ひねくれおとこの幸福論

 

(Cats安暖邸の猫たち)  
  
 
  ひねくれおとこがおりまして
  ひねくれみちをあるいてた
  ひねくれかきねのきどのそば
  ひねくれおかねをひろってね
  ひねくれねずみをつかまえた
  ひねくれねこをてにいれて
  ちいさなひねくれあばらやに
  そろってすんだということだ
       (マザーグースより 谷川俊太郎訳)

 
 
 Cats安暖邸に行ってきた。
 相変わらず、可愛い仔猫(といっても、今回は時期的に、割と大きい子が多かったのだが)が無邪気に遊んでいて、楽しいひとときを過ごした。
 同行した人たちは、単純に仔猫と遊ぶ目的だったので、堪能してもらえたようでホッとしたが、私だけは、別の目的がある。
 群なす仔猫たちを、あれか、これか、と、品定めし、ここに「うちの子」がいないかと、気が付けばそればかり考えながら、無心に遊ぶ仔猫たちを見ていた。
 サビ好きとしては、サビの「テンプルちゃん」に、どうしても目が行くのだが、結局、安暖邸チームで候補となったのは、黒白の「キグルミくん」。
「大人しいし、べったり甘えるというよりは、そっと近くに来ている子ですよ。」
 だが、ボランティアさんの膝に抱かれると、気持ち良さそうにじっと長くなっていた。
 されるがまま、という感じ。
 しかし、冷静な猫ウォッチャーである、猫カフェ荒らしのSさんによれば、
「でも、売られたケンカはきっちり買ってましたよね。」
 そう。大人しいけど、やられっぱなしなわけでもない。猫同士の付き合いも難なくこなす、多分、二匹目の猫としては理想的なタイプの男の子だった。
 
 
 しかし。
 
 
 やっぱり、山猫姫が気になる…
 
 
「やっぱり、山梨に行ってこようかな。」
 私が自信なげにつぶやくと、Sさんが力づけるように、大きく頷いた。
「このままだと、どのみち心を残すことになるんじゃないですか。」
 確かに、そのとおりだ。
 そう。とにかく一度、山梨に行こう。そして、山猫姫に会ってみて、結論を出せばいい。結局、キグルミくんを迎えることになる可能性も、否定せずに。
 山猫姫か、キグルミくんか。
 黒白猫が、文字どおり、雌雄を決することになる展開と決まった。
 
 
 翌朝、Yuuさんにメールを出した。
 安暖邸の中では、キグルミくんがいいと思ったこと。しかし、踏ん切りがつかず、やっぱり山猫姫に会ってみて決めることにしたこと。
 ついでに、山猫姫は「大人しい子らしい」という情報もゲットしたので、彼女が優勢であることも含めて、サテライト再訪を告げた。
 が。
 Yuuさんからの返事は、思いがけないものだった。
 山猫姫は、大人しいどころか、ものすごく活発なお嬢さんだというのだ。
 仔猫部屋の戸を開けると飛び出してくるものだから、ついに扉を増設したとか。
 さらに。
「すりべたの甘えん坊です」
と、あった。
 
 
 無理だ。
 どう考えても、無理だ。
 そんな積極的な子が来たら、ダメちゃんは、間違いなく疲弊してしまう。
 もう、ガスモチンどころの騒ぎじゃない。
 心身症でハゲになるくらいの話だろう。
 
 
 その瞬間、山猫姫妄想は、跡形もなく消えた。
 
 
 と、いうわけで。
 ハナシは、三たび、振り出しにもどってしまったのである。
 
 
 だが、今回は、キグルミくんという二番手がいる。
 彼は、あらゆる意味で理想的だ。
 思えば、彼が最初にYuuさんのブログに登場したとき、写真をひと目見て、その特徴的な被毛の柄と「キグルミくん」というネーミングに
(こいつ、可愛い!)
と、ちょっと心が動いた(が、その時点ではジュゲムを予約中だった
のでスルーした)という経緯もある。
 ついでに、安暖邸訪問の際も、たまたま入り口近くに寝ていた彼を見て、Sさんと二人、
「この子、可愛いね。」
と、最初に目をつけた子でもある。
 縁があった、と、言えないこともない。
 であるから。
 山猫姫妄想が消えた今、彼を迎えない理由は、何一つないはずなのだ。
 だったら、はるばる山梨まで行く理由が、あるだろうか。
 私が○庵サテライトに行くと、ダメちゃんにまた、ストレスを与えるかもしれないというリスクがある。さらに、仔猫と過ごすための休暇の一日を、まるまる潰すことにもなる。こう言っちゃナンだが、冷静に考えれば、行かないに越したことはないのだ。
「やっぱりやめようかな。行ってもあまり意味はないかも。」
 Sさんに相談すると、私の性格をよく知っている彼女は、
「確かに、そうかもしれませんね。」
と、慎重に、消極的な同意をした。ただし、山猫姫については、
「そういう子だったら、猫山さんの家では無理でしょうね。」
と、はっきり言った。
 その後、近くにいた猫好きさんに、二人でキグルミくんの話をする展開となり、彼を我が家に迎えることで、話は決まったかに思われたのだが…
 
 

(キグルミくん)
  
  
 何故なのだろう。
 やはり、今一つ、気持ちが乗らないのだ。
 新しい猫を迎えるというトキメキが、どうにも湧き上がってこない。
 
 
「悩むうちは、運命の子と出会ってない気がします。」
と、Yuuさんは書いてくれた。
 そうかもしれない。
 だが、それだけではない気がする。
 それはあくまで、私の心の問題なのだ。
 何かが欠けている。「この子を迎えよう」と、私を決意させる、何かが。
 その「何か」がないから、私は素直にキグルミくんを迎えられないのだ。
 
 
 その「何か」とは、何だろう。
 
 
 それからずっと、考えていた。
 ミミを迎えた時のこと、ダメを迎えた時のこと、ムムを迎えた時のこと。
 そして、ようやく、一つの結論に達した。
 
 
 それは、
「今、私が貰わないと、この子は永遠に売れ残るに違いない」
 という確信、なのではないか。
 
 
 それは、一つには、私の自信のなさの表れでもある。
 環境的なことも含めて、私は決して良い飼い主ではない。だから、本当は他の家で幸せになれるはずだった子を途中で奪い取って、その幸せを妨げてしまったような引け目が残るのが嫌なのだ。
 そして、もう一つは。
 多分、それは、ダメを迎えた時に始まったものだ。それでクセになった、とも言える。
 ダメのように、本当は優れた個性を持っているのに、大人しくて人見知りゆえに、常にチャンスを逃し、その良さを発揮する場を得られない子。
 本当は賢いのに。本当は可愛いのに。集団の中では、大人しさゆえに埋没し、競争に敗れて、隅っこでひっそり暮らしている子。
 そんな子に、何故か、ものすごくシンパシイを感じるのだ。
 私自身は、大人しくもないし、むしろ悪目立ちするタイプだけれど。だが、集団のなかで落ちこぼれる哀しさは、幼稚園から高校まで、いやというほど味わっている。その想いを三匹の上に投影し、肩寄せ合って暮らしていくことの幸せで、私は心を満たしていたのかもしれない。
 さらに、メールやブログで、猫たちのことを書くようになってからは、猫たちの「ファン」ができることで、見返した感・ザマミロ感を味わうという、あまり趣味の良くない快感を味わっていたことも事実だ。
 それは、あまりにもトロくて要領の悪い私自身の、叫び出したいほどの自己嫌悪に対する、一種のリベンジでもある。
 要するに、私は同志が欲しいのだ。
 そんな観点で猫を選ぶこと自体、非常に上から目線で、不遜な行為であることも分かっている。だが、結果的には、三匹とも私に懐いてくれたし、ささやかな暮らしの中で、それぞれの個性を、充分に発揮してくれた。
 大人しくて、あまり特徴がなくて、存在感の薄い子。自己アピールが下手な子。
 そんな子が、のびのびとした、個性豊かな猫に育っていく、あるいは変貌していく過程を見るのは楽しい。その機会を与えたのは私だ、という、自負とともに、その個性を見抜いた自分に、若干の誇りを抱くことができる。
 かなり動機不純ではあるけれど。
 だが、これが、麻薬のようなクセになる快楽なのである。
 
 
「最初の話に戻せば、猫山さんが貰わなければ売れそうにない猫がいいんですよね。」
 そういえば、9月の「山猫狩り」の際も、Sさんにそう指摘されたのだった。
 そう。
 ハナシは振り出しに戻ったのではない。最初の話に戻ったのだ。
 私が貰わなければ、売れそうにない猫。
 我が家以外に、行き場のない猫。
 もちろん、他にもいろいろ条件があるわけだが、他の条件を全て満たしたとしても、この一点をクリアしなければ、私は多分、永遠に決断できないのだろう。
 山梨の○庵サテライトに、そんな猫は、いるだろうか。
 分からない。
 山梨に行っても、さらに悩み続けていたとしたら。だが、決断の時は迫っている。
「悩むうちは、運命の子と出会ってない気がします。」
 だが、もし仮に、悩みながら理詰めの判断で、いずれの子かを迎えることになったとしたら、きっと、それが運命なのだろう。
 それがキグルミくんである可能性も、決して否定できない。
 思えば、「気乗りがしない」なんて、彼には何とも失礼な話ではある。
 当初、「どんな猫でもいいです」と言っていたはずの私に、そんなことを言われてしまう。考えようによっては、彼も、世渡りが下手な猫と言えるかもしれない。
 
 
 ま。
 とりあえずは、深く考えずに、山梨に行ってみようと思う。
 
 
 冒頭のマザーグース
 かつて、ヨメがいたころ、一度引用したことがある。
 講談社文庫の栞にもなったことがあるので、ご存知の方も多いと思うが、これを読んで、ひねくれねずみやひねくれねこと一緒に暮らすひねくれおとこが、実に幸せそうに思えたのは、私だけだろうか。
 結局、そういうことなのだ。
 ひねくれおとこは、ひねくれねこと一緒に住みたい。似た者同士の人と猫とは、必ず幸せになれるのだと、私は固く信じている。