メディアの贈り物

 

 
 東京も、昨日からは真冬の寒さである。
 家主は、昨日までの三連休を、ほぼ引きこもって過ごした。震災の影響で、遊びの予定がキャンセルになったのをきっかけに、生来の怠け癖が一気に表面化したのである。
 さらに。
 いつ停電になるか分からない、という気持ちが、常に心のどこかにある。
 徒歩圏外に出るとなると、やはり帰りの足を心配してしまう。
 だったら、無理に出かけることはないのかな、と。
 うまい口実ができたもんだ。


 連休最終日。
 家の中も寒い。
 だが、世の中は、とにかく「節電」である。
 となると。


 やっぱり、猫暖房よね。
  
  

 
 
 写真は、膝の上のヨメ。
 おそらく、猫も寒かったのであろう。


 この光景、1年前には考えられなかったものである。
 何しろ、このヨメ、我が家に来て、ダメにはすぐに懐いたのだが、私に対しては、なぜかいつも、目が合うとダッシュで逃げていたのだ。
 それがこのところ、こいつは正しく家庭猫になった。
 私が家にいると、私の行く先々にいちいちついてきて、何気なく周囲をウロチョロしている。
 撫でられると、ゴロゴロ言う。
 抱き上げて膝に乗せると、そのまましばらく、膝の上に座ってゴロゴロやっていたりする。といっても、自分から乗ってくることは、まずないのだが。
 どういう心境の変化だろうか。
 まさか、しらすぼしの輪ゴムをくれたから好きになりました、というわけでもあるまいが。


 輪ゴムと言えば。
 日曜日、何かの拍子に、袋の口をしばっていた輪ゴムが切れた。
 そのとき、ふと思いついた。
 この輪ゴム、普通ならこのままゴミ箱に入れるところであるが、どうせなら、切れ目を結んでヨメにやれば、猫のおもちゃとして再利用ができるのではないか。
 ナイスアイディア。
 さっそく、なるべく結び目が小さくなるようにギュッと結んで、ヨメのいる方の床に投げてやった。


 が。
 食いつかない。


 ちょっと拍子抜けな気もしたが、今は遊びたくないのだろう、と、軽く考えて、放っておいた。
 しかし、どうやらそうではなかったらしい。


 翌月曜日。
 私は見たのだ。
 ヨメが、その輪ゴムを咥え上げたときの、その光景を。


 ヨメは私がプレゼントした、お手製の輪ゴム(註:私が結ぶまでは輪になっていなかったのだから、お手製である)を、咥え上げたその瞬間に、吐き出すように前方に落とした。
 続いて。
 今度は、前足を伸ばして落ちた輪ゴムをつつき、輪ゴムが爪に引っ掛かると、前足を振って、またそれを落とした。
 そればかりではない。
 ヨメは、輪ゴムに触れたその前足を、汚れたものを払い落とすかのように、ぶるぶるっと振るったのである。
 そして、それきり、彼女は輪ゴムに一瞥もくれず、黙ってその場を歩み去った。


 何だったんだ…


 腹を立てるより、呆気にとられた。


 彼女はその輪ゴムに、何か忌まわしいものを感じたのであろうか。
 だとしたら、それはいわば、メディアがグラウケに贈った衣裳に等しい。毒を仕込んだのは、彼女を亡き者にせんとする贈り主である、と考えるのが普通ではないだろうか。
 あるいは。
 ゴミ箱行き一歩手前の不用品をプレゼントされたことが、彼女のプライドを傷つけたのか。
 だが、彼女は、その後も私の周りをウロチョロしている。
 まるで何事もなかったかのように。
 義母の悪意の存在になど、まったく気がつきませんと言わんばかり。「天使のような汚れなき心」を、これでもかと誇示し続けている。


 が。


 騙されちゃいけませんぜ、旦那。
 彼女はその後、しっかりと復讐を果たすのである。
 (そのことについては、またの機会に。)


 ところで、真面目な話、その輪ゴムって、一体何を縛っていたものだったんだろう。
 考え続けているが、どうしても、それが思い出せない。


 それさえ分かれば、小生意気なヨメの弱点も、おのずと明らかになろうものを。
 
 
 

 
 

 
 大丈夫。私は分かってるよ。ウヒヒ。