辰年に寄せて

 

  
  
 明けましておめでとうございます。
 お正月なので、お正月らしい写真を掲載したかったのですが…ありませんでした。
 何しろ、猫には盆も正月も関係ないもので。
 十年一日のごとし。猫の生活って素晴らしい。
 
 
 今年は辰年
 天竜いちごさんからは、立派な竜神様の年賀状が届いた。
 天竜さんは竜好きなので、相当気合いを入れて描いたようだ。
 私自身は、もう十年以上も前から年賀状を書くことを放棄しているので、一方的に賀状をいただくのは申し訳ないと、一応辞退してみたのではあるが、結局、彼女の描く竜を見たいという誘惑に負けた。(ごめんね、天竜さん。)
 力作を眺めているうちに、ふと思った。
 もし、今年が「猫年」だったら、我が家には(もしかしたら、他のお宅にも)、ダメとムムの年賀状が配達されたのだろうか。
 
 
 十二支に猫はいない。
 竜はいる。
 良く考えると、ちょっとおかしな気がする。
「十二支のはじまり」の伝承は、絵本などにもなっているので、子どもでも知っているお話だが、深く考えてみると、どうも良く分からない。
 何が分からないって、竜が五番目という理由が、どうも納得がいかないのである。
 十二支の動物のうち、竜だけが想像上の動物である。それも神獣(でいいのかな?)である。
 竜について、私のような一般人は、知っているようで実はよく知らないのだが、超自然的な存在であるからには、何か特別な力が使えたのではなかったか。あるいは、空くらい飛べたのではなかったか。
 それなのに、なぜ五番目なのだろう。
「十二支のはじまり」の話も、五番目くらいになると、何の解説もしてくれない。私としては、鼠がなぜ牛より前なのか、より、よほど知りたいところなのであるが。
 
 
 察するに、お釈迦さまが指定した参集日は、日にちだけでなく、受付開始時刻も決まっていたのではないか。
 発売日のチケットぴあと同じである。どうしても十二支に入りたい連中は、毛布持参で早朝(か、前夜)から並んだのに違いない。だから、受付開始時刻をめがけて悠然と登場した竜は、一番乗りのはずが五番目になってしまった。そうとしか、考えられない。
 
 
 そして。
 中には、チケットの発売日を間違える奴が出てくる。
 それが、猫である。
 言い伝えによれば、猫は鼠に一日遅い日付を教えられ、このため十二支に入れなかったのだとか。その恨みで、猫は今でも鼠を追いかけるのだという。
 猫好きにとっては、非常に残念な話である。
 猫が参集日を間違えなければ、もしかしたら、十二年に一回は「猫年」があったかもしれない。
 猫グッズが山ほど売り出され、年賀状のデザインも猫だらけ。猫の記念切手が出る。猫の特集番組が組まれる。
 いいなあ。
 どう考えても、辰年より猫年の方が、経済効果も大きいと思えるのだが。
 私も鼠を恨みたい。
 いや、でも、鼠も悪いには悪いが、やはりそもそもの原因は、猫が参集日時を忘れた(あるいは、チェックし忘れた)ことにある。猫ならではの痛恨のエラーであるとも言える。
 
 

  
 
 私が子どものころに読んだ「十二支のはじまり」では、お釈迦様は動物たちに「一年交代で動物の王様にしてやる」というような趣旨の発言をなさったように記憶している。
 ここで、もう一つの疑問が生じる。
 なぜ、そのような競争に、竜なんていう高等なお方が参加しているのか。
「早く来た順に権利を与える」というのは、あらゆる庶民に門戸を開いた、いわば非常に民主的な登用制度である。競争に勝てば、出自も学歴も支持基盤も問われず、権力の座につけるのだ。
 まあ、現状として、事実上は「ミス△△」みたいに、権力はそのものは持っていないのだが、とにかく自分が主役になれるわけだ。
 例えて言うなら、A●Bのじゃんけん女王みたいなもんじゃないのか。
 だったら、その庶民の競争に、竜さんのようなお貴族様が参戦するのはいかがなものかと思うのだ。参加するのは自由だといっても、やはり、その競争以外の手段で、権力やら主役の座やらを手に入れることができる者は、自分が勝利者になって、庶民の出世の道を阻むべきではない、と思う。竜さんは、そこで大人の余裕を見せて、入賞を辞退すべきだったのではないか。
 そして。
 できることなら、その権利を、鼠に騙されて涙をのんだ、気の毒な猫さんに譲るべきだった、と思う。
 
 

  
  
 なーんて。
 でも、もしそうしたら、絶対クレームついたよね。
 いかなる理由があるにしろ、参集の日を間違えた猫は、入試当日に風邪で寝込んだ受験生と同じく、棄権とみなすべき。むしろ、13位の動物を繰上げ当選するべきだ、と。
 となると。
 13位って、誰だったか。
 私の子どものころの記憶では「カエル」だったが、他に「イタチ」「シカ」などの説もあるらしい。
 うーん。
 カエル年だったら…それなら、いいかも。(あくまで個人的な好み)
 いや、イタチでもシカでもいいんだけど。猫が無理なら。
 
 
 そこを敢えて、もしももしも、猫が12位以内に入賞していたら、と、考えてみる。
 彼等は、権力の座(?)を、喜んだだろうか。
 いや。少なくとも、自分の身の回りの猫どもを見る限りでは、別に喜びはしなかったものと、私は確信する。
 こいつらに、他の動物を押しのけて権力の座に就こうとするようなファイトがあるとは、到底思えない。
 権力ではなかったとしても、こいつらに、センターで踊りたいという野心があったかは、怪しいもんだ。
 猫は単に、自分をペテンにかけようとした、生意気な鼠を、腹立たしく思っているだけなのではないか。
 翌日になってお釈迦様の御前へまかり越す、という大ボケを演じて見せたのも、案外、騙されたフリをした芝居だったのかもしれない。
 
 
 知る人ぞ知る有名紙「ねこ新聞」では、富国強兵ならぬ「富国強猫(ふこくきょうねこ)」を、一貫して唱えている。
「ねこがゆったりと眠りながら暮らせる国は平和な心の富む国」というのがその趣旨である。
 確かに。
 人間の最も身近にいるのに、とりたてて何の労働もするわけでもない、珍重されているわけでもない猫が、家猫も野良猫も、飢えや事故・遺棄や虐待の心配なく安心してゆったり暮らせる社会というのは、人間の心が豊かで穏やかである社会に他ならない、と実感する。
 猫を見ていると、身の丈の幸せって大事だよな、と思う。
 あまりにもいろいろなことが起こり過ぎた昨年。人々のこころのつながりや、日常の穏やかな幸せが見直されている今だからこそ。
 今年は、猫の年であってほしいと思う。
 仲良く、ゆったり。
 それが一番。
 
 

  
  
 だから、ね。
 やっぱり、竜さん。
 ここはひとつ大人になって、たまには猫に、センターを譲ってみても…
 なんて。