2014年を漢字一文字で表したら
これは、大晦日の話題ではないかもしれない。
普通なら、もうちょっと前にやるよね。
言い訳だが、私だって、もう何日か前にやりたかったのだ。Yuuさんがご自身のブログで、これをやっているのを目にし、じゃあ、私は何だろう?と、ずっと考えてはいたのだが。
考えた。
何日も考えた。
が。
たいへん不本意ながら、この文字しか浮かばない。
—— 拾 ——
ああ…
不本意だ。
あの野良娘を拾ったことで、それまでの九ヶ月間、一体何をしていたのか、思い出せなくなるくらい、全てがぶっ飛んだ。
手帳を繰ってみる。
ちゃんと、一泊旅行にも二回行っているし、そういえば、山梨の○庵サテライトにも行った。映画も観ている。飲み会にも参加している。スマホも買ったし、ケーブルテレビは解約したし、何年かぶりで後輩の結婚式にも出た。これも何年かぶりで、健康診断の結果、血色素量も正常値に復帰している。(貧血脱出か。)あれ?「オマール海老食べ放題」なんていうのもあるぞ!?
ううむ。こうして見ると、大して派手なこともないが、それなりに充実しているではないか。
それなのに。
何だろう、この胸に広がる言い知れぬ敗北感は。
この手帳を本にするとしたら、表紙に記すべき一文字。それが「拾」
もう、表紙からして負けている。
(リザちゃん。安暖邸にて)
○庵サテライトで、私が気に入り、Yuuさんも勧めてくれたのは、「ミチルちゃん」と「リザちゃん」の二匹だった。
当初、私は「ミチルちゃん」を真剣に検討したのだが、やはり、オーラルケアが必要な子は、私には難しい。少し冷静に戻って考えてみれば分かることだった。
となると、「リザちゃん」である。
リザちゃんは、私が山梨で会った直後に、安暖邸にデビューした。外見の可愛らしい子であることは当然知っていたし、安暖邸のボラさんもブログに「華やかな外見」と書いていたので、ああこれは、すぐ里親さんが決まるだろうな、と、私はその時点で、すでに彼女とは縁がないものと思ってしまっていた。
が。
予想に反して、リザちゃんは安暖邸のレギュラーメンバーになった。
リザちゃんが安暖邸に来てまもなくの頃、友人さくらと安暖邸にお邪魔した。さくらは私から話を聞いて、リザちゃんに会ってみたがっていたのだが、果たして、その可愛らしい外見に似ず、人間にも他の猫にも媚びずにマイペースを貫いている彼女を見て、
「この子、実は結構、不思議ちゃんだよ。猫山、この子がいいよ。この子もらいなよ。」
と、強力に勧めてきた。
そのとき、リザちゃんを貰っておけばよかったのだ。
だが、私はまだぐずぐずためらっていた。
理由は、リザちゃんが、どこから見ても可愛い外見だということ。
他に希望者がいる猫を貰うより、希望者のいない猫を貰った方が、私にとっても、リトルさんにとっても、他の里親希望者さんにとっても、良い結果につながるのではないか。
そして、もう一つ。リザちゃんがトラ模様だと言うこと。
いや、トラ模様そのものは好きなのだが、全身トラ柄だと、写真に撮ったとき、ダメちゃんとの見分けがつきにくくなる。これでは、猫マンガを作る時に、非常に扱いにくい。実に下らない理由で、二の足を踏んでいたのであった。
そうこうしているうちに。
玉音を拾ってしまった。
リザちゃんは、結局、未だ里親さんが決まらないままに、すでに避妊手術を終え、手術後は川崎の「にゃんくる」さんにいるらしい。
その玉音ちゃんであるが。
何度も書いているが、実に可愛くないオナゴである。
柄がどうしようもなくヘン。
おっさん顔で、目が小さい。
せっかく毛が長いのだから、長毛種っぽく丸顔でぽっちゃりしていれば、多少ブチャでも七難隠したのだが、生憎の三角顔である。おまけに、顔周りの毛は、ぜんぜん長くない。
それに。
どうせ隠しておいてもいずれバレるのだから、ここで告白するが、こいつ、短足なのである。
「最初は匍匐前進しているからかと思ったけど、それだけじゃないみたいね。」
友人さくらは、物陰から物陰へと駆け抜ける彼女を見て、一発で見破った。残念ながら、私の気のせいではなかったことが証明されたわけである。
そして、しっぽ。
一応長しっぽなのだが、実は、こいつのしっぽ、真ん中でちょっと折れ曲がっている。それも、曲がっているんだかいないんだか、にわかには判別しがたい程度に。
この半端さがいけない。一見、手入れの悪いしっぽがボサついているように見えるのだ。
しかも、懐かないし。
確かに言いましたよ、懐かない猫が可愛い、と。
ですけど。
この場合の「懐かない」とは「ツンデレ」という意味で、ツンデレであるからには、前提として、美女猫でないと。
不細工ちゃんは、そこは愛嬌でカバーして、それでバランスがとれるってもんじゃあ、ないでしょうかね。
美少女リザちゃんは、人間にお愛想しない性格からか、まだ里親募集中である。
理想的だ。
そして、最近のYuuさんのブログを読むと。
何だろう。この頃、やたらにサビがいるじゃないの。
サビニャン、でこちゃん、あめ玉ちゃん。みんな私好み。
そのYuuさんのブログの、26日のタイトル。「またサビですが…」
これは、無自覚のいじめなんじゃないだろうか。
ああ。
逃した魚は大きい。
その反面——。
魚つながり。「釣った魚に餌はやらない。」
いや、ちょっと待て。この場合、釣られたのは私の方だ。
「拾う」ということは、拾い主に選択の余地が与えられないということだ。
私は今、そのことを強く実感している。
拾ってしまったら、その与えられた条件のもとで、次なる手を考えなければならない。
前向きに考えれば、これは試練であり、挑戦である。
拾ったものを有効活用できるか否かは、拾い主の器と工夫次第、ということだ。
ま、こいつ。
可愛くないけど、ネタとしては面白いもんね。
神様は、私がブログネタに詰まり気味なのを察して、救いの手を差し伸べて下さったのかもしれない。
あとは私が、この面白さを、いかに表現できるかだ。(と、前向きに考える。)
2015年に向けて、私は神様からの宿題を拾ったのだ。そう思うことにしよう。
と、いうわけで。
来年は、もうちょっと写真を撮らせてちょうだいね、玉音ちゃん。
おい待て。だから、助けたのは私だぞ。