コタローくん
写真は、コタローくん。友人の友人の猫。
彼の婿入り(養子縁組)に、私が少しばかり関わったご縁で、毎年、友人を通じ、写真を送っていただいている。
ヨソ様の猫をネタにするのは反則っぽい気もしたが、あまりの色男ぶりに、飼い主さんの許可をいただいて掲載することにした。
仔猫のときはほとんど白猫だったが、現在はご覧のとおり。
顔と、下半身にも薄茶色の模様がある。目はブルーアイ。
ため息がでるほどのハンサム。
シャムMIXである。
うちのダメちゃんだってハンサムだとは思うのだが、コタローくんとは勝負にならないよな、と、毎年痛感する。
写真からでもビンビンに伝わってくる、この貴公子オーラ。
さながら、ハリウッドスターと床屋の看板息子といったところか。(彼、碧眼だしね。)
そういえば、コタローくんは、テレビにも出たことがあるそうな。
コタローくんの母親は、確か、黒味の多い白キジだったように記憶している。
父親は、定かではない。だが、当時、母子が暮らしていた商店街界隈を、割に大きなシャム猫が徘徊しているのを何度か見たので、多分、そいつが父親なのだろう。
このシャム、他の雌猫にも子供を産ませていたらしい。
つまり、コタローくんは、女誑しな貴族の放蕩息子のご落胤、というわけだ。
対する母猫の方だが、小柄な外見に似合わず、コタローくんたちの前にも最低一回はお産をし、仔猫たちをりっぱに育て上げたという経歴があったらしい。
下町住まいの、しっかりものの若後家さん、といったところか。
ハンサムだが評判の悪い若様に言い寄られ、戸惑いつつも、
(夢でも構わないわ…)
と、一夜限りのシンデレラを演じた結果が、コタローくんたち四兄弟、というわけである。(五兄弟だったかもしれない)
いずれも見た目そっくりな美猫揃いだったから、今頃はそれぞれに貴族オーラを放ちつつ、人間界の猫バカ女子連中をシビレさせていることであろう。
と言っても、雄はコタローくんのみであったようだが。
で、コタローくんと我が家とのご縁であるが。
実は、コタローくんたち兄弟と、亡くなったミミさんは、同じ鳥屋さん(と、お隣のブティックのママさん)に、お世話になっていたのだった。
猫たちの面倒を見ていた鳥屋さんが亡くなった後、ブティックのママさんのご尽力により、仔猫たちにはそれぞれ貰い手がついた。
すでに成猫だったミミさんは、貰い手がつくあてもなく、鳥屋さんの軒下のブルーシート小屋の中で、ママさんにご飯をもらって暮らしていた。しかし、いよいよ、お店が取り壊されることになり、急遽、我が家にお越しいただいた、というのが事の成り行きである。
ミミさんが、成猫になってから捨てられた、本当は家なし猫であることを、私はこのママさんから聞いて、初めて知ったのだった。それまで、その綺麗な外見から、彼女はれっきとした飼い猫で、鳥屋さんのご遺族が引き取って面倒をみてくれるものと思っていた。
私はそれまで、このママさんと、何の面識もなかった。
コタローくんが目ヤニを出しているのが気になって、病院に連れて行きたい、と言ってみたのが、話をしたきっかけだった。
話はとんとん拍子に進み、コタローくんは、我が家の近くの動物病院(現在の我が家のかかりつけ)に入院。その後すぐ、現在の飼い主さんとの話がまとまって、彼は病院から直接新居に退院した。
そして、その約1週間後、全く同じルートを辿って、ミミさんは我が家に到着したのだった。
ミミが我が家に来た日は、9月9日である。
コタローくんとミミさん。目と鼻の先に暮らしながら、特に交流はなかったようだが、もしコタローくんがいなかったら、ミミさんが我が家に来ることはなかった。
コタローくんがいたから。彼のことで、ママさんと話をするきっかけが生まれ、ミミさんの境遇を知り、私は彼女を迎える決心をしたのだ。
ミミと過ごした日々は、あまりにも短かったけれど。
友人から転送されてきた、コタローくんの飼い主さんのメールには、“コタローさんが家に来てから5年目を迎えました”とあった。
つまり、ミミさんが我が家に来た日から、そろそろ5年になるのだ。
ミミは、5年目を迎えることができなかった。
でも、そのおかげで、こいつは(売れ残らずに)我が家にいるんだよな…と、傍らのヨメの頭を撫でつつ、今、不思議な思いに捉われている私である。
(在りし日のミミさん)