるようだが、普段の三分の一もお腹に入っていないように見える。
先程、私がアタゴロウのカリカリ催促に(内緒で)応じていたら、栗助がのっそりやってきた。さすがに空腹なのだろう。そこで栗助にもカリカリを一食分近く出してやったのだが。
お腹は確かに空いていたらしい。ガツガツ食べ始めた。が、このときもやはり、突然、途中で止めて、遠巻きにケージを見に行くではないか。
やむなく、そこに皿をデリバリーしてやると、我に返ったようにまた食べ始める。そしてまた、途中でケージを見に行く。
これを三~四回繰り返し、ようやく完食した。
相変わらず、手のかかる男である。
だが、栗助はいわゆるビビリではない。神経質でもない。基本的に呑気な奴なのだが、ただ、「いつもと違う」ことが、とにかくキライなのである。
自分のルーティンと違うことはしたくないし、してほしくない。目新しいことは「見るだけ」なら良いが、それに合わせて自分の生活習慣を変える努力は、さらさらする気がない。
そんな彼を、私は密かに「史上最強のものぐさ男」と呼んでいる。
綺麗な言葉で言えば、「環境の変化を受け入れるのに時間がかかる性格」とでもなるのだろうか。繰り返すが、彼はビビリでも神経質でもない。もとより大家族(多頭飼育)の中で育ち、カフェ猫として働いていたのであるから、多頭環境には慣れているはずだし、女子猫と付き合えないということも考えにくい。
彼も少しずつであるがケージとの距離を詰めているし、最終的には仲良くなるであろうことを信じている。
ちなみに彼も、出すものはきちんと出している。
でもね。
ここまで書けば、私の言うこと、分かるでしょ。
賢い茶白お嬢さんと、図体だけ無駄にデカい栗助。
まだトライアル中だから大きな声では言えないけど、あれはキリキリ舞いさせるお嬢さんだと思う。ものぐさお坊ちゃまの手に負えるタマじゃない。
まだ祝言も上げる前に、というより、お見合いもする前に、私の中では、すでにカカア天下確定なのである。
クリストファーが乙女に会いたくなかったのも、そのへんを予感したから、なのかもね。
(例によって茶白嬢のご飯を狙うアタゴロウさん。)
栗助くんのついでの話
すーっかり忘れていたが、明日は栗助の「うちのこ記念日」である。
と、いうタイミングに、これまた恐縮なのであるが。
実は今日、また、新しい猫が来た。
この子。↓↓↓
女の子。
推定七か月過ぎ。中猫である。
トライアル中なので、まだ詳細はヒミツ。
え、もう次の猫?
と、驚かれる方も、実際まあまあいたのだが、実は私にとっては、これはほとんど予定の行動である。
我が家にはもともと三匹の猫がいた。それゆえ、ダメちゃんが他界し、我が家の猫が二匹になった時点から、私の中では「空席あり」という認識だったのだ。
また、もう大多数の方が忘れていると思うが、玉音ちゃんを保護して三匹になった当時も、かねてから私は三匹目の猫、それも女の子を探していた。そのときと同じ理由で、「一年くらいしたら今度は女の子」というのは、ぶっちゃけ、栗助が我が家に来る前からもう、既定路線だったのである。
で。
その「同じ理由」とは?
それはね。
「家の中が男ばかりでムサイから」
ですよ。誰も同意してくれないけど。
猫を飼ったことのない人には、百パーセント分からないと思う。
そもそも、局部を見ずして外見だけで猫の雌雄を判別することは、猫慣れしている人にとっても、それなりに難易度が高い。
ふわふわでもふもふで、全身柔らかくて、可愛い声で「ニャーン」と鳴く。それは雄でも雌でも同じだ。むしろ、男の子には優しくて甘ったれの子が多い。むさくるしさなんて微塵もないじゃない、と言われたら、私にも返す言葉がない。
でもねえ。
男子はやはり、男子なんですよ。
いかにもふもふでも、男子猫二匹のお世話をしていると、自分が全寮制男子高校の寮母さんになったような感じがしてくる。
潤いが欲しいのだよ、潤いが。
前回もそうだった。そして前回、私のその渇望は、玉音ちゃんの登場によって癒されたのだ。
そうそう、それと。
ついでに、順番的に考えて、栗助にも嫁取りしてやろうかな、とも思ったのだった。
と、いうわけで、計画は一年前からあったわけであるが。
栗ちゃんの嫁取り作戦(と、いうことにしておこう)は、意外にミッションインポッシブルであった。
候補者がいないのである。
いや、もちろん、世の中に可愛いお嬢さんはあまたいるのであるが、こちらが提示する条件を満たす子は、なかなか見つからなかった。
さながら家格だけが高い、没落貴族の長男の縁談である。
こうした場合、お金もないのにプライドだけが高い母親が、お相手の御令嬢に難癖をつけるのが常道なのであるが、私が正にそれである。
いかに財を成していようと、平民はもちろん、子爵だの男爵だのは論外。逆に、古いお家柄でも、現在力を持っていない家の娘も却下。容姿端麗で学歴・教養も高く、稽古事は全て師範レベル。慎ましやかで、立ち居振る舞いも見事で、何より、傍流の某家の嫁よりハイレベルな令嬢を――。
いやいや、私がつけた条件は、もっとシンプルである。
その一。女の子
その二。一歳未満
その三。FIV陽性確定
たったこれだけ。
だが、予想外にこの条件は厳しかった。
まず、栗助の古巣である「にゃんくる川崎店」さんのサイトをしばらく見守っていたのだが、そもそも、仔猫が入ってこない。
そこで、例によって、yuuさんに尋ねてみた。
が。
いない、というのだ。
今季、リトルキャッツさんには七十六匹も仔猫がいたはずなのに。(後日、うち一匹は陽性判明している。)
やむなく、ネットで検索を始めたのだが、いずれのサイトも、この条件プラス「単身者可」を入力したとたんに、ヒットする件数が一桁になる。さらに地理的条件を考慮すると、一つのサイトで、せいぜい二匹程度しかいない。
となると、そこから先は、私の我儘なのかもしれないが。
ここで「家格」が出てくるのである。
保護主さんが、保護団体さんが、どんな人たちなのか。
猫のことを思って活動しているのは皆同じである。だが、我が家と釣り合うか――即ち、里親となる私と考え方、というより、気が合いそうかどうか。
いままで、いかにリトルキャッツさんに甘えていたかを、しみじみ思い知らされた。
譲渡したらそれで終わり、という団体もあるかもしれない。だが、その後のお付き合いを想定した時、互いにフランクな信頼関係が結べるかは、真剣に検討すべき問題だと私は思っている。
で。
ようやく見つけた茶白女子。
そもそも、女子の「仔猫」を希望したのは、栗助が来たときのアタゴロウの反応を踏まえてのことである。栗助の場合は雄同士だったからということもあるが、やはり成猫同士は、馴染むのに時間がかかるということを実感した。
それゆえ、今度は仔猫にした方が、アタゴロウの負担が少ないのではと考えたのである。(常に我が道を行く栗助はどのみち時間がかかるので、ここでは考慮しない。まあ、意外と図太いから、最終的には大丈夫だろう。)
それに。
(アタゴロウは、ああ見えてイクメンだからね。)
またしても、古い話を思い出す。
玉音ちゃんが二~三か月齢のチビのとき、アタゴロウは彼女を可愛がっていた。その記憶が、私の脳裏に鮮明に残っているのである。
チビの女の子を可愛がるアタゴロウ。
あの光景が、また見られるのだろうか。
(回想シーン:去年と同じ写真使ってます。)
ところが、そうは問屋が卸さない。
なぜなら、「FIV陽性確定」は、だいたい生後半年以降であるからだ。FIVの簡易検査では、幼猫の場合、母猫から受け継いだ免疫が反応している可能性もある。従って、母親譲りの免疫が切れた頃に、陰転する場合もあることを考慮しなければならない。
仕方ない。チビチビは諦めよう。可憐な少女なら、まあいいか。
だが。
「あれ、この子、でかくない?」
写真を見た友人さくらが言う。
「……。」
実は私も、そんな気がしてたんだ。
「いや、別に大きくてもノープロブレム。」
これは嘘でも強がりでもない。その子単体で見たら、大きさなんかどっちでもいいのだ。
だが、同時に。
思い描いた光景と違う…という声が、頭の中に響いたのも、これまた事実である。
これは――もしかして、昨年と同じ展開なのか。
「ま、アタちゃんが大きさ負けしないならオッケーだよ。」
そのとおり。だけどキミ、不吉なこと言うね。
そういえば、我が家は歴代、大柄女子が多いのだ。ミミもムムも四キロ代半ば。ついでに、実家の初代猫であるジン子姐さんも、五キロ近くあって、獣医師から再三、痩せさせろと言われていた。玉音ちゃんは四キロに届かなかったと記憶しているが、その代わり、膨張色(白)のため、遠目にはアタゴロウと同等に見えることも多かった。
しかも。
保護団体さんのブログを見ると、四月末頃の記事の中に、当時の見立てで、彼女は月齢「五か月くらい」とある。そのブログを見つけたのが七月。ブログを通じて連絡し、相談を経て、日程を調整し、結局、トライアル開始が今日である。当初の見立てから計算すると、もう九か月齢に至っていることになる。
これはすでに、ほぼ成猫と言えるのではないか。
(その後、見立てを修正したらしい。今日の説明では「二月十二日くらいの生まれ」とのことであった。)
ちなみに、アタゴロウはほとんど体重の変動がない猫で、若い頃から五キロ前後で推移している。
トライアルが決まった後も、度々写真を送っていただき、その都度、さくらと一緒に見ていたのだが、
「やっぱり、ちょっと大柄女子の予感が…」
違う。目の錯覚だ。写真うつりの問題だ。
と、さくらに言い返すだけの根拠を、私は持たなかった。
そして、今日。
「初めまして。」
さわやかな笑顔と共に現れた保護主さんは、片手にピンク色のキャリーケースを提げていた。中にいたのは、可憐な茶白の少女であった。
「大人しくて、来る途中も全然鳴かなかったんですよ。」
無造作と言えるほど気軽にキャリーケースを開けた保護主さんは、少女をふわりと腕の中に抱き上げた。そして、そのまま、私の腕に彼女を預けた。
「毛が柔らかいでしょう?」
それより別の言葉が、思わず口をついて出た。
「軽い…。」
いや違う。それは普通の中猫の重さだ。
大人しい少女は、大人しくケージの二階に入り、水入れの匂いをちょっと嗅いでから、三階のクッションの上、そして四階に上がって行った。
「可愛いですねえ。」
何て小さな頭だろう。栗助の半分くらいしかないんじゃないか。
いや違う。これは普通の中猫女子の頭だ。
もう、私の頭の中は、猫の大きさ判定に関し、完全に脳がバグっている。
それもこれも、栗助がデカいせいだ。同じ茶系だから、つい比べてしまう。
トライアル契約を取り交わし、ケージの中の少女と私のツーショット写真を撮ったところで、保護主さんが言った。
「先住猫ちゃんたちの写真も撮っていいですか?」
多分、ブログに載せる写真を撮りたいのだろう。
「あー、でも出て来ないと思います。内気な連中なんで。連れてきましょうか?」
「あ、いえ、無理なさらなくても…」
保護主さんは遠慮されたが、私はとりあえず、アタゴロウを連れてこようと思った。
が。
押し入れの襖を開けると、いきなり栗助と目が合った。
(ま、こっちでもいいか。)
逃げる隙を与えずに栗助の胴体をがっしり掴んだ――までは良かったのだが。
(も、持ち上がらない…。)
ずっしり重い上に、足元の何かに必死でしがみつく力の強さに、私は負けた。いや、正確には、私の手を蹴飛ばしたぶっとい足の爪に負けた。
「すいません、無理でした。」
その頃には、アタゴロウはどこかに逃亡していたものである。
「大丈夫です。いただいた写真があるし。」
保護主さんはにっこりと微笑んで下さったが、私はちょっと心配になった。
どんな写真を送ったか覚えてない。まさか、栗助が太鼓腹出してる写真じゃないだろうな。
(太鼓腹)
昼間は四階に引きこもっていた少女であるが、夕方頃から、二階に、そして一階に降りてきた。食事とトイレと、そして、私にスリスリするためである。
そう。
大人しい茶白の少女は、猫山家史上例を見ない、人懐っこいお嬢さんでなのあった。
今回は全くお見合いをしていないので、彼女にとって私は全く未知の人間、ストレンジャーである。そのストレンジャーに、最初からスリスリと顔を寄せてくる。
私がケージを覗くと、すぐ寄ってきてぐるぐる歩きとゴロンをする。しかも、肛門腺から匂いまで出すと来たもんだ。
金網の隙間から指を入れて撫でてやるが、それでは物足りないらしい。前脚を伸ばして、
「出して~!」
と、言ってくる。
そうねえ。
私もあなたをフリーにして、思う存分、撫でまわしたいけど。
でも、男子どもがびっくりしちゃうからねえ。
(なお、私自身は本来、新猫も最初から放流しちゃう派なのだが、保護主さんとのお約束もあるし、ミツコ先生にも釘を刺されているので、一応、ケージインは守っている。)
今、私は、パソコンを食卓に移動させてこのブログを書いているのだが、その間も、背後のケージの一階で、少女が
「ニャ、ニャ」
と可愛い声で短く鳴き、今まで誰も使わなかったガリガリサークルで爪を研ぎながら、私を呼んでいる。
おいこら。私は知らないオバサンだぞ。
そんな簡単に、知らない人について行っちゃ駄目じゃないか。
大丈夫なんだろうか、この子。
いや違う。
これは普通に人馴れした猫の行動だ。飼い猫として優等生の振舞だ。
ちっともおかしくなんかないぞ。
もう、言いたいことは分かっただろうか。
そう。何もかもが、一年前の逆なのだ。
ちょうど一年前。
重たいつづらを開けたら、大きなお化け、もとい、大きな猫が出てきて、よこしまなお婆さんが腰をぬかした話。
四か月もケージにいた引きこもり青年の話。やっと出てきた後も、私が手を出すと一目散に逃げていた、超マイペース男の話。
そのマイペース男は、何度かそーっとケージに近付いてきたものの、ごはんも半分しか食べずに、ケージのなるべく遠くへと逃げ回っている。
何でお前が逃げるんだ。全くワケ分からん。
アタ社長はもう、しっかり新入社員の面接を済ませたというのに。
あ、でも、そういえば、今回は栗助の嫁取りってことになってるんだったわね。
すーっかり忘れてたわ。
ちなみに、冒頭の写真は、一年前に自分が入っていたケージ(に、誰かほかの猫がいる様子)を見つめている栗助くんである。
思うところはいろいろあるのだろうが、何故か妙に可愛い顔をしている。
栗助くんの鬼退治の巻
栗ちゃーん、カメラこっちだよーーーっ!!!
え、そんな家来でいいの!?
…で、誰が鬼だってぇ!?
こうして、勇敢な家来の突撃により、
二匹は無事、鬼からごはんをせしめましたとさ。
めでたし、めでたし。