○庵サテライト訪問記
昨日は、我が家の新猫選びのことを中心に書いたわけだが、今回の山猫狩りは、同時に、○庵サテライトの猫仕事体験ツアーでもあった。
と、いうわけで。
今日は昨日の続編として、その体験レポートを書いてみようと思う。
下界の喧騒から離れ、その静謐なる山岳の地に降り立った私たちは、おもむろに、1階の成猫部屋に案内された。
背後で、扉の閉まる重々しい音が響き、幾組もの謎めいた瞳が、じっと私たちに注がれる。(が、ぜんぜん無視している奴らもいる。)
最初に与えられた作業は、成猫たちのトイレ掃除である。
部屋の中の猫トイレは、はっきり覚えていないが、10個程度だったような気がする。
「他のトイレは、どこにあるんですか?」
「ここと、あの奥に置いてある一つだけよ。」
「だって、ここの猫の数では、トイレの数だって、全部で50は下らないんでしょう?」
Yuuさんは、慈母のようなほほ笑みを返された。
「そんなに置いたら、猫の住むスペースがなくなります。」
確かに。ごもっともで。
猫たちは、固まるタイプの猫砂を使っている。
我が家はシステムトイレなので、先にYuuさんがやり方を説明してくれた。
「まずトイレを傾けて、底の塊をこっちのスコップで剥がし取ってから、あとは穴あきスコップでふるいにかけて…」
ふむふむ、と、何だか目新しいような気がして、神妙に聞いていたのだが。
やり始めて、遅ればせながら思い出した。
何だ。実家の猫トイレと同じやん。
これだったら、ジンちゃんがいたころ、毎日やってたわ。
だが、実家とはだいぶやり方が違う。なぜだろう?と考えて、やがて理解した。
量の問題である。
実家では、大きめの猫トイレを、小柄な雌二匹で使っている。このため、おしっこで固まった猫砂は、基本的に、砂に埋まったまあるい塊である。掃除するときは、穴あきスコップで、その塊をそっとすくい取ればよかったのだ。
だが。
ここには数え切れないほどの猫がいる。
底一面と言ったら言い過ぎかもしれないが、塊はトイレの底にべったりと貼りつき、がっちりと固まっている。プラスチックの穴あきスコップなどでは、とても歯が立たない。鉄製のスコップで力いっぱい剥がさないと、おしっこの塊は取り除けないのだ。2種類のスコップを併用する理由が、ようやく分かった。
結構、力が要る。しかもかがみこんで作業するので、腰の悪い人には、少々酷かもしれない。
ああ。
システムトイレは楽だなあ。
と、都会の我が家を思い、遠い目をする私。
都会人にありがちな軟弱さに、自分が陥っていることを再認識する。
それに加えて、驚いたのは、砂の消費量がすごいことである。実家では、せいぜい3日に1回、少量の砂を足せば充分だが、ここの猫トイレは、何しろ全体の3分の1くらいはすでに固まっているので、あっという間に砂袋が軽くなる。部屋じゅうのトイレに補充したら、新しい猫砂が実に1袋半、空になった。
使い過ぎただろうか。だが、Yuuさんは最初から、猫砂を2袋、置いていったのだ。
そのトイレ掃除が終わり。
周囲を掃除しようと、私たちが立ちあがったとたん。
猫たちがわらわらとやってきた。そして、次々に用を足し始めた。
まあ、ね。
ちょっとガックリくるけど。
でも、これは予想されたこと。
夜は夜のボランティアさんが来ているそうなので、猫トイレは最低、一日に2回は掃除されているはずだ。だが、やはり最後のころになると、綺麗好きな猫にとっては、不快きわまる状態になってしまうのだろう。奴らは、掃除が終わるまで我慢していたのだ。そう思うと、何だか切ない気がする。
だが…。
キミ、それはちょっと、違うんでないかい?
掃除が終わったトイレに、一目散に飛び込んできて、全身で砂浴びを始めた奴がいるのだ。
見た目可愛い三毛猫。
ってことは、アンタ、女の子じゃないの!
そして、猫というサービス業に、猫一倍、愛着と誇りを持つ彼女は、砂浴びエステで美容に磨きをかけたそのパーフェクトボディを、惜しみなく人間の足許にすりよせてくるのであった。
本当にこいつだったかどうか、あまり自信はない。
続いて、床の掃除と消毒。
物陰から発見される吐瀉物や排泄物の残りを片付けながら、床をほうきで掃き、薄めたピューラックスで拭いていく。
これにはちょっと、手間取る。
なぜって。
いたるところに猫がいるからである。
「すみません。そこ掃除したいんで、どいていただけませんか?」
礼儀正しいSさんは、丁寧に猫に話しかけていたが、私はつい、いつもの調子で、
「ほれ、どけ。ほれ、どけ。」
と、一方的に猫を強制排除しながら、作業を進めていた。
大抵の猫は、迷惑そうな顔をしながら、しぶしぶ他へ行く。
だが、どこにでも権力に盾付く輩というのは、いるものである。
ある一匹の猫は、振り向きざまに耳をいからせて、私に「シャー」を言った。
「覚えてやがれ!ドシロウトのくせに。」
ってなとこか。
別の一匹は、こちらがどんなに威圧的な態度に出ようと、その都度、1メートルくらいしか動かない。それゆえ、ひと拭きしたら、また同じ押し問答が始まる。
「どけ!」
「いんや、どかない。」
「いいから、どけってば!」
「だから、どいたってば!」
「そんなの、どいたうちに入らないっちゅーの!!」
…こいつ。最終兵器(掃除機)を出したろうか。
全く、非協力的な連中だ、と、プリプリ怒りながら、私ははっと気が付いた。
猫が非協力的なのは、猫として、全く正しい行動ではないか。
ダメちゃんの従順さに慣れて、私は完全に、平和ボケしていた。
だが、それは、猫飼いとしては失格である。奴等は、私の無能さを早くも見抜いて、新入りの私を失脚させるために、敢えて挑戦的な態度に出たのか。
しかし、彼等は大事なことを失念している。私が失脚することにより、何らかの影響を受けるのはダメちゃんであって、彼等ではないのだ。
(しおこさん)
成猫部屋には、「しおこさん」という犬が、一緒に暮らしている。
事故の後遺症で、後足が不自由な彼女は、だが前足と、不自由な後足を使って、一生懸命、移動する。それも、
「必ず視界に入るところに行きますね。」
Sさんの観察は鋭かった。確かに、基本的には敷物の上に静かに座っている彼女なのだが、Sさんや私が移動するのに合わせて、少しずつ場所を変える。私たちが振り向くと、必ず視界に入る場所に、しおこさんがいるのだ。
撫でてやったら、その後しばらく、不自由な体を押して私の後をついてきた。
(いじらしい…。)
私は、犬については、客観的に「かわいいな」と思うことはあっても、あまり主観的に思い入れをもったことがない。が、しおこさんはそんな無情な人間の心をも動かす犬であった。
それに比べて、さっきの連中は、何なんだ。
全く猫って奴等は。少しはしおこさんを見習え。
床掃除の手順として、しおこさんがいる位置が最後になったことは、言うまでもない。
部屋のあちこちに、ラグだのマットだの毛布だの、さまざまな敷物が敷いてある。
猫と言う連中…もとい、お方々は、場所を選ばず思いの丈をぶちまける方々なので、それらの敷物は、一日で洗濯機行きとなる。
むしろ、敷かない方がいいんじゃないのかな?
敷物をとりのけ、掃除が終わった床を見ながら、正直、そう思った。
「ここは寒いんですよ。夜はすごく冷えるの。だから敷物がないと。」
Yuuさんの説明に、なるほど、と、一応納得する。
そのYuuさんが、洗いたての敷物を腕いっぱいにかかえ、2階から降りてきた。掃除が終わってさっぱりした床に、気持ちよく乾いた敷物を、次々に配置していく。
よかったね、猫たち。そしてしおこさん。
あの敷物、とっても気持ち良さそうだよ。
と、ほのぼのしながら、敷物の上に集まって来る連中を見ていると。
あ。
え!?
ちょ、ちょっと!!!
その気持ち良さそうなキレイな敷物の上に一番乗りしたしおこさんが、いきなり、そこにおしっこをしたのだ。
「・・・・・・」
一瞬のできごとであった。
ああ…。
シオータス、お前もか。
だが、アントニウス=Yuuさんは、さらに一枚上手であった。
次の瞬間、純白の布が、華麗に宙を舞った。ペットシーツはカエサルの血溜まりならぬ、しおこさんのおしっこ溜まりに見事に命中し、ローマの暴動は瞬時にして鎮圧されたのである。
(鎮圧されたローマ)
我々の猫仕事体験は、事実上、ここで終わりである。この後、Yuuさんについて2階の仔猫部屋に上がり、新猫選びに入った後の話は、昨日記したとおりである。
そして、途中でお悩みタイムに入ってしまい、お昼を食べながらSさんと相談したくだりも、すでに書いた。
ちなみに、その昼食は、サテライトの前の路上の木陰で食べた。車は来ないし、涼しくて快適であった。
食べながら、周囲を徘徊、もとい、パトロールしている猫たちを、何匹か目にした。聞くところによれば、当初、古い家屋の文字どおり隙を衝いて脱走してしまった猫が何匹かいて、そういった連中の一部が未だに捕まらず、事実上の外飼い状態になってしまっているらしい。
「キミたち、おうちに帰りたまえ。」
昼食を食べながら、目にする猫、目にする猫に、呼びかけては無視された。
「何だか、渋谷あたりで活動する保護司さんの気分になってきた。」
「家出娘に指導するんですね。」
中に一匹、本当にサテライトの開いた玄関の前まで来て、中を覗き込みながら、結局立ち去ってはまた現れる、という三毛猫がいた。
「あれはムショ帰りですね。」
Sさんが言う。
「数年ぶりで実家に帰って、でも入れずにうろうろしているんですよ。」
勇気を出して「ただいま」と声をかけてみれば、母(Yuuさん)はきっと笑顔で迎えてくれるだろうに。
父(ヒゲクマさん)は、黙って、背中をやさしく叩いてくれるだろうに。
ここでは、どんな過ちも(犬・猫なら)許されるのだ。
罪を憎んで人を憎まず。
いや。
罪を諦めて犬猫を恨まず。
ここには、そんな、神のような精神が宿っている。(細かいことは気にしない、とも言う。)
(ムショ帰りのお方)
そして。
昼食を終えて、ひとまず、放置してあった雑巾を片付けに成猫部屋に戻った私たちを待っていたのは、掃除した床の上にぬらぬらとした煌めきを放つ、どなたかの「エ」であった。
ボランティアは、昼・夜とあり、夜にもまた、お部屋を綺麗にしてくれるそうだ。
また、時折、週末を使って徹底的に掃除をしてくれるボラさんもいるのだとか。
それでも、夜までには、あるいは一夜明ければ、全ては元の木阿弥。
やるそばから、汚される。
やってもやっても、きりがない。
賽ノ河原の石積みである。
あるいは、地獄の底の縄ないである。(隣にロバがいて、出来上がった縄を端から食べてしまうという。ちょっと可愛い…。)
しかも、その日の昼間、お手伝いは手際の悪い私たちだけだった。ボラさんが全く来ない日もあり、そうした日は、本当に大変なようである。
こんな作業を、Yuuさんはじめリトルキャッツの皆さんは、日々黙々と続けていらっしゃるのだ。
これは修行だ。これが、精神の鍛錬にならないわけがない。
そう。
終わってみて、こうして振り返ると、この旅は、私の猫飼いの原点に立ち返る行程であったように思う。
固まった猫砂を掘り返す、重労働(は、言い過ぎ)。
人間に従うことを潔しとしない、猫の本分に生きる猫たち。
やるそばから汚す、それも、嫌がらせのように、キレイなところから汚していく犬猫。
どれだけやっても終わらない、永遠のルーティンワーク。
その中で、全てを受け入れて、笑って許す度量の広さ。懐の深さ。
猫飼いが学ぶべき、そして、忘れてはならない、全てのこと。
静謐なる山奥に、人の世の営みを忘れたかのごとく、厳然と佇む犬猫の館。
○庵サテライトは、猫飼いが猫飼いたるを糺す、精神鍛錬の聖地なのである。
今は亡きジンちゃんが、草葉の陰から笑っているような気がする。
うるさい。キミこそお山に行って修行して来い!
○庵サテライトの猫たちは、みんな美ボディだったぞ。(←ダイエット道場と間違えている。)