ムムのこと・ブログのこと

 

平成24年5月4日撮影)
 
 
 ムムがいなくなって2週間。
 もう2週間、という思いと、まだ2週間、という思いがある。
 まだ、たった2週間なのに、ムムがいた日々は、すでに遠い昔のようだ。
 
 
 いつもどおりの生活が、まるで一定のスピードで走る列車に乗っているようかのように感じられる。
 車窓に映る景色は、飛び去るのではない。だが、走り続ける列車に対し、静止しているそれは、走り過ぎた途端に過去となり、とどめるすべもなく、容赦なく視界から消えていく。
 ムムのいた日々は、もうすでに、私の生活の車窓から、遠い彼方に置き去りになってしまっている。もう、手を伸ばしても届かない。列車は止まらない。
 
 
 天竜いちごさんが、ムムのフィギュアかマグカップを作りませんか?と言ってくれた。
 ネットでいろいろ探してくれたらしい。
 へえ、そんなものがあるのか、と、ちょっと興味をそそられたが、やはり、ご遠慮申し上げた。
 ムムの記憶が薄れて行くことを恐れる私の気持ちを慮ってくれたのだろう。彼女のそうした私に対する思いやりや、ムムに寄せる愛情は、本当に嬉しいと思う。だがやはり、それは私の欲しいものとは、少し違うような気がした。
 私の欲しいものは、「記念品」ではないからだ。
 私の繋ぎとめたいムムの記憶は、どう言えばいいのだろうか。例えば、被毛の手触りとか、体温とか、柔らかな筋肉の感触。手のひらに伝わる鼓動や、喉をゴロゴロさせる音や振動。膝に乗せたときの、爪のチクチクする感触。
 あるいは、私を見上げて甘えるときの表情。鳴き声。棚のてっぺんから床に跳び降りる着地音。お湯を使う私を、風呂蓋の上から眺めていた視線。お互いの間にあった、ある種のコミュニケーションの瞬間。
 要するに、ムムがいた生活のリアルな触感なのだ。
 だがそれらは、すべて、形に残せないものだ。すでに、私は彼女の鳴き声を鮮明に思い出せなくなっている。形のない記憶は、驚くほど速く退色していく。
 結局、それは、止めることのできないことなのかもしれない。
 まだ手の中にあたたかかった記憶は、やがて、そのぬくもりや息遣いを失い、硬質な思い出として結晶していく。形のないものが、永遠に残る形を求めていくように。
 私が抱きしめるムムの触感は、車窓を走り過ぎる風に攫われて、いつか、私の過去の風景の中に、小さな結晶を形作るだろう。そのとき、私はそれに似た何らかの“カタチ”を、欲しいと思うかもしれない。記念品を探すのは、それからでいい。
 
  
 そんな私の生活の中で、時折、ムムの不在を強く感じる瞬間がある。
 猫ごはんのあと、一枚だけの皿を洗うとき。
 トイレの砂の減りが、遅いなあと感じるとき。
 眠りに落ちる前、布団の上に、一匹の猫の存在しか感じないとき。
 もうずっと、ダメと二人だけの生活をしているような弱い錯覚に寄りかかりつつ、同時に、“一匹だけの猫”という状況に強い違和感を覚える私がいる。
「ダメちゃん、また二人きりになっちゃったね。」
 私は彼に言った。
 ダメと二人きりの生活は初めてではない。ミミが亡くなり、ムムが来る前の2か月半。同じ状況になってみると、思いのほか、その経験は近い記憶で、何か連続性のようなものさえ覚えることもある。だが、やはり、何かが間違っているのだ。
 ムムの膿の検査結果を聞きにいった日。診察室を辞去しようとする私を励ますように、まだ大治郎くんもいますからね、と声をかけてくれた先生に対し、
「それに、多分、落ち着いたら新しい猫を迎えると思います。」
と、私は声に出して、“決意表明”をした。
「だって、私が飼えば、一匹分の命が繋がりますから。」
 それは、私の信念でもある。
 亡くなった子を悼む気持ちと、それは別問題だ。
 行き場のない他の猫を、精いっぱい幸せにしてあげること、それが亡くなった子への供養でもある、そう思っている。
 私のできることなどたかが知れているが、そして、私が飼い主として上等だとは決して思わないが、できることは、する。時間は無駄にしたくない。 
 だが。
 今、私は痛切に感じている。私が猫を飼うのは、やはり、私自身のためなのだ。
 そして、ダメのため。
 私たちは、三人で支え合って暮らしてきた。もうすでに、私たちの生活は、「一人と二匹」を前提に組み立てられている。
 自分の力で不幸な子を幸せにする、そんな不遜な気持ちは持っていない。我が家の待遇なんて、絶対、猫飼い家庭の上位にはランクインしない。でも、その中でも一緒に楽しく暮らせる子がいたら。我が家で幸せに「なれる」子と、ご縁があるなら。
 そのときは、きっと、我が家にお迎えしたいと思う。
 今はまだ、ミミやムム以外の猫を加えたトリオの生活は、想像の埒外であるけれど。
 
 
 

(私の膝に手を掛けて立ち上がるムム。平成24年1月24日撮影) 
 
  
  
 思えば、このブログは、ミミの葬儀の夜の記事から始まっているのだ。
 本当にブログとして書き始めたのはもっと後からで、この辺りは、当時、数人の知り合いに送っていたメール、「ダメちゃんニューズレター」を転載したものであるが、そこからやがてヨメが登場し、仔猫時代を経て、奇しくも、彼女の一生分の記録になってしまった。
 ただし。
 古い記事を読み返す人などほとんどいないと思うので、多分、気が付いている人は皆無に近いと思うが、その記録は、ムムが我が家にやってきた、その時期の分がすっぽりと抜け落ちている。
 まあ、今でも平気で1ヶ月以上、更新をサボっていたりするので、そのこと自体も気にする方はいないと思うが、実は、この欠落については理由がある。
 記録は、残っているのである。
 いや、正確に言えば、私の手元からは、私の不注意により消えていたのであるが、当時の「ニューズレター」の読者であった某先輩が、全てとっておいてくれていた。
 当時「ニューズレター」を読んでくださっていた方は、うっすら記憶があるかもしれないが、ヨメ登場の顛末は、一連の「連載モノ」として書かれていた。最初は普通の報告メールであったのが、だんだんに私が悪ノリして脱線し、最終回直前で、無責任にも飽きて放り出してあったものである。
 いずれ完成させたらブログに載せようと思っているうちに、完結を待たず、ヨメの方がこの世を去ってしまった。
 
 
「ブログはどうするんですか。」
 ムムが亡くなって間もなくの頃、天竜さんに尋ねられた。そのときは、先のことは全て漠とした状態であったのだが。
 今、考えていること。
 とりあえず、ここまでで、一区切りをつけたいと思う。
 ブログは閉鎖しない。サブタイトルを変え、できれば画面デザインもリニューアルして(できるか分からないけど)、出直したいと思っている。
 幸い、このブログを書かせていただいている「はてな」さんには、1冊からのブックサービスがあるので、ここまでの分を本の形にまとめて、ムムの思い出のアルバムにすることも、考えている。
 そのためにも。
 欠落していた、ムム登場の逸話(?)を、エピローグとして次回から掲載したいと思う。
 毎日は無理かもしれないが、なるべく間を置かず、更新するつもりだ。
 最初の方は単なる報告メールで短いので、全文を一挙公開にしようと思ったのだが、先輩から送ってもらったものを見て、我ながらびっくりした。未完成の分を含め、全10話もあったのだった。
 と、いうわけで、1回分としてはかなり短く、物足りないこととは思うが、1話ずつの連載とすることにする。未完成の最終話とエピローグは別として、なるべく手を入れずに、原文のままで掲載する。
 仔猫のムムを家族に迎えた当時の、ダメと私の戸惑いと興奮。ほろ苦くも懐かしい、今となっては優しい「思い出」である。
 
 
 最後に。
 
 
 この不真面目ブログにお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
 そして、ムムを愛してくださったことも。
 皆様のおかげで、ムムの生涯は、短いながらも輝くものになった、と思います。
 いつかどこかで、サビ猫を見かけたら、
「そういえば、猫山さんちに黒サビがいたっけなぁ」
と、思い出していただければ幸いです。
 
 
 それでは。
 いずれ、新しい画面で。
 
 
 次回からのエピローグ連載。タイトルは「ダメ隊長の地球防衛戦記」。
 全10話+エピローグでお送りします。 
 
 
 
 
 
 
平成24年2月4日撮影)