ななちゃん


(2014年1月2日撮影)
 
 
 実家のななが亡くなった。
 
 
 一ヶ月ほど前に、お尻にデキモノができているというので、母が病院に連れて行った。
 デキモノ自体は、大したものではなかったらしいが、そのとき、腎臓の数値が非常に悪いということで入院。それから、闘病生活が始まった。
 投薬と、その後もう一度、入院した。二回目の入院の後から徐々に立てなくなり、それでも顔はしっかりとして、要求があると鳴いて家族を呼んでいたものが、とうとう目がぼんやりとして声を出さなくなった、と、4日に姉からメールが届いた。
 5日、仕事の後、急いで実家に直行したが、ドアを開けた母は一言、
「お亡くなりになりました。」
 その日の昼ごろだったらしい。
 
 獣医さんには、
「うたたねするようになったら、ほどなく、眠るように逝きますよ。」
と、言われていたとのこと。
 本当に、眠るように逝ったのではないか、と母は話していた。
 運悪く、その瞬間を見ていた者は誰もいなかったのだが、穏やかな顔をしていた。
 ただ、とても痩せて小さくなっていた。体重は2kgを切っていたという。
 
 
 ななは、生後三ヶ月で、実家にやってきた。
 当時、長崎に赴任していた兄が、仔猫を四匹保護したが、一匹しか里親が決まらなかったため、
「じゃあ、うちでも、もう一匹くらいは飼えるよ。」
という、母の鶴の一声で決まったものだ。
 先住猫のジンジャーは、私の猫という位置付けであったため、ななは姉の猫になった。
「なな」という名前は、そのしっぽの形から。曲がり尻尾が数字の「7」に見えるからだった。
 ななは正しく、姉の猫だった。
 誰よりも姉に対して、わがまま全開・気まぐれ全開だったからだ。
 姉がいないと、大人しく、何だかちょっと淋しそうにしていた。
 だが、残念ながら、
「そんなこと言われたって信じられないよ。私が見るときは、いつも偉そうなんだから。」
 何しろ、何か要求がある時は、甘えておねだりではなく、正面から鳴いて主張する子だった。それを毎日やられていた姉は、自分がいないと淋しそうにしている、なんて言われても、想像もつかなかったらしい。
 
 
 ななが危ないと聞いてから、つらつら考えているうちに、自分でも驚く事実に思い当たった。
 私は、ななと一緒に暮らしたことがなかったのだ。
 私の思い込みの中では、最初の一、二年は、一緒に住んでいたように思っていた。
 実家を出て数年は、週末ごとに実家に帰っていたから、そのせいかもしれない。
 だが、その後、たまにしか実家に帰らなくなっても、ななは完全に、私を家族として遇してくれた。
 だから、私だけでなく、家族も勘違いしていたらしい。実家で、母と話を付き合わせながら、改めて計算してみた。母も驚いていた。
 ちなみに、同じく全く私と一緒に暮らしたことのない、もう一匹のりりも、私に対しては警戒はしない。
 最初に彼女を山梨から連れてきたのが私だったからなのか。
 あるいは、なな姉さんに、あの人は家族だから…と、教えられたのかもしれない。
 
 

(2015年1月1日撮影)
 
 
 6日。実家の近くのペット斎場で、ななを荼毘に付した。
 火葬は、あっという間に終わってしまった。
「お骨上げです。」
 きちんと並べられた骨を見て、私は思わず、
「ななちゃん、しっぽがまっすぐになったね。」とつぶやいた。
 遺骨を納めた骨壷を抱いた姉は、
「ななちゃんは、最初から最後まで、真っ白だった。」
 本当に、真っ白できれいな遺骨だった。
 
 
 戻ってから、姉が獣医さんに電話で報告していた。
「大往生ですよって言われた。」
 大往生。
 ななはてんかん持ちだった。だが、それ以外は、全く何の病気もしなかった。
 いつも元気で、体重の変動すらなく、実家が引っ越ししても全く動じなかった子。
 可愛らしい外見に似ず、冷静で肝の据わった姐さんだった。
「ななちゃんはいい子だわ。私、全然お休み取らないで済んじゃった。」
 姉がつぶやく。
 そういえば、家族の中で唯一、姉だけは、ななのことを「ななちゃん」と、必ず「ちゃん」付けで呼んでいた。
 ななは、その辺りも聞きわけていたのだろうか。
 
 
 ありがとう、ななちゃん。
 享年十八歳。