タッチャブル・タマ、あるいはマザー・ヤヌシ


  
 
 昨日、玉音の抜糸に行ってきた。
「ご飯はどうですか?」
「普通に食べてます。まだカリカリはあげてないですけど。」
「ウンチは出てる?」
「出てます。」
「下痢とか、血が混じったりとか、変なところはない?」
「ないです。いいウンチしてます。」
「じゃあ、順調に回復してるのね。」
「ハイ。もうイタズラしてます。」
「良かったわ。」
 先生はちょっと笑って、玉音の術後服を脱がせながら、念を押すように、
「特に変わったところはないわね?」
 私はちょっと考えてから言った。
「変わったところと言えば、まあ、強いて言えば――」
「何??」
「ケガの功名で、劇的に懐きました。」
 
 
 玉音ちゃんは、アンタッチャブルな猫であった。
 立派な野良の御母堂に、立派な野良教育を施されたに違いなく、それに、先天的なのか後天的なのかは分からないが、超絶といえる怖がりが加わって、いつまでたっても、私を見ると逃げ回っている。目が合っただけで逃げるのだから、当然、スキンシップなど成り立たない。
 それでも、ちょっとずつ距離を詰めていたことは、以前、書いた。
 その後も、順調に懐きつつあったことは確かである。ただし、その歩みがおそろしく遅かっただけだ。
 二月初旬に、避妊手術。
 二月下旬。まずは、四代目藤吉郎となるべく、修行が始まったらしい。
 私がお風呂から上がると、バスマットの上に座っている。最初は私がドアを開けた途端に遁走したが、やがて、ドアを開けてもすぐには逃げないようになった。あまつさえ、そっと指を出すと匂いを嗅ぐようにさえなっていたものである。
 もっとも、大抵は雑巾で浴室の床を拭いた後なので、彼女的には
(あら、雑巾臭いわ。)
と、思っていたのかもしれないのだが。
 同じくらいの時期だろうか。猫たちのご飯タイム、私が皿にウェットフードを盛り付けるのを、彼等は近くをうろうろしながら待っているのだが、ある日、ふと見ると、玉音が横腹を床につけて寝そべっていた。このときも、「おおっ」という感じであった。
 言いたいことが伝わらないかもしれない。つまり、この「横寝」の体勢は、スターティングポジションではないということである。そこには、
(鬼婆がちょっとでも怪しい動きをしたら、即、逃げる。)
という、彼女の信念ともいうべき固い決意が見られなかった、その点が画期的なのである。
 それから。
 もう三月も半ば頃であったと思う。ある日のやはりご飯タイム、ウェットフードを食べ終えた玉音ちゃんが、洗面所で何か他のことをしていた私の足許に、お代わりちょうだいを言いに来た。
 これも、凄いことであった。
 出されたご飯を油断なく周囲に気を配りながら食べ、足りない時は、お代わりが出てくるのを遠巻きに見守りながら待つ。それまで、ご飯に関する私と彼女の関係は、そうした「野良さんとエサヤリさん」の域を出るものではなかったからである。
 そうやって、少しずつ、鬼婆を家族と認識し始めていた玉音ちゃん。
 帰宅時には、毎日、ダメちゃんと並んで、リビングドアの嵌め殺しのガラスから顔を覗かせている。
 座っているところに、後ろからそっと手を近付ければ、二回に一回くらいは触ることもできる。
 そして、起床時の布団の上に限り、タイミングをみて撫でてやれば、ゴロゴロ言うようにさえ、なっていたのである。
 だが――
 私は常に、心の中で叫んでいた。
 
 
「そこまでするのに、なぜ逃げる!」


 そう。結局、私を見ると逃げることには変わりはなかったのである。
 
 

  
 
 四月十四日。
 帰宅後、猫たちにご飯を出そうと思ってふと見ると、床の上に猫の胃液の丸い水たまりがあった。
「やあねえ、ダメちゃん。また『エ』したの?」
 私はそのとき、ダメちゃんが犯人であることを疑わなかった。ただ、大抵は二箇所に吐くダメちゃんが一箇所にしか吐いていないこと、吐いたものがいつも前方に飛んで細長い跡になるのに、丸く吐いてあることを、珍しいなと思った。
 猫たちのご飯は、いつもどおりに済んだ。ただし、私は彼等が食べている間、何か別のことをしていたので、三匹がそれぞれ自分のご飯を完食したのかどうかは、見届けていない。
 しばらくして、猫が「エ」をするときの、独特の音がした。
 当然、ダメちゃんだと思ったが、彼はそのとき、私のすぐ近くにいた。彼ではない。
 びっくりして見回すと、玉音が、食べたご飯をもどすところだった。
 初めてのことなので驚いたが、まあ、時にはそんなこともあるだろうと思って、とにかく出てきたものを片付けた。そのとき、吐瀉物が、明らかにウェットフードのみで、カリカリが含まれていないことを、おかしいなと思ったことを覚えている。今にして思えば、その夜、玉音は、カリカリを食べられなかったのかもしれない。彼女の残したものは、多分、他の二匹が山分けしたのであろう。
 それからさらに時間が経って、玉音がまた「エ」をした。今度は、胃液のみ。
 そうやって、私が寝るまでに、三回か四回、吐いた。さすがに、心配になった。
 体調が悪いのだろうか。
 明日の朝になっても治らないようだったら、病院に連れて行こう。そう思いながら就寝した。
 明け方、夢うつつの中で、猫が「エ」をする音を聞いた。その瞬間に、玉音の病院行きは決まった。
 
 
 病院で事情を話すと、先生は即座に
「何か変なものを食べたんじゃない?」
と、おっしゃった。
 私もそれを疑っていた。
 早速、エコーを撮って腹部を調べたが、はっきりしない。
 レントゲンを撮ろう、というところで、
「これからお仕事でしょ。夕方まで預かって様子を見るから、行ってらっしゃい。」
と、気を遣っていただき、それじゃあ、と、玉音を病院に残し、出勤することにした。
 一度家に帰り、何気なく猫トイレを覗いたところ。
 あ。ウンチがしてある。
 病院で、出ているか、と訊かれたときに、出ていませんと答えてしまっていた。私も慌てていたのだろう。朝起きてから、猫トイレをチェックしていなかったことに気が付いた。
 念のため、と思って、病院に電話したところ、
「今レントゲンを撮ったところですが、何か金属が入っているようです。アクセサリーとか、最近無くなったものはありませんか?」
 えーっ!!
 そんな…分からないよ。
 この時ほど、自分のだらしなさを恥ずかしく思ったことはない。
 素直に、分かりません、と答えて電話を切り、改めてそのへんを探りながら考えてみたが、そう考えると、小さな金属製品などいくらでもある。紛失したものは数限りなく。だいいち、猫がいると、ちょっとしたものはすぐ玩具にされ、挙句の果てには家具の下などにみんな蹴り込まれてしまうのだから、小物の紛失などいちいち気にかけなくなってしまう。
 片付けのできない人間に、猫を飼う資格はないのか。しばし、深刻に考え込んだ。
 ともあれ、仕事に行かねばと仕度をして、通勤のバスに乗っていたところで、携帯が鳴った。
「レントゲンの画像を解析したら、腸の中に鈴がありました。午後、開腹手術をして取ります。」
 鈴!
 それは、有り得る。
 かつてガラケーを使っていた頃、いくつかストラップや根付をつけていたのだが、そういった飾り物に鈴がついていると、うるさいので全て外してしまっていた。それらのうちの一つが玉音の玩具となり、そのままゴックンされていても、不思議はない。
 なるほど。と、ある意味、納得した。
 つまり、私はこういう鈴を想像していたのだが、
 
 

  
 
 その日の夜、病院に行って見せられたものは、これだった。
 
 

(黒ずんでしまっているので分かりにくいが、クリスマスのラッピングについてきた「ベル」である。)
 
 
「いや、こんな大きいのを、よく飲んだなと…。」
 先生のおっしゃるとおり。
 これはもう、想定の範囲外であると言っても、良いのではないだろうか。
 もちろん、無防備に部屋の中を散らかしている自分の罪が消えるわけではないが。
 
 
「今まで他の子は、こんなことはなかったものですから…。」
 もごもごと言い訳する私に、
「やっぱり野良ちゃんは、こういうことが多いんですよ。」
と、先生。
「うちの子は、やっぱり野良ちゃんでしたけど、靴ひもを食べちゃって大変でしたね。」
と、助手さん。
 そうか。つまり――
 これも見ようによっては、野良ならではの悲劇だった、ということなのか。
 
 
 そして、二晩の入院となったことは、既述のとおりである。
 
 

  
 
 退院四日目以降。
 月・火は、一日三食。病院で貰ったリカバリーフードをお湯で伸ばし、徐々に量を増やしつつ、お湯の量を減らしていく。
 水曜日から、いつもの「カルカン子ねこ」に戻り、一日に一袋半。回数も、一日二食に戻したが、フードを固形に戻した火曜の夜辺りから、ちょっと元気がなくなった。どうやら脱水らしいと気付いて、ささみのゆで汁をまぜた「おかゆ」にし、さらに、念のためスプーンでゆで汁を飲ませる。
 木曜日から、「おかゆ」を一日二袋。元気が出てきたので、スプーン給水は終了。
 ちなみに、便の方は、退院した金曜日と、土・日は軟便(水様便)。月曜日の夜は出なくて心配したが、火曜日の夜から、固形の、いいウンチが出始めた。
 木曜夜から、棚にもぐりこんで、レトルトの空袋で遊び始める。
 金曜夜。藤吉郎修行再開。
 
 
 退院時、最も心配した投薬であるが。
 これがビックリ。一度も失敗していない。左手で抱っこし、右手のみで飲ませているにも関わらず、である。
 なぜそれが可能だったのかと言えば。
 まず、マダムミツコのお陰で玉音の動きが遅く、簡単に捕まえることができた、ということ。
 そして、驚いたことに、一度捕まえて抱っこすると、玉音はちょっともがく程度で、ほとんど抵抗しなかった。
 さらに、口に押し込むと吐きださずに嚥下してくれたのだが、その素直さがどこから来たのかは不明である。
 飲みこんだ後、念のためしばらく喉を撫で、その後、膝に乗せて手を離すのだが、私の膝に体を預けた玉音は、しばらくその体勢でじっとしているのだった。
 といっても、何しろ朝だから、いつまでもそうしてはいられないのだが。
 
 
 最近、目を覚ますと、玉音は私の体の上にいるか、枕の上にいる。
 寝ぼけ眼で撫でてやると、ゴロゴロ言いながら撫でられている。
 そして、これまた驚いたことに。
 まだ体調が完全ではないので、食事時以外はこたつの中にいることが多いのだが、こたつに手を入れて撫でてやると、ちゃんと撫でさせてゴロゴロ言うのである。
 玉ちゃんのゴロゴロは、意外に大きな音がする。
 生後二ヶ月足らずの玉音を保護して、ちょうど半年。私ははじめて、そのことを知った。
  
  

  
  
「入院生活が、よっぽどこたえたと見えます。」
 まだ少し傷口の乾いていない部分があったので、数か所の糸を残し、玉音の腹に新しい包帯を巻きながら、先生は笑って、
「ようやく、お母さんのありがたみが、分かったのかもね。」
 お母さん、か――。
 日頃、猫に対してあまり「子ども」という意識を持たない私だが、玉音に関してだけは、何だかんだで、結構、母親的なことをしてやったような気がする。
 そうだよね。やっぱり、ちょっとは母親役をやらないと。
 
 
 そうでないと、やはり、玉ちゃんの偉大なお母さんの野良教育を、凌駕できないよね。

 
 
 

  
  
そりゃ無理だろう!!