猫初詣
タイトルの「初詣」に「猫」がついているのは…
今日は、猫のための初詣だからである。
都内某所に、ペットのためのお守りをいただける神社がある。
私は友人に教えてもらい、ついでに、毎年、連れて行ってもらうようになった。
自分の初詣としては、後日、別の友人も一緒に、もっと大きなところへお参りに行く。となると、毎年、人間の初詣より早く猫の初詣に行くことになるわけで、その辺りに微妙なギモンを感じないでもないのだが、この神社、あまり大きなところではないので、
「行ってみたらもうペットのお守りはありませんでした、なんてことになったら悲しいよね…。」
というわけで、結局こちらを優先している。
大都会の真っ只中に、意表をついて石段が現れる。
大きさも手ごろで、何か雰囲気のある神社である。
古の江戸ッ子たちも参拝したのだろうな、と、その光景が目に浮かぶような。
これでよかったんだっけ?と言い合いながら、8の字に茅の輪をくぐる。
「茅の輪のくぐり方」「参拝の仕方」「手水の使い方」なんてものは、どこにも貼ってない。おみくじを結ぶ張り渡した紐さえなく、みな、境内の立木の枝に結び付けている。
おみくじの結び場を作る必要もないような、目立たない神社なのだが、その割に結構、人出はある。ごく静かな、いい感じの賑わいぶりで、初詣らしい、お正月らしい気分が味わえるのも魅力である。
結局、この神社そのものが気に入っているから、毎年、三が日のうちに参拝しているのかもしれない。
ついでに言えば。
ペットのお守りを扱うからか、ワンコ連れの人が、ひっきりなしにやってくる。
境内がさながらワンワン大会である。
それにしても、都会のワンコは、みな洋風である。明らかに純血種。きれいにトリミングされ、おべべを着、小さい子は飼い主に抱かれたままやってくる。
大事にされているなあ、と、見ただけで分かる。
もちろん、猫はいない。私たちのように、猫を飼っている人種もかなり訪れてはいるのだろうが、何しろ、猫は外出に連れてくることができないから。
つまり、人間が猫の名代ってことだわね。
お参りを済ませて、古いお守りをお焚き上げにお返しし、今年のお守りを見に行く。
どうやら今年から始めたらしい、「ペット守り」のコーナーには、新たに「病気平癒」のお守りがあった。
世相を感じる。
犬も猫も、特に都会では室内飼育が主流となったことで、これまでにない長寿を保つ一方、高齢の犬・猫が増えた。
人も動物も、高齢になると、やはり病気がちとなる。
一つ屋根の下で、家族として犬・猫と暮らすとなると、実際問題として、看護や介護の問題は、いつかは必ず生じてくると言っていい。
看取る、ということ。
特に動物の場合、闘病の末に見送った子に対して、飼い主は、その責任を一身に被ることになる。動物だと思ってどこかで手を抜きはしなかったか、仕事をはじめ、人間の生活を優先して、この子を軽んじたのではないか、という自問と、毎日向き合うこととなる。
動物の「病気平癒」祈願には、人間とは違う意味での切なさがある。
願わくば、そのお守りが、飼い主の心も平かたらんことを。
幸いにも、我が家とその周辺の猫たちには、今のところ「病気平癒」祈願のお守りの必要な子はいないので「ペット護符」だけを求め、帰途についた。
どうかいつまでも、「病気平癒」のお守りを求めなくて済む初詣でありますように。
人も動物も、やはり健康第一である。
おい、お前ら、カラダに気をつけろよ。
その前にキミ、そのハラを何とかしたまえ。