現代人的猫通院


 
 
 今日は、アタゴロウくんを病院に連れて行った。
 予防接種である。
 毎度思うのだが、何故、猫という連中は、こういうときだけ察しが良いのだろう。キャリーを別室に準備して、さて、と、奴に目を向けると、目が合ったとたんに、全速力で逃げ始めたものである。
 あ、ヤバ。バレた。
 と、一瞬焦ったが、何の何の。こいつを捕まえるのなんか簡単である。おどろくほどあっけなく、猫ジャラシで釣り上げた。
 ちなみに、その間、大治郎センセイは完全に我関せずであった。これも不思議なのだが、何故こいつらは、自分に関係ないときは、関係ないと分かるのだろうか。
 
 
 アタゴロウの昨年の予防接種がいつごろだったか、恥ずかしながら、私は全く覚えていなかった。
 何しろ、カビ騒ぎで毎週のように病院通いをしていたものだから、その間、いつ接種したものやら覚えていない。一連の騒ぎが治まってからだったとぼんやり記憶していたので、そろそろかな?と思いつつ、最終的には接種証明書を調べたら、何と、2月であった。
 ありゃ〜。
 だいぶ遅くなっちまった。
 仕方ない。来週はまた予定があるし、今日のうちに連れて行こう。
 そろそろ、病院で体重を測ってもらいたいし。
 健康診断も、した方がいいしね。
 そして何より、こんなに大きく、雄猫らしくなったアタを、先生や助手さんに見せたいという気持ちもあった。
 診察室に入って、アタゴロウをキャリーから出すと、案の定、
「わあ。立派な猫さんになって。」
 助手さんが、大喜びしてくれた。
 この助手さんは、小さかったアタを毎週、お風呂に入れてくれていた方だから、感慨もひとしおだろう。
「大きくなったわねえ。」
 先生も、感心したようにおっしゃって、さっそく体重を測ってくれた。
 結果は、4,500グラム余り。
「あれ、5キロないですね。意外と小さかった。」
 私が何気なくつぶやくと、先生はその言葉を聞きとがめ、
「いや、この子はこんなもんでしょう。大治郎くんのような大きな猫にはなりませんよ。」
 ありがたいことに、大治郎くんのような肥満猫にもならないで済んでいるらしい。特にダイエットの指示はなかった。
 
 

 
  
 で。
 予防接種は、何事もなく終わり。
 ついでに、以前から気になっていたことを訊いてみた。
「この子、よく咳をするんですけど。」
 こいつ、風邪をひいているわけでもないのに、時々咳をするのである。
「どんな咳?」
「うーん、何と言うか…(真似できない)。」
 先生は、アタに聴診器を当てたり、指で触ってみたりしていたのだが。
 ふと、アタがケフっというような、小さな音をたてた。
「こんなの?」
「え?」
「今、気管支に触ってみたんだけど。」
 そんな…。よく聞いてなかったよ。
「うーん、そんなんだったかもしれません。何と言うか、咳とくしゃみの合いの子みたいなのをしてます。」
「食欲がなかったり、苦しそうにしてたりとか…。」
「ぜんぜんありません。元気です。」
 そこだけは、自信をもって言える。
 咳自体も、時々しているだけで、長く続くわけでも、頻繁に出ているわけでもない。
 ただ、かれこれ二週間近く前になるだろうか。日に何度もの咳が毎日のように続いたときがあった。さすがに心配になり、いよいよ病院に連れて行こうと一度は決心したのだが、その途端、きれいに治まってしまったため、やはり予防接種まで待つことにしたのである。
 そういえば、あの時も、
(こいつ、病院に連れて行かれることを予期したんじゃないだろうな。)
と、軽い疑いを抱いたものであった。
「いわゆる猫ぜんそくかしらね。」
 先生がつぶやく。
 猫風邪だの、猫ニキビだの。猫喘息というのもあるのか。
 そこで、先生が、意表をつくことを言い出した。
「動画が撮れませんか?」
「へ!?」
「それを見れば、一発なんですけど。」
 動画!!
 なるほど。確かにそれを見せれば、私が下手なモノマネをしなくても、どんな状態か的確に伝えることができる。
スマホでも何でもいいので、こんど撮って持ってきて下さい。」
「あ、はい。分かりました。」
 
 
 私の脳裏に、「先生、コレです」と、自分のスマホを獣医師に見せている自分の姿が浮かぶ。
 そっかあ。
 そんなことができるんだ。スマホってやっぱり、便利なんだな。(もとのガラケーでも動画くらい撮れたでしょう、とか言わない。)
 自分のスマホで動画を撮ったことはないが、人のスマホで動画を見せてもらったことは、何度かある。年代物のガラケーユーザーであった私は、その画像の綺麗さと見易さに驚いたものであったのだが。
 ついに私も、現代人の仲間入りをするのだ。
 しかし、時代は変わったなあ。
 現代は、医師が患者の家族に、発作時の様子を家庭で動画に撮って持って来なさいと、指示なんかしちゃう時代なのだ。
 アタシが子供のころには、想像もできなかった話だよねえ。
 私が小学生だったころ、一般家庭にはビデオカメラはおろか、テレビ番組を録画するビデオデッキなんてものもなかった。
 そのころ、「学校にはビデオカメラがある」という噂が立ち、ガキどもは浮足立った。そんなスゴイもの、ぜひ見てみたい。触ってみたい。録画して、それを見てみたい。
 が、そのビデオカメラは「特設体操クラブ」以外では使用禁止だという話だった。私の母校は当時、体操の指導に長けた先生がいて、体操の得意な子ばかりを集めた「特設体操クラブ」は、地域の小学校(もしかしたら、中学校も)の中では群を抜いて強かった。校内で唯一、立派なユニフォームのあるクラブだったように記憶している。
 夢のビデオカメラは、そのエリート集団の専有物なのだ。
 子ども心にも、この世は所詮、階級社会なのだという現実が、ぼんやりと感じられた事件だった。
 見たことも聞いたこともない、幻のビデオカメラに、子どもたちはすぐに飽きた。本当の話、田んぼと雑木林に囲まれた片田舎の小学校に、当時、ビデオカメラなんてものが実在したのかどうかも、結局のところ明らかではない。
 
 

 いったい、いつの時代だ。
 
  
 その私が、ついに、動画を撮って人に見せるのだ。
 それも、スマホで。
 すごいなあ。
 仕事帰りに、スマホ持って病院に立ち寄ったりしちゃうんだよ。まるで、イマドキのOLさんみたいじゃない。
 不謹慎にも、ちょっとワクワクしながら帰りかけた私に、先生が何気なく声をかけた。
「本当は、最初から最後まであるといいんですけどね。まあ、撮れる範囲で。」
 
 
 …あ。
 
 
 そうか。
 アタゴロウがいつ咳を始めるかなんて、予想がつかないのだから、そもそも「最初」を撮ることは非常に困難なのだ。
 それどころか、咳なんてほんの短時間だ。始めたらすみやかに録画を開始しなければ、「中間」と「最後」を撮れるかだって、きわどいところである。
 もたつくなんて、許されない。
(――無理だ。)
 
 
 少なくとも、スマホで録画は私にはぜったいムリなことが判明した。
 
 
 仕方ない。
 いつものカメラで撮ろう。
 カメラでなら、二回ほど、動画を撮ったことがある。
 ちなみに、その二回とは「爬虫類カフェでとかげを手に乗せて微笑んでいる天竜いちご」と、「上階の漏水事故により水が滴ってくる換気孔」である。
 しかし。
 あー、どうやって撮ったんだっけか。
 カメラの使い方を、覚えていない。
 
 
 と、いうわけで。
 どうやら現代人の仲間入りはできそうにないと気付いた私は、今、ほろ苦い思いを噛みしめながら、安心しきったアタゴロウを膝に乗せてこの原稿を書いている。
 彼は知っているのだ。私が録画に成功しなければ、自分が再び病院に連れて行かれることはない、と。
 
 
 彼が咳をしそうな気配は、今のところ、全く見えない。多分、私がカメラをどこかにしまい忘れるまで。