髪結いの亭主

 

  
 
 2〜3週間前になるだろうか。天竜いちごさんと話していて、飼い猫が野生化したら…という話題になった。
「ダメちゃんは、ヨメに獲物を捕ってもらいそうですよね。」
と、ヨメびいきの彼女は言う。
 とんでもない。
 ダメを溺愛する私は、即座に反論した。
 ヨシハル♀も含め、どうも私の周囲には、ダメが鈍重だと勘違いしている人が多くて困る。
 だが、
「ダメちゃんは、運動神経は良いんだからねっ!!」
 そう。ダメは太っていると言っても、運動能力に支障をきたすほどではない。走るのも早いし、ジャンプの飛距離も充分長い。ただ、体が大きい分、ヨメほど華麗に身軽ではないだけのことである。そして、体が大きい分、力は強い。ついでに、毎朝毎晩、背中にへばりついてくる重たい人間を振りほどこうと全身で踏ん張ることで、ウェイトプルの訓練も積んでいる。(ここで格闘技に発展せず、あくまでもウェイトプルなところが、ダメちゃんのダメちゃんたる所以である。)
 しかし。
 インパラだのヌーだのと、自分とさして変わらぬ大きさの獲物を狩っている、ライオンやチータと違い、猫の獲物は、ほとんど小動物である。大きいものと言えば、せいぜいウサギやモグラくらいなものだろう。大ネズミなどは、猫の方も命がけだと聞く。
 となると、猫の狩りには、腕力より敏捷性や瞬発力の方が物を言うわけで、そういう意味では、大きくて強いダメより、身の軽いヨメの方が、むしろ狩猟能力は高いのかもしれない。
 
 
 話は変わり。
 先日故障した我が家のガス給湯器であるが、本日、無事、交換工事が遂行された。
 工事のお兄さんは、NTTTの隊員ではなかったらしい。
「猫がいるんですけど。」
と、例によって断わりつつ、反応を窺ったが、
「あ、大丈夫です。」
と、簡単に返事をしただけで、事実、猫には全く無関心であった。
 ところが。
 猫の方は、無関心ではなかったのである。
 屋外(共用廊下)での本体の交換が終わり、お兄さんが、室内でリモコンの交換をしている間。
 こういうとき、私は内心、作業を見たくて見たくて仕方がない方なのだが、それでは業者さんもやりにくかろうと、一応、遠慮している。理屈で考えれば、家主であり施主である私が作業を監視することは、むしろ理にかなったことであるとは思うのだが。
 なので、仕方なく、私はリビングで古紙の片付けなどをしていた。
 その間、猫どもは隣の和室で、おそらく押入れに潜伏していたと思うのだが。
 突然、私の横を、影がすり抜けた。
 偵察隊が繰り出されたのである。
  
  
 あ、ずるい。
 私だって、見たいのに。
 
 
 しかし、驚いたのは、偵察隊がこのお方だったことである。
 
 

  
  
 おそらく、ダメ隊長の方は、前回、NTTTの術策にはまったことで、「不適格」の烙印を押され、選考から外されたのであろう。
 
 
 偵察隊は、黙って敵地の様子を確認すると、静かに陣地へと引き上げた。
 
 

  
  
 そのおかげかどうかは知らないが、給湯器の工事は無事終わり、次はパイプ清掃である。ほどなくして、先日のNTTTのお兄さんが再登場した。
 このときも、私は作業を見るのはご遠慮して(本当は、自分がどれだけきちゃないお風呂に入っていたのか、見たくて見たくてたまらなかったのだが)、リビングで本を読んでいた。
 こうしたときの常で、ダメは私のすぐそばに侍っていたのだが、私は彼のことをすっかり失念し、お兄さんに呼ばれた時、
「はーい」
と、慌てて立ち上がって風呂場に行こうとし、くつろいでいたダメを思い切り蹴飛ばしてしまった。
 悲鳴を上げて走り去るダメ。よろける家主。さすがのお兄さんも、つい、また平常口調が出て
「うわあ、びっくりしたぁ。…あ、猫。」
と、走り去るダメをちょっとした未練をこめて見送っていたが、危険度レベル高と判断したダメ隊長は、その後、決して現れなかったし、偵察隊も現れなかった。
「結構汚れてましたよ。」
と、予想どおりの説明を受け、料金の支払いをしていると、お兄さんは、
「ところで、エアコンはお使いになってますか?」
と、さり気ない口調で切り出してきた。
「いいえ、ほとんど使ってないです。」
 私は、即答した。
 この上、エアコン清掃まで契約させられちゃ、たまらない。
「そうですか。」
と、お兄さんは爽やかに笑って、
「今後ともよろしくお願いします。」
と、にこやかに立ち去って行った。
 そういえば、今日、お兄さんの道具一式を入れた鞄は、玄関に置かれていた。
 彼は、秘密道具を部屋の中に持ちこまなかったことを、密かに後悔したに違いない。
 明らかに、彼は油断したのだ。
 自分がこの家の猫をすでに籠絡したと過信して。 
 この家の一見ボス猫に、しっかり者のヨメがいることに、彼は気付いていなかった。
 ミッションは失敗した。彼は降格され、自身のしっかり者のお嫁さんに、いたく叱られることであろう。


 ところで。
 作業のお兄さん方に代わり、私は、彼等の作業中、猫軍の陣地を偵察している。これが、そのとき撮影した写真である。
 
 

 
  
 見よ、この、隊長の不安げな眼差し。
 この写真を撮っている時、何か既視感のようなものに襲われた。
 このシチュエーション。
 前にも、あったような…
 ダメが押入れに潜り、ヨメがキケンを偵察に行く…
 
 
 あ。
 雷だ。いや、太鼓だったかな。
 そう考えてみると、結構前から、ダメよりヨメの方が度胸が据わっていることは、明らかなのだった。
 となると…
 
 
 力とか敏捷性以前の問題で、やっぱり、この夫婦が野生化した場合、獲物を捕ってくるのは、ヨメの方かもしれない。
 
 
 ダメちゃん、お願いだから、ネズミを見て逃げるような情けないことはしないでよね。 
 
 
  
  
(猫陣地を遠距離撮影)