ヨメの意見

 

 
 
 台風一過。
 抜けるような青空、と、言いたいところだが、今回の台風は、そう単純なものでもないらしい。
 午前中、前半はいささか曇りがちであった。
 このくらいの天気なら、ちょうどいいから、ヨメを動物病院に連れて行こうかな、などとぼんやり考えながら、朝食を摂っていた家主ではある。
 
 
 しばらく前に、動物病院から「予防接種のお知らせ」の葉書が届いていた。
 いわゆる三種混合のワクチンであるが、実際のところ、迷っている。
 我が家は完全な室内飼いである。今のところ、別の猫を迎える予定もない。
「だったら、ワクチンを打つ必要はないんじゃない?」
というアドバイスを、猫に詳しい方からいただいたことがある。
 ワクチンは、確かに有効なものであるが、猫の体に負担もある。リスクと効用とをきちんと考えて判断した方がいい、と。
 言われてみれば。
 実家のりりは、ワクチン接種のたびに、熱を出す。翌日には元気になるものの。
 そして、亡くなったジンちゃんの病名は「ワクチン関連性肉腫の疑い」であった。
 今のところ、他の猫は毎年ワクチンを打っても元気であるが、無理にすることはないのかな、と、考え始めた次第である。
 
 
 とは言っても。
 いずれにしても、年に一回くらいは、動物病院できちんと健康診断を受けさせたい。
 それに、今はその予定はなくても、将来的には、別の猫が我が家にやってくるかもしれない。そのとき、何年ぶりかで慌ててワクチンを打ったところで、効果はあるのか。
 先生と相談したい。
 それに、ね。
 ヨメの場合、暴れ過ぎて体重が測れないし、爪も切れない。だが、動物病院の診察台の上で固まってくれれば、どちらも可能なのだ。
 このごろ、やたらと大きく見えるヨメ。一体、体重はどのくらいあるのか。
 ううむ…知りたい。
 
 

  
  
 そんな姑の思惑を知ってか知らずか、ヨメは今日、なぜかやたらに、私に絡んでくる。
 可愛らしい表情(あくまで「表情」)で長鳴きし、私の周りをウロチョロしながら、ちょろりと私の脚を舐めてみたりする。まるで、私が好きで好きでたまらないみたいである。
 いや。
 うぬぼれてはいけない。
 こいつは要するに、退屈しているのである。
 ヨメは若いので、昼間でもチョロチョロ活動している。遊びたい盛りを、まだ過ぎてはいないのだ。
 それなのに、一方で、彼女の年の離れた夫は…、
 
 

  
  
 夫に顧みられずに、時間と躰をもてあました若妻は、自らの魅力と存在意義を確認すべく、好きでもない相手にも媚態の限りを尽くすのであった。
 
 
 などと、つまらん妄想を抱きつつ
「お前、可哀想になあ。」
と、ついついのんびりと構いつけて、ヨメの頭をポンポンしていた私であるが。
 さて、もういい加減に出かける支度をしようかな、と、カーテンを開けて外を見ると。
 何と。
 カンカン照りである。
 遮熱カーテンに視線を遮られて、外がよく見えていなかった。
 とたんに、萎える。
 何も、この日差しと暑さの中、猫をかんぶくろ…もとい、ペットキャリーに押し込んで自転車行軍するのも、ちょっと、なあ。
 それじゃ、あんまりにもヨメが可哀想だ、というのは口実で、実は人間が意気喪失しているだけである。
「やっぱり、今日はやめとこうかね、ムムちゃん。」
 幸い、かかりつけの動物病院は、午後は7時までやっている。日曜日は午後休診なので、後日ということになるが、どうせなら日が落ちてから行くことにしよう、と、いい加減な飼い主はさっさと努力を放棄し、床にひっくり返って昼寝を始めた。
 
 

  
  
 午前中の昼寝であるから、大して時間は経っていない。20分ほどだろうか。
 が。
 目覚めた時、すでにヨメは近くにいなくなっていた。
 そして、その後、さっきまであれほど私に甘えていた彼女は、まったくのところ、寄りついてこなくなったのである。
 彼女の夫は、相変わらず、マットレスの上でサボっている。
 彼女自身は、相変わらず、目をパッチリと開けている。
 何も変わったことはない。
 ただ、彼女の私に対する愛着だけが、スッキリと消失したのである。
 
 
 まさか、とは思うが。
 オマエさん、まさか、私に動物病院行きを思いとどまらせようとして、おべっかを遣っていたわけではあるまいね。
 
 
 ところが。
 私が昼寝から目覚めてほどなく、そう、予定どおりに支度を始めて動物病院に向かっていたなら、自転車で走っていたであろう、正にその時刻、もの凄い大粒のお天気雨が、突然、たたきつけるように降り始めたものである。
 
 
 おおっと。
 行かなくてよかった…。
 
 
 たまにはヨメの意見も聴くものだ…。
 と、以降、ちっとも寄りつきゃしないヨメに、こっちから近付いて頭をポンポンしつつ…。
 
 
 
 

確かに。アンタの言うとおりだったわ(泣)。