失われた技を求めて


 
 
 一般に、猫は働かないものとされているが、我が家の猫どもは働く。
 大した働きではないのだが、奴等は奴等なりに常に使命感をもって、仕事に臨んできたらしい。そうして、歴代、職務を受け継いできた。
 いや、歴代という言葉は、あまり正確ではないかもしれない。初代のミミさんだけは、生まれながらの正真正銘のお嬢様であるから、そもそも労働などというものに縁はなかった。
 ゆえに、一代目は、大治郎センセイということになる。
 彼はその技を妻に伝え、妻が二代目となった。その二代目が三代目に…と続くのが世の常であるが、二代目は早く他界したので、三代目は一代目から教えを受けたのか、あるいは、一代目の技を盗みつつ、独学でその自らのスタイルを確立したのか、その辺りは定かではない。
 私には後者が正解に思える。その理由は、後で述べる。
 この仕事は、単独仕事である。一人親方である。
 だが、仕事は毎日あるので、交代で務めればいいように、素人は思うのだが、業界の掟はそうではないらしい。
 一代目は、二代目が一人前になったとき、早々と引退した。そして、二代目の早世後も、現役に返り咲くことはなかった。
 ゆえに、アタゴロウがその技を確立し、自ら三代目を名乗るまで、その地位は長らく空席であった。
 アタゴロウが初めてその職に臨み、勝ち誇った目で、君主たる私を見上げた日のことを覚えている。
 私には、ある種の感慨があった。
 もちろん、私は、一代目と二代目が成し遂げた仕事を忘れていたわけではない。だが、一代目が頑なに過去を否定しようとするなら、その技は、廃れ消えていっても仕方がないものと考えていた。思えば、私は、彼があまりにも早く現役を退いた理由を聞いたことがない。何か、彼等にしか分からない黒い事情があり、島を去るプロスペローのごとく、その技を封印したのか。あるいは、二代目が彼を「超えた」と悟った瞬間に、自らの時代の終わりを確信したのか。その二代目は彼の愛妻でもある。その死とともに、すべての過去を、彼が時の彼方に葬り去ろうと考えたとしても、不思議はない。
 であるから。
 私は一代目に、その理由を尋ねたことも、あるいは、現役に返り咲けとも、アタゴロウを三代目として育てよとも、命じたことはなかった。
 だが。
 枯れたと思った水脈は、こうして新たな泉を湧き出させ、その周囲に、新しい命が輝くように瑞々しく芽吹いている。
 その煌めきを、私はアタゴロウの若い瞳の中に見た。幾多の過去を乗り越え、長い冬をくぐり抜けて、我が家にも新しい時代が始まろうとしているのだ。
 その若い雄の瞳が誇る自負と傲慢さは、さながら、石に刺さったエクスカリバーを引き抜いた、若きアーサー王のそれであった。
 
 
 先に書いたが、私が思うに、三代目は一代目の教えを受けていない。
 仕事のスタイルが、全く違うのである。
 一代目の仕事は、緻密で丁寧であった。彼はとにかく、正確性を誇る男であり、また、現代的な言い方をするなら、顧客満足度を第一に考える職人でもあった。
 ただし。
 今だから言える。彼の仕事には、致命的な二つの欠陥があった。
 ひとつは、彼が気まぐれで、自分の気が向いたときにしか、仕事をしないこと。
 江戸時代の指物師や版木の彫師にありがちなタイプである。
 もうひとつは、これはある意味、本人のせいではない。彼の仕事の後には、大量の抜け毛が残され、それが顧客に微かな不快感を与えるのである。
 彼が仕事を辞めたのは、もしかしたら、その辺りが原因なのかもしれない。
 職人としての誇りを第二の天性とする彼は、自らの体質がもたらすその欠陥に、言い知れぬ屈辱と絶望を覚えていたのかもしれぬ。
 彼はその技を、自らとは体質が違う妻に受け継がせた。妻である二代目の仕事ぶりは、一代目のそれを正統に踏襲したものである。だが、その二代目の仕事にも、やはり至らない点はあった。
 二代目は真面目だったのだろう。彼女は一代目と同じく、正確な仕事をした。だが、その仕事へのこだわりは、本来の目的であるべき顧客の満足を、完全に見失っていた。
 つまるところ。
 彼女は、君主たる私が望まないときにも、強引に自らの欲するままに仕事を続けたのである。
 おそらく、彼女は芸術家肌だったのだ。
 雇い主である私は芸術の庇護者であるべきで、であるからには、彼女が私の価値観に合わせるのではなく、私の方が彼女の仕事の奥深さを理解するべきだ――彼女は、そう言いたかったのだろうか。
 だが。
 私が望んでいたのは、芸術家ではなく職人だった。
 彼女と私は、結局、物別れに終わった。それは、彼女と私が嫁姑という個人的な確執の中で生活してきたという事情によるところも大きいが、その反省も含めて、彼女が志半ばでこの世を去った今、私はその崇高な精神に敬意を捧げる。
 観阿弥世阿弥の例に見られるように、伝統の技は、一代目が基礎を拓き、二代目の時代に花ひらくことが多い。彼女は二代目として、一代目から受け継いだ技を、芸術の次元にまで昇華させた功労者と言えるだろう。だが、庶民の生活から生まれた芸術は、その生活感を見失ったとき、躍動するエネルギーの供給源を断たれる。
 彼女がまだ生きて活動していたとしても、その技がまだ生きていたかには、疑問の余地がある。
 
 

(二代目)
 
  
 そして、三代目である。
 彼が我が家に伝わる伝統の存在を知ったのは、どういう経緯であったのか、私は知らない。一代目の書斎に潜りこんで遊ぶうちに、偶然、古い書物を発見したのかもしれないし、好奇心から、鍵のかかった二代目の衣裳部屋に忍び込んで、彼女の日記や肖像画に接したのかもしれない。
 いずれにしても、ムショ帰りの不良少年が、埋もれた技の復活にその進むべき道を見出したことは、更生教育のモデルケースとして大いに注目されて然るべきであろう。
 彼は、一代目が語ろうとしない、伝統の技の存在を知った。だが、君主はその存在を知りながら、敢えて一代目にそれを求めようとしない。このままでは、技は消えてしまう。
 しかしそれは、本来、君主にとって非常に重要な仕事である、と、彼は考えた。
 君主は若くはない。最近に至っては、疲れただの、仕事をしたくないだの、お前達と立場を交換したいだのと、引退をほのめかす発言も目立ち始めている。
 彼とて、君主に心酔しているわけでも、出世を目論んでいるわけでもない。だが、今、君主が斃れでもしたら、この国は、民の生活は、一体どうなるのか。
 この国が君主制を敷いている以上、よほどの暴君でもない限り、いかに凡庸な君主といえど、心身ともに健康でつつがなく統治してくれないと困る。そのためには、有能な官僚と、健康管理を担う近侍衆の存在が必要だ。
 彼は、後者の道を選んだ。聖剣エクスカリバーを引き抜きながら、彼が自ら統治者になる道を選ばなかったのは、おそらく、猫が現実主義者であるという事情による。また、官僚を志さなかったのは、十中八九、それがいかにも面倒で胃に穴が開きそうな仕事だと踏んだからに相違ない。
 彼の家に伝わる技は、つまるところ、「癒し」の技であった。
 彼は誰の力を借りることもなく、その技を習得した。初めてそれを披露した夜、君主は驚きの目で彼を見た。彼はその目を見つめ返した。その一瞬の視線の交差の中に、彼は確かな手ごたえを得た。
 以来、彼は、君主に認められた三代目として、独自の道をひた走ることとなる。
 
 
 ここまで書くと、読者諸氏は、もう堪えきれずに、声高に筆者たる私に尋ねるだろう。
 つまるところ、その「仕事」とは何なのか、と。
 いや、大半の皆さんは、もうおおよその察しはついているのではないだろうか。
 その仕事の名称を、私は知らない。だがおそらく、それを天職とする猫は、日本全国に何万といる。そして、そうした猫たちは、みな一様に、同じ称号で呼ばれているに違いない。すなわち、藤吉郎、と。
 
 

  
  
 我が家の一代目藤吉郎たる大治郎氏がその職務に就いたとき、私はこの上ない喜びに包まれた。折しも、真冬であった。彼がその大きな体で温めた足拭きマットはふんわりと快適に、風呂上がりの私の足を包んだ。
 だがしかし、時にはその抜け毛が足裏につくこともあることが、玉にキズとも言えた。
 二代目であるヨメの場合は、その心配はなかったのだが、いかんせん、彼女は熱心すぎた。頼んでもいないのに、季節が真夏となってなお、頑なに仕事を続けたのである。その熱意は認めるが、夏の暑さの中、風呂上がりに生ぬるい足拭きマットは、どうにも不快であった。
 そして、三代目のアタゴロウ。
 彼はヨメに輪をかけて職務に忠実である。何しろ、私が風呂に入る前から、風呂場のタイルの上でスタンバイしている。で、私が風呂に入ろうとすると、風呂場から走り出て、脱衣所に広げた足拭きマットの上に陣取るのである。
 彼のその熱意も、認める。
 だが、正直に言おう。私は彼の仕事ぶりに、大いに不満を抱いている。
 なぜなら――

  
 アタシが風呂から上がっても、どかねえんだよ、コイツ。
  
 何だって、君主たるアタシが、遠慮しいしい、足拭きマットの端っこの方で、ちまちま足を拭かなきゃならんのか。 
 こうなったら、いっそオマエで足を拭いてやる。