マナーレスな生活

 
 東京メトロのマナー啓発ポスター。
 



 携帯のカメラの調子が悪い上に、節電のため駅構内が暗く、さらに、改札口から押し出される人波を避けながら撮っているので、あまりきれいに撮れていない点は、大目に見ていただきたい。


 確かに、深夜や早朝、座席で寝ているオジサンって、いるよね、本当に。
 ただし、このポスターのモデルさん自身が、本当にこんな恰好で電車に乗っていたら、私は迷わず、彼(彼女)を膝に乗せて、自分の一席を確保するであろう。


 ポスターの写真を撮ろうと頑張っている私を、会社帰りの皆さんが、怪訝そうな顔で眺めながら通り過ぎていく。
 いや、怪訝そう、というより、迷惑そう、と言った方が、より正確かもしれない。
 マナー啓発ポスターのお陰で、マナーをわきまえない人間が、ここにまた一人出現したことは、東京メトロさんにとっては、誠に遺憾なことであるに違いない。


 では、こんなマナーレスな家主が君臨する、我が家の状態はというと。
 

(マナーをわきまえた座り方)
 
 
 先日の地震の後、職場の先輩が我が家に泊まっていかれたことは、既に書いた。
 その先輩が、後日、我が家の猫どもについて「お行儀のよい子たちだった」と言ってくださったらしいことを、人づてに耳にした。
 お行儀、かぁ。
 考えたこと、なかったな。
 来客時について、これまで私が気にしていたのは、奴らがいかにお客様に御愛想をするか、という点に尽きていた。お客様に対し礼儀正しく振る舞うか否か、という観点は、私自身が、全く持ち合わせていなかったのである。
 何しろ、奴らは基本的に人見知りである。馴染みのない人間の前で、思うままに振る舞うことなど、ほとんど有り得ないと言っていい。
 件の夜、奴らが大人しかったのは、今まで経験したことのない大きな揺れの後、知らない人が突然泊まりに来る、という非常事態に、ひたすら緊張していたからであることは、議論の余地がないと思う。


 では、普段はどうかというと。
 確かに、結構ルールを守る連中なんですよ、こいつら。
 少なくとも、表面上は。
 テーブルにも調理台にも、こたつの上にも、私の見ているときには、乗らない。
 が。
 外出して帰ってくると、流しの脇の容器に捨ててあったはずの、鍋の油を拭いたティッシュやボロ布が、必ず違うところにある。
 テーブルの上に、猫の毛や爪が落ちている。
 台所のカウンターキャビネットにまとめてある輪ゴムは、いつのまにか盗み出され、このところ減少が甚だしい。
 こたつの上にあったはずのものは、たいてい、こたつ布団の陰に移動している。
 猫のいる家庭には、ポルターガイストも、漏れなく付いてくるらしい。


 私には、ひとつの持論がある。
 即ち。
 猫には、性格の良い奴と、悪い奴がいる。
 で。
 性格の良い猫は、飼い主に分からないように、悪いことをする。
 性格の悪い猫は、分かるように、やる。
 ちなみに、後者は、実家の初代の飼い猫、ジンちゃんである。休日の午前、家人の留守に、私がモソモソと二階から降りてくると、食卓の上からからかうように私を眺めた後、私が気付いて怒りだす直前に、優雅な足取りでストンと床に跳び降りる奴だった。


 となると。
 現在の二匹は、一応、良い猫に分類されるわけだ。
 それならそれで、まあいいか、と、思っていた、のだが…
 
 

 
 
 
 …そうでもないことが、判明した。


 朝飯前の猫チェイス
 身の軽いヨメは、縦横無尽の三次元暴走を繰り広げる。
 寝起きの悪い家主は、布団の中からぼーっとその様子を眺めている。
 と。
 こいつは、平気でこたつの上を横切るのだ。
 私が起きているときは、決して乗ろうとしないくせに。
 寝ぼけ家主は、「コラ!」と叫んで、叱ろうとする。
 が。
 間に合わない。
 速すぎる。
 家主が口を開けた頃には、ヨメの姿は、すでに視界から消えているのである。
 遅れて響く「コラ!」の声に、関係ないダメがびっくりして立ちすくむ。
 教育的効果ゼロ。


 こいつ…
 私のトロさを、嘲笑っているとしか思えない。


 しかし、辞書をひいてみると、「manner」の日本語訳としては、実は、行儀や礼儀作法より先に、「慣習的な流儀」だの「しきたり」だのといったことが記されているのである。
 人間の期待を敢えて裏切るのは、猫の慣習的な流儀、と言っても、あながち間違いではないような気がする。
 つまり。
 こいつはこいつなりに、マナーを守って生活しているわけだ。
 

 でもねえ。


 人間の家に住んでいるのだから、猫のマナーより、人間のマナーを守ってほしい。


 腹を見せて椅子を占領することは許すから。 
(ただし、膝にのせちゃうけどね。)
 
 

(つめて座って、もうひと席)