隙間風の季節

 
 
 
 先々週に購入したビーズクッションであるが。
 現在、どうなっているかと言うと――
 簡単に言えば、
 
 
乗っ取られた 
 
 と、いう状況である。
 
 

10月31日


11月1日
 

11月4日
 

11月10日
  
 
 最初のうちは、面白がって毎日撮っていたのだが、だんだん哀しくなってきてやめた。
 この二週間、彼は、日没後のほとんどの時間をこの上で過ごしていると言っても過言ではないのだが、私自身は、数えるほどしか座っていない。
 週末、猫の毛だらけの四つ折りシーツに掃除機をかけながら、何かが間違っている、という思いが、強く私の心を捕らえる。
 いったい私は、何のためにこのクッションを買ったのだろうか。
 少なくとも、自分の生活を空しくするため、では、なかったはずだ。
 
 
 それなのに。
 この二週間、私は、こんなはずではなかった、という、後悔と虚しさのないまぜになった苦い思いを、夜が来るたび噛みしめている。
 なぜって。
 
 
 このクッションが登場して、彼は変わった。
 私たちの間に、隙間風が吹き始めたのである。
 
 
 夜。
 ダブルのマットレスの上の、枕の位置をほどよく整えて。
 灯りを消し、静かに目を閉じて、私は彼を待つ。
 やがて、暗がりの中に誰かが近付いて来る気配がして、そっと薄眼を開けると、彼の大きなシルエットが、暗がりの中にぼんやりと浮かび上がって見える。
 彼は私の枕の横に身を横たえ、彼の息遣いが私の頬に届く。私はそっと腕を伸ばし、彼のあたたかい肉体に触れる。
 至福の愛の瞬間。
 だが、あの日から、私の頬に、彼の息遣いが届くことはなくなった。
 眠りに落ちながら彼を呼ぶ私の傍らに、彼は来ない。時折、疲れ果てた私が寝付いた後に、こっそりベッドに上がってくることはあるようだが、そんなときでさえ、目覚めても私と目が合わない位置を選んで眠っている。一つのベッドで眠りながら、私たちの間に触れ合いはない。彼が私のベッドに来るのは、多分、義理と習慣の産物にすぎないのだ。
 そして、私は知っている。
 私が淋しくひとり眠りに落ちる瞬間、彼がどこにいるのかを。
 
 
 そもそも、私がビーズクッションを買ったのは、こたつでPCを使えるようにするためだった。
 だが、今、私は脚をひざ掛けでぐるぐる巻きにして、相変わらず北向きのPC部屋で、この文章を書いている。
 大丈夫。まだ、厚着をすれば、充分、北向きの部屋でも仕事になる。
 本来、デスクでPCを使った方が、体には負担が少ないのだから。
 だが。
 
 
 ここにも、隙間風は吹いている。
 
 
 私は手を止め、背後の音に耳を傾ける。
 誰も来ない。
 私はため息をつき、傍らのソファの上に置いた水色のクッションを、ぼんやりと眺める。
 そこは、仕事をする私を待つ、彼のための特等席。
 私がキーボードを叩き始めると、彼は必ずここに来て、私がPCを閉じて立ち上がるまで、ただじっと待っていてくれた。
(早く終わらせて。僕を見て。)
 私を見つめるその瞳は、熱く、切なく、そう語っていた。
 やがて、待ちくたびれて居眠りを始めた彼のうなじを、私は、仕事に疲れた指でそっとなぞり、魔法のような慰めと癒しが、指を伝わって水のように全身に広がるのを、震えるような感動をもって、ただ、ただ、感じていたものだった。
 だが。
 彼はいない。何度振り向いても、主のいないソファの上に、水色のクッションは、ただ冷たく横たわっているだけだ。
 私はうつろな目を見開いて、私を待つ彼の姿を探す。愛の幻影を探す。
 彼はいない。
 彼は、どこにいるのか。
 不幸にも、私は知っている。今、彼がどこにいるのかを。
 こことは違う、あたたかい部屋で。私の眠ったことのないベッドの上で。
 私の知らない楽しい夢を、彼は今夜も、見ているのだ。
 私は唇を噛んで、水色のクッションを凝視する。
 もう、私たちの関係は、昔どおりではない。
 彼は、変わってしまった。
 あの熱い夏の日々は、いつの間にか、遠く過ぎ去ってしまったのだ。
 愛されることに慣れた身に、それを認めることは、死ぬほど辛い。
 だが、現実は受け入れなければ。どんなに辛くても、しっかり目を開いて、真実を直視しなければ。
 北側の窓は閉まっている。だが、そこから、二人の部屋に幽かな秋の風が吹き込むのを、痛みとともに、私は感じる。
 
 
  お部屋は北向き 曇りの硝子
  うつろな眼の色 とかしたミルク
  僅かな隙から秋の風
 
  ちいさい秋ちいさい秋ちいさい秋みつけた

 
  
 

  
 
 肌寒ささえ感じる、曇天の午後。
 私は力尽きたように、ビーズクッションの上に座り込む。
 この子が、原因なのだ。
 二週間前のあの日。嬉々として、この子を彼に引き会わせた私。打ち解けようとしない彼を心配して、あのとき、私はわざわざ、彼を呼び寄せてここに座らせ、早く仲良くしてほしいと心を砕いたのだ。
 何という馬鹿、だったのだろう。
 そして。
 今、素知らぬふりで、だんまりを決め込んでいる、この子。
 信じていたのに。
 親友だと、思っていたのに。
 私を包み、癒してくれる存在だと。優しくとてもあたたかい存在だと、本当に、大切に思っていたのに。
 それなのに、この子は、私のものである彼の心を盗んだのだ。
 許せない。
 彼を返して。
 彼は私のもの。私だけのものなのだから。
 
 
 と。
 
 
 ふいに、彼がそこに現れたのだ。
 
 
 彼は不可解そうな表情で、クッションに身を埋める私を見、それからおもむろに、片手をクッションの上に置いた。
 僕もそこに座りたい、と、彼は私に告げたのだ。
 
 
 ああ!
 
 
 愛は生きていた。
 二週間もの間、私が見続けたのは、ただの悪夢に過ぎなかった。時は一気に、二週間の時を遡った。あの日の彼が、目の前にいる。あの日のように、私たちは、一つのクッションの上で、愛を確かめ合おうとしているのだ。
 そうよ。私は信じていたわ。あなたは私のものだと。私だけのものだと。
 
 
 私は急いでお尻を後ろにずらし、膝を開いて、彼の場所を作った。
 が。
 彼は登ってこない。
(何故…?)
 私は彼の瞳を覗き込み、そして、思ってもいなかったものを見た。
 彼のその眼は、ただ、
(どけ。)
 と、私に告げていたのだ。
 
 
 これは――
 これは、悪い夢なの?
 それとも…現実なの?
 
 
 目をつぶってしまいたい。
 だけど。
 真実は、直視しなければならない。
   
  
 私は瞳に力をこめて、彼をじっと見つめ返す。
 私の反抗に気分を害した彼は、ぷいと目をそらし、ふてくされたように、敷物の上に横たわって、寝たふりを始める。
 その背中に、私はついに、禁じられた問いを投げかけた。
 
 
 
 大治郎くん。
 私の目を見て。そして、正直に答えて。
 あなたが愛しているのは、私なの? それとも、このビーズクッションなの?
 
 
 

 
 条件付きかい!