サバイバル・ゲーム
その日、家主は少し遅く帰宅した。
帰ってからやることが色々あったのだが、時間がない。
猫どもに夕飯を食べさせておいて、自分は部屋着に着替える暇もなく、パタパタと動いていた。
一方、猫どもは、ごはんを食べ終わって、くつろぎタイム。
ヨメはリビングへ。
ダメは、いつもどおり、キッチンマットの上に転がって、ゴロゴロしながらグルーミング。
…と。
ガチャン、と、大きな音が、台所から響いてきた。
ダメが、シンク下の物入れの扉に、頭をぶつけたのである。
かなりの勢いでぶつけたらしい。
ガチャン、という音は、扉の内側に取り付けられている包丁掛けの中の包丁が、振動でぶつかり合った音であった。
痛くないのかな。
でも、猫って、結構激しく頭をぶつけても平気だからな…
と、家主はあまり気にしなかったのだったが。
平気じゃなかったらしい。
次の瞬間、ダメはやにわに起き上がって、暴走を始めた。
じっとしていられないほど痛かったのか。
あるいは、衝撃で一時的に錯乱したのか。
ダメは一直線に突っ走り、リビングでまったりしていたヨメに、奇襲攻撃をかけた。
しかし、相手は俊敏なるアスリートである。さっと身を翻し、キャットタワーへ。
キャットタワーの三段目(ボックスの上)に陣取り、迫りくる敵を待ち受ける。
下段から順に登ったのでは勝ち目がない、と考えたのか。
ダメは意外な攻撃に出た。
キャットタワーの下から一気にジャンプして、ヨメのいる三段目に躍り上がろうとしたものである。
が。
やはり体勢に無理があった。
ボックスに爪を立てながら、ずるりとずっこけるダメ。その間に、ヨメは四段目(最上段)へ。
ダメは作戦を正攻法に戻し、キャットタワーの二段目に陣を張って、そこからしばらく上下の応酬が続く。
やがて、ヨメは隙をついて床に飛び降り、そこからは、熾烈なる猫チェイス。
ドタバタドタバタ…
ヨメはともかく、ダメは妙に本気モードだ。
一体、何が彼を駆り立てるのか。
(こういうふうに舐めると、キモチいいのよ。)
女は思わせぶりに、男の耳にささやく。
そうか、と、男は思う。来るべき快感に、身悶えすら覚える心地がする。
ところが。
ある夜、女の言ったとおりに脇の下を舐めていると、頭に突然、強い衝撃が走った。同時に、大量の刃物がガチャリと鳴る音を、男は聞いた。
(図られた…)
女に、命を狙われたのだ。
生命の危険が、突如、現実の感覚となり、男の体幹を強く刺激する。
(殺られる前に、殺る…)
彼の中に目覚めたサバイバル本能が、温厚な男を攻撃型のケモノに変貌させた…。
というのは、家主の単なる想像であるが。
いずれにしても、この本気チェイスは、やめさせなければならない。
幸いにも、おじさんダメは、途中で休憩をはさむという決断をした。
こたつ布団の上に座り込んだところを、懸命に撫で撫でする家主。
「ダメちん、どうしたのよ。」
ささやきかけながら絶え間なく撫でていると、やがてダメの喉がゴロゴロと音を立て始めた。
何とか、落ち着いてきたらしい。
ところで、最初に戻るが、家主は遅く帰ってきたので、時間がなく忙しい。
そんなにいつまでも、猫に付き合ってなどいられない。
さて、どうしたものか…。
考えた末、ヒーターをつけることにした。
遠赤外線を全身に浴びて、生命の危険を忘れるダメちゃん。
こうして、我が家の危機は回避されたのであるが。
まさか、だけど。
これって、家主にヒーターをつけさせるための大芝居だった、なんてことはないよね。
ね、ダメちゃん。