8時ちょうどの…


  
 
 今日は、山猫狩り決行の日であった。
 決死隊員は、猫カフェ荒らしのSさんと私。ラッシュを避けんがため早起きした私たちは、8時ちょうどには、すでに八王子に着こうとしていた。
 昨日の退勤前、天竜いちごさんは、
「帰って来なかったら、猫に喰われたと思いますから。」
とだけ、コメントした。
 探しに行く、とか、捜索願を出す、といった発想はないらしい。
 ただ、これはおそらく、先日彼女が、某遊園地のたいへん怖い上に迷路仕立てになっているというお化け屋敷に行こうとした際、私が、
「帰って来なかったら、おばけになったと思うから。」
と、言ったことへの報復であろう。
 一方、ヨシハル♀は、往きの電車の相談をする私とSさんを見て、
「沖縄まで、電車で行くんですか?」
と、真顔で訊いてきた。
 ターゲットはイリオモテヤマネコではないと、何度も説明したはずなのだが。
 天然記念物を捕獲したらお縄になるということを、どうして彼女は永遠に理解しないのであろうか。
 ま。
 べつにいいけどね。
 君たちに、山猫狩りに漂うオトナの感傷が分かろうとは、私だって期待していない。
 
 
 実を言うと、私はダメに、「新しい猫を迎える予定であること」を、ずっと打ち明けられずにいた。
 自分自身、あまり実感が湧かずにいたせいでもあるが、半分は彼のためとはいえ、反対されることが必至であるため、言いにくかったのである。
 が。
 騙し打ちは、良くないよね。
 少々反省した私は、昨夜、私の枕の横に寝そべった彼を撫でながら、
「ダメちゃん、二人っきりで過ごす夜も、今日が最後だよ。」
と、遠まわしに伝えてみた。
 遠まわし過ぎて、通じなかった。
 彼はゴロンと横倒しになり、私の枕に、背中をぴったりと押しつけて、ゴロゴロ言い始めたものである。
 卑怯な私は、こうしてアリバイを作ったのみで、結局、彼に真実を伝えることができなかった。
 
 
 そして私は、秋まだ浅い信濃路へと旅立った。
 彼の知らない人と二人で。
 行く先々で思い出すのは、彼のことだとわかっていながら。
 
 
 およそ12時間後。
 お陰様で、猫に喰われるようなこともなく、私は無事に帰宅した。
 そして、今。
 彼はPCに向かう私の横のソファーで、やはり満足げに喉を鳴らしている。
 なぜなら…
 
 
 私は猫を持ち帰らなかったのである。
 
 
 では、山猫狩りは、失敗だったのか?
 そうは認めたくない。 
 一定の成果はあった、と、考えたいものである。私のために体を張ってくれた、Sさんのためにも。
 
 
 話をおさらいすると。
 私が敢えて、山猫狩りの危険を冒す気になったのは、Cats安暖邸にはいない「私に懐かない猫」を手に入れるためである。
 Sさんは全てを理解した上で、おとりになると約束してくれた。
 そのために、わざわざおもちゃまで用意してくれたのである。
 が。
 私の夢は、極めて幻に近い夢だった。
 私の求める猫は、未来の中にしか存在しなかったらしい。
 
 

(○庵サテライト全景)
 
  
「逃げる猫って、いないのよね。」
と、Yuuさんは開口一番、私にそう、告げた。
 Yuuさんの最初のアドバイスは、ダメちゃんのためには、仔猫か、中猫の雌がよいのではないか、ということだった。私ははっきり言って、その点はどちらでも良かったので、その助言に従い、仔猫部屋の中から「その子」を探そうとした。
 が。
 仔猫部屋に入った私たちを待っていたのが、Yuuさんのその言葉だったのである。
「小さいころから人間に育てられてるから、みんな人間に懐いちゃうのよね。」
 では、ヨメのようなケースは、極めて例外的なのか?
「ムムちゃんは、野良に近い状態から保護されているから…。」
 そうか。
 あれは彼女の性格だけの問題では、なかったのだ。
「逃げるのは、あの一匹だけ。」
 Yuuさんが指し示したのは、スリムで小綺麗な、サビ猫であった。
 やっぱり、サビか。
 何度も書いているように、私はサビ猫フェチである。その猫は、ほぼ黒に近かったヨメよりも赤味が多い、正統派のサビである。顔立ちも、顔の模様も、サビ猫独特の美しさを備えている。運動神経も良いようで、機敏によく遊んでいるが、確かに、近付くと逃げる。
 ううむ。
 確かに、ど真ん中、なのだが。
 あまりにも、ムムと「かぶる」。ムムとかぶりながら、ムムを凌駕するようで、ど真ん中なはずなのに、何となく気が進まない。
 他に勧められたのは、人の背中に登ってくるフレンドリーな白黒の男子と、五分刈り短毛で、ちぎれたようなちょんちょろりん尻尾のブラックスモーク男子であった。
 そして、Yuuさんのブログでも紹介されていた、「愛香ちゃん」「桃香ちゃん」という、半長毛サビの美猫姉妹(中猫)。
 みんな可愛い。だが、決定打が出ない。
 
 
 悩みながら、昼食を食べることにした。
「最初の話に戻せば、猫山さんが貰わなければ売れそうにない猫がいいんですよね。」
と、Sさんが指摘する。
 彼女のイチ押しは、これもYuuさんのブログに掲載されていた、目ヤニみたいな柄のついたチビミケである。
 確かに、この面白い柄は、私にとってもツボであった。
 が。
「それよりは、私は、あの情けない顔の子がいいな。」
 顔立ちの面白さ・残念さにかけては、双璧と言っていい。彼女にチビミケを勧められて、反射的に、私はその子を思った。
「見て見て。面白い顔でしょう。目がちっちゃくて。」
 Yuuさんが笑いながら、持ち上げて見せてくれた、生後一カ月くらいの仔猫。
 兄妹猫の目がエダマメくらいの大きさがあるのに対し、そいつの目は、シュウマイの上のグリーンピースくらいしかない。
 しかも、若干垂れ目である。
 目ヤニがついていたせいもあるが、その小さなサビは、実に情けなさそうな顔で、されるがままになっていた。
「あの子、ダメちゃんに似てますよね。全てを諦めたような表情が。」
 Sさんが言う。
「ひょっとして、兄妹なんじゃないですか。」
 いやいや、それでは、あまりに歳の離れすぎた兄妹である。むしろ親子か、祖父と孫、の方が近いかもしれない。
「そうね。もしかしたら、親戚かもね。」
 彼女の冗談を受け流しながら、確かにこれはいいコンビかも、と、ふいにそんな気になった。
「でも小さすぎる。留守の間に、どこかの隙間に入っちゃっても分からないからねえ。」
 最初からそう思って、ターゲットに含めていなかったのであるが。
 だが、留守中はケージに入れる、という手があるのでは…。
 
 

(○庵サテライトの成猫部屋)
 
 
 と、いうわけで。
 さっそくYuuさんに尋ねてみた。
「まだ小さすぎます。こちらも怖くて渡せない。」
 Yuuさんは、はっきりとおっしゃった。
 ちょっと下痢をしたり、嘔吐をしたり。そうしたちょっとしたことから、まだこの大きさでは、脱水・低体温と、あっという間に下降線をたどる危険性があるのだとか。
「もう少し待っていただければ、大きくしてお渡しします。」
 予約、ということである。
 それは考えてもみなかった。
 実は、私は、週末の三連休に繋げる形で、今日と明日の二日間、休みを取っている。新猫が慣れるまでは、なるべく家にいたいということで、敢えて五連休を設定した。
 だから、できれば、今日、連れて帰りたい。
 迷いに迷いながら、またしばらく、仔猫部屋で猫たちを吟味した。
 
 
 白黒は、積極的過ぎてNG。
 半長毛サビ姉妹は、ちょっと大きすぎる気がする。二匹とも大人しいけれど、この落ち着きと貫録では、ダメちゃんの方が押されてしまいそう。
 残るは、ブラックスモーク。
 当初、Yuuさんに「黒系の雄」をリクエストしていたことを考えると、本来、この子が最適であるはずなのだが。
 どうしても、今一つ乗らない。
 可愛い。人懐こい。イケメンすぎる。
「この子は安暖邸に行きそうですね。そうしたら、人気が出そう。」
 Sさんも私と同意見であった。
「この子は、猫山さんが貰わなくても、確実に売れますよ。」
 
 
 そして、決定打が出た。
 
 
 私が何度も持ち上げて起こしたせいか、昼寝からようやく目が覚めてきたチビサビは、一人遊びを始めた。
 私たちは、全員体中に仔猫を登らせながら、床に座って話していたのだが、ふと見ると、私の視線の先、Yuuさんのちょうど背後に、その子がいる。
 そのチビが、何をしていたか。
 壁紙を剥がしていたのである。
 
 
 Sさんのおもちゃには、乗ってこなかったくせに。
 他の仔猫にじゃれつかれると、ひたすら慌てて逃げていたくせに。
 その逃げ方も、何だかヨタヨタ走りで、仔猫らしい機敏さにイマイチ欠けるくせに。
 そして、他の子と違い、人間に無関心で、勝手にテケテケ歩いているくせに。
 

   
  
 ムムが亡くなったとき、Yuuさんからお悔やみのメールをいただいた。
 その中に、
「ムムちゃんは、猫山家の嫁として、まだまだやり残したことがあったかもしれません。」
と、あった。
 とても心のこもった優しいメールだったにも関わらず、不謹慎にも私は、その一文を読んで、
(ヨメがやり残したことって、和室の壁紙を剥がすことかな!?)
と、反射的に思ってしまった。
 そして、今。
 その、ヨメの「やり残したこと」を、やっている子が、目の前にいるのだ。
 
 
 ヨメと同じ、被毛が長めのサビ猫
 しかも、逃げはしないけど人間に無関心で、どうもやることがズレていて、明らかに、空気を読まないマイペース猫。
 積極性に欠けていて、トロくて、情けない顔で、だが、他の猫とは友好的にやっている。抱き上げても、喜ぶでもなく、かといって嫌がるわけでもなく、人間の腕を単なる「場所」としか認識していないような、人間で言うところのいわゆる「不思議ちゃん」。
 
 

 
 
「あの子は、多分、売れ残りますね。」
 Sさんの告げた、ご神託であった。
 
 
 そして私は、空っぽのキャリーケースを下げて、私を待つダメのもとへと帰って行ったのだった。
 
 
 ところで。
 今回、電車の時間をあれこれ調べているうちに気が付いたのだが。
 昔、流行った歌謡曲で「あずさ2号」というのがある。
 
 「8時ちょうどのあずさ2号
   私は 私は あなたから旅立ちます」
 
 …というやつだ。(あ、歳がバレる。)
 当時、私はコドモだったので、はっきりと歌詞を覚えているわけもなく、ただ漠然と、この歌は、都会の恋愛に疲れた女性が、信州に傷心旅行に出かける歌だと思っていた。
 事実、改めて歌詞を調べてみると、確かに「春まだ浅い信濃路へ」という言葉がある。
 が。
 時刻表を見ると、「あずさ」は、奇数号が下りで、偶数号は上り電車なのである。
 これは「あずさ」に限らないらしい。ついでに新幹線の時刻表なども見てみたが、私の見た限りでは、例外なく、偶数号は上り電車であった。つまり、これは東京23区内発着の長距離列車全体のルールなのだろう。
 だったら、当時だって、「あずさ2号」は、上り電車だったのではないか。
 それとも。
 深読みに深読みして、これは、この歌の女性がその後、上りの「あずさ」に乗って、捨てたはずの男のもとに戻って来ることの、暗示だったのだろうか。
 ちょうど私が、さよならも言わずに置いてきた、ダメのもとに戻ったように。
 
 
 ちなみに、私たちが乗った上り列車は、「スーパーあずさ22号」である。
 
 
 
 



 前回の記事であるが、後から見直したら「詳細なディテイル」という言葉を使ってしまっていた。これは明らかに、頭痛が痛い表現である。
 何ともお恥ずかしい。
 しかも、こんな時に限って、Yuuさんがご自身のブログで紹介して下さったので、ずいぶん多くの方が読んでくださったようだ。訂正しようと思ったのだが、事実上、時すでに遅し、である。
 まったくもって、顔から火が出火する。ホールな穴があったら、すぐにでもインして入りたい。