ジンちゃんの生誕記念日に
5月2日は、亡きジンちゃんの誕生日。
といっても、ジンはお外から来た猫なので、私が勝手に決めた誕生日である。
そして。
彼女の命日は、4月20日である。
本当は、4月20日に、彼女にちなんだ話を書こうと思っていたのだが、諸般の都合(サボりともいう)により更新できなかったので、本日、書いてみようと思う。
題して「幽霊の話」。
5月1日(つまり、昨日)。
3連休の間、何もしていなかったことに気付き、遅ればせながら、山積みになった机の上を整理し始めた。
読まずに放り出してあった雑誌を捨てようとしてパラパラとめくると、シンガーソングライターのやなせななさんの寄稿が目についた。猫に関する記事だったからであるが、読んでみると、これが実は、「猫の幽霊」の話であった。
やなせさんが飼っていた「たびお」くんという猫は、近所の飼い猫「ミーちゃん」と仲良しであった。やがて、たびおくんは病を得て亡くなり、残されたミーちゃんは、突然いなくなったたびおくんを探しているかのように見えた。
そして、二か月ほども経った頃、ミーちゃんの飼い主さんが、やなせさん宅に駆けこんでくる。示したのは、ごく最近撮影したという一枚の写真。そこには、飼い主さんのお嬢さんに抱かれたミーちゃんと、その背中辺りに、たびおくんの顔が写っていたのだ。つまり、心霊写真である。
さらに。
やなせさんが、実物のミーちゃんを確かめるべく、お宅に出向いてみると、出てきたミーちゃんは「以前の倍ほどに大きくなっていた」という。毛の色も、元の青味がかったグレーから、たびおくんと同じ茶色に変わり、顔つきも、たびおくんに似てきていたのだ。
やなせさんは、その不思議な奇跡を目の当たりにして、泣いた。
幽霊でもいい。もう一度たびおに会えたことがうれしかった、と。
その後、ミーちゃんの容姿は、元どおりに戻ったという。
たびおくんが「ミーちゃんの中に寄り道した」のだと、やなせさんは書いている。
実は、私も、ジンの幽霊に会っている。
私は、ジンの死に目に会えなかった。
実家からは、危篤だという知らせが届いていたが、仕事が追い込みで、切り上げて帰ることができなかったのだ。
私が実家に到着した時、ジンの体はもう、冷たくなっていた。
翌日、私は無理やり仕事を早引きし、午後、母と一緒に、ジンの葬儀に行った。たまたま実家の近所にペットの火葬場ができていたので、そこで荼毘に付してもらい、遺骨を抱いて実家に戻ったのだった。
その夜。
私は実家のこたつの中で、うたたねをしていた。
こたつの中には、なながいた。
ななは姉の猫である。当時、猫同士にやきもちを焼かせない配慮もあり、「ジンは私の猫・ななは姉の猫」と、一応の役割分担をしていた。それゆえ、ななは通常、私にはそう甘えて来ないのだが、昨夜からの異様な雰囲気の中で、猫も不安だったのだろう。ななは私の方に擦り寄ってくると、私の足にもたれて眠り始めたようだった。
と。
夢うつつの中で、猫がもう一匹近付いて来て、私の脚に寄り添った。
もう一匹、というのは…。
そのとき、その猫がやってきたことで、ななが場所を譲ったことを、はっきりと覚えているからである。
ああ、ジンちゃんが来た、と、思った。
私は浅い眠りの中で、ジンが亡くなったことを忘れていた。意地っ張りなジンが素直に甘えてきたことだけを喜びながら、そのまま私は眠りに落ちた。
寝ぼけてたんでしょ、と、言われれば、そんなことはありません、と、言い切るほどの自信はない。
目が覚めて、それが本来、有り得ない出来事であることを悟った時、私自身もそう思った。が、自分でその可能性を打ち消した。
信じたかったのだ。
家族の中で、唯一、彼女にお別れを言えなかった私のために、ジンが挨拶に来てくれたのだと。
ごめんね、ジンちゃん。
今回だけではない。何かにつけ、彼女を後回しにしたことに、なお後ろめたさを感じながらも、彼女のその行為は、彼女が私を許してくれた証拠であるように思えたのだった。
(手術後のジンとなな。寄り添っている光景は、この一度きりであった。)
…ま。
その時点ではね。
その時は、多分、許す気になってくれたんだろうと。
続きがある。今度は、彼女らしくピリリとくる話。
ジンが実家にいる間、私は自分の手元で猫を飼わなかった。
ジンが亡くなって5カ月足らず。猫を飼いたいな、と思い始めていたところに、縁あって、私のマンションにミミがやってきた。
ミミはいわば優等生で、イタズラと言えるようなことは何一つしようとしない子だった。が、飼い始めた当初、3回だけ、「悪さ」をしたことがある。
1回目。生協の通い箱(発泡スチロールのケース)の角をひっかいて、キズをつけた。
2回目。夜、寝入りばなの私の足首を、思い切り噛んだ。
3回目。室内に置いてあった植木鉢の土を掘り返した。
私は、いずれの時も、別に怒りはしなかった。すでに充分、免疫ができていたからである。
というのは。
これらはすべて、ジンの「十八番」であったからだ。(1番目の箱ひっかきだけは、ジンのお得意は段ボールケースであるという違いがあるが。)
むしろ、「ミミのような猫でも、こういうことはするのだなあ」と、妙な納得をしてしまった。これは猫という動物の本性が為せる技で、それゆえどんな猫でもやるものなのだ、と。
ところが。
ミミはその後、二度と、これらのことをしようとしなかった。やりたそうなそぶりも見せなかった。
ついでに、今いる二匹も、全く興味を示さない。
つまり、この3つのイタズラは、全て、ジンの個人的な趣味であったのだ。
どうやら、これはミミとしては異常な行動であったらしい、と気付いた時、私が思いついたのは「ジンがミミに乗り移ったのだ」ということだった。しかし、もう一歩進めてよく考えると、私は3回とも、現場を目撃してはいない。そもそも、ミミが実行犯であるという証拠は、どこにもないのだ。
であるから。
本当の実行犯は、ジンの幽霊だったのではないか、と、私は疑っている。
だとしたら、なぜ…?
私のマンションは、ジンの存命中、家族の間で「ジンちゃんの別荘」と呼ばれていた。私がジンに入れ上げるあまり「マンションまで買ってあげた」とも。
ジンにしてみれば、自分が亡くなって半年も経たないのに、私が「彼女の」マンションで他の猫を飼い始めたことが、面白くなかったのではないか。
同胞の幸せのために怒りは治めたとしても、
(アタシを忘れるんじゃないわよ…)
という、ピリリと辛い警告を、私に投げつけることくらいは、やらずには気が済まなかったのかもしれない。
思えば、ジンの誕生日の前日に、一連の幽霊事件を思い出す記事に出会ったこと自体、何か因縁めいたものを感じさせないだろうか。
あるいは、
(アタシの別荘をちゃんと片付けなさい。)
という、ジンの叱責であったのか。
そこまで愛されれば、飼い主冥利に尽きるというものだ。
(アタシが愛してるですって!? まさか。うぬぼれるんじゃないわよ。)
と、ジンはおそらく、怒って噛みつくことであろうが。