猫山大治郎と云う男


  
  
 ダメちゃんが我が家に来たのは、2005年のクリスマスイブである。
 当時、我が家には、半長毛のお嬢様猫、ミミさんがいた。ミミは我が家に来て三ヶ月余りで、推定三歳。ダメは推定十ヶ月の少年であった。
 二匹が出会った瞬間のことを、私は忘れない。キャリーケースが持ち込まれたときから、緊張の面持ちでそれを凝視していたミミは、ケースが開き、ダメが足を踏み出すと、自ら彼に歩み寄り、何も言わずに、ダメの鼻に鼻を寄せた。二匹は静かに匂いを嗅ぎ合い、鼻を擦り合って、それで全てを了解した。警戒も、諍いも、一切そこにはなかった。
 後から考えるに、こんな猫同士の出会いは、ほとんど稀有のケースなのではないかと思う。その後、私は三匹の猫を迎えたが、いずれも、最初はフーシャーである。他人様のブログを拝見していても、ほぼ例外なく、猫同士が馴染むには数日かかる。その後、彼等がどれほど仲良しになったとしても。
 実際のところ、ミミとダメは、それほど仲が良かったわけではなかった。くっつき合って寝ることもほとんどなかったし、舐め合う場面も、ほんのたまにしか見られなかった。やがて、ミミが病気になると、チヤホヤされて好きなだけごはんを貰える(と言っても、本猫はあまり欲しがらないのだが)ミミに、ダメが嫉妬して、追いかけ回して苛めるようなことさえあった。
 今でも、不思議に思うのだ。
 なぜあのとき、ミミはためらいもなく、自ら初対面の少年を受け入れたのか。
 私の考えつく答えは一つだけである。彼女はひと目で、この虚ろな目をした少年の心の中を見抜いたのだ。彼女をあれほどの優しさへと駆り立てたのは、少年の心の中にあった満たされない「何か」と、少年の抱く孤独への深い共感であったに違いない。
 
 
 ダメちゃんの仔猫時代については、分かっていることはほとんどない。
 私が初めて彼を見た時、既に彼はおよそ六ヶ月の中猫だった。八月の半ば過ぎ、炎天下の譲渡会場で、妹猫と一緒に会場に持ち込まれてきた彼を見た。
 そのとき、私は母と一緒に実家で飼う猫を探しに来ていて、既に譲渡手続きを終わり、もう帰ろうかというところだった。だが、彼の大きな体つきと、付け根の太いしっぽが気になり、後日、Yuuさんに質問した。あの後から来た猫は、どこの子ですか、と。
 要するに、彼等は、一般持ち込みの猫だった。
 その確か二週間後だったと思う。彼等は、持ち込んだ保護主(エサヤリさん)に、譲渡会場に遺棄された。保護主は年配の夫婦だったと聞く。引き取ってくれないなら保健所に持ち込む、と言われ、メンバーの皆様の憤懣やる方ないままに、やむを得ずそのままリトルキャッツさんの保護猫となった。
 そうしてつけられた仮名は、彼が「だいちゃん」、妹猫が「みどりちゃん」である。「みどりちゃん」は、目がぱっちりした白キジの、文句なしの美女猫。「だいちゃん」も、体が妙に大きいことを除けば、美形のキジトラである。Yuuさんがご自身のブログに、「だいちゃん」のことを「美形だと思いません?」と書いてくれたことを嬉しく覚えている。
 その後、様々ないきさつがあり、出会って四ヶ月後に、私は彼を自宅に迎えることになるのだが、四ヶ月後、当時のYuuさん宅に彼を迎えに行った私は、四ヶ月の間に成長した彼を見て、だが何か拍子抜けしたような感じがした。
「あれ、意外と小さいというか、普通サイズですね。」
「そうね。思ったほど大きくならなかったみたい。」
 その「だいちゃん」は、本当に目立たない猫だった。事前にYuuさんからメールで、「とにかく大人しい男の子で、いるんだかいないんだか分からない感じ」「いつも、他の子がご飯を食べ終わった後、残った皿を舐めている子」などといった話を聞いてはいたが、本当に、柄に特徴のないこともあり、ちょっと目を離すとどこにいるのか全く分からなくなる。積極的にダッシュで逃げるようなこともないが、自分が注目されていると感じると、さりげなく見えない所に身を隠す、そんな引っ込み思案の少年だった。
 Yuuさん宅には、妙齢の仔猫や中猫がたくさんいた。その中で、私が「だいちゃん」を選んだのは、単に、どの子もみんな可愛くて選べなかったからに過ぎない。
 だが、敢えて言うなら、
(今、私が貰わないと、この子は一生売れないだろうな…。)
という、ちょっとした義侠心のようなものもあったことは事実だ。
 その気持ちは、今でも、確信として私の内にある。
 もしあのとき、私が彼を選ばなかったら、彼は確実に「居残り組」となって、Yuuさん宅から○庵へ、そして現在は○庵サテライトの一階で、あの大勢の成猫たちの中の一匹となっていたことだろう。
「だいちゃんって?ああ、あのしっぽの太い子ね。あら、どこにいるかしら。何しろ、キジトラが多いからねえ。」
 見た目の印象が薄いし、手がかからないので、ボラさんたちもあまり気にかけない。置き餌のカリカリを食べ、他の猫が用を済ませたころを見計らってトイレを使う。そんなふうにひっそりと生きている彼の姿が、見えるような気がする。
 
 

  
 
「見捨てられ不安」という言葉がある。
 カウンセリングなどの場で使われる言葉だが、「症状というより生きグセ」という人もいる。私自身は、それは誰にでもあるもので、それを強く感じるか否かの違いだけだと思っている。
 見捨てられ不安の根底にあるのは、人間関係における基本的な信頼感の欠如だという。また、それは、幼少時に親の愛情を十分に受けられなかった人に強く現れやすい、とも聞く。そのために、過剰に他者に縋りつくのだ、とも。
 要するに、自分が愛されていること・受け入れられていることに、最終的な確信が持てないのだろう。分かる気がする。
 ダメちゃんを見ていると、この言葉を思い出す時がある。
 誤解を恐れずに言う。私はダメちゃんにとって、世界に一人だけの、自分を完全に愛し、受け入れてくれる人間なのだ。
 彼が私を見る時、彼の瞳はこう言っている。
(あなたはぼくを愛していますか。世界で一番、愛していますか。)
 それは彼の猫生を貫く問いであり、ほとんど彼のアイデンティティそのものとさえ言っていいものだ。そして、その彼の問いかけに、常にYesを言い続けることが、飼い主である私の使命なのである。
 彼の幼年時代。母猫と過ごした時代のことを、私は知らない。
 だが、そこから先のこと——老夫婦の庭で、きょうだい猫と一緒にご飯を貰っていた頃。「可哀想だと思ってエサをあげたら、そのまま居ついてしまった」と、その老夫婦は話していたと聞く。頭を叩かれていたのではないか、とも聞いた。その人たちは、猫好きではあったのだろうが、決して彼やきょうだい猫を保護する気持ちは持っていなかったのだ。
 そして、Yuuさん宅での、大勢の猫たちに囲まれた少年時代。
 Yuuさんは、引っ込み思案な彼に相当気を遣って下さっていたようだが、多分、彼の方が、他の猫を気にして素直に甘えることができなかった。
 彼が、集団の中で伸び伸びと過ごせるだけの社交性を備えた猫なら、それでも幸せになれたかもしれない。その気になれば、周囲には友達たるべき同年代の猫たちも、たくさんいたのだから。だが、彼は、おそらくそういう性格ではなかったのだろう。
 我が家で暮らし始めた彼は、当初、もの凄い勢いでご飯を食べた。「カルカン」のトール缶を一本半、一気に平らげた。あまりの食べっぷりに、恐ろしくなってそこでやめさせたのだが、結果的に、下痢をした。おそらくそれまで、他の猫に遠慮して、食事も満腹するまで食べてはいなかったのではないか。
 そうして、ようやくにして、思う存分食べ始めた彼は、それまでの遅れを取り戻すかのように、一気に大きくなった。ミミさんと並んで食事をする彼の背中が、当初は二匹同じくらいの長さであったものが、日々、彼だけがずんずんと長くなっていったのを覚えている。
 それだけではない。
 我が家に来て、二ヶ月ほども経ったころからだろうか。彼の顔つきは、明らかに変わった。瞳が輝き出し、その目が様々な思いを語り始めたのだ。それまで、彼の顔つきは、美形ではあるがなんとなく覇気がなく、ほとんど表情というものがなかった。
「この猫は目力がない。」
 姉は彼をひと目見て、はっきりとそう言い切った。
「それに、おどおどしている。」
 そう。彼は、人に甘えることさえできない猫だった。
 私の周りをぐるぐる歩き回るばかりで、頭やからだを摺り寄せることも、もの思わせぶりな仕草で、私の愛撫を誘うこともできなかったのだ。
 それだけに、彼は愛されること、それも一番に愛されることを渇望する猫だった。「愛されている」と実感することが、彼のただ一つの願いになった。それは、多分、今も変わっていない。
 
 
 彼にとって転機となったのは、ムムとの出会いである。
 それまで彼は、愛されることを強く望んではいたが、彼にとって愛されるということは、相手が自分の上に愛情を降り注ぐことであり、そうやって愛される彼は、常に受け身であった。彼にとって、愛を望むということは、ひたすら相手が自分に愛情を持ってくれることを、ただ待ち焦がれることに等しかった。自分より大きく優しい相手が善意で降り注ぐ、春の雨のような愛情しか、彼は知らなかった。
 だが、仔猫のムムは、もっと違う形で彼を愛した。即ち、彼が彼女を愛することを要求したのである。
 まるで親猫に甘えるように、ムムは彼に甘え、彼が彼女を可愛がることを積極的に求めた。それはいわば、攻めてくる愛であり、自らを動かす愛であった。彼は初めて、愛するという行為が、互いが互いに求め、引き出し合う、相互作用であることを認識したのである。
 仔猫のムムはやがておとなになり、彼と対等な関係を築けるようになった。そのころの二匹の間にあった愛情が、男女のそれであったのか、それとも、性別を超えた友情であったのか、それは私には分からない。だが確実に言えることは、ダメちゃんは、ムムと出会って、与えられる者から与える者へと脱皮した。大きな体つきに似ず、仔猫のようだったダメちゃんが、急激に大人っぽくなっていくことに、私はほんの少しの淋しささえ覚えたものである。だが、仔猫らしいあどけなさや無邪気さと引き換えに、彼は、その豊かな体躯に釣り合う包容力と、繊細な精神性から来る細やかな優しさを身につけていった。
 そのムムの突然の死は、彼にどれほどの衝撃を与えただろうか。
 だが、悲しみと自責の念で言葉少なになる私に寄り添ってきたダメちゃんは、自身の苦しみを私に訴えに来たのではなかった。そっと私の膝に体をもたせかけた彼の全身から滲み出ていたのは、むしろ私に対する深い思いやりだった。
 
 

  
  
 ダメちゃんは、よく他の猫の匂いを嗅ぐ猫である。
 アタゴロウが現れた時、最初のウーシャーが去った後、彼はやたらとアタゴロウのお尻を嗅ぎまくった。そういえば、ムムのときもそうだったような気もする。
 猫が相手のお尻の匂いを嗅ぐのは、挨拶のひとつだと言う。あるいは、相手を知り、確かめるための行為であると。だが、ダメちゃんのそれはほとんどしつこいほどで、仔猫が相手とはいえ、それは猫同士の間でも失礼なんじゃないかと、見ている方がハラハラするほどだ。実際、仔猫の側は、時として少々迷惑そうで、そのまま身をよじって逃げ出してて行ったりする。
 もちろん、いつまでもそんなに嗅ぎまくっているわけではない。ある程度の時間が経つと、彼もごく普通に仔猫に接するようになる。時々思い出したように、よく見知っているはずの相手のお尻を嗅ぎ始めたりはするが。
 今回、玉音という新しい猫を迎えたことで、私は久しぶりに、彼のその癖を思い出した。例によって、彼は、ウーシャーを言わなくなった辺りから、玉音のお尻の匂いを、ほとんど後ろから追いかけるようにして嗅ぎ始めた。
 彼は何故、それほど熱心に、他の猫の匂いを嗅ぐのだろう。
 彼の「匂い嗅ぎ」を、挨拶なのだと考えてみる。
 人間で言えば、「こんにちは、初めまして。」の挨拶を済ませた相手に、すれ違うたびに「お元気ですか。」「いい天気ですね。」と、一生懸命、話しかけているような状態だろうか。
 あるいは、それを、相手を知るための行動なのだと考えてみる。
 知っている相手、そして、相手も自分を知っているはずの相手について、それでも慎重に、もっと情報を得ようとする。通りいっぺんの知り合い方では、彼は納得しない。心を開かない。
 いずれをとっても、いかにも、ダメちゃんらしい。
 人見知りで、不器用な彼の性格を、よく表しているような気がする。
 
 
 ムム。アタゴロウ。そして玉音。
 彼が仔猫に出会うのは三匹目である。だからもう、いい加減、仔猫慣れしているはずなのに、その三匹目を前に、彼は戸惑っていた。
 これまでとは、勝手が違ったからである。
 ムムもアタゴロウも、最初からまっすぐに彼に甘えに来た。彼がウーシャー怒っているときから、仔猫の方はあまりにも無邪気に、追い払っても、追い払っても、懲りもせずに擦り寄って来る。そのうちに彼の方が仔猫の存在に慣れて、あたかも根負けしたかのように、心を開き受け入れてやる。
 だが、玉音は違った。
 彼女が野良上がりだからとか、ケージに入っていたからとか、二匹ではなく三匹の関係だからとか、様々に理由は付くだろう。だが、どんな理由にしろ、玉音は自分の方から、彼に近付いては来なかったのである。
 一方、アタゴロウと玉音は、最初からごく当たり前のように追いかけっこに興じていた。いや、いちばん初めは、怒ったアタゴロウが玉音を追い回していただけかもしれない。が、それがいつの間にか、「追いかけ」から「追いかけっこ」に変わっていた。その継ぎ目が傍から見ていて全く分からないほど、自然に「追いかけっこ」の仲は出来上がっていたのだ。
 やがて、追いかけっこは、プロレスごっこへと発展した。このところ、アタゴロウと玉音は、しじゅう取っ組み合いをしている。本物の闘いなら、アタゴロウとて成猫男子である。チビの玉音はひとたまりもないはずだ。つまり、アタゴロウは手加減して、玉音と遊んでやっているのである。
 二匹がそうやって遊んでいるのを、ダメちゃんはひとり、我関せずのふうを装いながら、ただ黙って眺めていた。しかし、本当に無関心であったとは、とうてい思えない。その証拠と言っていいと思う。時折、玉音との遊びに飽きたアタゴロウが、思い出したようにダメに絡んでいくと、ダメはいつになく激しく怒って、アタゴロウを突き放すのである。
 彼だって、心穏やかではなかったのだ。
 走りまわる二匹をただ眺めているダメちゃん。ひょっとして仲間はずれが寂しいのではないかしら…?と、そんなふうに思わせる時が、度々あった。二匹を目で追う、その瞳の中に、ごく微かに孤独の影がかすめるのを、私は見た。
 だが、彼を恐れているのか、あるいは、歳をとりすぎていて、遊び相手ではないとみなしたのか、玉音は少しもダメちゃんに絡もうとしない。
 彼は彼なりに、自分から玉音に近付こうとした。だが、ムムやアタゴロウが彼に近付いて来たその道を逆に辿るのは、思っていた以上に難しいことだった。自分を愛しているかどうか分からない相手に、自分から好意を示すことは、非常な勇気を必要とすることである。それは人も猫も同じだ。まして、ダメちゃんのように、常に「愛」に対するほとんど先天的な不安を抱き続けている者にとっては。彼はつまり、玉音に対して、どうふるまったらよいか、分からなかったのだ。
 
 
 目薬をさされた玉音は、そのまま私の膝の上にいる。
 私は、大きい方のビーズクッションに座っていた。いつも、ダメちゃんが私の膝に乗る時、一緒に座るクッションである。
 平日の夜、私はなかなかそこに座らない。そんなにのんびりしている時間はないし、うっかりそこで寛ぐと、眠くなってしまうからである。その上、玉音が家に来て以来、やることが増えて、クッションに座ることは、ほとんど「御法度」になってしまっていた。
 その私が、玉音を膝に乗せたまま、クッションの上で静止している。
 クッションの上には、まだ十分なスペースがあった。彼は私に近付き、私の膝の横のクッションの角に手をかけると、首を伸ばして、膝の上の玉音を覗き込んだ。
 彼の大きな舌が、玉音の頭を舐めた。二度、三度。
 次の瞬間、彼はクッションの上に跳び上がり、私の膝に半分乗りかかるように腰を下ろした。彼の柔らかい胴体が、私の膝の上にある。私はそっと玉音の頭を押して、彼の脇腹の柔らかい毛の中に、彼女の顔を埋めるようにした。
 玉音が小さな舌を出して、ダメの横腹の毛を、ちょろちょろと舐めた。
 あたかも、彼のおおざっぱな毛づくろいに「お返し」をするように。
 猫山大治郎という不器用な男の小さな勇気が、実を結んだ瞬間だった。
 
 
 もちろん、以上の話は、彼自身が私に語って聞かせたことではない。
 あくまで、人間である私の目を通しての、いわば「解釈」である。
 たかが猫じゃないか、と言う人もいるだろう。独占欲の強い雄猫が、飼い主が拾ってきた仔猫を、仕方なく受け入れた、ただそれだけのことではないか、と。
 だが私は、ダメちゃんの、この、悩み多き優しさが好きだ。おとなでもあり、子どもでもある、彼の複雑なキャラクターは、ペットが人間にもたらすとされる「癒し」以上のものを、私に与えてくれる。
 その後も、玉音とアタゴロウは追いかけっこと取っ組み合いに日々を過ごし、ダメと私は、ビーズクッションや座布団の上で寄り添いながら、彼等のじゃれ合いを眺めている。そうしていると、何だか、観光地ではしゃぐ息子夫婦を見守る、老夫婦みたいな気分になってくる。
「いいわね、若い者は。」
と、そんなことを、彼に話しかけたくなってくる。
 以下の写真は、昨日撮影した「やらせ写真」である。ダメちゃんとアタゴロウがくっつき合って寝ていたので、そこに玉音を投入してみた。するとまず、二匹が代わる代わるに玉音の頭を舐め、やがて、アタゴロウが玉音の首っ玉をしっかり抱え込んで顔周りをべろべろ舐め始め、さらに、そのアタゴロウの頭を、ダメが首を動かして舐めていた。
 そして、ひとしきり続いた、その舐め合いっこが一段落すると。
 玉音はぴょんとそこから飛び降りて、隣の部屋へと走って行った。残った男子二匹は、変わらずくっついたまま、再び寝に入った
 玉音がそのまま彼等と一緒に寝なかったのは、彼女が元気な仔猫だからか、女の子だからか、それとも、まだ野良さんの気質が抜けていないせいなのか、その辺りは定かではない。