続・帰って来た玉音ちゃん


  
 
 玉音ちゃん、本日退院。
 
 
 一昨日に入院・手術した玉音ちゃん。
 その日の夕方、会いに行った玉ちゃんは、麻酔は切れて目覚めていたものの、もう体力も気力も使い果たしたと言わんばかりの様子であった。
 まあ、術後すぐだから、仕方がない。
 一日経って、昨日。
 やはり同じように、憂鬱な顔つきで横たわっていた。が、私が持参した、普段猫どもが使うビーズクッション(小)に敷いているバスタオルをそばに置いてやると、すぐに反応して、フンフンと匂いを嗅いだ。
「あ、やっぱり、嗅いでますね。」
「玉ちゃん、おうちの匂いする?」
 その直後、先生が説明のため出してくれた「退院サポート」の缶を見に、私がちょっとその場を離れると、今度は、はっきりとした大きな声で鳴いた。
「あら、鳴いたわ。今まで全然鳴かなかったのに。やっぱり、お母さんが分かるんだね。」
 家では私から逃げ回っているくせに。一応、保護者と認識されていたのか。
 ちょっと嬉しかった。同時に、切なくもあった。
 よっぽど、淋しくて不安なんだろうなあ。
 エリザベスカラーの中の額の辺りを、そっと撫でてやる。
「玉ちゃん、またね。明日迎えに来るから、もうちょっと頑張って。」
 見送る玉音が恨めしそうな目をしているように見えたのは、気のせいだろうか。
 
 
 そして、今日。
 退院である。
 腸を切ったので、昨日は点滴。今日は流動食を食べさせているという。
「昨夜、吐きましたけど、今日になってからは吐いてません。レントゲンで見たら、ちゃんと流れているようだし、お腹も動いている音がしていたので、大丈夫でしょう。漏れてもいないようだし。」
「腸を切っているのに、意外に早く食べられるようになるんですね。」
「いや、猫の場合、二〜三日、お腹に食べ物が入らないと、肝障害を起こすんですよ。」
 それは知っていた。なぜって、ムムのときに聞いたから。
 ふと、ムムのことを思い出した。
「玉ちゃん、良かったね。早くおうちに帰ろうね。」
 玉ちゃんは、助手さんが用意してくれたキャリーの中に、素直にすとんと滑り込んだ。そして、まっすぐに私の顔を見上げた。
 
 
 家に着くと、さっそくダメがやってきた。
 キャリーのファスナーを開ける前から、近寄って来て、メッシュ越しに玉音の匂いを嗅いでいる。玉音がキャリーから飛び出すと、気遣うように寄り添い、あたかもボディーガードのように後をついて歩く。が、例によって、しつこいくらいにお尻の匂いを嗅いだので、ちょっと迷惑がられていた。
 対する、アタゴロウはと言えば。
 こたつの陰で玉音と正面から向き合っていたので、鼻鼻挨拶をするつもりなのかな、と思いきや。
 ウウウウ、と、唸り声が聞こえてきた。
 アタゴロウと玉音と、どちらが発したのかは分からない。多分、アタゴロウだろう。
 全く、この夫ときたら。
 妻を見忘れたのか。あるいは、ただ思いやりがないだけなのか。
 そういえば、この男は、玉音がいない間、甘ったれ全開で私にベタベタし放題だった。
 遊び仲間が急にいなくなったので、不安なのだろう、と、思っていたのだが。
 単に、末っ子に戻って、自分の天下を満喫していただけらしい。
 いずれにせよ、この一件で、ダメちゃんは男を上げ、アタゴロウは男を下げた。
 
 

 
 
 帰宅直後、玉ちゃんはとにかく隠れる場所を探して走り回った。
 最初に押入れに入ったのだが、そこはご遠慮いただき、無理矢理引っ張り出すのは怖いので、奥に手を入れて押し出した。
 その後は、マットレスの後ろに潜んでいたのだが。(ちなみに、このときも、ダメちゃんはちゃんと近くまでお見舞いに行ったが、アタゴロウは覗きこんだだけだった。)
 しばらくして、ゴソゴソと音がして、自分から出てきた。
 それからひとしきり、別の寝場所を探しまわっていたが、最終的に、こたつの中で落ち着いた。
 私はこたつに足を入れてこのブログを書いているので、現在、こたつの中で私の足と玉ちゃんが同居しているわけであるが、私の足が触っても、玉ちゃんは逃げない。
 それどころか、私がこたつに手を入れて、頭や首をなでてやると、ゴロゴロ言ったりするのだ。
 余程、入院生活の淋しさが身に沁みたものと思われる。
 まあ、どうせ元気になれば、また逃げ回るようになるのだろうけど。
 
 
 それにしても。
 猫の「痛みに耐える力」とは、凄いものだと思ってしまう。
 避妊手術の三倍くらいの長さを切ったというから、傷は相当大きいと思われるが、玉ちゃんの運動能力は、スピードが出ないだけで、元気な時とほぼ遜色ないのだ。
 先程など、壁に立てかけてあるダブルサイズのマットレスの上(側面)に、跳び(駆け)上がっていた。
 病院で説明を受けていた時に、
「トイレは、できますかね?」
「うーん、ベッドを汚しちゃうかもしれませんね。」
「じゃ、ペットシーツ敷いておいた方がいいですね。」
 という会話をしていたのだが、ここまで元気に動けるのだから、トイレに行けないはずはない、と、確信した。
 病院での会話は、ほとんど、昨日までの力なく横たわる玉ちゃんが、一日の大半をベッドで過ごす前提での話である。少なくとも、私はそんなイメージで話していた。
 食事は、流動食をシリンジで口に入れてやることになる。
「嫌がりませんか?」
「いや、食べたい気持ちはあるんですよ。だから、素直に食べますよ。」
「捕まえて押さえていて、傷は大丈夫でしょうか?」
「だっこして食べさせてあげるくらいなら大丈夫です。」
「さっきケージの中であげた時には、狭いところだったからかもしれませんが、普通におとなしく食べてましたよ。」
 助手さんが口をはさむ。
「いやあ、私だと、暴れるかもしれないんで…」
 冗談だと思ったのだろう。先生と助手さんは、ただニコニコと笑っていた。
 
 
 が。
 これは冗談ではない。
 
 
 百歩譲って、食事はおとなしく食べたとする。
 だが。
 問題は「薬を飲ませなければならない」というところである。
 流動食をシリンジで食べさせるとなると、錠剤をフードに混ぜるという手は使えない。セオリーどおり、口に投げ込んで飲まさなければならないのだ。だが、壁に立てかけたマットレスに登れちゃう猫が、無抵抗で薬を口に入れさせてくれるとは、到底、考えられない。
 しかも。
「お薬は一日一回ですか。タイミングは?」
「朝ですね。」
 
 
 ――朝!!!
 
 
 来週から、私は会社に行けるのだろうか…。
 
 
 やはり、当分、こいつはケージに入れておくべきだろうか、と、今、私は真剣に悩んでいる。
 だけど、ねえ。
 こたつの中ですっかり落ち着いている玉音を見ると、このままにしておいてやりたいな、とか。
 ゴロゴロ言われて、すっかり毒気を抜かれている、似非「お母さん」なのであった。