女優の命

 

  
  
 大掃除が終わっていないので、早く起きて働こうと思っていたのだが、結局、いつもの休日と同じ。
 すっかり明るくなってから、ようやく意識が戻り、周囲に目をやると。
 おっと、今日はいつもと違う。
 何が違うって…
 
 
 枕の横にいたのが、ダメではなく、ヨメだったのである。
 
 
 私と目が合うとダッシュで逃げていた、あのけしからんチビが、こういう可愛いことをするようになったんだもんなあ。
 人間も猫も、歳をとれば(って言っても、ヨメはまだ若いけど)、性格が丸くなるのね。
 ついつい、愛おしいような気持ちになりながら、しばらくそのまま、ヨメの横顔を眺めていた。


 それにしても。
 お前、鼻、低いなあ。
 デコと鼻が、同じ高さだわ。
 まあ、そこが愛嬌あって可愛いんだけど。でもやっぱり、美人とは言い難いな。
 
 
 で。
 思いついて、手元にあった携帯のカメラで、その横顔の写真を撮ろうとした。
 すると。
 気配を察したヨメ。何と、振り向いて、カメラの方をじっと観ているのである。
 
 
 普段は、カメラを向けると視線をそらすくせに。
 私が横顔を狙っていることを察知して、撮らせまいとしているとしか、思えない。
 
 
 正面顔なら、撮ってもいいってこと?
 横顔は駄目なの?
「その角度は撮影禁止」って、女優さんじゃあるまいし…
 
 
 と、そこでふと思い出した。
 
 
「顔をぶたないで。私、女優なんだから。」 
 
  
 
  
 
 もう、半月ぐらい前になるだろうか。
 猫の食事中、誤って、カリカリをよそったスプーンを、ヨメの顔にぶつけてしまったことがあった。
 全くの事故である。
「ごめんごめん。悪気はなかったんだ。」
と、慌てて謝ったが、ヨメは痛かったのか、びっくりしたのか、即座にその場を逃げ去って、それもかなり遠くまで逃げた。
 その後もしばらく、私がカリカリを出そうとすると、ぱっと皿の前を離れ、私がカリカリをよそい終えるのを遠巻きに監視する日々が続いた。
 ヨメにしてみれば、ごはんが出てくるのを楽しみに待っていたら、突然、顔面ストレートパンチをお見舞いされたようなものである。
 人間不信にならなかっただけ、大したもんだ。
 ところが。
 そのヨメの心の傷も癒えかけたころ、今度は、ごはんを食べているヨメのしっぽを、思い切り踏んでしまった外道な家主。
「ごめんごめん。アンタのしっぽが長すぎるのよ。」
と、適当に謝ったのだが、ヨメはやはり、走って逃げた。
 が。
 この件については、事実上、不問に付された気配である。ヨメが逃げたのはそのときだけで、それもすぐ戻って来て続きを食べた。そして、その後、ヨメがとくに何かに用心深くなったような変化は、全く見られなかった。
 このときだって、足の裏にはっきりと踏みごたえを感じるほど、しっかりと踏んだ。(威張ることじゃないが。)ヨメは痛かったんじゃないかと思う。
 が。
 ヨメのココロの傷は、顔面を打たれた時の方が、ずっと深かったのだ。
 
 
 ああ、そうか。なるほど。
 アンタは、女優さん志望だったのね。
 だから、顔をぶたれることに、あんなに神経質になっていたわけか。
 
 
 なるほど、なるほど。
 となると、さらに思い当ることが。
 
 
 去年も、一昨年も書いているような気がするが、ヨメは未だに、ドアを「押して開ける」ことができないでいる。
 引っ張ってなら、開けられる。それはすぐにマスターした。
 それを人に言うと、大抵の人は「逆じゃない?」と言う。
 そう。明らかに。どう考えても押して開ける方が簡単なのに。だがこいつは、「押し開ける」ことを、ぜったいにしないのだ。
 何とか覚えさせようと思って、押せば開くように、ドアの隙間をほんの少しだけ開けた状態にし、
「ムムちゃん、押しなさい。押せば開くから。」
と、けしかけるのだが、彼女は
「いいから、早く開けてよ。」
と言わんばかりに、私を見上げて鳴くばかりである。
 ダメなら、一瞬の躊躇もなく、ドアを押して入って来るのに。
 終いにはこのヨメ、引っ張って開けるときと同じように、ドアの隙間に手を突っ込んでくる。その振動で隙間が広がると、結果オーライでそのまま入ってくるのだが、ドアの開け方としては、やはりイマイチ間違っているような気がする。
 こいつ、未だに、「押し開ける」ことを理解しないのか。
 サビ猫のくせに。
 知恵がなさすぎる。
 …と、思っていたのだが。
 
 
 よく考えると、ダメがドアを押し開けて入って来るとき、彼は頭で扉を押している。
 言い換えるなら、顔である。額を押しつけて開けているのだ。
 ひょっとして、ひょっとして、ヨメは。
 それをやりたくないんじゃないか。
 顔でドアを押すなんて。
 冗談じゃないわ。私、女優なんだから。
 
 
 断わっておくが、ヨメのデコが出ているのは、私がスプーンをぶつけてタンコブができたからではないし、鼻が低いのは、鼻で扉を押したからでもない。
 だが、彼女が女優になれないのは、デコが出ているせいでも、鼻が低いせいでもない。
 それ以前の問題で、オーディションに着て行くお洋服を持っていないのである。
 
 

  
  
 ちなみに、であるが。
 ヨメがドアを開けられずに外で困っているとき、ダメがどうしているかというと。
 以前、家主がダメを閉め出したとき、ヨメは心配して、何度もドアの前に佇んで様子を見守っていた、と書いた。
 が、ダメは。
 こいつ、実は冷たい男なのである。
 ヨメがいくら困っていようと、一顧だにしない。
 それどころか。
 ドアの隙間から手を出して、向こう側のヨメを殴っていたりするのだ。(もちろん、ヨメも応戦している。)
 そして、大きな体でブロックして、隙間が開いてもヨメを通すまいとする。そのまま殴り合いになるか、ヨメが隙を見て横をすり抜けるなり、ダメを跳び越すなりして、辛くもリビングに走り込む、というのが日常のパターンである。
 どうだろうね、この男。
 まあ、ダメにしてみれば、もともと押せば簡単に開くドアなのだから、ヨメが「閉め出されている」という意識は、なくて当然、とも言えるのだが。
 でもねえ。
 入りたくても入れなくて、切ない思いをしていた女の子を、何も通せんぼして苛めなくてもいいんじゃない?
 それとも、たまたまヨメにできないことが自分にはできるもんだから、優越感に浸って、横暴になっているのか。
 やなやつだなあ、このオヤジ。
 
 

 
  
 こういう奴に限って、彼女が芸能界で成功すると、
「元夫です」
と、これ見よがしに、マスコミに自分を売り込もうとしたりするんだよね。
  
 
 
 
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 あーあ。
 一年のしめくくりだっていうのに、こんな下らない記事を書いているうちに、年を越してしまった。
 やれやれ。
 まあ、とにかく。
 
 
 こんなに気まぐれにさぼりがちだったにもかかわらず、おバカブログにお付き合いいただいて、本年も(いや、去年か)本当に、ありがとうございました。
 2012年も、ますますパワーアップするヨメと、ますますウェイトアップする――のは勘弁してほしい――ダメちゃんを、よろしくお願いします。