いや、大治郎くん。それウチだけだから。
我が家には、テレビがない。
いや、正確に言えば、あるにはあるのだが、映らない
なぜ映らないのかと言えば、地デジ対策を怠ったからである。
さらに、それ以前の問題で、それまで使っていたテレビの調子が悪いので、買い換えたいという意向は、ずいぶん前からあった。が、欲しいようなテレビが見つからなかったのである。
そうしてぐずぐずためらっているうちに、アナログ放送が終了した。
我が家のテレビ文明は、滅びた。
それっきり。
と、いうわけで、アタゴロウなんぞは、いまどき、テレビなんてものの存在も知らずに育っているのである。
そんな我が家に、テレビ文明が復活した。
黒船が来航したのである。そう、ケーブルテレビという黒船が。
ケーブルテレビ回線が入れば、テレビを買い替えなくても、当面、地上波が見られるようになる。今回の導入は、向こうからマンションの管理組合に持ちかけてきた話なので、工事は無料である。強欲な家主は、タダという言葉に惹かれ、これに乗った。
マンションそのものへの導入工事は、実は4月半ばに終わっている。このとき、「各戸での端子取り換え工事がある」と言われたのだが、我が家だけは日程が合わずに、ずっと見送ってきていた。
この時点で、すでに、敵は私の無知につけ入っていたようである。
私は、回線が導入されても、端子を取り換えないと、テレビは映らないのだと思っていた。
後で分かったことだが、そうではなかったらしい。
だが。
タダでテレビが観たい一心で、私はわざわざ自分から電話までして、端子の取り換え工事を依頼してしまった。
来てもらっちゃったら、絶対に契約を勧められる。それはもちろん、分かっていたのだが。
予約の電話をかけたのは、去る5月4日である。
5月下旬に、他の用事で半休を取ることになったので、ついでにその日にやってもらえたらいいなと思い、電話してみた。
「ずいぶん先ですから、全然大丈夫ですよ。」
と、電話に出たおねえさんは、いかにも気安く答えた。
「お伺いする前に電話させますから。」
それじゃ、当日までは何の連絡もないのか。
何となく、奇妙な感じがした。
それが、虫の知らせであった。
と、書けば、その続きは予測がつくであろう。
そう、来なかったのである。
昼で仕事を上がり、帰宅してから慌てて部屋を片付けつつ待っていたのだが、待てど暮らせど、何の音沙汰もない。
ついに、しびれを切らして、こちらから電話をしてみた。
「ああ、ご予約いただいてますね、FAXで。」
電話に出た男性は、書類を調べて、愛想良く、そう答えてくれたのだが。
いや、FAXじゃなくて、電話だけど。
ちらりと思ったが、敢えて言い間違いを指摘するようなことはしなかった。
現場と連絡を取って、折り返し電話をくれる、ということであったが。
結局、現場の担当者に話が伝わっていなかったらしい。今日の工事予定に入っていませんでした、という返事であった。
先方は平謝り。お客様のご都合に合わせて伺います、ということだったので、
「土日でもいいですか?」
もちろん、断られるわけがない。あっさり、こちらの指定する日にちに決まった。
そして、当日。
敵は二人連れでやってきた。
端子を取り換えるお兄さんと、営業するお兄さんである。
営業のお兄さんのかばんは、工事のお兄さんの荷物より、むしろ大きくて重そうだった。
我が家にはテレビ端子が3カ所にあるので、こことこことここです、と、私が説明を終えると、さて、とばかり、営業のお兄さんは、重たいかばんを下ろして、リビングに腰を据えた。
今さら隠すまでもないが、私は結構、チキンハートである。
「テレビはどこですか?」
「映り方が変じゃありませんか?」
といった質問に対し、実は地デジ対応のテレビがない、ということを説明するのに、最初からしどろもどろであった。強い信念を持ってテレビを拒否してきたわけではなく、単に、テレビを買い換える決断が下せなかっただけという消極的すぎる理由しかないので、調子の悪いアナログテレビが、何だか後ろめたく、恥ずかしく思えるのである。
つまり、最初から、私は劣勢であった。
いや。
正確に言えば、その前から、劣勢だったのである。
お兄さんたちが入ってきた時、私は例によって、
「猫がいますので…」
と、予め断っておいた。
すると、営業のお兄さんは目を輝かせて、
「大丈夫ですよ。猫、好きですから。実家でも飼っているんです!!」
そう。
敵はNTTTだったのだ。
ちゃうわい。てか、キミ、それ、古すぎない?
NTTT。
猫対策特別チーム。
自分がNTTTのターゲットになっているらしい、と、私が気付いたのは、1年前、ガス給湯器の取り換え工事を頼んだ時である。
(2012年4月21日の記事参照)
あのとき、NTTT隊員であるガス屋のお兄さんに誘惑されたダメちゃんは、心にもなく私を裏切り、結果、私は予定外の風呂釜掃除を契約させられたのであった。(エアコン掃除も契約させられそうになったが、しっかり者のヨメのおかげで、辛くも逃げ切った。)
だが、今回は、2匹ともしっかり押入れに潜っている。
ヨシヨシ、そのまま潜ってろよ。
NTTTのお兄さんは、私が正体を見破ったことに、まだ気付いていないらしい。
彼がおもむろに、大きなかばんから引っ張り出して私の前に置いたのは、動物専門チャンネルのパンフレットであった。
しかも、そのパンフレットには、これでもかというくらいに、猫の写真がてんこ盛りなのである。
自然、私は、場が保てなくなるたびに、そのパンフレットに目をやることになる。
もちろん、お兄さんは、猫の話ではなく、商売の話を次々繰り出してくる。テレビの料金プランの話はもちろん、ケーブルテレビ回線を使ったインターネットのメリットだの、携帯電話をスマホに換える時に割安になる話だの、今のプロバイダから乗り換えるとこれだけお得ですよ、といった話の数々。
深く考えていなかった私の頭は、当然、ついて行かない。
私って、催眠商法に引っかかりやすいタイプかも。
そんなことを思いながら、返事に困って、パンフレットを眺めながらもじもじしていると、
「猫って、テレビ観ますよね。犬はあまり観ないらしいですけど。」
と、今度は猫の話を振ってくる。
ついに、お兄さん、自分のスマホを取り出し、
「実家の猫です。」
じぶんちの、猫の写真まで見せてくれてしまうのであった。
「あ、出てきた。」
端子交換を終えて、横で話を聞いていた工事のお兄さんが、ふいにつぶやいた。
私とお兄さんたちは、リビングの床の上に向き合って座っていたのだが、ちょうど、私が和室を背にし、お兄さんたちが和室に向かう位置関係となっていた。
その和室で、押入れの襖の隙間から、ダメちゃんが顔を出したのである。
「覗いてる。可愛いなあ。」
おいっ、大治郎くん!
キミはまたもや、あの失敗を繰り返すつもりか!?
だが彼も、一年前の恥辱を覚えていたらしい。だんだんに押入れから体を出し、最終的には見える位置にいたのだが、お兄さんたちに近付こうとはしなかった。和室から出ても、私の後ろをダッシュで走り抜けて、お兄さんたちをがっかりさせていた。
それでも、
「大きいなあ。」
お兄さんたちは、口をそろえて、感嘆して見せた。
NTTTの常套手段である。
ダメちゃんのデカさは、私が唯一、自慢に思うところである。そこを教科書どおりに衝いてきた。
見え見えですよ、お兄さん。その手には乗らない。
私が無視していると、
「もう一匹は、完全にオーラ消してますね。」
おい、愛宕朗。
オマエ、オーラが薄いって言われてるぞ。(でも出て来ないでね。)
いや…。むしろ濃すぎるかも。
と。
そうこうしているうちに、突然、工事のお兄さんが営業のお兄さんに、何事かをささやきかけた。
営業のお兄さんは、二言、三言、私には聞こえない声で返事をした後、私の方に向き直り、
「それじゃあ、工事の者は、先に帰りますから。」
車が…とか何とか、ごにょごにょと言い訳がましくつぶやいていたが、とにかく、何故か分からないが、何の前触れもなく、突然、工事のお兄さんはひとりで先に帰ってしまったのである。
アナタは、帰らなくていいの?
私のココロのつぶやきは、営業のお兄さんには通じなかったらしい。
彼はその後も明るくさわやかに、猫好きオーラをふりまきつつ営業を続け、最終的には、私から契約書を勝ち取って、意気揚々と引き上げて行ったのだった。
ああ…
脱力。
だが、これで分かった。
突然の日程変更の理由。
どこからか、情報が入ったのだ。我が家に猫がいると。
それゆえ、NTTTに、緊急指令が下りた。
そして、もう一つ、分かったことがある。
営業のお兄さんを玄関まで送った際、はっと気がついた。
クサイ。
いや、その前から何となく気がついてはいたのだが、私自身は慣れているので、あまり気にしていなかった。
ダメちゃんの排泄物のニオイである。
そういえば、工事のお兄さんは、営業のお兄さんほど猫好きではなさそうだった。特殊訓練を受けていない一般人の彼には、ダメちゃんのスペシャルくさい排泄物のニオイは、耐えがたいものだったのかもしれない。
つまり。
あのとき、私の背後を駆け抜けたダメちゃんは、家主の苦境を見てとり、スペシャルくさいNTTT撃退砲で、援護射撃を行ってくれていたのだ。
ありがとう、ダメちゃん。
君の過去の汚点は、これで雪がれた。
結局、私は負けたけどね。
と、ここまでが、実は先週の話。
先週、ケーブルテレビ設置の工事日程を打ち合わせた際に、営業のお兄さんは、
「申し訳ないのですが、この日は専門のチームの日程が取れないんです。なので、私に付いているチームが来ますから。」
と、言っていた。
お兄さんに付いているチームって。
それは猫対策特別チームのことではないのか。
つまり、NTTTは、一週間以内に総攻撃を仕掛けてくる、と、言っているのである。
私は戦慄した。
敵は何しろ、ダメちゃんのスペシャルくさい攻撃にも怯まなかった猛者である。そんな連中が徒党を組んで現れたら、私とダメちゃんだけではとても勝ち目はない。
かといって、少年兵アタゴロウを戦場に立たせたところで、百戦錬磨のNTTTに、あっけなくひねりつぶされるのがオチであろう。
どどどどど、どうしよう。
と、困っているうちに、工事の日が来た。
おそるおそるドアを開けると、現れたのは、人の良さそうなおじさん一人。
「猫がいるんですけど。」
「ああ、聞いてますよ。別に大丈夫ですから。」
おじさんは、猫には特に興味がなさそうだった。
どうやら、NTTTの任務は終了とみなされ、今回は一般社員が派遣されたらしい。
その証拠に、今回は、改めて何かを勧めてくるようなこともない。むしろ、書類の説明をしながら、
「BSを契約なさるなら、これをNHKに出してください。契約する気がないなら、間違って出さないようにしてくださいね。どっさりお金を請求されちゃいますから。」
などと、注意までしてくれる、親切さである。
でもさ、おじさん。
さっき「ここを押すとBSが映ります」っていうような説明をしていたよね。
つまり、やろうと思えば、タダ見ができちゃうわけだ。
NHK的には、「これを出して契約してください」って、言ってほしかったんじゃないかなあ。
察するに、NHKには、NTTTがいないのであろう、と、私は結論付けた。
となると。
昨今のNHKの不振を打破する手段として、NTTTの養成が急務である、と考えるのは、私だけだろうか。
そうですね。