レジェンド・オブ・タマッシー


 
 夜。
 灯りを消して、布団に入る。
 ほんの一呼吸置いて、掛布団の上に誰かが乗る気配がする。
(ああ、玉ちゃんだ。)
 ダメでもアタでもない。乗る場所と重さと、乗り方で分かるのだ。ダメはしばし布団の上を徘徊し、最終的に私の体からちょっと離れた位置に寝場所を決めてずっしりと沈み込む。する。アタは布団の真ん中、私の足の間を狙って飛び乗る。
 見えない影は、最初から私の右側、腰の辺りにやってきて、私の体に寄りかかって座る。やわらかな重みが疲れた体に心地良い。それ以上に、玉ちゃんが私に寄りかかっているという喜びで、私は胸がいっぱいになる。
「玉ちゃん。」
 手を伸ばして、私に寄りかかる猫の体に触れる。もしくは、触れようとする。
 指が届く時もある。届かない時もある。
 届いた時には、手探りで毛皮を撫でてみる。この手触りはきっと玉ちゃんの毛だ。だが、撫でているうちに、そのかそけき手応えは、だんだんに後じさりして、やがて指が夜気を空振りするようになる。
(やっぱり、玉ちゃんだ。)
 灯りをつけて、確かめてみればいいのだ。
 だが、私は決して灯りをつけない。明るくしたら、というより、私が何か違う動きをしたら、彼女は稲妻のごとく遁走するに相違ないからだ。
(まるで、アモールとプシュケーだ。)
 決して姿を見てはいけない夫。禁を犯して灯した蝋燭の火に照らし出された、純白の羽根に包まれたアモール。
 真っ白な毛皮に包まれた玉ちゃん。
(でも、この場合、立場が逆だよね。)
 というより、ほぼ間違いなく、この場合、私は単なる暖房器具だ。
 でも、ま、いいか。
 とりあえず、私も、寝ている分には、「安全な暖房器具」として信頼されているのだから。 


 今年の元旦。
 実家で猫の話をしていて、玉ちゃんの話題になった。
 実をいうと、母は玉ちゃんをほとんど見たことがない。
 姉は、ある。玉ちゃんを保護した日に「仔猫拾った」とメールを送ったら、翌日か翌々日くらいに見に来た。その時点では玉ちゃんはまだ弱っていたので、私の腕に抱かれたまま、大人しく姉の観察に姿を晒していたものである。
 とはいえ、私の腕に埋まっていたので、
「白っぽくてヘンな柄があって、痩せているのは分かった。あと、汚かった。」
 以上。
 まあ、当時の状況を考えれば、それで全てを言い表していると言っても過言ではないのだが。
 だが――。
 要するに、その程度。
 それ以後は、これは我が家を訪れた全ての人に共通することだが、
「押入れに逃げ込むところがチラリと見えた。」
という目撃証言があるのみである。
 ムムもアタゴロウも、最初はそんなものだった。だが、メシの威力は凄い。私が留守をして姉にエサヤリに来てもらうと、彼等はちゃんと出てきた。姉からごはんをもらい、姉が持参した(もしくは、我が家に置きっぱなしにしている)魅惑のおもちゃで遊んでもらって、彼等なりに存在を誇示していた。
 が。
 玉ちゃんは手強い。
 メシにもおもちゃにも引っ掛からない。頑として姿を見せない。
「だから、アンタがいくら可愛いって言ったって、『ふうん』としか言いようがないじゃない。何しろ、見たことないんだから。」
 姉は不満気に言う。
 そこで、スマホを取り出して、数少ない写真を見せた。
 残念ながら、ほとんどがピンボケ。暗い所で撮っているか、動いている(逃げている)ところを撮影しているためである。
「ふうん。」
 姉はいかにも気がなさそうに一瞥して、スマホを私の手に返してきた。
「ま、確かに、こんな柄だったような気もするわね。」
 そんな姉の態度に、私はふと、違和感を覚えた。
 いつも、猫の話題なら間違いなく盛り上がる家族なのに、なぜ玉ちゃんの話題だと、誰もがこんなに淡白なのか――。
「ねえ、お姉ちゃん、もしかして――。」
 私は姉を凝視しつつ、突如心に浮かんできた疑問を、ゆっくりと口にした。
「もしかして、玉ちゃんは、私が、女の子が欲しいあまりに作りだした、幻なんじゃないかとか、思ってない?」
 姉はニヤリと笑った。
「ま、一応自分の目で見てるからね。そうじゃなかったら、そう思ってたかもね。」
「写真もありますから。」
「まあね。」
 そのとき、姉が何かを思い付いたように、フフと笑った。
「ねえ、玉ちゃんってさ、まるでネス湖ネッシーみたいじゃない?目撃情報だけで実体が確認されていない、みたいな。」
「そうだね。写真だけあって。」
「その写真もさ、実はトリックだったり、他のものだったりするわけ。他の猫の写真が、色が飛んで白くなってるだけとか、実は帽子とマフラーの影がそんなふうに見えてるだけだった、とか。」
「アタゴロウの写真を白黒反転したとかね。」
 つい、私まで悪ノリしてしまった。
 なるほど。
 玉ちゃんは、UMA(未確認生物)だったのか。
 道理で。だから私が大真面目に玉ちゃんの話をしても、誰も相手にしてくれないわけだ。
 
 

 

 とはいえ。
 玉ちゃんの登場を、夢の実現として喜んでいる者が、私以外に、最低もう一人、いる。
 ひとり、というより、一匹。
 アタゴロウである。
 何しろ、彼の相棒である大治郎おじさんはオッサンである。若者の遊びに付き合うには、もう体力が足りない。
 一緒に家でコンサートDVDを見るのは良いが、オールナイトライブはさすがに勘弁。
 温泉ピンポンなら得意だけど、テニス合宿はちょっとね。
 酒ならとことん付き合うぞ。(と、言いながら、途中で寝る。)
 そんなオッサンしか遊び相手のいない状況は、若いアタゴロウには、欲求不満の日々であったに違いない。
 玉ちゃんの登場により、アタゴロウは毎日、思う存分、追っかけっことプロレスを楽しめるようになった。
 しかも。
 玉ちゃんは、アタゴロウよりほんのちょっと小さい程度。攻撃的な性格ではないし、とりたてて負けず嫌いということもない。元気に遊ぶが、お転婆というほどでもない。
 であるから、取っ組み合いをすると、かなり互角に戦った上で、最終的にはアタゴロウが勝つ。あるいは、玉ちゃんがアタゴロウに勝ちを譲る。追っかけっこは引き分け。
 アタゴロウにしてみれば、何と理想的な遊び相手ではないか。
 しかも、花嫁は慎ましい性格で、彼を押しのけて家主に甘えたりして、彼の家庭内での地位を脅かすようなことはない。(それが彼女の慎ましさによるものかは疑問の余地のあることだが、ここではそういうことにしておく。)
 そして、大治郎くんである。
 彼は別に、もう一匹猫が増えることを望んではいなかったと思うが、結果的には、アタゴロウの嫁取りは、彼にも利することになった。
 まず、しつこく取っ組み合いを仕掛けてくるアタゴロウの「遊ぼうよ」攻撃を、九十七パーセントくらいは回避できることになったことである。
 これで、平和を愛するオッサンは、温泉に行ったら二十分くらいピンポンをやって、「ああ、いい汗かいた」とビールを飲み、体の求めるままに惰眠を貪ることができるようになった。
 さらに。
 大治郎おじさんにとっての僥倖は、玉ちゃんが飢餓状態の野良仔猫だったに関わらず、食べ物に執着しないムスメであったことである。
 食べている間も警戒を忘れない彼女は、私がちょっとでも食事中の彼女に近づくと、即座に食べるのをやめて全速力で避難してしまう。いったん逃げると戻って来ない。逃げずに食べ続けていた場合でも、自分のお腹がだいたい満たされると、最後までがっつくことはなく、さっさと押入れに潜って寝に入ってしまう。
 となれば。
 何とうれしいこと。玉ちゃんのお皿には、常に少量の残り物があるのである。
 大治郎氏にしてみれば、毎食後にデザートがつくようになったものだ。
 ムムのときもアタゴロウのときも、こんなことはなかった。
(アタゴロウは、できた嫁をもらったものだ。)
 オッサンにしてみれば、ご満悦に違いない。
 そう。
 玉ちゃんは、荒んだ男所帯の猫山家に舞い降りた、みんなの夢の天使なのである。
 
 
 いや、ちょっと待て。
 それではあまりにも、話が出来すぎてはいないか――?
 
 

  
  
 ジレッタの父は高名な医師で、ロッシリオーネ伯爵の侍医であった。ジレッタは伯爵の息子に恋をするが、身分の違いがあり叶わない。やがてそれぞれの父が亡くなり、若きロッシリオーネ伯となったベルトラモとの結婚を熱望するジレッタは、父譲りの医術でフランス王の潰瘍を治し、褒美として王からベルトラモを夫に与えられる。
デカメロン」三日目第九話にある話である。
 しかし、ベルトラモは身分違いの結婚が気に入らない。彼は領地に帰らずにフィレンツェで戦争に身を投じる。ジレッタはひとりロッシリオーネに帰り、領主の不在で乱れた領地を夫に代わって見事に立て直してから、フィレンツェに使者を送り、夫の帰還を乞う。だが、使者が持ち帰った夫の言葉はこうだった。
「彼女がこの指輪を指にはめて、腕にわたしの子を抱くようになったら、そのときわたしは領地に帰って、彼女と暮らすことにしよう。」
 ジレッタは熟考の後、ひそかにフィレンツェに赴く。そこで彼女は、夫が一人の身分は高いが貧乏な娘に求愛していることを知り、その母親に全てを打ち明けて、娘になりすましてベルトラモの愛を受け入れる。こうして、彼女は指輪と子供とを手に入れ、彼女の不在を知り領地に戻った夫に、自分が彼の与えた課題を成し遂げたことを示して見せる。
 物語は、ベルトラモが「彼女の辛抱強さと聡明さを悟った上」で、可愛い子供の存在や、家来たちの懇願に助けられて、彼女を正妻と認め、愛するようになる、というハッピーエンドである。
 だが、私は、どうもこの話に納得がいかなかったし、ヒロインに共感もできなかった。
 男女の恋愛感情の機微とは、そんなもんじゃないだろう。
 伯爵にしてみれば、自分を騙した女にむしろ腹が立つだろうし、聡明で辛抱強い女が必ずしも男にとって魅力的とは限らない。(そもそも、聡明なのは最初から分かっていたのだ。)理詰めで納得させられて、しぶしぶジレッタと夫婦として暮らし始めたところで、愛のない結婚で二人が幸せになるとは思えない。
 中世の人々の感覚と、現代人の感覚は違う。そう言ってしまえばそれまでである。それならそれで、現代的な解釈でこの話を読み返してみることもできるのではないか、と思うようになったのは、つい最近のことである。
「わたしの指輪を指にはめ、腕にわたしの子を抱く」――これはつまり、「わたしが彼女を愛するようになる」の暗喩である。彼女は理解したのか、しなかったのか。
 ジレッタの恋は少女の恋であった。夫が望むことを成し遂げることができたなら、彼は私を愛してくれる。この時点で、彼女には自分の心しか見えていない。フィレンツェに赴き、彼女は夫が、叶わぬ恋に身をやつしていることを知った。彼女の心は深く傷ついたが、同時に、自分と同じ思いに苦しむ夫に同情し、彼に対する罪の意識さえ覚えた。身分も財産もある彼がその娘に求婚できないのは、彼が自分と結婚しているからである。暗闇の中で狂おしく彼に抱かれ、自分の名ではない名を愛情込めて囁かれた時、彼女は切なさに涙を流した。真実の愛が、このとき、彼女の胸に宿った。
 彼女は精一杯、自分の恋敵を演じた――切ない彼の恋に報いるために。彼が愛しているのが自分でなくてもいい。ひとときでも、彼の苦しみを和らげてあげることができるなら。彼女は深い愛情で彼を受け入れ、彼を包んだ。それは二人にとって、欺瞞の中に生まれた至福の愛の時間だった――。
 ベルトラモが後日、ジレッタを受け入れ、彼女を愛したのは、あの夜、真実の絆で結ばれた相手がジレッタだったことを知ったからではないのか。
 愛する者のために、自分が自分であることを捨て、相手が欲する人物を真摯に演じ切る。
 こんな大げさな例を引かなくても、そんな話はいくらでもある。自身の娘である明石の女御に仕える明石の上がそうであるし、もっと身近なところで、例えば、クリスマスイブの夜に、孫のためにサンタさんを熱演するおじいちゃんだって同じである。
 この「なりすまし愛」のキモは、演じる者が、本気で役になりきることである。自分が演技をしているということをを忘れるくらいに。
 嘘もつきとおせば真実になる、という。全てがそうだとは思わないが、一面、真理でもある。ジレッタは夫の前で彼の愛する娘を演じ、彼女の演技を信じた彼から本気で愛を誓われるうち、自分が本当に彼の恋人になったような錯覚に陥っていたに違いない。だからこそ、彼女は心からの愛を返し、結果として、彼女は、夫の真心を射止めた。
 サンタクロースは――もともと、プレゼントの出所はおじいちゃんなのだから、それはそれで真実なのである。おじいちゃんは、このときばかりは、自分こそが愛孫にとって本物のサンタさんになのだと自負したことだろう。プレゼントを抱きしめて眠るあどけない寝顔を、目を細めて眺めながら。
 自分がついた嘘に、自分が騙される。
 そのとき、嘘は真実となるのだ――。
 
 

 
 
 ネッシー騒ぎは、最も有力な証拠とされた「外科医の写真」のトリックを関係者が告白したことで、あっけなく終息へと向かった。
 そもそも、ほんのイタズラとして始めたことが、本気にされ大騒ぎされるうちに、後に引けなくなってしまった、というのが本当のところらしい。
 もし、彼が告白せず、嘘をつきとおしたら、この嘘は真実になったのか――。
 いや、それはないだろう。当時から、この写真がトリックではないかと疑う声はあったらしい。現代の技術で解析すれば一発だ。
 だが――。
 このイタズラを仕組んだ面々は、何十回となく大勢の人の前で、あるいは、テレビカメラの前で、同じ話をさせられたはずだ。疑いの声が上がれば、弁解に回らざるを得なくなる。そうしているうちに、ネッシー伝説は従来以上に真実味を帯び、大勢の人の信じるところとなった。もしかしたら彼等自身も、実際何が真実なのか、分からなくなってきていたかもしれない。
 その他の写真も、実は流木であるとか船であるとか、現在ではことごとくその正体が解析されてしまっているらしい。だが、そのうちの少なくとも一部は、それがネッシーであると心から信じた人物によって撮影されているはずだ。その人たちも、その「運命の瞬間」を幾度となく語り続け、彼の中では、既にそれが真実となってしまっているに違いないのだ。
 正直なところ、ネッシー伝説は、伝説のままにしておいても良かったんじゃないかな、と、思うことがある。世の中には他にもUMAはいくらでもいる。ネッシーが人間を襲ったという話は聞かない。ネッシー伝説はむしろロマンチックだ。だったら、謎は謎のまま、伝説は伝説のままで、放っておいたって良かったんじゃないか。
 もちろん、「伝説」が生きていることで、ネス湖に生息する生物や、近隣の住民の生活に悪影響があると言うなら、話は別であるのだが。
    
 

(近隣の住民)
 
 
 正月二日。
 例年どおり、母と姉が我が家に遊びに来た。
 遊びに来たと言っても、今年はその後、三人で外出したので、客人の滞在時間は一時間ほどであったろうか。
 例によって、最初からリビングにいたのはダメちゃんだけ。少し経つとアタゴロウがそろそろと姿を見せた。頃合いを見て、姉がおもちゃをちらつかせる。まだ少し警戒していたアタゴロウも、姉の操るおもちゃに、まるで魔法にかかったように引き寄せられ、すぐに夢中になって遊び始めた。
「やっぱり、上手いねえ。」
 私は口惜しさと羨望を隠せずにいる。
 私はひとりで、通算五匹世話をしているのに。姉は母との共同作業で通算三匹。それなのに、猫を遊ばせるのも、薬を飲ませるのも、姉の方が格段に上手いのだ。
 同時に、アタゴロウとダメに申し訳ない気持ちになる。
 私がもっと、上手にアタゴロウと遊んでやれればいいのだ。
 それができたなら、アタゴロウだって遊び足りなくて欲求不満になんてならなかったし、ダメおじさんにしつこく絡むようなこともなかったのだ。
 ごめんよ、アタゴロウ。私だって、本当は君が思いっきり暴れられるくらい、遊んであげたいんだよ。役に立たない家主でごめんね。
 でも、ま。
 玉ちゃんを拾ってきたことで、その借りはチャラということか。
 そうこうしているうちに、出掛ける時間になった。
「やっぱり出て来なかったね、玉ちゃん。」
「ほらやっぱり、タマッシーは伝説に過ぎないのよ。」
 ニヤニヤしている姉をギャフンと言わすべく、私はそっと押入れの襖を開ける。だいたいこの辺にいるはずだ、と、隙間から手を差し入れると。
「あ…。」
 私は息をひそめ、そっと姉を手招きする。
「ここ。手入れてみて。いるから。」
「どれどれ。」
 足音を忍ばせて近付いて来た姉が、私に代わり、押入れに手を入れる。
「ね。いるでしょ。」
「うん。毛皮に触った。」
 それ以上玉ちゃんを動揺させないように押入れを離れ、今度は私がニヤニヤしながら姉に言う。
「まあ、ファーの襟巻か何かかもしれないけどね。」
「でも、あったかかった。」
「私が湯たんぽを仕込んどいたのかもよ。」
「湯たんぽだったら固いじゃない。柔らかかったもの。」
 ま、我が家には、ソフトタイプの「レンジでゆたぽん」もあるけどね。
 
 
 実のところ、私はリアルにしろフェイクにしろ、ファーの襟巻などというものは持っていない。
 ファー付きと言えば、大昔に買った手袋があったけど、あれはムムがさんざん獲物にして楽しんでいたので、彼女の火葬の時に一緒に入れてやったんだっけ。
 クローゼットを開けて外出用のコートを出しながら、ちょっと感傷的な気分になった。
 
 
 そういえば――。
 若いころに着ていた、ダルメシアン柄のフェイクファーのコート。
 さすがに外に着て行くには痛い年齢になったけれど、軽いし柔らかいしあたたかいから、ここ数年は半纏代わりに家の中で羽織ったりしていたのだが。
 そういえば、今年はまだ、一度も見ていない。
 どこにいったんだろう。クローゼットの中にも、見当たらないけれど…。
 
 
 
 

 
 

 
 

 いや、普通はないから。
 
 
 

 
 
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 追記。
 この話の前半、私が姉に見せた「伝・玉音ちゃんの写真」であるが、つい先日、私がスマホを紛失するという大失態をやらかしたおかげで、もうこの世に存在しないものとなってしまった。
 玉ちゃんはカメラを見ると無条件に逃げるので、彼女の写真はスマホでしか撮っていなかった。
 事ここに至り、ついに、玉音ちゃんの実在を証明する「証拠」は何もないという状態に陥ってしまったのである。写真そのものがなければ、それが本物であったのか、トリックであったのか、解明は不可能と言わざるを得ない。
 タマッシー伝説は、こうして、永遠のミステリーとして人類に残されたのである。
 
 



(新しいスマホで撮影)