山猫を狩りに行く

  
 

(写真は環境省対馬野生生物保護センター提供)
 
 
 とある昼下がり。
 思いがけず仕事が途切れ、ほっと一息ついた、そんな瞬間。
 視線を感じた。
 何だろう?と見渡すと、猫カフェ荒らしのSさんが、PCの陰から私をじっと見ている。
 仕事のことで、何か訊きたいことでもあるのかな?
 そう思って歩み寄って行くと、彼女は私を見上げ、熱のこもった口調で、重々しく私にこう告げた。
「猫山さん、猫を狩りに行きましょう!」
 そして、おもむろに口を閉じて、私の反応を窺った。
 あれ。
 仕事の話じゃ、なかったのか。
「狩りに行くって、どこへ?」
猫カフェですよ。」
 だが、私は彼女に賛同しなかった。
「狩りには行くけど、猫カフェに行く気はないの。」
「じゃ、どこに行くんです?」
「山よ。」
 へ?と、さすがに一瞬面食らった表情を浮かべる彼女に、私はきっぱりと宣言した。
「そう。山猫を狩りに行くのよ。」
 
 
 勘の良い人なら、ここまで読んでもうお分かりいただけたかと思う。
「山」とは、「山梨県」のことである。また、本当に「お山」でもある。
 そう。リトルキャッツさんの保護施設「○庵サテライト」まで、遠征しようというのだ。
 猫を狩りに。
 そこには、100匹以上の猫がいるらしい。猫好きなら、一度は足を踏み入れてみたいユートピア――と言えるような、甘っちょろい状況では、多分、ないだろう。
 3年前、元の○庵にも、一度だけ、伺ったことがある。その当時○庵に何匹くらいの猫がいたのか知らないが、
(こういうのを猫だらけと言うんだな…)
と、思ったことを覚えている。
 その○庵の賃貸契約が切れて、最近、サテライトの方にお引越したそうだ。お引越し騒動も大変だったようだが、多分、猫の数自体、その時よりだいぶ増えているのだろう。代表のYuuさんのブログを拝見すると、とにかく「猫ウジャウジャ」であるらしい。元の○庵で毎日猫たちと接してきたYuuさんがそう言うのだから、サテライトの方は、3年前に私が見た猫だらけより、更にパワーアップした猫ウジャぶりなのに違いない。
 行ってみたい。
 お伺いするのが、すごーく楽しみ、なのだが。
 ちょっとだけ、怖いもの見たさ、みたいなドキドキが混じる。
 100匹以上の猫に囲まれる感覚って、いったいどんなものなのだろう。
 
 
 通る人の滅多にいない小径で、無人スタンドにお金を入れて煎餅を買う。
 お金を落とす、チャリン、という音が響いた瞬間。
 幾多の耳が、ピッと立ちあがって、私の方を向く。
 次の瞬間。
 私は鹿の海の中にいた。
 やむを得ず頭上に高く差し上げた鹿せんべいをねらって、鹿は私にタックルし、上着の裾を咥えてひっぱり、鼻づらをこすりつけてくる。
 鹿が草食動物だということを知らなかったら、私は恐怖で失神していたことであろう。
 もう何年前のことか忘れた。永遠に忘れ去ることのできない、奈良公園トラウマである。
 
 
 しかし、この場合、猫は肉食動物なのである。
 草食の鹿とは、わけが違う。
 あ、でも…。
 
 
 そういえば、猫に襲われたこともあった。
 まあ、せいぜい10匹か、15匹程度だったと思うけど。
 
 
 これははっきり、7年前である。
 ダメちゃんをもらいに、当時は○庵がなかったので、「猫屋敷」と呼ばれていたYuuさんのお宅にお邪魔した。
 当時、確かそこには30匹くらいの猫がいると聞いていたが、各階で住み分けさせていたらしく、私が通された部屋にいたのは、多くが元気な若い猫や仔猫であった。
 お伺いする前、私は無謀にも、数多いる猫たちと遊んでみてどの子にするか決めよう、などと考えていた。このため、私の知る中では最も猫に喜ばれる、釣り竿式猫じゃらしを持参していた。
 しかし。
 それが、釣り竿式であったことが、仇になったのかもしれない。
 一応Yuuさんにお断りしてから、私は持参したかばんから、それを取りだした。
 そして、取り出した瞬間に、後悔した。
 部屋中の血気盛んな若猫どもに、あっという間に取り巻かれ、辺りは修羅場と化した。釣り竿は何の役にも立たず、それは単なる紐のついた獲物の奪い合いであった。ありていに言うなら、「遊び」は全く成立しなかった。
 少なくとも、私の反射神経では無理だった。
 
 

 
  
 そのときも、ちょっと怖い感じがあったのは、事実である。
 なぜって。
 猫には爪がある。我が家のダメちゃんもそうだが、奴らに悪気はなくても、興奮とともに爪が飛び出した猫どもに、まともに衝突されたりした日には、引っ掻き傷の一つや二つ、避けては通れないのである。
 ただ、その時は別に怪我はしなかった。私のトロさが幸いして、さっさと「エサ」を取られたため、後は獲物をくわえて走り去ろうとする優勝者と、必死の綱引きをすれば良かったからである。
 だいいち、今の○庵サテライトでも同じだが、保護猫たちはきちんと食事をあたえられているので、飢えてはいない。本当に飢えていたら、小さな猫だって、れっきとした肉食獣だ。爪も牙もない人間には、とても太刀打ちできない存在にだってなりうるはずだ。
 
 
 バイロン・リゲットの「猫に憑かれた男」という短編が、まさにそうした話である。
 猫好きの老作家が、飼い猫たちを連れて無人島に移り住む。そこは彼が購入した島で、他に人間はいないし、原生動物はネズミ程度。猫の天下である。
 数年後、猫はもの凄い数に増えていた。
 当然、餌が足りない。老人は執筆を断念して、来る日も来る日も魚を釣る毎日となる。
 そして。
 島に物資を運んでいる船長が、嵐の後、予定より遅れて島に着いてみると、老人の姿はもはやなかった。彼の家の中に、毛皮の塊がある。猫たちが何かを奪い合っているのだ。事態を察した船長は、おびただいしい数の猫たちの間から、彼等が奪い合っていた「それ」を見つけ出す。「それ」は、頭皮のかけらにくっついたひと房の白髪だった…。
 恐ろしい話である。
 そこに至るまでの話には、もちろん、詳細なディテイルがくっついていて、実にリアリティのある書きぶりなのだが、それだけに、猫好きの人は読まない方が良い話だと思う。
 
 
 話が大幅にそれてしまったが。
 その恐怖(?)を押してまで、私が、都内にある「Cats安暖邸」を無視して、敢えて○庵サテライトに行こうとしているのには、実は、怖いもの見たさ以外の理由がある。
 それは私が、「自分に懐かない猫」を、求めているからである。
 安暖邸の猫たちのように、可愛く甘えてくる猫では駄目なのだ。
 いや、もちろん、家庭内野良を飼いたいわけではなく、最終的には懐いてもらわないと困るのだが、要するに、初めからベタベタと人懐こく甘えてくる子は避けたい、ということである。
 できれば、故ヨメのように、当分、メシ時以外は私を警戒して、さらにできれば、別室に避難していてもらいたい。
 その理由は。
 私がヘソ曲がりだから、というのが、もっとも簡潔で、最も正しい理由なのだが、もう少し理屈っぽい言い訳も、きちんと用意してある。
 ダメのためである。
 人間の子どもに妹や弟ができたときと同じで、新しい猫がやってきて、人間がチヤホヤしていると、先住猫はやきもちを焼く。
 あるいは、自分が以前よりないがしろにされることで、自分の「一番」の地位が脅かされているという、不安や不満を抱く。
 そういう事態を、避けたいのである。
 はっきり言って、ダメは嫉妬深い。甘ったれで、体に似合わず狭量な男だから、新入りを苛めるか、あるいは、自分が参ってしまうことは目に見えている。
 ムムが来た時だって、割合すぐに意気投合したように見えたのだが、それでもしっかり熱を出した。
 猫飼いの本を読んでいると、新猫登場の際には「最初はケージに入れ、別々の部屋に隔離して互いの匂いに慣れさせ、次にケージ越しに対面させ、しかる後に、徐々にケージから出す」なんていう“お作法”を説く文面に行き当たる。そのくらい、用心深くやる人もいるのだ。
 私は、そこまで面倒なことをする気はない。現実問題として、やっていられない。だから、新猫の方から自発的に離れていてくれると、むしろ都合がいいのである。
 新猫が私を警戒すれば、自然と、「ダメ&私」VS「新猫」という構図が出来上がる。新猫が別室や物陰や、同じ部屋でも離れたところにいる間に、私はダメをべったり可愛がり、彼の不安とやきもちを解消しよう、というわけ。
 誰も推奨しない方法だが、少なくとも、この方法で、ムムのときはうまく行った。(と思う。)
 まあ、前回の場合は、ムムとダメの相性が良かったことが、主な勝因であるとも言えるのだが。
 
 

  
 
  
 …と、そこまで念入りに考えて練った、山猫狩りプランなのであるが。
 
 
 ○庵の引っ越しの状況が気がかりで、Yuuさんのブログをこまめにチェックしていたら、思いもよらぬ文章が目に飛び込んできた。
 サテライトを訪れたボランティアさんが、その100匹以上の猫たちについて
「Cats安暖邸の猫より人懐っこいですね」
と、コメントしたそうなのだ。
 え!?
 それは…想定外の事態である。
 私は、人懐っこい連中は、さっさと安暖邸や他の協力猫カフェにデビューしているものと勝手に思っていた。私のイメージの中では、○庵(サテライト)の猫たちは、猫同士でじゃれあって遊び、人間には、ご飯をねだる他は、比較的落ち着いた親和の態度で接する子が多いものと思っていた。
 安暖邸の猫たちは、本当に人懐っこい。
 それに輪をかけて…となると。
 おもちゃを持って行かなくても、奈良公園の鹿状態になってしまうのではないか。
 いやいや、先程、リゲットの小説の話をしたからって、自分が猫に喰われるという恐れを抱いているわけではない。
 だが、その状態で、私が求めているような猫に巡り会えるのだろうか。
 あ、でも…。
 
 
 ふと考えたのだが。
 私が「猫屋敷」で、猫たちに取り囲まれたとき、その中に、ダメちゃんはいたのだろうか。
 全く記憶がない。(何しろ存在感のない猫だったから。)
 だが、おそらくいなかったような気がする。
 いたとしても、集団のはずれの方に、そっと参加していただけだろう。
 となると。
 そうか。
 逆の方法をとればいいのだ。
 Sさんに猫に取り囲まれてもらい、その間に、私が、寄ってこない猫や、集団からはみ出している猫を物色すればいい。
 そうすれば、ダメちゃんみたいな猫が探せる(かもしれない。)
 
 
 だから、Sさんには、リゲットの小説のことは教えないでおこう。
 
 
 だがしかし。
 この名案にも、一つ問題がある。
 以前、職場の猫好きの人たちと話していたときのこと。
「たくさんいると、結局選べないんですよね。」
と言う私に、とある先輩がこうアドバイスしてくれた。
「そういうときは、猫に選んでもらうのよ。」
 猫様に選んでいただけるとは、何とも畏れ多いハナシである。
 しかし。
 ということは。
 私が選ぶつもりはなくても、猫様の方が、私を選んでくれちゃう可能性もあるということである。
 そんなとき、足許にすがりついてくるお宮を足蹴にして、貫一は他の猫を連れて帰れるのか。
 だが、足蹴にしようとする貫一にすがりついてくる積極性と根性を持った猫は、明らかに、最初からダメちゃんを凌駕している。家庭内不和の原因になりかねないのである。
 いいや。やはり、それは許されないことだ。断じてお断りせねば。
 すがりついてくる猫を、無理矢理蹴り飛ばしながら、猫の海を脱出する。
 足蹴にされた猫の、恨みのこもった唸り声が、いつまでも耳の奥にこだまする。
“猫を殺せば七代祟る”という、古い言い伝えが、突如、脳裏に蘇る。
 幾多の猫の恨み。その恨みを背負って、私たちは「あずさ」に乗る。
 
 
 …すっかり頭に血が昇ったのだろう。どうやって小屋から出たのかおぼえがない。(中略)体じゅうに猫をしがみつかせたまま、浜辺へむかって走ったのをおぼえている。おれは岸に乗りあげた平底船の舳先を飛びこえ、頭から船底につっこんだ。…(バイロン・リゲット「猫に憑かれた男」より) 
 
  
そう。山猫狩りとは、かくも危険な挑戦なのである。
 
 
 
(※ここまで読んでくださった皆さん、本気にしないでください。○庵サテライトは、きっと、可愛い猫いっぱいのユートピアですよ〜。)
 
 
 
 
 キミそれ、ただのガラス玉だから。
 うちにダイヤモンドなんて、あるわけないでしょ。