ヒゲクマさんのこと


(アタゴロウが我が家に来た日。2012年12月29日撮影)
 
  
 ロイカナは、人間が食べても美味しいという。
 何度かその話は、聞いたことがある。我が家の猫たちもロイカナを食べているのだから、
(ちょっと、試してみようかな…。)
と、時々、心が動く。
 が。
 やはり、何となく勇気が出ない。決して猫を畜生扱いしているわけでも、メーカーの衛生管理に疑いを抱いているわけでもないのだけれど。
「あら、ヒゲクマさんは、お酒のつまみにしてるわよ。」
 うろ覚えの記憶である。話してくれたのは、多分yuuさんだと思うが、いつ、どこで聞いたのか記憶がない。他の人の話だったかもしれない。ゆえに、真偽のほどは明らかではない。
 だが、一日の終わりに、寛いで、好きな酒を嗜みながら、ロイカナのカリカリをポリポリとつまんでいる、そんな働き盛りの男性の姿を、
(いかにも、ヒゲクマさんらしい…。)
と、想像している私がいる。
 ヒゲクマさんのことを、よく知っているわけでもないのに。
 
 
 ヒゲクマさんと会ったことが何回あるだろうか、と数えてみる。
 山梨で三回。我が家で一回。そのほか、安暖邸などで一、二度、会っているかもしれない。いずれにしても、片手で足りるほどの回数だ。
 後は、メールのやり取りをしたことが、一度か二度。
「知り合い」と言えるかさえも、微妙なところだ。
 それでも、訃報に接して、本当に信じられなかった。それは、ヒゲクマさんがまだお若いからとか、八面六臂の活躍をされていることをyuuさんのブログで読んでいたからとか、そういう問題ではなかった。
 昨日まで会っていた、ごく身近な人の、突然のそれに触れたように感じたからだった。
 ヒゲクマさんは、そういう人だったのだ。
 
 
 ヒゲクマさんは、私にとっては、不思議な人だった。
 この感覚は、彼と親しい人には、逆に分からないものかもしれない。
 車に乗せていただいたことが、三度ある。一度目は、ムムを迎える直前だから六年ほども前になるだろうか。石和温泉駅から元の○庵まで歩こうとして、途中で道が分からなくなり、yuuさんに電話したら、ヒゲクマさんが迎えに来てくれた。
 そのときが、初対面ではなかったと思う。
 実は、初対面がいつだったか、覚えていない。かつてリトルキャッツさんが一度か二度行った、川崎の譲渡会だったのではないかと思うが、定かではない。
 私はヒゲクマさんの顔を覚えていたが、ヒゲクマさんもすぐに私に気付き、車を止めてくれた。
 私を見覚えてくれていたのかしら?と、ちょっと訊きたい気になったが、黙っていた。
 そんなはずは、ないからだ。
 あんな畑の中の道で、炎天下、ふらふら歩いている人は私くらいだったから、たとえ初対面の相手だって、すぐにそれと分かっただろう。
 とにかく、ヒゲクマさんは何も尋ねず、すぐに車に乗せてくれた。車の中で二言、三言、当たり障りのないことを喋ったと思うが、初対面の相手に対するような話し方ではなかったような気がする。
 ちなみにその日、○庵で、ヒゲクマさんは畳の部屋をフローリングに貼り替える工事を、一人でやっていらっしゃった。こんなことまでしちゃうんだ、凄い人だな、と思ったのを覚えている。
 作業中のヒゲクマさんは、私に対して会釈しただけで、一言も喋らなかった。
 
 
 そう。
 私がヒゲクマさんを「不思議」と感じていたのは、その無口さなのだ。
 決して無愛想でも、気難しいひとでもない。人見知りな感じでもない。ついでに言えば、不自然であったり、こちらが気まずい思いをしたりする類の無口でもないのだ。
 リトルキャッツさんが HPを立ち上げて最初のうち、ヒゲクマさんはよく、「おしゃべりBBS」に投稿されていた。ユーモアのある、とても楽しい文面で、ご自分の髭のことを「夏毛」とか「冬毛」とかおっしゃっていた。その「ヒゲクマ」さんというハンドルネームからも、私は、陽気で屈託がなくて、おしゃべりな(そして、コロコロと太った)おじさんを想像していた。
 メールのやり取りをしたのは、私が猫を飼い始めてまもなく、当初、張り切って購入した三段ケージが無用の長物となり、処分に困って、リトルキャッツさんに引き取っていただいた時だった。ヒゲクマさん宅で使うということで、宅急便を送らせていただくにあたり、何度かやり取りした。
 そのときの文面も、内容は事務連絡であったが、屈託のない明るい印象であった。
 だが、お会いしてみると、ヒゲクマさんはコロコロ太ってもいないし、熊に似ているわけでもないし、常にニコニコ笑っている人でも、二言目には冗談が出るような人でもなかった。
 つまり、ごく普通の、良識的な人であったわけだ。
 私がヒゲクマさんの「無口」に何か違和感のようなものを抱いたのは、そのギャップからであったのだろうか。
 否。
 それだけではない。ごく良識的な人と言っても、ヒゲクマさん自身は、会う人に強い印象を残す人だ。そして、内面は陽気で洒脱な人だということは、彼の書いた文章が物語っている。
 引力が、あったのだと思う。
 この人と、知り合いになりたい。できることなら、友達になりたい。
 そんな思いを起こさせるひとだったのではないか。
 だが、彼は、必要以上のお愛想を言わない。あるいは、オヤジギャグの一つでも飛ばしてくれたら、全く印象が違ったかもしれないのに。
 彼が人見知りな人なら、無愛想な人なら、そんなものだと思ってそれなりの付き合い方ができる。でも、そうではない。そこが何か、もどかしいような思いを起こさせるのだ。
 
 
 そういう私自身は、人のことなど気にしない、我が道を行くタイプだと思われているようであるが、実はそうではない。むしろ、いちいち他人の顔色が気になる、典型的な小心者である。
 嫌われたくない。敵を作りたくない。相手の気分を害するのが怖い。
 それでいて、目立つのが嫌いではないから、つまるところ、知り合う人には明確に覚えてもらいたいし、できれば、何らかの形で特別な存在になりたいと願ってしまう。
 そうはいっても、私には人より抜きんでた何もない。
 そんな私にとって、今、いちばんの自慢は、ダメちゃんの「デカさ」である。
「猫山さん家の猫って、大きいのねえ。」
と、言われることが、何よりの喜びなのだ。
 もちろん、ダメを凌ぐ巨猫は、いくらでもいる。殊に、純血種の猫には。
 だから、小心者の私は、内心、
(本当は、ダメは、たいして大きくないのではないか…。)
という不安を、ずっと心の中に抱いていた。
 その不安が払拭されたのは、二年前の冬である。
 アタゴロウが我が家にやって来た。配達は「ヒゲクマ宅急便」である。
 どうぞ上がってください、と、お勧めしたのだが、ヒゲクマさんは固辞され、玄関先で説明をしてくださっていた。その途中である。ふと目を上げると、玄関とリビングを隔てる扉の、嵌め殺しのガラスの向こうに、落ち着きなく歩きまわるダメの姿が見えた。
「いや、大きなあ。写真で見るよりデカい。」
 ヒゲクマさんが、何気なくそう、漏らされた。
 その瞬間、私は
(やった!!)
と、心の中で快哉を叫んだ。
 何百匹、もしかしたら何千匹もの猫と付き合ってきたヒゲクマさんに「大きい」と言ってもらったのだ。
 これで、ダメちゃんも、晴れて「大猫」のお墨付きをもらったことになる。
 これ以上の確かなお墨付きは、ないと言ってもいいのではないか。
 
 
 もう一つ。
 その瞬間、私が思ったこと。
(ヒゲクマさん、私のブログを見てくれてたんだ。)
 嬉しかった。
 その前にも後にも、彼はそのことを、一度も口にしたことはなかったけれど。
 
 
 もし、ヒゲクマさんが、人に対してお愛想を言う人だったら、間違いなく、私に対してはブログの話題を振っていたのではないか。
 少なくとも、
「アタゴロウくんは、その後、元気ですか?」
「ええ、お陰さまで…。」
といったような、会話はあったのではないかと思う。
 ここにきて、気付く。
 彼は、要するに、人のプライベートには一切、踏み込まない人だったのではないか。
 そして、同じく、ご自分のことについても、話題にしない方だった。
 ただ一度だけ、ヒゲクマさんがご自分のことを話したことがある。
 昨年の九月。猫カフェ荒らしのSさんと共に、山梨の○庵サテライトを訪れたときのことだ。
 途中のコンビニで、Sさんが飲み物を買うため車を降りた。私とヒゲクマさんがコンビニの駐車場で彼女を待っていたとき、ヒゲクマさんが、店頭に貼られたポスターを見て、ふと、つぶやいた。
「ああ、渡辺真知子、山梨に来るんだ。」
 私は多分、特に興味もなく、通りいっぺんの相槌を打っていたと思う。
「学生時代に、好きだったんだよね、渡辺真知子。」
 へえ、そうなんだ。
渡辺真知子が流行ったとき、私は、小学生でしたね。」
 私が何気なく、そう返すと、ヒゲクマさんは、
「小学生か…。」
と、苦笑いした。
 小心者の私は、慌てて、
「あ、でも、小学生でも高学年です。」
と、あまりフォローにならないフォローをしたのだが、それは嘘である。
 調べてみると、「かもめが翔んだ日」がヒットしたのが、1978年。ここで私の歳を明かしても仕方がないのだが、計算すると、私はまだ小学校の中学年である。
 対して、ヒゲクマさんは、享年五十五歳というから、彼が渡辺真知子を好きだったのは、高校三年生くらいから、大学生くらいのころではないか。
 当時、私くらいの年代の女子は、判で押したようにピンクレディー一辺倒で、私も、友人たちと一緒に教室で踊っていたクチである。そんな小学生の目から見ると、渡辺真知子はとてつもなく大人向けの歌手だった。小学生と大学生の差は大きい。
 それでも、私はまだ、かろうじてその時代を知っている。渡辺真知子が好きだった高校生なり大学生の青春が、どんな時代であったのか、おぼろげにではあるが、その「空気」を思い出すことができる。
 はじめて、ヒゲクマさんの人となりに触れた。
 それなのに。
 それが事実上、最後の会話になってしまうとは、考えてもみないことだった。
 
 
 かもめが飛び去るように、ヒゲクマさんは突然、この世から旅立ってしまった。
 知り合った沢山の人々に、お礼を言う間も与えずに。
 渡辺真知子が好きだった青年は、将来の自分が、日本でたった八つしかない内陸県の山の中で、猫まみれの日々を送るだなどと、考えたことがあっただろうか。
 一日の終わりに、寛いで、ロイカナのカリカリをつまみに好きな酒を嗜みながら、ヒゲクマさんは、渡辺真知子を聞くことがあったのだろうか。
 分からない。
 私にとって、ヒゲクマさんはやはり、不思議な人だ。
 もう一歩、近付きたかった。
 一緒にお酒を飲んでみたかった。
 そうしたら、その場のノリで、私もロイカナのカリカリを食べてみることができたかもしれない。
 
 
 でも、もしかしたら。
 ピンクレディー派の元小学生には、ロイカナは、大人の味すぎるかもしれないね。
 
 
 

 

 ヒゲクマさん、ありがとう。
 アタゴロウは、幸せに暮らしています。