ダメちゃんの安全神話
ダメちゃんが、一年で最もキライな週末がやってきた。
近所のお祭りである。
ダメちゃんは、地球上の何より、家主よりヨメより掃除機より、お祭りの太鼓が怖い。
例年、大太鼓がドーンと鳴ると、パニックを起こして走り回っては、どこかしらに潜り込んで、音がしなくなるまで隠れている。
ヨメが昨年、どうであったかは、全く覚えていない。多分、反応が地味だったのだろう。
だが、とりあえず今年は、夫と一緒に走っていた。
やはり、大太鼓は苦手であるらしい。
これだから、田舎モンは…。
自分だって、充分、田舎モンのくせに、侮蔑的な微笑を浮かべる家主。
江戸っ子ミミさんは、太鼓の音くらいじゃ、全く動じなかったのにね。
だが、飼い主的には、こうしてびっくりしている猫どもを観察するのは、結構面白い。
二匹の性格の違いが、よく分かる。
ヨメは、いったんは逃げたものの、直接の危険がないらしいと分かると、今度は怪しい音の正体を探らんと、そろりそろりと窓辺に近寄って、様子を見に行くのだった。(そして、また走って戻ってきては逃げ回るのであった。)
対するダメは、ひたすら逃げの一手である。
朝から続くテケテンテンテンという小太鼓の音で、すでに不穏な空気を察知していたダメ。最初のドーンで、まずは方向も何もなく走りだし、次のドーンで、和室の押し入れに突進すると、後脚で立ち上がって、必死に押入れの襖を開けようと頑張っていた。(仕方がないので、家主は襖を開けて、彼を、本来立ち入り禁止のはずの押入れに入れてやったのだった。)
その、ダメの逃げ方であるが。
それでも、年数を経るごとに、「落ち着き」が見られるようになってきた。
必死で逃げてはいるが、当初のように、明らかなパニック状態ではない。
明らかに、確信を持って逃げている。
どうやら、彼は彼なりに、「あいつはしばらく隠れてさえいれば、深追いはしてこない」と、学習したらしいのだ。
どうもイマイチ、理解の方向が、学習指導要領からは外れているような気がするが、まあ間違いではないので、良しとすることにしよう。
ヨメと違って、「音の正体は何か」「どんな条件下で、こんな音が発生するのか」を追求する、科学する心を全く持ち合わせない。完全な文系男子である。
やがて、音がいったん止んだので、押入れから出てきたダメ。
ところが、今度は少し遠くで、二回目が始まった。(お囃子や大太鼓は、山車に乗って移動しているらしい。)
ドーンドンドン、と、鳴り始めたとたん、また遁走を始める文系男子。
今度は、押入れではなく、奥の部屋へ退却しようとする。
が。
こいつ、走りながら、なぜかやたらと振り返って、私の顔をじっと見るのだ。
その意味するところは、しかとは分かりかねるのだが、
「ぼく、ここは逃げるべきだよね!?」
と、確認を求めているようでもあり、
「一人で逃げるのは心細いよ…」
と、助けを求めているようでもあり、はたまた、
「そこでボーッとしてないで、逃げなきゃ危険だよ!!」
と、私を心配してくれているようでもあり。
いずれにしても、私が一緒に逃げてやれば、彼も安心したのかもしれないが。
でもねえ。
一緒に逃げたところで、キミみたいに、押入れの布団の隙間に潜り込むのは、私にはちょっと、無理みたいな気がするな。
とはいえ。
逃げながら、私の行動を気にする余裕が出ただけ、彼の学習にも、一応は得るところがあったと言って差し支えないであろう。
(科学する理数系女子)
時は移り、同日(今日)の夕刻。
山車や神輿は、昼間のうちに終了し、猫どもは午前中の恐怖体験を忘れ、のんびりとくつろいでいた模様である。
そこへ、外出から帰宅した家主。何の気まぐれか、買い物の途中で、行き当たりばったりにCDを衝動買いしてきたものである。
私は普段、ほとんど家の中で音楽を聴くようなことがない。よく、一人暮らしだと、淋しいからテレビを点けっぱなしにしているとか、音楽を流しっぱなしにしているとかいう人がいるが、私は平気である。むしろ、音がない方が静かでいいと思う方であるから、CDの類は、衝動買いしたものを何枚か持ってはいるが、いずれも単なる収蔵品と化している。
まあ、そうはいっても、買ってくれば一回くらいは聴く。
今日も、とりあえず買ってきたので、かけてみることにした。
何しろ、曲も演奏者も良く分からずに買っているという無責任さなので、当然、何が出てくるかなんて予想もしていないのは、猫どもと同様である。ところが、何と、そのCDには、一部、ドラムソロがあったのだ。
その瞬間。
猫どもは、驚愕のまなざしで、CDプレーヤーを凝視した。
その音は、もちろん、お祭りの大太鼓よりずっと小さく、迫力も弱い。
だが、それを耳にしたダメの心中はいかばかりであったか。
あの太鼓の野郎が、ついに、家の中にまで深追いしてきたのだ。
ダメちゃんの安全神話は、こうして、もろくも崩れ去った。
でもね。
仕方がないんだよ、ダメちゃん。
何しろ、男は敷居を跨いだら、七人の敵がいるんだからね。