寒がり猫の合理的思考
玉音ちゃんは寒がりである。
そもそも、猫というものは、押し並べて寒がりと決まっているとは思うのだが、その中でも、この娘は、人一倍(猫一倍)寒がりであるようだ。
玉音ちゃんの、最近のお気に入りスポットはここである。
ヒーターをつけると、よくここにいる。
実際には、ヒーターも下の方はあまり熱をもたないので、大して暖かくないのではないかと思うのだが、とにかく熱源の近くにくっついていたいらしい。
もう一つのお気に入りスポットがここ。
高いところを選ぶ。さすが野良、警戒心を忘れないんだな…と、ついつい感心したのだが、どうもそうではないらしい。
暖かい空気は上に行く。どうやら、ここも暖かいというのが理由らしいのだ。
実は、寒がりという点にかけては、私自身も同じである。
私は強く主張するのだが、やはり、体感温度というのは、個人差が激しいものなのだ。それはほとんど先天的なもので、体力がないとか、怠けているとか、そういう問題ではない。(と、私は信じている。)
私は子どものころから、どうにも寒さが苦手で、朝は布団から出られないし、家の中では、常にストーブの前に陣取って叱られるし、学校に行っても、冬場、休み時間にわざわざ校庭に遊びに行く同級生たちの気持ちが、どうしても理解できずにいた。
しかし、今どきは知らないが、当時は「子どもは風の子」という言葉が、まかり通っていた時代である。真夏でも真冬でも、子どもは元気に戸外で遊ぶもの。であるから、子どもの寒がりや厚着は、ほぼイコール「元気のない子」や「運動のできない子」、ひいては「ダメな子」の扱いであった。寒がりの子どもにとっては受難の時代である。
が。
最近になって、職場の先輩のお嬢さんが「寒がり」だと聞いて、私は大いに自信を持った。そのお嬢さんが、小さいころから高校生の今に至るまで、スポーツを本格的に続けている方だからである。
寒がりは、運動量とは関係ないのだ。
いや、本当はあるのかもしれないが、別に寒がりを引け目に思ったり、薄着でやせ我慢をしたりする必要は、全くないのである。私が運動オンチであることと、寒がりであることとは、直接関係はない。寒がりの人間は、もっと堂々と暖を求めて行動していい。
寒がり猫の玉音ちゃんも、別に運動嫌いではない。運動神経も、別に悪くはないと思う。
ただ、眺めていると、これは野良の血統なのか、アタゴロウとは遊び方のスタイルが違う。
例えば、アタゴロウの大好きな「ねこじゃらし」である。
アタゴロウの場合、私がジャラシを手に持って、彼の頭の高さからやや上の辺りで振ってやると、後ろ足で立って伸びあがり、手をパーにして、必死に捕まえようとする。目がらんらんと輝き、ヒゲが全部前に出て、文字どおり全身で食いついてくる。
玉音は、ねこじゃらしを高い位置で振っても、目で追うだけで食いついてこない。
しかし、床の上で、曲がった柄をくるくる回し、穂をパタンパタンと動かすと、低い姿勢から手を出して捕まえようとする。
これは、より現実的に「狩り」をしているということではないか、と思う。
飛んでいる蝶々より、木にとまっているセミを捕まえようとする。あるいは、飛んでいる鳥には手を出さず、地上の野ネズミを静かに狙う。
ある意味、合理的なのだ。
そこで、ふと気付く。
小学生時代の私が、北風の校庭に遊びに行こうとする級友たちを、
(この寒いのに、何もわざわざ、外に出なくったって…。)
と、冷やかに眺めていたのと同様、
(どうせ捕まりゃしないのに、何もあんなに全身で伸びあがらなくたって…。)
と、玉音は、夢中になって頭上のねこじゃらしに手を伸ばすアタゴロウを、冷めた目で見ているのかもしれないのだ。
嫌だなあ、こういう、子どもの合理主義。可愛げがない。
――こういうのを、同類嫌悪という。
玉音ちゃんの合理主義は、まだある。
彼女は私がキライである。あるいは、怖いと思っている。
何しろ、お風呂場に水を飲みに行くのに、隣の洗面所に私がいると、近くを通るのが嫌なばかりに、
(早くどかないかしら…。)
と、物陰から、私がいなくなるのを見張っているのである。(そして、私が彼女に気が付くと、一目散に逃げる。)
事情を察した私が、わざと気付かないふりをしながら、洗面台にぴったりくっついて、背後に十分な隙間をつくってやると、おっかなびっくり、忍び足でそこを通過し、風呂場に至って水を飲む。水を飲み終えると、今度は全速力でどこかに消えて行く。
また、彼女は写真がキライである。魂を抜かれると思っているのだろう。
私がカメラを向けると、まず耳が水平になり、全身が警戒モードになる。それでも私がカメラを構えたままでいると、三十六計逃げるに如かず、とばかり、さっさと姿を消してしまう。
なので、彼女のソロの写真を撮るのは難しい。ダメちゃんやアタゴロウと一緒に寝ているところなら、彼女もいくらか油断しているし、逃げに入るまでの間に数秒の猶予があるので、それなりに何とかなる。しかし、玉音のみを撮ろうとすると、私が近付いてきただけで逃げてしまうので、撮るとなったら、なるべく素知らぬ顔で、自分は場所を動かずに、カメラのズーム機能を駆使して、何とか気付かれぬうちにシャッターを押さなければならない。
それなのに。
最初の方に掲載した、ヒーターの前でたたずむ玉音の写真。あれ、どうやって撮れたの?って、思うでしょ。
もちろん、ズームは使っている。
だが、それだけではない。
実は玉音さん、私がカメラを向けていることは百も承知なのだが、どうしても、ヒーターの前を離れたくなかったらしいのである。
退却しても、ヒーターにへばりついているあたりが笑える。
この写真の時点では、たまたまヒーターの前にクッションを置いていなかったのであるが、クッションの上で、アタゴロウやダメとくっついているときも同じである。
こういうときだけは、逃げないのだ。
そして、たった今、なのだが。
衝撃の事実に気付いてしまった。
私は今、こたつに入ってこの文章を書いている。
今日は寒いので、昼間からヒーターをつけているのだが、なぜか玉音が現れない。
やはり、暗くならないと出て来ないのだろうか…と、思っていたら。
ふと、足を動かしたら、爪先が何か柔らかいものに触れた。
何と。こんなところに!!
しかも、私が足でつついても、寝たまま動かないんだよ、こいつ。
実は、本日、今シーズン初の、スイッチ入りこたつ(実態はホットカーペット)なのである。
暖かければ、人間と一緒のこたつにも入るのか。
野良の風上にも置けない奴だ。
だがそれは、母の教えに背くことではないのか?
なるほど。
そういえば。
思い出したことがある。
昨日の朝。何だか妙に寒くて目が覚めた。
猫飼いなら、よく経験すること。猫に掛け布団を取られたのである。
だが、私はこれまで、実家時代を除き、そんな憂き目にあったことはなかった。何しろ、キャットタワーを建立する前はリビングでソファーとして使っていた、ダブルサイズのマットレスで寝ているのである。場所はありあまるほどある。であるから、ダメちゃんは私の横、アタゴロウは足許で、私が真ん中に寝ていても、常に全員が広々と、ほどよく寄り添って寝ていたものである。
それが――。
見れば、持ち主の私を端っこに追いやって、その広い布団のど真ん中に、若い男女がくっつき合って寝ているではないか。
ここはラ○ホじゃねえ!!
と、思わず怒鳴りたくなったものであるが、
(うるせえオバサンだな。)
(自分には縁がないから、僻んでるのよ、どうせ。)
などと、陰口をたたかれるのがオチだと思って、掛け布団を引っ張っただけで我慢した。
ひどい話である。
しかし、これまで、アタゴロウは、私から布団を略奪するような無礼を働いたことなどなかった。と、いうことは、相手の女が悪いのである。
そうだ。そもそも。
私の気配を感じると一目散に逃げるくせに、こいつ、何で私の布団で寝ようとするのか。
その答えが、今になって分かった。
要するに、オバサンは単なる熱源扱いだったのである。