愛と理性と大猫と

 

 
 
 今は昔、ある父親が、十個の瓜を厨子に入れ、「これは人に差し上げるのだから、取ってはならぬ。」と、家人に固く言いつけて外出したところ、帰宅後、果たして瓜は九個に減っていた。
 阿字丸という、その家の七、八歳になる男の子の仕業であった。
 父親はすぐさま、近在の主だった人々を集め、皆の面前で阿字丸を勘当した。人々は父親に半ば説得され、離縁状に証人の判を押した。こうして家を追い出された阿字丸の消息は、それきり途絶えたままとなった
 数年後、検非違使庁の下部が突然、その家に乗り込んできた。罪人の親を追捕するためである。阿字丸が盗みを働いて捕らえられ、その取り調べの際に、自分の出自を告げたのであった。
 動揺する家人、いきりたつ下部を前に、父親だけが冷静だった。
「その者は、私の子ではありません。嘘だと思うなら、これを見て下さい。」
 取り出したのは、あの離縁状である。
 下部も引き下がらざるを得なかった。
 阿字丸はその後、投獄されたが、親兄弟はこれにより難を逃れたのであった。
 この父親には、子の資質を見抜く目があった。彼は賢人として人々に讃えられたという。
 
 
 今昔物語集巻二十九第十一話に収められている話だそうだ。
 私はこの話を、杉本苑子さんの「今昔物語ふぁんたじあ」で知った。
 杉本さんの筆は、成人後の阿字丸をたいへんな大悪党にするとともに、父親が勘当を決意する場面を詳細に描くことで、現代人に対しても説得力を持たせようとする配慮を見せている。
 だが、それでも私は、正直、少々こなれの悪いものを感じていた。
 そもそも、阿字丸の悪行は、年端もいかぬに身一つで家を追い出された困窮の結果ではないのか。
 だが、原文を読むと、阿字丸は「然るべきところに」仕えていたとなっているから、食い詰めて悪の道にはまり込んだというわけではなさそうだ。となると、生来、盗み癖があったということか。父の慧眼は、それを見抜いていたということになる。
 そうはいっても、とにもかくにも自力で「然るべきところに」就職までこぎつけた、阿字丸くんの努力と苦労を思えば、原文のこのオチは、彼には少々酷な気がする。
 出来の悪い子は切り捨てても、家と他の家族を守る――それが当時の社会の要請であったのだろうか。
 
 
 さて。
 我が家のアジマル、もとい、アタゴロウくんであるが。
 彼が1ヶ月半に及ぶ服役の後、先月24日に出所したことは、既にご報告済みである。
 その日、私が動物病院に着いて、自転車の荷台からキャリーを降ろしていると、助手さんがわざわざ手伝いにきてくれた。
「元気ですか?」
「元気です。毎日、ケージの中で暴れてますよ。」
 そのとき、ついでに、
「遊び盛りの子を閉じ込めっぱなしでいいのか、そっちの方が心配なんですけど…。」
と、ふと、漏らした。
 それを、助手さんが先生に伝えてくれたらしい。
 完治、ではなかったが、
「もうここまで来ていれば、出してもいいでしょう。」
 部分浴(後足)と薬塗り(後足と鼻・耳)の労働を保護司に与えた上で、年端もいかぬ囚人は、出所を許されたものである。
 私自身は、正直なところ、彼がどのくらい良くなっているのか、判断がつかずにいた。それゆえ、まさか今日、お許しが出るとは全く期待していなかったのだが、それは囚人の方も同じだったらしい。
 家に帰って、リビングでキャリーを開けると、アタゴロウはまず、面食らったように周囲を見渡し、それから、留守中にダメが襖を開けたままにしていた押入れに走った。
「あ、そこは駄目。」
 ある程度大きくなるまで、押入れは立ち入り禁止にしているのである。(潜り込むと探せなくなるから。)
「最初はどこかに隠れたまま、出て来ないかもね。」
 そういえば、先生もそう、おっしゃっていたっけ。
 やっぱり、久々だから、広い空間にビビっているのかなあ。
 少々可哀想な気もしたが、まあ他にも隠れるところはあるし、と、押入れに入りかけたチビを引っ張り出し、襖を閉めた。
 落ち着くまで、どこか物陰でゆっくりしておいで。
 そう、心の中で話しかけながら、彼の胴体を押さえていた手を離す。
 と。
 何と。奴は物陰に入るどころか、再びリビングに向けて疾走を始めたのである。
 彼の疾走の先には、何も知らないシマシマの巨体がいた。
 
 
 そんな戦法は、アリなのか!?
 とっさのことに立ちすくむシマシマおじさんに、奴は正面から突っ込み、いきなりその首筋に跳びついた。
 驚いたのは、ダメである。
 さすがに、自分の3分の1しかないチビを払い落とすに支障はなかったが、その後は、きっぱりと乱闘に突入する展開となった。
 私も驚いた。
 ムムが小さい頃、二匹の遊びは、ほとんどが追いかけっこ系であり、取っ組み合いのプロレス遊びを始めたのは、ムムがほとんど成猫に近い大きさになってからであった。
 それだって、「乱闘」というよりは、「プロレス」である。
 男の子って、こんなに乱暴なの?
 可哀想な事をした、と、思わず、ダメに謝りたい気持ちになった。
 ダメはチビを払い落しては、体重差を利用して押さえつけ、降参させようとしているが、チビの方は大暴れしてダメの前足を逃れると、懲りずにまた跳びついていく。それも必ず、正面か真横から突進して助走をつけた上で、ダメの首筋にしがみつく、という容赦ない攻撃ぶりで。
 こんなこと毎日された日にゃ、ダメが参っちまう。(か、怪我をする。)
 それに。だいいち。
 ここだけの話だが、ダメは喧嘩が下手なのである。(2010年6月22日の記事「黒い彗星」参照。)
 
 
 ああ。
 出すんじゃなかった…。
 瞬時、そんな想いが脳裏をよぎったことも、ここに正直に記しておく。
 刑期より早く出所した模範囚が、再犯して戻ってきた時の刑務所長の気持ちは、きっと、こんなものであるに違いない。
 
 

 
 

 
 

 
  
 アタゴロウはその後、一日中ほぼノンストップで暴れまわっていたが、徐々に落ち着き、2〜3日で、我が家は普通の状態に戻った。
 ダメに逃げられてからは、ムムのおもちゃ籠を漁って、一人遊びも覚えた。
 実は、猫山家では実家を含め、雄の仔猫を育てるのが初めてなので、そのやんちゃぶりに驚いたわけなのだが、周囲の猫飼いさんたちに訊くと、やっぱり男の子は女の子より乱暴らしい。
 妙に筋肉質でゴツゴツしているとも思ったのだが、それも、男の子だから、だそうだ。
 別に奴が、取り立てて格闘家タイプだったというわけでもないらしい。
 とはいえ。
 それでも、我が家においては、こいつが型破りのチビギャングであることに変わりはない。
 これまで、生涯に三回しか怒ったことのなかったはずのダメちゃんが、このところ、毎日唸り声を上げている。乱闘騒ぎは毎度のこと。しかも、どうやら、大治郎センセイ、けっこう苦戦しているようなのだ。
(こんなはずでは、なかった…。)
 喧嘩慣れしない前足を振り上げながら、彼の苛立ったしっぽは、いかにも雄弁に、そんな言葉を発し続けている。
 
 
 考えれば、ダメちゃんにしてみれば、納得のいかない事態であるには違いないのだ。
 なぜって――、
 ムショ入りしたときは、可憐な幼児であったアタ坊が、出所してきたときには、すでに倍の大きさの粗暴少年に変身していたのである。  
 入った時の体重は、1,250グラム。
 出てきた時の体重は、2,150グラム。
(こいつが、かつて俺にハナミズをなすりつけていた、あのチビっ子なのか…)
 彼の受けた衝撃は、想像に余りある。
 粗暴少年は、ムショから出ると、まっすぐに彼のところにお礼参りにやってきた。
(待て。違う、俺のせいじゃない!)
 彼の心の叫びは、言葉にはならなかった。彼は自らの身を守るため、ただ応戦するしかなかった。なぜなら――
(駄目だ。こいつは…俺にはデカすぎる。)
 そう。もう大きすぎて、彼も全身を使わないと、少年を取り押さえることができなくなっていたのである。
 
 
「何か、ずん、ずん、ずんって、大きくなるよね。」
 いつだったか、動物病院で、そう、言われた。
 途中から毎週シャンプーをしてもらうことになったので、必然的に、毎週体重を測ってもらっていたのだが、面白いように、毎回、150〜200グラムずつ増えていた。
 そして。
 いやつまり、本当に面白かったのだ。私としては。
 なので、毎週の計測を楽しみに、張り切ってゴハンを食べさせていた。
 結果、アタゴロウは生後4カ月弱にして、ダイエット開始前のダメとほぼ同量のゴハンを食べるに至ったのである。
 いや、まあ、それは、仔猫はそもそも大食いだから、大したハナシではないのだが。
 だが、私の記憶に間違いがなければ、避妊手術の時に大猫予想されちゃったムムの仔猫時代よりも、今のこいつの方がよく食べている。
 となると。
 こいつも、大猫になるということだろうか。
 そう思って聞いていると、動物病院での会話の端々にも、ひょっとしてこれは大猫予想?と解釈できる、先生や助手さんの発言が散見されることに気付く。
 いや、いいんだよ。私は大猫好きだから。
 でもね。
 一つだけ心配なのは、もしアタがダメより大きくなってしまったら、ということ。
 そうしたら、ダメは本当に、粗暴犯の嬲り者になってしまうのではないか…。
 
 

(2013年1月6日撮影)
 
 

(2013年2月26日撮影)
 
  
「大丈夫よ。そのうち落ち着くから。」
 友人さくらは言う。
「うちも凄かったけどね。アメショ二匹で、立ち上がって殴り合ってたし。」
 彼女の家は、猫山家とは逆に、歴代、男の子ばかり育ててきたのだ。
「それにね、仔猫の方には、大人の猫に対して、このひとには勝てないっていう、刷り込みができるみたい。最後まで、結局、長男が一番強いっていう順列は変わらなかったわ。」 
 確かに、当時のさくら家の三兄弟は、長男が普通のチャトラで、下二匹がアメショだった。どう考えても長男が一番小さいし、弱かったはずだ。
 なら、ダメちゃんも大丈夫か…。
 だが、しかし。
 我が家には、さくら家にはない、暗い事情があるのだ。
 それはつまり、キャリアの始めにムショ入りという屈辱を味わわされた愛宕朗氏が、“黒幕”大治郎氏に、根深い恨みを抱いているかもしれない、という過去の因縁である。
 いや、正確に言えば、“黒幕”は濡れ衣である。
 だが、大治郎氏が彼の逆境に対して、驚くほど冷淡であったことは、疑いようのない事実なのである。たとえそれが、依存性薬物による人(猫)格の荒廃に起因するものであったとしても。
 
 
 と。
 こう書いていくと、二匹の間はいかにも険悪であるかのように思えるかもしれない。
 もし、そう思っている方がいたとしたら、それは誤解である。
 乱闘していないとき、二匹はくっつき合って寝ている。というより、アタが寝ているダメにくっつきに行っている。
 それに、私は見たのだ。
 ダメちゃんの、尋常ならぬ戦いぶりを。
 首筋に跳びついてきたアタを、ダメは振り落とし、足で押さえつける。そうしておいて、まず、頭や顔の周りを軽く噛み、然るのちに、暴れるアタの頭を、べろべろと舐め始めるのだ。
 自らは、アタの四つ足攻撃を受けながら。
 必死になって、粗暴少年の頭を、ただ、ただ、舐め続ける。
 ここで、ガブリと本噛みしてやれば、アタはひとたまりもないだろうに。
 何と、捨て身の愛ではないか。
 この優しさが、ダメちゃんの本当の強さなのだ。
 
 
 冒頭に記した阿字丸の物語は、「今昔物語ふぁんたじあ」の中に「瓜ひとつ」という題名で収められている。
 原文には阿字丸のその後について言及がないが、「瓜ひとつ」では、阿字丸は獄死したとされ、言葉には出さずこっそりとその供養を図る父親の姿で、話を締めくくっている。
「縁は切っても親ごころ…。阿字丸さまの冥福を祈るお心じゃろ。」
 阿字丸の父は、息子の悪い性癖を見抜き、勘当という非情を選択した。家と係累を守るため、理性が情を説き伏せたのである。
 思えば、ダメちゃんはなぜ、収監されたアタ坊に、ああまでも冷たい態度をとったのか。
 私に用意できる答は、ひとつしかない。
 彼はアタ坊の、その粗暴な性格を見抜いたのだ。
 彼の理性は、情に打ち勝った。
 そして、今。
 阿字丸の父が息子の冥福を祈ったように、彼は粗暴少年と化したアタ坊に、ほとんど自己犠牲的な愛を注いでいる。
 いかに今、粗暴であっても、かつて自分にハナミズをくっつけた可憐な少年を、彼は愛し続けているのかもしれない。少年がいつか改心して、心優しい若者に育ってくれることを信じ、祈り続けているのかもしれない。
 願わくば、彼の祈りが、この粗暴少年の心に届きますように。
 願わくば、この思慮浅い少年が、いつか彼の大いなる愛に気付く日が来ますように。
 大治郎の愛は、彼の理性をはるかに超えていくのだから。
 
 
 と、そこで。
「ちょっと待って。質問があります!」
という、声が聞こえる。
 ハイ、どうぞ。
「じゃあ、ダメちゃんは、理性をもって、いったい何を守ろうとしたのですか?」
 
 
 うーん。
 うーん。
 
 
 彼には、係累はいない。守るべき家名も、職も、領地もない。身一つである。
 てことは。
 ――自分、か。
 彼は理性をもって、自分に類が及ばぬよう努力したのである。
 
 
 あれ…?
 
 
 それじゃ…??
 大いなる愛は???
 
 
 いいや、もう、多くは望むまい。
 どうか。
 願わくば。
 
 
 アタゴロウがダメちゃんを圧倒するほどには、大きく、強く、乱暴になりませんように。