栗助くんの無駄にデカい話


 

 今日は趣向を変えて、栗助くんのハナシである。

 ハイ、正直に言います。これはもっと前に、茶白お嬢さんが来る前に投稿しようと思っていた話である。例によってサボっているうちに時期を過ぎてしまっただけ。

 もう今更感いっぱいであるが、ご勘弁いただき、頭の中を少し巻き戻して読んで下さい。

 

 

 つい先日まで、我が家はワクチンラッシュであった。

 本当は、アタゴロウのワクチンは七月であったのだが、何しろこの暑さである。猛暑の中自転車を走らせるのは、私自身も厳しいが、だいいち猫は大丈夫だろうかと、さすがに躊躇する。

 そうこう言っているうちに、九月予定の、栗助のワクチンのお知らせが届いてしまった。

 うーん、二匹か。いっそ、一緒に連れていけないかな。(自転車でそれは無理。)

 なんて、うだうだ考えているうちに、そんなにのんびりしている場合ではないことに、はたと気付いた。

 理由は、今となっては説明するまでもあるまい。茶白お嬢さんのトライアルを控えていたからである。

 ヤバい。もう一か月を切っているじゃないか。

 と、いうところで、折よく土曜日の昼間に雨が降り、気温が少し下がった。八月二十六日のことである。

 八月も末である。日没も早くなっている。これなら、猫をつれて自転車で走っても大丈夫ではないだろうか。動物病院は七時までやっているから、六時までに帰宅すれば、十分間に合うはずだ。

 予定を切り上げて急いで帰宅し、アタゴロウを背負って自転車を走らせ、無事ワクチン終了。

「じゃあ、これからもう一匹連れてこようかな。」

 調子に乗って勢い込む私を、先生はやんわりとたしなめて、

「そんなに無理しなくても。明日も午前中、やってますから。」

 でも、午前中じゃ駄目なのよね。九時を過ぎたらもう暑いから。

 結論から言えば、やはりダブルヘッダーは諦めた。久々に自転車に乗ったので、タイヤに空気を入れたのだが、慌てていたのでそれが甘かったらしい。帰り道はペダルが重く、漕いでも漕いでもスピードが出ない。ようやく家まで辿り着いたものの、重たい栗助を背負って、もう一度、この自転車に乗る根性は、私にはなかった。

 

 

 

 一週間後。

 午後の用事を済ませ、足早に自宅へと向かう私の表情は険しかった。

 時刻はすでに、午後五時を回っている。

 雨は降らなかった。だが、さすがに九月である。その日も、七、八月と比べれば、夕方の気温は落ち着いていた。とはいえ、それが今後も続く保証はない。

(何としても、今日、決めねば。)

 先週は、急遽、思いついての強行軍だった。だが今日は違う。

 この一週間、次なる試練について、じっくりと検討したのだ。

 だが。

(これは、厳しい戦いになるかもしれぬ。)

 苛酷な現実に直面し、心の中は密かに絶望で満たされていた。

 いや、駄目だ。そんなことでは。

 猫と対峙する者は、心を強く持たなければならない。決して失敗のイメージを持ってはならないのだ。奴らは悪魔と同じだ。人の心の弱いところにつけこんでくる。(「バチカンエクソシスト」、面白かったですよね??)

 何を言っているのかというと。

 要するに、私はそれまで栗助を捕獲したことがない、という事実に思い至ったのだ。

 しかも、抱っこさえしたことがない。

 栗助を「にゃんくる川崎店」さんから譲り受けたとき、

「触らせてはくれますけど、お手入れはさせてくれない子ですね。」

と言われたことを、私は自分に都合よく真に受けていた。簡単に言えば、彼がケージから出てきて以来、完全に放牧状態で、戯れに二、三度ブラシを当ててみた以外、何もしなかったのである。

 いや。

 正確に言えば、ちょっと持ち上げてみたことは、ある。

 胴体に手を回して、まっすぐ垂直方向に離陸。そのまま抱っこしてみようかなと思ったら、必死にもがいた末に、力づくで逃げられた。

 そのとき、思ったこと。

 その一。重い。

 その二。こいつは爪を切らないと、人間は手も足も出ないな、と。(そのくらい痛かった。)

 そんな話を職場の猫仲間にしたのは、春先の話だったのではないだろうか。その時点から、

「いやあ、病院連れて行くときどうしようかなーって、今から心配ですよ。」

なんて言っておきながら、全然心配なんかしていなかった。というより、完全に失念していた。

 それを今頃になって思い出した。そして、何の対策も考えておかなかったことを、今更ながら深く後悔した。

 捕獲なら、玉音ちゃんで散々やってるじゃない、と言われるかもしれない。

 だが。

 玉音やアタゴロウに使った手法は、栗助には通用しないかもしれないのだ。

 猫の捕獲は、「狭い場所に追い込む」がセオリーである。それを私は、玉音とアタゴロウから学んだ。広い空間を走り回られると、人間には勝ち目がない。だが、猫の哀しい性で、奴らは追われると狭い場所に逃げ込む。これを利用して、狭い場所(我が家の場合は押入れ)に猫を追い詰め、奴らがそれ以上後退できなくなったところで、襟首を片手でがっしりと掴み、もう一方の手で胴体を掴んで、あとは力任せに引き摺り出す。

 これは力比べである。猫は必死に周囲のものに爪を立ててしがみつくが、それに負けてはならない。また、襟首を掴む手も、決して放してはならない。そして、押入れから引き摺り出した後は、四本の足の動きを片手で封じつつ、速やかにキャリーバッグに収納すること。つまり、結局のところ、力とスピードがものを言うのである。

 アタゴロウと玉音には、これで何とか勝てた。

 彼らは軽いし、それに、最終的には観念して、抵抗を諦めてくれるような節がある。

 ちなみにダメちゃんは、そこまで激しく抵抗しなかった。彼はある意味、悟ったところがあり、つまり往生際の良い猫だったのである。

 だが、栗助は。

 奴は重い。力も強い。爪が伸び放題で尖っている。そして往生際が悪い。

 悪い条件しかないのである。

(勝てる気がしない…)

 いいや、駄目だ。今日、必ず勝つのだ。

 チャンスは今日と、あと一度(来週)しかない。その来週だって、雨が降ったらアウトだ。だいいち、ここで私が奴に負けたら、我が家は無法地帯になってしまう。この世に正義はあるのか。

 しかし。

 タイムリミットがある。遅くとも六時半には自宅を出発しなければならない。帰宅は五時半を過ぎるだろう。僅か一時間弱の間に、勝てるのか、自分――。

 

 

 一時間後。

 私は肩に食い込むリュックキャリーの重さに耐えながら、動物病院に向けて自転車を走らせていた。

 今回は、両方のタイヤにしっかり空気を入れた。ペダルを踏む私の足どりは軽い。

 勝負は、あっけなくついた。ほぼ私の不戦勝であった。

 何が起こったか、というと。

 来るべき戦いの時を思って眉根を寄せながら、キャリーの中に保冷剤をセットしていた私が、ふと顔を上げると、そこに栗助がいた。そして、

(何してんの~?)

と、言わんばかりに、自らキャリーに顔を突っ込んだものである。

 ハイ、終了。

 そのままひょいと持ち上げて、あっさりとキャリーイン。

(チクショウ、騙したな!!)

と、思ったかどうかは別として、奴は焦って暴れたが、もう後のまつりである。

 いやいや。

 実に茶トラらしい。

 いいねえ、茶トラって。お馬鹿で。(←茶トラに対する偏見である。)

 ただし、往生際が悪いのは予想どおりである。まあ、暴れるわ、騒ぐわ。

 マンションのエレベーターを待つ間も力いっぱい鳴き喚くので、もう、ご近所さんに恥ずかしいやら、申し訳ないやら。

 しかも、歩いている間も、自転車に乗っている間も、キャリーの中で鳴きながらごそごそ動き回るのである。なにしろ重いから、その都度私は、バランスを崩すのではないかと心配になる。

 信号待ちの間もずっと鳴いているので、周囲の人たちの好奇の視線が痛かった。

 

 

 

 往生際の悪い男は、とことん往生際が悪い。

 動物病院に着いたものの、こんどはキャリーから頑として出て来ない。我が家のキャリーは内壁が布張りとメッシュ(窓部分)なので、爪が使えてしまうのである。

 そこを無理やり引っ張り出そうとすると、他の猫はたいてい、底に敷いたバスタオルをぶら下げて出てくるのが定番である。だが、こいつは器用なのか、四本の足でそれぞれキャリー本体のどこかに爪を立てている上に、無駄に力が強い。結果、猫を持ち上げるとキャリーまで一緒に付いて持ち上がってくるのである。

 それでも何とか引っ張り出し、診察台に載せて体重を測る。

「五・八五。大きくなりましたね。」

「あれ、六キロなかったですね。」

 私が思わずそう口にすると、一年前は五・二キロであったことを指摘された。

「六キロあったら、相当大きい猫ですよ。」

「そうなんですか?」

「ええ。」

 でも、大治郎さんは、常に六キロ代半ばでしたけど?

 先生は忘れているのかもしれない。だとしたら指摘するのも失礼かと思い、その場は何も言わずにおいた。

 とにもかくにもワクチンを終え、

「もうしまってもいいですか?」

「いやちょっと。お口の中を見ましょう。」

 そうだった。先週、私が自分から相談したんだった。

 こいつは食べるのが下手で、フードを周囲の床に食べこぼす。ゆえに歯が悪いのではと疑ったのだ。もともとFIV持ちだから、それは大いにありうる。

「どれどれ…うーん、微妙ですね。赤くはなってますけど。」

 そこまで酷くなかったか。

「これこそ、インターベリーが効く状態ですね。試してみますか?」

「すいません。無理です。」

 インターベリーとは。

 先週、勧められた治療薬である。先生的には、今、イチオシの口内炎ケアのようなのだが、何しろ、歯茎に直接塗り込まなければならないのだ。

 歯茎に塗り込むって。

 こいつにか?

 玉音ちゃんの次に無理だ。こいつの歯茎が綺麗になる前に、私が病院送りになるかもしれない。(多分、それはない。)

 というわけで、その日はワクチンのみで帰宅と相成ったのであるが。

 往生際の悪い男は、最後まで往生際が悪かった。

 まず、キャリーに入らない。キャリーの縁に足を踏ん張って、頑として入るのを拒否する。

「だから、お家に帰るんだってば!」

 普通の子は、状況を理解して、帰りは素直にキャリーインするのである。

 何とか詰め込んでジッパーを閉め、キャリーを椅子の上に置いたまま会計をしていると。

 背後でドスンという音がした。

「ごめんごめん。痛かった?」

 キャリーが丸ごと床に落下していた。(大した高さではないので安心してください。)

 咄嗟に謝ってしまったが、後から考えるに、あれは私のせいじゃない。栗助がキャリーの中で暴れたのだ。長年、いろいろな猫を入れて同じことをしているが、キャリーごと落下した猫など前代未聞である。普通の猫は、「帰る」と分かると、その後は大人しくするものだ。

 そんなこんなで、ようやく動物病院を後にした私たちである。

 残暑厳しいとはいえ、季節はもう秋である。帰路はもう、とっぷりと日が暮れていた。

 気温は適度に下がっており、サイクリングには問題ない道のりであった。だが、自転車のライトを点けてゆっくりとペダルを踏む私の背中で、往生際の悪い男が、力なく鳴きながら、なおも、もぞもぞ・ゆさゆさしていたことは、言うまでもない。

 

 

 

 友人たちに栗助のワクチンの話をしたついでに、「六キロは相当大きい」説について、さくらに尋ねてみた。

「でもさ、大治郎さんは普通に六キロ超してたんだけどねえ。」

「六キロは、普通ではない。」

 さくらはきっぱりと答えた。

「え、そうなの?」

「かなり大きい。」

 私は意外に思った。そもそも、私が大猫好きになったきっかけを作ったのはさくらである。より正確に言うなら、さくら家の初代猫である。彼はさくら母が近所で拾ってきた雑種であるが、一時期は七キロをも超えた大猫だった。それもおデブなわけではなく、背が高くてがっしりして筋肉質、喧嘩が強くておまけにハンサムという、ファイアマン的ナイスガイだったのである。

「七キロ以上は問題のある肥満、それか、洋猫とかの大型猫、って感じかしら。臨床では。」 

 さくら自身は医療従事者ではないが、医療関係者に知り合いが多いので、その辺の意見には信憑性がある。

「え、だって、お宅のハンサムくんは?」

「彼はねえ。昔、おじいさんの獣医さんに言われたの。『生まれながらのボス。限られた個体数しか生まれないタイプ』って。」

 その話は、聞いたことがある。

 そのとき私は思ったのだ。もしかして、ダメちゃんも、そのクチなんじゃないかしら?と。

 今となっては、そうに違いないと確信している。ダメちゃんはボス猫だった。いなくなってみるとよく分かるのだ。我が家の猫社会(と言っても二~三匹だが)には、いかなる場合でも、彼を頂点とした確固たる力関係があり、それは抜群の安定感だった。

 温和で心優しい彼が「ボス」というのは、いわゆる「ボス猫」のイメージからは違和感があるかもしれない。だが、猫の場合、ボスの個体は別にメスを独り占めして威張っているだけの存在ではない。ボス猫(雄)が、母親を亡くした仔猫の世話をしていたというのは、案外、よく聞く話だ。ボス猫に求められる資質とは、大きさ・強さに加え、他猫を受け入れ、守り助けてやる、度量の大きさなのではないか。

 ダメちゃんは、別に、かいがいしく仔猫の世話なんてしなかった。だが、来るものは拒まず、好きなように甘えさせてやっていた。それゆえであろう、彼が何もしなくても、他の猫はみんなダメちゃんを慕っていた。

 人徳ならぬ猫徳である。

「うちの彼もダメちゃんも、他猫を受け入れられる強さがあったんだね。」

 さくらの言うとおりだ。ダメちゃんのデカさには理由があった。決して「無駄にデカい猫」ではなかったのだ。

 それに対し。

 例の五・八五キロは、今のところ、その観点からは無駄なデカさであることを否めない。

 

 

(ダメちゃん・アタゴロウ・玉音。2015年5月撮影)

 

 

 もっとも、ダメちゃんだって、最初からボス猫の貫録を備えていたわけではない。彼が急成長したのは、先住であったミミさんが亡くなり、その後継として、仔猫のムムを迎えてからである。

 チビ女子に無邪気に甘えられて困っていた大猫は、断り切れずに甘えさせているうちに、どっしりしたオトナの安定感を身につけた。

 栗助は、どうだろう。

 後輩女子を可愛がるうちに、少しはオトナらしくなるのだろうか。ボス猫にはならないにしても。

 いくら自分の方が大きいとはいえ、彼が大好きなアタ先輩を押しのけて下剋上を狙うとは、到底思えない。彼のポジションはあくまで中間管理職である。

 しかも、栗助と茶白お嬢さんの出会いは、ダメちゃんとムムの時とは条件が違う。

 当時、ムムは生後三か月、人間に換算すると小学校に上がったか上がらないかという幼女であった。それに対し、茶白お嬢さんは、すでに推定七か月超。女子中学生か、下手をするとJKである。アラサー男とJCもしくはJK。人間の場合だって、ひょっとすると女子の方が大人びていたりする年齢差ではないか。

 むしろこっちが、下剋上されたりしてね。

 まあ、栗助くんには、今のままでいてほしいような気も、しないでもないのだが。

 

 

 でもね、栗助くん。

 一言だけ言わせてもらう。

 少なくとも、動物病院から帰るときは、「帰る」と分かって大人しくした方がいいと思うんだよ。キミのためにもね。

 

 

 

 

本日のお嬢さん

 

 

 

 お嬢さんも腹を出しているが、男どももお嬢さんの存在に慣れたらしい。お互い、いるのは知っているが完全無視を決め込んで、それぞれ勝手にやっている。

 まだしばらく、静観かな。