ダメちゃんの倍返し


 
  
 今年もリビングにこたつが登場した。
 ダメちゃんにとっては、待ちに待っていたこたつである。
 なぜなら…
 
 

  
  
 こたつがあれば、ダメちゃんは人間の膝に乗れるからである。
 
 
 まあ、厳密に言えば、こたつがなくても、彼が人間の膝に乗れないことはないのだが、やはり、今一つ落ち着かないらしい。私が抱き上げて膝に無理矢理乗せてみても、ひとしきりゴロゴロ言うと、さっさと降りてしまう。
 ビーズクッション(大)の方に座っていれば、上に布団が掛かっていなくても、スペース的には充分なはずなのだが、それでも、彼なりの理由で、微妙に気に入らないらしい。
 しかも、この頃は、もうひとつ、別の理由もできてしまった。
 ライバルに先を越されるのである。
 私がビーズクッション(大)に座ると、アタゴロウが飛んできて膝に乗ってしまう。
 私的には、こうした場合、むしろダメちゃんが乗って来てくれることを期待しているので、内心、困ったなと思うのだが、それでも乗られて悪い気はしない。だいいち、ここでアタゴロウを下ろしたところで、ダメちゃんが乗ってくれるかは保障の限りではないので、結局、奴を乗っけたままにしておく。
 ついでに言えば、こたつを出す前は、膝のあたりがうすら寒かったので、猫が乗っていると、ちょうど良いエコ暖房だった、という事情もある。
 
 
 ダメちゃんは、気の弱い甘えたさんである。
 と、いうのが、これまでの公式見解であった。というより、私がそう思っていた。
 しかし、最近の研究により、実際には、彼はけっこうあっさり系の性格であることが分かってきた。
 なぜ今頃になって判明したかって。もちろん、それは、アタゴロウとの比較において、である。
 ミミさんがいたころは、ダメはナンバー2であったため、“もっともっと甘えたい”オーラを充分に出し切っていた。ムムと生活していたころは、何しろ、ムムの方が更にあっさりと割り切った猫だったので、ダメちゃんが大甘系に見えていた。
 そして、アタゴロウである。
 こいつの性格について、Yuuさんは、
「な〜んにも考えない子ですから」
という表現をしたのだが、この表現の的確さに、私は心底脱帽する。本当にこいつは、な〜んにも考えない奴なのだ。
 であるから。
 無邪気。天真爛漫。素直にストレートに甘えてくる、可愛い奴ではある。
 だが反面、空気を読まないし、遠慮はないし、自分が愛されていることに一片の疑いも抱かない男である。というより、甘えられたら相手が迷惑かも、とか、誰かが面白くない思いをするかも、などという発想を、テンから持っていない奴である。
 甘えてくる、というのは、私に対してだけでなく、ダメおじさんに対しても、である。
 奴の単純な脳細胞の仕事ぶりでは、ダメおじさんの複雑な心理などには、思い至る筈もない。
 甘えたいのに、素直に甘えられないダメちゃん。な〜んにも考えていない若造に先を越されながら、押しのけるには優しすぎて、満たされない思いをただじっと噛みしめるダメちゃん。
 健気で不憫な子だと、誰もが、そう思うに違いない。
 私も、そう思っていた。
 だが――。
 最近、遅ればせながら気が付いたのだ、
  
 ダメちゃんは、ごはんをあげないと触らせてくれない  
 
 という、事実に。
 実は、ギブアンドテイクがはっきりした男だったのである。
 
 

(ある朝の風景)
  
  
 朝。
 寝起きの悪い家主は、低血圧を口実に、目が覚めてもしばらくは布団の上でぐずぐずしている。
 その間、ダメちゃんは鳴きっぱなしである。
 布団の周りをぐるぐる歩き回り、時として、布団の上に上がり、家主の至近距離で空腹をアピールする。起き上がらないと、つついたり舐めたりすることもある。
 家主が起き上がって布団の上に座ると、ドスの効いた脅迫ボイス時々哀愁ボイスを響かせながら、ひたすら布団の周りを廻り歩く。
 この「周り」というのが、大切な点である。
 彼は常に、布団の上に座っている家主からは、届きそうで手が届かない辺りを周遊し、捕まりそうになると、きれいに身を翻して逃げるのである。
 時々は、立ち止まって撫でさせてはくれる。
 ゴロゴロも、言う。
 だが、このときのゴロゴロほど、猫にも社交辞令があることを確信させるものはない。
 目が笑ってないのだ。
 で。
 ひとしきり撫でさせると、さっさと再び手の届かない範囲に後退し、メシくれコールを再開する。
(もういいでしょ。撫でさせたんだから、メシ!)
という台詞が、聞こえてくるようである。
 そんなこんなで、ようやく家主が起きて朝ごはんタイムとなり、食後の身づくろいが済むと、「ごほうび」に、スキンシップに応じる、という具合である。
 夕食時も、以下同文。
 実際には、朝は猫と遊んでいる時間などないので、「ごほうび」タイムは夕食後ということになる。お腹も満ち足り、今度こそ余裕の表情でゴロゴロ言う彼を見ていると、ついつい、嬉しいキモチになってしまう家主であるが、よく考えると、普通、「ごほうび」は飼い主がペットにやるものである。何ゆえ扶養者が被扶養者にごほうびをもらって喜ばなければならないのか。猫飼いの世界は、きれいごとが通じない、理不尽な世界である。
 
 
 そんな彼であるから、人間の膝に乗るにあたっても、注文が厳しいのかもしれない。
 座り心地が良くなければ、愛だけではガマンしてくれないのだ。
「ダメちゃん、このごろ、愛が足りないんじゃないの?」
と、つれない彼に私は文句を言うのだが、きれいに無視される。
 そのくせ、私が膝にアタゴロウを乗せていると、非難がましい目を向けてくるのであるから、男ゴコロは複雑である。
 私はもっと、ダメとベタベタしたい。
 一度、大きい猫にくっつく快楽を知ってしまうと、普通サイズの猫では物足りないのである。
 私はダメを捕まえてくっつこうとし、居心地に満足しない彼は逃げる。猫にくっつきたい欲求を持て余した私の膝に、アタゴロウが乗って来る。満たされない私は、ふて寝するダメの背中を横目に見ながら、
「じゃあ、いいや。お前で。」
と、な〜んにも考えていないアタゴロウを撫でくり回す。
 ほとんど、不毛な恋愛ドラマである。
 愛し合う二人は、どうして、お互いの意に反し、離れていってしまうのだろう。
 そして、愛もなく(いや、あるにはあるが)、カラダだけを弄ばれる、アタゴロウの運命は――。
 そうこうしているうちに、家主とアタゴロウの仲を誤解したダメちゃんの嫉妬は募り、かといって、な〜んにも考えずに自らに懐いてくるアタゴロウを憎むこともできず…。
 ああ。
 ドロドロだ。(と、少なくともアタゴロウは思っていない。)
 これは今日撮った写真であるが、キャットタワーの中段から、凝視するダメちゃん。画像がいつもに増して悪いのは、ちょうどうす暗くなってきた中で、コンパクトカメラのデジタルズームを使って撮っているからである。
 
 

  
  
 その時の私の膝の上。
 
 

 
  
 ダメちゃんが退いた後の私の膝の上に、アタゴロウが乗ってきた時の写真である。
 こんな目で見られたら、弁解のひとつもしたくなるではないか。
 どうすれば、彼に、私の気持ちを分かってもらえるのだろう。
 せかいいち愛してるよ、は、毎日、言い続けている。
 だが、もはや言葉では、信じてもらえない。
 別に、私が彼に悪いことをしたとは思っていない。だが、彼が許してくれるのであれば、私は自分を曲げて、彼に謝罪してもいいと思っている。それですべてが丸く収まるなら。
 優しくて、真面目で、堅実な彼だからこそ、彼の怒りを買うのは、本当に怖いのだ。
 優しくて、情に厚い。それでいて、彼は合理的な精神を持っている。自らの信念を貫き通すまでは、決していい加減に懐柔されたりはしない男である。
 そんな彼と、私は、どう向き合っていけばいいのか――。
 
 
 多分、こたつを出したことで、今の危機はそれなりに回避されるだろう。
 私がゆっくりこたつでくつろぐ時間を確保し、そして、彼が遠慮なく膝に乗って来てくれるならば。
 そうでなければ――。
 実は、彼と濃密なスキンシップを成立させる方法が、一つだけあるのだ。
 チャンスは、彼が布団やカーペットの上で、香箱を作っている時。そして、その周囲に、充分なスペースがあり、私もその布団やカーペットの上に座れる時。(ただし、ごはん前を除く。)
「ダメちゃん、愛してるよ。」
 私は彼の後方、もしくは横に正座して上体を倒し、静かに座っている彼の背中に覆い被さるようにして、胸を密着させる。そして、彼の後頭部もしくは頬に、自分の額や頬をすり寄せる。
 腕は彼の上半身を包み、空いた両手で、彼の顎や顔まわりを優しく愛撫する。
 肘で自分の体重を支えて。あくまで優しく、彼の背中に私の体温が伝わるように。
 やがて、彼のゴロゴロが私の胸やお腹に伝わり、彼の舌が、私の指を舐め始める。抱っこが苦手で、膝に乗るには大きすぎる彼が、落ち着いて人間と密着できるスキンシップは、多分、この方法しかない。
 そして、このポーズは、実に排他的だ。
 アタゴロウが寄って来ても、私とダメの間に入り込む隙間はない。仕方なく私のお尻のあたりにくっついてはくるけれど、どちらの猫が優位にあるのかは、火を見るより明らかである。
 その瞬間、ぴったり密着する私とダメの間には、至福の愛の交流がある。すべての誤解も、わだかまりも、互いに対する不満も、何もかもを解決に導く、「愛」という名の奇跡が。
 そう。
 8年の月日は、ただいたずらに過ぎたのではない。
 そこには、私たちの間だけで分かりあえる、分かち合える、愛の歴史があるのだ。
 
 
 いや…。
 ちょっと待ってほしい。それは矛盾ではないのか。
 彼は優しいけど、芯は合理的な男だ。懐柔されない男だ。不条理を嫌う男だ。
 そんな彼が、甘っちょろい愛とやらで、本当に誤魔化されているのか。
 彼のカタルシスは、本当に、私の愛によってもたらされたものなのか。
 
 
 そこで、はっと、私は気付く。
 この体勢…。
 
 
 アタシ今、彼に土下座してる――。
 
 
 
 

(懐柔されない男)