クリスマス・イヴの殺意


 
  
 帰り際。
 隣席のヨシハル♀が、ウキウキと話しかけてくる。
「チキンは、ローソンと、ファミマと、モスと、ケンタッキーと、どこがいいでしょうね?」
「知らんわ、そんなん。」
 私は頗る機嫌が悪い。
「ケーキは、昨日友達の家で作ったかぼちゃのパウンドケーキがあるんです。あとはシャンパンを買って…。」
「じゃ、トリだって鳥屋で買えば?」
「帰り道にないんですよぉ。――やっぱり、ケンタッキーは確実に混みますよね。となると、モスですかね。」
「アンタ、料理得意なんだから、自分で焼けばいいじゃない。」
「焼いたのじゃなくて、揚げた系がいいんです。」
「だったら、『からあげくん』にしとけ!!」
 私は頗る機嫌が悪いのである。
 だいいち、うら若き娘っ子が、こんなに楽しそうに「おうちでひとりクリスマス」に盛り上がっていて良いものだろうか。
 険悪なムードを見かねたのか、近くにいた猫好きのK先輩が、私に違う話題を振ってくる。
「猫たちに、プレゼントはあげないの?」
「あげません。」
「クリスマスなんだから、ごちそうを食べさせてあげるとか。」
「そんな余計なことは、教えません。」
 何しろ、猫という連中は、自分に都合の良いことだけ、一発でと覚えるのだ。
 うちの大治郎くんなんぞは、大昔の私の過ちによりたちどころに覚えた、「来客があると食べ物をもらえる」という間違った経験則を、未だに金科玉条と崇め奉っているのである。
 客人の顔はなかなか覚えなくて、人にお百度を踏ませるくせに。
 その客人の顔は覚えていなくても、来客があると悟った瞬間から、「おやつ!おやつ!」と騒ぎ始める。
 しかも、マズいことに、私の友人たちが、このところ、ダメちゃんに甘くなってきた。
「猫山、ダメちゃんに○○あげてもいい?」
「後で恐ろしいことになってもいいんならね。」
「――つまり、執り憑かれるわけね。」
 K先輩が、心得顔で頷く。
「そうなんです。だから、奴は、友人たちが来ると、必ずそっちに行きますよ。」
 私の脳裏に、二日前に我が家で行われたホームパーティの光景が浮かぶ。
 その日、大治郎くんは、私達が食事を始めると、物欲しげにこたつの周りをぐるぐる廻り歩きながら媚を売っていたのだが、彼は、このところ来るたびに食べ物のカケラを分けてくれる、さくらやこっこの方にばかり行って、命がけで愛しているはずの私の方には、ちーとも寄って来なかった。
 さながら、クリスマスパーティの会場で、カレシが自分より金持ちの女を口説いているのを見てしまった彼女の気分である。
(ちなみにアタゴロウは、自主的に壁の花になって、リビングの隣の和室の壁に貼りついていた。)
 たまりかねた私は、彼をつかまえて「強制スリスリ」を試みたのだが、憎らしいことに、彼は例によって、社交辞令のゴロゴロを聞かせながら、私の目を見ようとも、私の手を舐めようともせず、しばらくされるがままになっていた後、するりと私の手をすり抜けて行ってしまった。
 さながら、金持ち女の立ち去った後のカレシの袖を捕らえたら、うわの空のままおでこに軽くキスだけもらって、後を追うカレシに置いてきぼりにされた彼女の気分である。
 そういえば、「シングルになるとクリスマスは牙をむく」って、誰かが書いていたっけね。
 プチうつになる人もいるらしいし。
 結局、金持ち女たちは、陽気に初詣の約束などしながら我が家を去り、大治郎くんは元のヒモ生活に戻ったわけであるが、傷付いた私の心には、あの日の恨み・口惜しさが、埋み火のように静かに燻り続けている。
 ――いや。
 そんなことは、どうでもいいのであった。
「そういえば、天竜は?」
「早退きして大学に行きました。今日は試験だそうです。」
 全く、近頃の若いムスメどもときたら。
 こんなことで、日本経済は大丈夫なのか。(と、バブル期にすでに大人だった世代は思うのである。)
「で、猫山さんは?」
「うるさいわね。アタシは家でとろろごはんよ!」
「へ?」
「明日は消化器健診でバリウムを飲むから、トリもケーキも食べられないのっ!!」
 当然、酒類バツである。
「あ…」
 絶句するヨシハル♀。
「何でそんな日にしたのよ。」
 K先輩が呆れたように言う。
「だって、この日しか、空いてなかったんだもん。」
 正確に言えば、本当は、私の消化器健診は半月ばかり前の予定だった。諸般の事情で急遽、日程変更せざるを得なくなり、クリニックに電話したら、空きのある日がほとんど残っておらず、中で一番仕事に支障がなさそうなのが、明日だったのである。
「なるほどね。つまり、こういう日だから、空いていたってことか。」
 K先輩の冷静な指摘に、私は愕然とする。
 そうか…。
 そうだ。そうに違いない。
 というより。
 クリニックに電話した際にそのことに気付かなかったという時点で、私はもう終わっている。
 
 
 そう。
 私から愛する大治郎を奪った金持ち女たちを、私は恨まない。私を捨て、金持ち女に乗り換えようとした彼を、愛ゆえに私は許す。
 だが。
 今日、私の前で楽しそうにチキンの話をしたヨシハル♀に、私が瞬時、殺意を抱いたという事実は、彼女自身、人生の教訓として、やはり心得ておくべきことであろう。
 
 

(乗り換えに失敗したヒモ男の図)