記憶の扉
今日は、休暇を取っている。
理由は…職場には内緒だが、今日はミミさんの命日だから。
二年前、ミミを供養してもらったお寺に、お参りに行った。
人のいない本堂に遠慮しながら入り、ご本尊に手を合わせる。
普段は信仰心のカケラもないくせに、いきなり、涙がどっと出てきた。
「あの世」とやらにいるミミを幸せにしてやってください、と、虫の良いお願いをしつつ、心の中でミミに詫びる。
ミミちゃん。
この世で、幸せにしてあげられなくてごめんね。
痛い思いをさせて。苦しい思いをさせて。寂しい思いをさせて。
悪い飼い主でごめんね。
今度は、幸せになってね。
あなたの大好きだった、今は亡き鳥屋のおばさんの傍で。
ミミを思い出して涙することが、この頃はほとんどなくなっていた。
その理由の一つは、通勤経路が変わったから。
以前は、毎日、ある公園を通り過ぎるときに、いつもミミのことを考えた。考えると、必ず涙が出た。
別に、その公園にミミを連れてきたことがあったわけではないが、毎日考えているうちに、習慣になってしまっていた。
今の通勤経路では、その公園を通らない。
記憶が呼び覚まされる「きっかけ」が、減ってしまったのだ。
記憶の扉は、やはり何らかの「鍵」があって開くもののように思う。
去る者日々に疎し、という。
人は過ぎ去ったものを、徐々に忘れていく。それはひとつには、時の流れとともに生活そのものが変わっていくことで、その「鍵」を手にすることが減るから、なのかもしれない。
だから、ふとしたはずみで「扉」が開いたとき、そこには、自分が考えていた以上に鮮明な記憶が開けたりする。
ミミの記憶は、まだ私の感情を抉るだけの鮮明さを備えていた。
それは、悔恨とないまぜになった、心に痛い記憶であった。
だが、そうした記憶そのものも、やがては鮮烈さを失い、記号化されていく。
気付けば、そこには「扉」だけが残り、中はがらんどうの部屋、か、あるいは、思い出の「展示室」に変わっている。「扉」は「記念碑」となり、その碑文さえも、苔むして顧みられない、単なるシンボルへと変わっていく。
ミミを思い出すと、私は泣く。
一方、ジンを思い出しても、もう泣くことはない。
どちらも、心から愛した猫なのに。
悔恨と申し訳なさを未だに持ち続けていることも、どちらも同じなのに。
本堂を出て、境内をひとめぐりする。
故あって古くから動物供養を行っているお寺である。以前は気付かなかったが、境内奥の片隅に「犬猫供養」の碑があった。(冒頭の写真)
近くには、もっと古そうな「犬猫供養塔」も。
誰がどんな思いで、こうした碑や供養塔を建てたのだろう。
ただ、そっと手を合わせ、ごめんなさい、と内心で呟きながら写真を撮らせていただいた。
(ただ、この猫、失礼ながら、遠目にはちょっと牛に見える…)
参道に近い方に、動物の霊安室がある。
入口の扉を見て、また、涙が出る。
ミミと最後のお別れをしたときを思い出して。
今日もここに、飼い主との別れを済ませた動物が、眠っているのだろうか。
あるいは、もしかしたら。
まさにこの瞬間、この中に、二年前の私と同じように、亡骸を前に為すすべもなく泣き崩れている人が、いるのかもしれない。
その人にとっても、私にとっても、やがてはこの霊安室の入口が、記憶の扉となり、記念碑となる日が来る。
それは、何だか悲しいことのように、まだ、私には思える。
泣いている人を見るのは、周囲にとっては胸の痛いことだけれど、本人にとっては、涙が出なくなることの方が、もっと辛いことであるに違いない。
失った相手が、手の届かない遠くに行ってしまう気がして。
思えば、「去る者日々に疎し」とは、不思議な言葉である。
ことわざや格言には、教訓、もしくは、生きるための知恵と言えるような、ある種の方向性を示唆するものが多いが、この言葉は、それを良いとも悪いとも語ってくれない。
忘れることを、咎めるでもなく。
早く忘れろと、促すわけでもなく。
ただ、それが現実なんだから、と、人を突き放す言葉に思える。それをどう捉えようと、とりあえずは、黙って受入れろ、と。
霊安室の前から参道に向かう途中、木陰に座って携帯電話で話している奥様がいた。
「まあ、それはひどいお嫁さんねえ。」
そんな言葉が、いきなり耳に飛び込んできた。
そうそう、ヒドいヨメなんです。
何の話か分からないけど、思わず、内心で参加してしまった私である。
ヨメという言葉に、つい反応した。
そう、うちのヨメは、今朝も、昨日届いた通販のダンボールの中から、私がお米の袋を縛るのに使おうと思っていた太輪ゴムを盗んだのだ。
一瞬にして、現実に戻った。
ある意味、印象的な瞬間であった。
去る者、日々に疎し。
だが、現在家にいる奴とは、日々闘わねばならないのである。
アンタのじゃなくて、アタシのだってば!
キミじゃなくて、キミの抜け毛と闘ってるの!