お嬢様のベッド
我が家には、籐製の猫ベッドがある。
まだ猫と暮らし始めて間もない頃、猫グッズを揃えるのが楽しくて、ミミのために購入したものである。
ミミは見た目にゴージャスな猫だったから、安っぽいカラフルなものは使わせたくなかった。
これなら、ミミの漆黒の被毛にもしっくりくる、と、人間の自己満足で購入したのはよいが、用心深いミミは、警戒してなかなか使おうとしなかったため、あてが外れて気を揉んだのを覚えている。
結局、この猫ベッドに、最初に入ったのはダメの方だった。
その後、ミミもこのベッドを気に入ってくれ、一時は二匹が争うようにして代わる代わる入っていたのであるが。
今は、誰もこれに入ろうとはせず、ただ置物同然となって、リビングの片隅に打ち捨てられている。
ベッドの中の敷物は、私の古いダウンジャケットに、古いウールのコートを被せたもの。
羽根布団に毛布、というわけである。
猫たちと暮らし始めて3回目の大晦日。実家に帰るために猫たちの晩御飯を早めに出したが、ミミは食べに来なかった。仕方なく、猫ベッドにいるミミの目の前まで、カリカリを持って行ってやった。
そのことを、笑い話として知人にメールした。「羽根布団を敷いた、ラタンの天蓋付きベッドまで、お嬢様のお食事をお運びした」という話題である。
さすがはお嬢様、と、家族にも笑って話した。
だが、この頃、ミミはすでに発病していた。食の細さ・ムラ食いは、慢性腎不全の初期症状だったのだ。
それなのに、私が友人に勧められて、ミミを病院に連れて行ったのは、それから五カ月も先のことだった。
そして、その一年後に、ミミは私の手の届かないところへ行ってしまった。
亡くなる少し前から、全く食べなくなっていた。一番太っていたときは4.8㎏あった体重は、そのとき、おそらく2㎏を切っていたと思う。
先日、ムムが猫ベッドの入り口で匂いをかいでいるのを見た。
しばらく匂いをかぎつつ考えている風情であったが、やはり中に入ろうとはせずに立ち去った。
ムムだけではない。最初にこのベッドで爆睡したダメさえも、今では全く存在を無視しているかのようだ。
そういえば、いつからダメはこのベッドに入らなくなったのだろう。
ふと、そんなことを考えてみて、気がついた。
それは、ミミが亡くなってからではなかったか。
病みついて亡くなった人の病室がそうであるように、ミミが使っていた猫ベッドにも、もしかしたら、病気を思い出させるような何かがあるのかもしれない。
匂い、だろうか。
病気が進行してからのミミは、私の手入れも行き届かなかったため、フケが溜まりがちだった。
また、末期には、排泄がうまくできず、被毛の長さが災いして、お尻の毛に排泄物が残ってしまっていることもあった。
嘔吐もした。
薬も飲んでいた。
私には分からないが、猫の敏感な嗅覚には、そうした不健康な匂いの残滓が、はっきりと感じ取れるのかもしれない。
だとしたら。
敷物を換えてやれば、かつてのように、二匹の猫が代わる代わる、このベッドで昼寝する日が来るのだろうか。
しかし。
もうひとつの考えが、私にそれをためらわせている。
もしかしたら、このベッドの中には、ミミの霊が憩うているのかもしれない。
時々でいい。
私の目には見えなくても、予感さえなくたっていい。
ミミがこの部屋に帰ってきてくれているなら。そのために、今の二匹が、ミミのベッドを確保して空けてくれているのなら。
いつまでも、このままにしてミミを待っていたい。
ミミは、それを望んでくれるだろうか。
本当は、苦難ばかりだったこの世のことなんか忘れて、新しい世界で幸せになってほしい、と願ってあげることが、真実の愛情なのかもしれないけれど。
もうじき、あれから一年。
会いたいね、ミミちゃん。