永遠の少女

 

 
 
 ムムの遺骨を引き取ってきた。
 
 
 お寺ではちょうど法要があったらしく、いつになく人でごった返して忙しそうだった。このためか、今日に限ったことらしいが、納骨堂(ロッカー)の鍵は、回向堂の入り口での受け渡しであった。
 私が鍵をもらいにいくと、ちょうど他のご遺族がいて、受付の女性と話し込んでいた。
 私は受付の近くで待っていたのだが、そのご遺族が立ち去る時、
「“だっこ”が…」
と、話しているのが聞こえた。
 …え。
 だっこちゃん。
 では、あの方々は、だっこちゃんの、ご遺族だったのだ。
 
 
 霊安室にムムの亡骸を納めた時、
「猫の隣がいいね」
と、他の猫の棺(段ボール)を探した。
 多くは犬か、あるいは、家名しか書いていない棺であったが、一つだけ、「猫」として名前の書いてある棺があった。
 ちょうど隣に少し隙間が出来ていこともあり、その子の隣に、ムムを安置した。
 その猫が、「だっこちゃん」だった。
 
 
 あんなにおうちに帰りたがっていた、ムム。
 病で弱った体で、生まれて初めてひとりぼっち、病院のケージの中で二晩を過ごしたムムの気持ちを考えると、せっかく帰ってきたおうちを出て、また霊安室にひとりで置いて帰ることは、とても後ろ髪引かれる思いのすることだった。
 でも。
 一緒に旅立つお友達がいる。
 だっこちゃんは、雄なのか雌なのか、何歳なのか、そして、どんな子なのか。
 猫であるということ以外、何も知らないけれど、ムムは猫馴染みの良い猫だったから、きっとお友達になれるだろう。
 少なくとも、ひとりぼっちではない。
 たいへん一方的な、飼い主の独りよがりにすぎないが、それでも、その「だっこちゃん」のお陰で、私の心が少し軽くなったのは事実だ。
 
 
 その後、供養の席でも、だっこちゃんのお塔婆を見、読経の際に名前を呼ばれるのを聞いた。
 ああ、ムムと一緒だ、と、思い、知らない猫に何だか親近感を抱いた。
 お塔婆を建てるときに、ひょっとしたらご遺族とお会いできるかも、と、少しばかり期待していたのだが、すれ違いだったらしく、お見かけすることはなかった。
 
 
 そのご遺族と、本当に偶然に行き会ったのだ。
 やっぱりご縁があったのだ、と、それこそ勝手に思った。
 一瞬のことで、追いすがって話しかけることはさすがにためらわれたため、結局、お話はしていない。だっこちゃんのご遺族は、もちろん、ムムのことは知らない。
 ご遺族がこのブログを見ているとはとうてい思えないが、もし、伝えられるものなら、遅ればせながらお礼を申し上げたいと思う。
 お宅のだっこちゃんのおかげで、ムムを安心して送り出すことができました。
 ムムはきっと、だっこちゃんのお世話になったことと思います。
 ムムがだっこちゃんの道連れになったことで、だっこちゃんのご遺族も、少しでも心を軽くしてくれたら嬉しいな、と思う。
 
 
 ムムを退院させるとき、先生が、
「こういう内気な子は…」
という言葉を使った。
 非常時であったにもかかわらず、その言葉はひどく新鮮に、私の心に響いた。
 内気な子。
 そんな言い方が、あったのだ。
 時として、家族より外の人間の方が、その人や動物を的確に見ていることがある。
 家の中でのムムは元気にのびのびと振る舞っていたが、やはりこの子の本来は、はにかみ屋で内気な少女だったのだ。そのことに、今更のように気付かされた。
 以来、私の中で、この言葉はムムの象徴のように鳴り響き続けている。
 それと併せて。
 ムムに初めて会ったお見合いのときのことが、折に触れて脳裏にフラッシュバックする。
 それも、ムムが部屋を逃げ出した後、ちらりと見かけた一瞬。
 知らない人の訪問に、ひとり保護部屋を走り出たムムは、その後、私たちが他の仔猫と遊んでいる間、少し離れた物陰から、そっとこちらの様子を覗き見ていた。
 そのときの、ムムの表情。
 厳密に覚えているわけではないが、そのとき私は何となく、彼女は怯えて警戒しているのではなく、本当は仲間に加わりたがっているのだ、という印象を受けた。
 多分、それは当たっていたのだと思う。思うというより、確信している。
 ムムは、そういう子だったのだ。
 
 
 最初の晩から一緒の部屋で寝たくせに、私と目が合うとダッシュで逃げる。
 撫でられるようになったのが、確か10ヶ月後。
 毛皮に顔をつけられるようになるのに、2年近くかかった。
 でも、撫でられるようになってみると、実は、撫でられるのが好きな子だった。
 そして、膝に乗る、または乗せられるようになったのが、さらに半年近くか、それ以上経ってから。
 つまり、ごく最近のことだった。
 やっと、甘え方を覚えた。
 と言っても。
 膝の上で立ち上がったり、8の字ウォークを始めてみたり。お膝での甘え方は、まだまだ上手とは言えない。
 家庭猫として、ようやく完成間近、といった時期だった。
 お前、膝に乗るんだったら、爪を切らせてよ。
 飼い主は、自身で彼女の爪切りをする日を夢見ていたのだが、結局、彼女は、手術の際に病院で切ってもらった短い爪のまま、飼い主には一度も切らせずに、自らの肉体に別れを告げたのだった。
 
 
 ミミが亡くなったのは、確か火曜日だった。
 平日だったので、友人たちが仕事帰りに弔問に訪れてくれた。
 その前か後に、姉も来てくれた。
 翌日のお寺には、母が一緒に行ってくれた。
 つまり、主だった知己の人間には、きちんと見送ってもらったのだ。
 ムムが亡くなったのは、日曜日の夕方。
 弔問客はなかった。ムムの亡骸を見たのは、私と、往診してくれた先生と、そして、またもやお寺に付き合ってもらった母だけ。
 淋しいお弔いだ、とは思わなかった。
 むしろ、人見知りなムムらしい。一晩、私と、怒ってはいたがダメとだけ過ごした方が、彼女には安心できたのではないか、と思う。
 
 
 その友人たちに、今日、会った。
 私のことも心配してくれていたようだが、それ以上に、ムムのことを本当に悼み、悲しんでくれていた。
 ムムちゃんは可愛い猫だった、と、何度も言ってもらった。
 彼女たちには、言葉足らずながら、お礼を言った。
 死の直前、2泊3日の入院生活で、彼女は、病院の助手さんたちに、いくらか心を開いていたらしい。そのことが、私の救いになっている。
 内気なムムが、私以外の人間に、少しでも懐くことができた。
 それは、ムムが、私以外の人間の存在に、慣れてきていたからだ。
 友人たちは、何度も我が家を訪れていた。ムムはなかなか見えるところに現れなかったが、彼女たちは追い回すようなこともせず、気長にゆったりと、この愛想のない内気な子に付き合ってくれていた。その経験が、ムムを成長させていたのだ。
 ムムの病気について調べていた際、偶然に、ある獣医師さんが書いているブログに行き当たった。
 その獣医師さんは、飼い主以外の人間に猫を慣れさせることの大切さを説いていた。即ち、飼い主以外を受け入れない猫には、どうしても提供できる医療が限られてしまう、と。特に、暴れ猫は相当に大変らしい。察しはつく。
 医療行為だけの問題ではない。病院に行って知らない人間に体をいじられることのストレスや、入院によるストレス。これらはもちろん、どの猫にも避けて通れない問題なのだが、飼い主以外に全く心を開けない猫と、人間に対する基本的な信頼感を持っている猫とでは、そのダメージの度合いに大きな差があることは間違いないと思う。
 そう。つまり、彼女たちの存在は、間接的に、ムムを守ってくれていたのだ。
 どれほど多くの人たちに、ムムは守られていたことだろう。
 
 
 以前、一緒に仕事をした先輩からも、メールをいただいた。
 ムムの死を知って、涙を止められなかった、と言ってくださった。会ったのは一回だけだったけど、と。
 そういえば、その先輩も、ムムが会ったことのある「よその人」だった。
 ブログと、その前身の「ダメちゃんニューズレター」で、長いお付き合いのように思っていました、ともあった。
 ここにも、ムムを見守ってくれていた人がいたのだ。
 内気なムム。人見知りで、他人に甘えることが苦手だったムム。
 私にとってはかけがえのない可愛い子だったけど、多分、一般的な意味では、目立たない、印象に残らない存在だったであろう、小さな命。
 だが、彼女が受け取っていた人々の愛情の輪は、いつの間にか、広く大きく広がっていたのだ。
 ゆっくり、ゆっくり、彼女は大人への階段を上っていた。
 自分を愛してくれる人に、心を開くこと。
 与えられる愛に、素直な喜びと態度で応えること。
 物陰からドキドキしながら、自分に会いに来た人間を覗き見ていた、小さな内気な少女は、だが大人になる直前に天に召された。
 無念だけれど。
 とても悲しいけれど。
 内気な少女のままでいる方がムムらしい。神様はそう思ったのかもしれない。
 階段の途中に立ち止まったまま物語を終えることで、彼女は永遠の少女となった。
 たくさんの人々の愛情につつまれて。
 
 
 もしも、だっこちゃんがムムのお友達になってくれたなら。
 だっこちゃんにも、そして、だっこちゃんの冥福を祈っていたご遺族の方々。あの方々にも、間接的に、ムムは守られている。
 そして。
「ムムをよろしくね。」
と、私は天国のミミに頼んだ。
 かつて、孤独に心を閉ざしていたダメを優しく受け入れてくれたミミのことだ。きっと、知らない国に着いて戸惑っているムムを、同じように優しく導いてくれることだろう。
 互いの柔らかい黒い被毛を舐め合うミミとムムは、まるで姉妹のようだ。
 
 
 ムムの膿から検出された菌は「ペプトストレプトコッカス(Peptostreptococcus)」だった。
 常在菌なのだそうだ。いわゆる、日和見感染というやつである。
 普段は全く悪さをしない菌で、しかも「各種抗生剤に高感受性で、治療上ほとんど問題とならない」とあった。
 そんな菌に、ムムは殺されたのだ。
 なぜ感染したのか。どこから感染したのか。それは結局、分からなかった。
 もちろん、後悔することは、たくさんある。
 菌が殺したというより、私が殺したと言った方が、正しいのかもしれない。
 だが。
 敢えて言い訳をするなら、「犯人」は、膿を培養して、それも、通常より時間のかかる培養検査の結果、初めて判明したものだ。
 常在菌だけに、その可能性を疑う理由は、ほとんどなかった。また、発熱や食欲不振から、ただちにその検査に至ることは、ほぼ考えられないことである。
 分かった時には、もうすでに手遅れなのだ。そう考えるしか、ないではないか。
 私がもっと早く、異変に気が付いていれば。
 私がもっときちんと、ムムと向き合っていれば。
 三年の間に二匹も死なせておいて、という声も、常に耳元で聞こえている。
 だが、批判を覚悟で、敢えて私は言おうと思う。ムムは幸せだった、と。
 私自身は、猫たちに何もしてやれない失格飼い主だけれど、少なくとも、我が家に来たことで、ムムはたくさんの人の愛情を得たのだ。
 今日会った友人は、こんなことを言ってくれた。
「猫は、自分が何歳で死んだかなんて、考えていないんだよ。」
 そう。
 自分自身に置き換えてみても、幸せは人生の長さより、生涯に受け取る愛情の量によって決まるもののような気がする。
 愛情だけは。
 確かに、私も君に、いっぱいあげたよ、ムム。
 君が本当に愛しかったから、君がいつか懐いてくれることを信じていたから、ダッシュで逃げられても笑い飛ばせたんだ。
 その点だけは、自信がある。
 だから、許してくれるよね。この落ちこぼれ飼い主を。
 
 
 おかえり、ムム。