ヘキエキの大決戦…の巻
さてお待ちかね。世紀の大決戦の結果であるが。
結論から言うと、実にあっさりと勝負はついた。
人間側の勝利である。
玉ちゃんはめでたく、エリザベスカラーとハラマキから解放され、人間に逐一行動を把握されることもなく、自由気ままに過ごしている。
で。
あくまで、因みに、であるが。
それでもなぜか、私は未だに、玉ちゃんのハゲっ腹を、拝んでいないものである。
その理由は――まあ、だいたい想像はつくことと思うが、まずは読んでみてほしい。以下にその大決戦の経過を記す。
私の最大の思案のしどころは、エリカラとハラマキのどちらを先に攻撃するか、であった。
当然、エリカラの方が外しやすい。
が。
ここはやはり、ハラマキだろう、と、考えた。
エリカラがついていることで、玉ちゃんは首周りの運動に支障をきたしている。即ち、戦闘能力を削がれているのだ。
ここで、人間側に有利に戦局を展開するためには、相手の戦力に制限がかかっている間に、一気に敵の心臓部(と言っても腹)に攻め入るべきなのだ。
後方の警戒が手薄になっている敵の背後を衝き、ハラマキ部に切り込む。敵軍は我先にと雪崩を打って敗走し、その後は、得意のゲリラ戦法に転じるであろう。しかし、敵の潜伏先となるべき室内のあらゆる地点は、予め補給路を断ってある。広義の兵糧攻めだ。
敵が食糧を求めて人里に下りてくるのは、時間の問題と言っても過言ではない。それを見越して、村民に対する食糧の配給は、敢えて時間と場所を絞り、一度に一食分の量しか与えないようにする。となれば、ゲリラ部隊は、必ずや、民家ではなく食糧の配給場所を狙うであろう。そこに正規軍を配置し、現れた敵を追い詰めてエリカラを奪うのである。
素晴らしい。
完璧な作戦である。諸葛孔明もかくや。
――と、思ったのだが…。
土曜日。
職場のヨシハル♀くんが、我が家に遊びに来た。
いや、遊びに、というのは正しくない。本当は、用事を頼むべく私が呼びつけたわけであるが、この件については本筋と関係ないので、別の機会に譲ることにする。
私がその日、別件で外出していたので、ヨシハル♀くんには夕方四時過ぎに来てもらっていた。用事が済み、しばらく我が家でお茶をして喋った後、当然予想される展開で、そのまま二人で駅前の焼鳥屋に行った。
で。
これまた予想される展開で、酒豪のヨシハル♀くんと二人、たいへん美味しく楽しく、ほどほどの美酒をいただいたものである。
彼女と別れて帰宅し、猫どもに遅い夕食を食べさせながら、ふと、魔がさした。
足許で一心不乱にごはんをパクつく玉ちゃんを見ながら、突然、そのエリカラを外したい衝動に駆られたのである。
突然どこからともなく現れた美女に陣中で酒をすすめられ、(便宜上、ここはヨシハル♀くんに美女になってもらうことにする)、理性を失って敵の術中にはまる、というのは、洋の東西を問わず、大昔からよくある典型的な英雄の失策である。
私は玉ちゃんのエリカラに手をかけた。玉ちゃんはビクっとしたが、大人しくごはんを食べ続けた。
エリカラのスナップが軽い音をたてて外れる。ごはんを食べ終わった玉ちゃんは、颯爽と頭をもたげて、風のように走り去った。
当初の戦略を練る中でも、第一の決戦場所をどこに設定するかは、最後まで諸葛亮を悩ませた問題であった。
敵の食事中を狙うか。
それが最も現実的な選択肢に思われた。
しかし。
草庵の中に起居して三顧の礼を待つ間に、世界の情勢を見極めていた諸葛亮は、意表を衝く作戦を劉備に進言する。
早朝に討つべし、と。
早朝、あなたの寝起きの時刻は、敵も油断して布団の上で遊び、あまつさえ、あなたを見くびって、向うから至近距離まで接近してくるでしょう。あなたは枕元にハサミを忍ばせたまま、近寄って来た敵を歓待するふうを装い、衛兵に捕らえさせて、背側からハサミを入れればいいのです。
そう。
避妊手術以来、私に対する警戒を緩めつつある玉ちゃんは、毎朝、寝起きの私の布団の上で、至近距離をチョロチョロしている。私が前回、「毎日玉ちゃんの背中を撫でている」と言ったのはこの時のことで、背中ばかりでなく、時には、横寝の体勢になった玉ちゃんの、脇腹や胸を撫でることさえできるようになっていたものである。
この好機を、逃す手はない。
私は枕元の籠の中に、ハサミを忍ばせて就寝した。
それが、土曜日の夜。
最終決戦は日曜日早朝。私の布団の上と決まった。
ここで、私事ながら、少々断っておかなければならないことがある。
勤め人の私が何故、忙しいはずの月曜日の昼間に、呑気に家でブログを書いてなんかいたのかと言えば。
実は、本日月曜日は、私の消化器の二次健診の日なのである。
二次なので、完全にお腹を空っぽにして行かなければならない。そのために、昨日は、朝昼晩と検査食を食べた。もちろん、今日は検査終了まで何も食べられない。
注意書きにはそれに加え、
「日頃便秘がちな方は、三〜四日前から下剤を服用し、毎日排便してください」
とあった。
ううむ。
それほど酷い便秘症ではないけれど。でも、毎日とは限らないからなぁ。
じゃあ、一応、飲むか。
ということで、木曜日の夜から、薬を飲み始めた。
といっても、下剤なんてバリウム検査の後くらいしか飲んだことがないので、効き方が分からない。薬の説明書きには「個人差はありますが、だいたい八時間くらいで効きます」とあるが、一方、「早い方は二〜三時間で」ともあるので、全くアテにならないこと甚だしい。
木曜日の服用分は、用心し過ぎて量が少なかったのか、結局、効いたんだか効かなかったんだか、よく分からないまま終わった。
そこで、金曜日は、量を増やしてみた。
そうしたら、何と。
ジャスト八時間でバッチリ、快適な効果を実感できたのである。
素晴らしい。よし、これで行こう。
そう思って、土曜日の夜は、十二時ごろに同じ量を服用した。
したところ――。
第一の誤算は、今度は効果が早く来ちゃったことである。
早朝、まさに早朝である。まだ辺りが暗いうちに、お腹が痛くて目が覚めた。
あ、ヤバい。来ちゃった。
となると。
事態は急を要する。だいいち、猫どもも、そんな時間に私が起きるとは夢にも思っていない。互いに戦闘態勢が整わなかったものである。
そんなこんなで、急用を済ませて、私は布団に戻った。
休日だっちゅうに、何が悲しゅうて、暗いうちから起き出さなきゃならんのだ。
そうやって、二度寝することしばし。
次に目が覚めた時には、辺りは明るくなっていた。猫どもは、私の布団の周りで、私が起きてくるのを待っていた。
まさに、決戦の時、来たり、である。
が。
第二の誤算は、薬の効き目に、第二の波があるということだった。
そう。
私を目覚めさせたのは、その第二の波だったのである。
即ち、今回も私は、戦いを延期して片付けねばならぬ急用を抱えていたことになる。
私は戦場を放棄して、自らの用事を済ませに行った。戻った時、猫たちはすでに、食事場所に雁首そろえてニャアニャアやっていた。
諸葛亮が長年温めてきた天下三分の計は、こうして虚しく水泡に帰したのであった。
ここまで引っ張っておいて、結末は簡単である。
結局、劉備は諸葛亮の奇策を退け、当初の計画どおり、朝食を食べている玉ちゃんの背後から、そっとハラマキにハサミを入れた。
半分くらい切ったところで、玉ちゃんは逃げようとした。そこを追い詰めて抑えつけ、残りの半分をジョキンと切り離した。
映画に出てくる美女のごとく、玉ちゃんの包帯は、そこでハラリと落ちるはずであったのだが。
玉ちゃんは、脱兎のごとく逃げ出した。その腹に、切断されたハラマキを貼り付けたまま。
そう。ハラマキの粘着剤が、玉ちゃんの毛に貼りついたまま、にわかには剥がれなかったものである。
食べかけであったので、私は玉ちゃんのごはん皿を持って、彼女の後について行き、和室の隅で、警戒心丸出しに私を凝視する彼女の前に、皿を押しやった。
「玉ちゃん、ごはん食べな。」
玉ちゃんは、そろりそろりと皿に近寄り、油断なく辺りに目を配りながら、そそくさと残りのご飯を平らげ、身を翻して物陰にと姿を消した。
その慎重な足さばき。頭を低くし、鋭い目で人間を牽制しながら皿に近付く、その背筋にみなぎる緊張感は、正に非の打ちどころのない野良猫のそれであった。
以来、彼女は、私が半径九十センチ以内に近寄ることを許していない。
私の予感は的中した。
彼女はやはり、ぜんぜん私に懐いてなんかいなかったのである。
今朝、目覚めた私の布団の上にいたのは、ダメちゃんとアタゴロウの二匹だけである。掛け布団の楽園に遊ぶうら若き乙女の幻想は、つまるところ一炊の夢であった。
注意。
ここから先の話は、男性は読まないことをお勧めする。
エッチではないけれど、少々品の悪い話だからである。
さて。
警戒モード百パーセントで朝食を終え、姿を消した玉ちゃんであるが。
とりあえずやるべきことはやった、と、私はそれ以上深追いすることもなく、自分の朝食(検査食)を食べ、洗い物だの洗濯だのと雑用を片付けていた。そのときには、こんな軽い朝食で私の胃袋はいつまで保つのだろう、と、その心配で頭がいっぱいで、正直、彼女のことは忘れていたものである。
そして。
片付けを終えて和室に足を踏み入れた瞬間、信じられないものが目に飛び込んできた。
(再現画像)
女性の皆さんになら、お分かりいただけることだろう。その瞬間、それが私には、何に見えたのかを。
え!?うそ。
何故? どうして??
何で、こんなはしたないものが、こんな所に?
だいいち、今、私コレ使ってないし。
ということは。コレいったい、いつのものなの?
恐ろしい予感が胸をよぎり、私が一瞬、近付くことを躊躇したその気持ちを、察していただきたい。
が。
勇を鼓して近付いてみると、正体はコレであった。
(再現画像)
そう。
先程、背側にハサミを入れて切断したハラマキが、玉ちゃんの毛皮からようやく剥がれ落ちていたものである。
いや、よかった。
しかし。
本当にびっくりした。心臓が止まるかと思うほど驚いた。
玉ちゃん本体は、押入れの中で、誰に妨げられることもなく、のどかな時を過ごしていたものと思われる。それなのに、彼女の残した「抜け殻」に、私はヤラれたのだ。
さすがは玉ちゃん。甘んじて敵に勝利を譲っても、こうして痛烈な一矢を報いている。偉大な母の名(知らないけど)に恥じない、あっぱれな闘いぶりであった。
死せる孔明、生ける仲達を走らす。
ちょっと違うか。
いやまて。というより、この場合、孔明と仲達が逆だ。
(註:その海賊的性格から慮るに、呉と蜀が上図とは逆であるとする説もある。)