ねずみ男的猫男、もしくはパンドラの壺


 

 先週の月曜日。姉からメールが来た。
「りりちゃんが目標体重をクリアしました。誉めてあげたいです。」
 早くもダイエットに成功したらしい。
「じゃあ、『満腹感サポート』はどうする?もう届いているけど。」
「貰うわ。まだ安心できるほどじゃないから。」
 一応、ダイエットは継続となるらしい。
 それにしても、猫のダイエットの場合、試されるのは人間の精神力であって、猫のそれではない。それを「誉めてあげたい」とは。
 甘いなあ。
 私は内心、苦笑いする。
 無理もない。実家の人間は、みんなりりにメロメロなのである。
 
 
 今日、母に会った際、この件が話題に上がった。
「そうよ。もう、ココロを鬼にして頑張ったのよ。」
 母の方は、姉と違って、自分を誉めてあげるスタンスらしい。
「で、どのくらいご飯を減らしたの?」
「余計にあげない。」
 ――へ?
「いや、回数も規定量も減らしていないんだけど、どうしても私があげると、つい、ちょっとずつ多めにしちゃうでしょ。それを我慢したのよ。」
 それは、“ココロを鬼に”したことになるのか。
 というより、それでダイエットになるとは。いったい、どれだけ「余計に」あげていたんだか。
「だからね、『満腹感サポート』にすれば、いっぱいあげられるでしょ。だから、ぜひ欲しいんだわ。」
「・・・・・・・・」
 甘い。
 甘すぎる。 
 
 
 対する、ダメちゃんであるが。
 彼は、これまでの猫生のほとんどがダイエット生活である。
 彼は常に、満腹の生活を夢見ている。だが、それは、見果てぬ夢だと悟ってもいる。
 何しろ、ここんちの家主は、実家の人間のような甘さを、ひとかけらも持ち合わせていないのだ。
「猫のおやつ」なんか、貰ったことがない。今我が家に猫ジャーキーを持った人間が現れたら、戦後の進駐軍よろしく「ギブミージャーキー」のヒーローになれるに違いない。それは、彼にとっては、未知の味覚との衝撃的な遭遇となるに相違ないからだ。
 だが、彼は同時に、諦めない男でもある。彼の座右の銘は「石の上にも三年」「雨垂れ岩をも穿つ」「待てば海路の日和あり」の三つだ。静かに、だが粘り強く、好機の到来を待つ不屈の魂を持つ男が、そこにいる。
 それはひらたく言えば、「盗み食い」である。家主の隙をついて、保存してある食糧をかすめ取る。どこに「それ」はあるのか。どうやれば「封印」を解くことができるか。彼の思考は、ときに天才的なひらめきを見せる。
 もちろん、家主も負けてはいない。現在、猫のドライフードを入れた容器は、リビングの扉付き物入れの下から二段目にある。扉には掛け金はないが、マグネットでぴったりと閉ざされ、つるりとした表面に猫が爪をかけられるところはないので、いかに力の強いダメちゃんと言えど、外側から自分で扉を開けることは不可能である。
 が。
 ここに彼の天才的思考の一例がある。
 物入れの一番下の段には、掃除機やらリサイクルに出す古紙やら、季節外れの家電やらが置いてある。家主が掃除機を出そうとして扉を開けると、彼はすかさず、扉の隙間から物入れの最下段にすべり込み、古紙の後ろ辺りの、家主の手の届きにくい隙間に潜りこむ。そして、そこに陣取って、ひたすら頑張る。
 諦めた家主が、扉を閉めて、掃除機をかけ始めると、彼は内側から扉を押して脱出する。そして、掃除機の音にかき消されて、扉の開いたことに家主が気付かずにいる隙に、二段目の棚からドライフードの容器をはたき落とし、衝撃で蓋が開くと、こぼれたフードを大急ぎで貪るのである。
 その現場を目撃した家主は、当然、烈火のごとく怒る。いかにその手法が天才的とはいえ。
 そうまでして、彼は盗み食いに命をかけるのである。
 
 
 先日、友人さくらが訪ねてきた。
 目的は、我が家の猫仕事の説明を受けるため。近々、私が一泊旅行に行くので、万一、翌日帰って来られなかった場合の用心として、「引き継ぎ」をしたわけである。
 この「引き継ぎ」にあたり、私はちょっと考えてしまった。
 私は基本的に、片付けられない女である。客人が来るともなると、多少は片付けるが、散らかし魔の方々には身に覚えがあることだろう、押入れはじめ、見えないところは、その分、びっくりするほどのぐちゃぐちゃなのである。
 いかにかつてのルームメイトとはいえ、この、雪崩を起こしそうな物入れの中を見られるのは、さすがに恥ずかしい。
 だが、猫のドライフードは、その物入れの中にある。
 考えた末、「非常用パック」を作ることにした。
 普段使っているドライフード容器は、広口のスクリューキャップなので、衝撃を受けると割と簡単に蓋が外れてしまうのだが、もっと小さい容器で、タッパーウェアのように柔らかいシール式のふたがついた容器が、ちょうど2つある。これに二匹のドライフードを入れ、さらに、ジップロックの冷凍庫用チャック袋に入れて、レトルトの空き箱に詰め、猫トイレの上の、レトルトの箱を並べてある後ろにそっと隠しておいた。
 で。
 ここまで書けば、続きは言わずもがなであろう。
 そう。やられたのだ。
 数日後、私が帰宅すると、猫トイレの前にレトルトやら箱やら皿やら、棚にあったものが激しく散乱していた。
片付けてみると、その「非常用パック」だけが見当たらない。
 散々近くを探し回った挙句、結局、違うところで見つけた。
 キッチンマットの上。
 どうやら、お目当ての物を手に入れた彼は、それを台所まで引きずっていき、そこで何とか「封印」を解こうと頑張ったらしいのだ。
 が。
 開かなかった。
 ジップロック恐るべし。猫の鋭い歯と爪をもってしても、破れなかったのだ。(ついでに、容器のキャップも閉まったままだった。)
 彼の無念さは、察して余りある。何しろ、それ以来彼は、私の目を盗んでは猫トイレの上の棚を漁る猫になってしまったのだから。
 その後、一度その現場を押さえた私は、例によって、烈火のごとく怒った。
 彼は一目散に現場から逃走し、以降は、そこを漁ることをやめたらしい。とりあえず、ほとぼりが冷めるまでは。
 
 
 ちなみに、彼が「獲物」を台所まで引きずっていった理由であるが。
 思えば、台所は、昔から彼のアジトであった。
 青春時代のダメちゃんは靴下フェチで、よく私のソックスだの、丸めたストッキングだのを盗んでいたものであるが、そんなとき、決まって運んで行く先は台所であった。
 それだけではない。
 彼は夕食が終わると、キッチンマットの上にごろりと横たわるのを日課としている。彼にとって、キッチンマットの上は、いわば、いちばん落ちつけるホームグラウンドであるらしい。
 そして。
 まだ確信を持てるほどではないのだが、おそらく、キッチンマットにごろりと横たわるのは、彼の「甘えたい」サインでもあるのだ。
 そういえば、ミミさんは別として、ムムもアタゴロウも、台所にはあまり立ち寄らない。用があれば立ち寄るが、基本的に用がない、という感じ。台所に好んで立ち入るのは、ダメちゃんだけなのである。
 さらに、猫の夕食後、私は猫トイレの掃除で洗面所にいるか、自分の夕食の準備などで台所にいる場合がほとんどなので、ゴロンをしているダメは間違いなく目に入る。そのくつろいだ様子に惹かれ、ほぼ確実に、私は彼をモフることになる。
 他の猫はすぐにはやって来ないから、そこは二人だけの世界である。
 空腹がおさまり、満ち足りた気分になっている彼は、目を閉じてゴロゴロ言いながら、私の手に頭を預けてくる。お互いに幸福な時間である。
 それが今日は、珍しく午前中であった。
 私が朝食の後片付けをしていると、ダメがやってきて、思わせぶりに「ゴロン」を始めた。
 ああこれは、構ってほしいんだな、と、察した私は、早速、いつものように首周りを撫で始めた。
 それに対する、ダメちゃんの反応が凄かった。すりすりというよりゴリゴリという勢いで、私の手に頭をこすりつけ、掌の中に顔を押し込み、鼻を押しつけ、手を舐めまわし、指という指を甘噛みしてくる。ほとんど執念を感じさせるような甘えっぷりである。
 正直、驚いた。
 そんなに激しく甘えたいほど、淋しい思いをさせていたのだろうか。
 それとも、前回、私が彼のことを「あっさりした猫」と書いたから、汚名返上のために頑張っているのだろうか。
 それにしても、キミ、こんなに甘噛みする猫だったっけ?いや、痛くないからいいんだけどさ。
 何だか分からないけどひとしきり付き合った末に、私がその場を離れると、彼は和室の日だまりに戻り、その後は何事もなかったように日向ぼっこを続けた。
 彼が何を求めていたのかは、結局、分からずじまいだった。
 
 
「ダメちゃんは、近くに来るようで来ないのよね。」
 母は言う。
「すぐ近くまで来るんだけど、ぐるぐる歩き回って、座ってくれない。一応、馴れてはいるんだろうけど。」
「ダメちゃんは、甘えたいとぐるぐる歩きするのよ。」
 そう。その点は、姉にも指摘されていたことであった。
「ダメはうろうろ歩きまわって、落ち着かない。」と。
 猫は好きな人間の足許を、8の字ウォークする。そのバリエーションではないかと私は思っているのだが、それにしても、人間側からすると、いくら猫を甘やかしてやりたくても、落ち着いて座ってくれないことには、触るに触れない。
 このへんが、ダメちゃんの評判の悪い一因なのである。
 母に午前中の出来事を話し、
「そういえば、その時も、ぐるぐる私の周りを歩いてた。」
 彼が私の手を舐め、甘噛みする。→ヨダレのついた手を拭きがてら、私が彼の首筋あたりを撫でる→立ち上がって私の周りをひとまわりし、また私の手を舐め始める、といった具合。激しく甘えたいオーラを出しながら、その甘えたい情熱に駆られたとでも言わんばかりに、彼はぐるぐる歩きを繰り返していたのだ。
 でもねえ。
 分かってはいるんだけど、やっぱり、甘えるなら、りりやアタゴロウのように、素直に膝に乗るなりして、落ち着いて身を任せる体勢をとってほしい。
 思えば、ダメちゃんにとって、「甘える」という行為は、
(よし。これから人間に甘えるぞ。)
という決心を伴う、非常に意識的な行為であるらしいのだ。私が安楽椅子なり、こたつなりに座ると、ほとんど条件反射のように気軽に膝に飛び乗って来るアタゴロウとは、気合いの入れようが全然違う。
 りりも、しかり。
「背中に登られちゃってねえ。」
「いい歳して、まだ登ってるの?」
 何しろ、我が母は、あまりに背中が傷だらけなものだから、通っているスポーツクラブでDV被害者ではないかと疑われた過去を持っているのだ。
「布団にも入って来るし。」
「入るの?いいなあ。」
 うちの猫どもは、なぜか決して、掛け布団の中に入って来ない。幼少の砌、アタゴロウがちょっとだけ入ってきたが、この頃はまったく入らない。下手をすると、私の布団にさえ来ないこともある。
「でもね。りりは腋の下に入るだけ。その点、ジンちゃんは、いつも腕枕で寝てたから可愛かったわ。」
 遠い目をする母。
「時々、頭を齧られてたけどね。」
 その眼を覚まさせるように、私は冷静に指摘する。
「頭?そうね。噛まれたけど、別に痛くなかったし。」
「・・・・・・・・」
「ジンちゃんはやっぱり、可愛かったわ。」
 私はつい、苦笑する。
「でも、今にして思えば、ずいぶんヒドイこともされたよね!?」
「野性味があって良かったわ。」
 おいおい。
 母上。きっともうお忘れなんでしょうけど、当時、就寝中に頭を齧られたあなたは、翌日、「痛い」とこぼしていたじゃないですか。
 障子は破るわ、調理台を歩き回って足跡だらけにするわ、ゴミ箱は漁るわ、ベランダから脱走して屋根に登るわ、怒ると本噛み・本爪だし、撫でている人の手を奇襲攻撃でガブリとやるし、人を見て態度を変えるし、わざとやきもちをやかせるような行動をするし。
 だいいち、あなたが坐骨神経痛になったのは、階段の上で、彼女に膝に居座られたからでしょ。
 だけど。
 母は本当に、悪いことは全部忘れているらしい。
 りり以上に、ジンには本当にメロメロなのだ。
 
 
 私は反射的に、ダメちゃんを思う。
 彼は何て、要領の悪い奴なんだろう。
 上に列挙したような悪さを、彼は一切やらない。必死に甘えているのに、その甘え方が、気合いが入り過ぎてぐるぐる歩きになってしまうばかりに、「落ち着きがない」とか「懐かない」とか言われ、「その点、りりは…」と、妹と比較される。
 私にしてみれば、それが彼の魅力ではあるのだが。
 だが、逆に、彼にしてみれば、そんな自分より、人の頭を齧る猫の方が「良い猫」と言われる、その事実には納得がいかないに違いない。
 
 
 母と別れて、帰りの電車の中で、ふと、こんなことを思った。
 母がジンちゃんの可愛かった点しか思い出さないのは、きっと、彼女が母の頭を齧ったときに、悪い思い出をぜんぶ齧りとってしまったからに違いない。
 そういえば、そんな話が「墓場の鬼太郎」にあった。猫娘に頭の先を齧り取られたねずみ男が、その齧り取られた先端に入っていた大事な記憶を無くしてしまう、というエピソードが。
 ねずみ男の頭の先端は、確か、後に猫娘から返された(そして、記憶が戻った)という話だったと思うが、母の頭を齧ったジンちゃんは、もうすでにお骨になってしまっている。母の頭の中にあったはずの、彼女の悪事の記憶は、きっと、彼女の遺骨とともに骨壷の中に眠っている。
 その骨壷は今、実家のリビングのカウンターの上に安置され、母が毎日、花を手向けている。
 
 
 私は続けて、こんな想像を楽しむ。
 8年間、蓋をしたままの、あの骨壷を開けたら。そうしたら、壺の中に封印されているジンちゃんの悪事の記憶が瞬時にして立ちのぼり、記憶が戻った母は、ダメちゃんの盗み食いを目撃したときの私と同様、烈火のごとく怒り出すのだろうか。
 そして、そのとき、壺の中に残るもの。
 それは多分、彼女の「野性味」という魅力に違いない。
 
 
 さらに私は、こんなことに思い至る。
 今朝のダメちゃんの甘噛み。
 あれはもしかして、彼の盗み食いを目撃して激怒した、私の記憶を齧り取ろうとしていたのではないか。
 いや、だけどさ。
 アタシの脳味噌、手にはついてないから。
 どんなに舐めても齧っても、記憶は消えないから。
 ていうか、そんなの、もう、怒ってないから。
 別に私の御機嫌とる必要もないんだから…ね。
 
 
 だが、そこで、必死になって関係ない指を齧ってしまうあたりが、ダメちゃんのダメちゃんたる所以なのである。