我が盟友、猫カフェ荒らしのSさんは、ダメちゃんをして「全てを諦めたような表情をしている」と評する。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。ブログに載せる写真を選んでいると、彼の写真はどれも、力ない表情ばかりで、選択に苦労することも度々である。
我が姉、「体操のお姉さん」は、ことのほかダメに手厳しい。姉はダメに「目力がない」と批判する。
その指摘も、確かに一部では当たっていないわけでもないが、全体としては、私は断固として反論する。それは単に、姉がダメの本当の「目力」を見ていないだけだと。
彼の目力は凄い。メシくれコールのときの、あの燃えるような眼差し。もとより彼は、決して「全てを諦めた猫」ではなく、むしろ、決して諦めない男である。その不屈の意志の力が、痛いほどの凝視となって、ぐーたら家主の腐ったココロをきびしく射る。
ついでに言えば、彼がその目力を発揮する時、その顔は三割増ハンサムになる。あんまり男前なので、家主はつい、ゴハンを出すのを忘れて、うっとり見入ってしまうほどである。
そんな家主であるから、ブログにはぜひ、彼のハンサム写真を掲載したい。だが、どうしたわけか、家主がカメラを向けると、彼は突然、「全てを諦めたような」顔になる。あたかも、自らの強い意志を、他者には悟られまいとするかのように。
「何でそんなやる気のない顔するのさ、ダメちゃん。ハンサムが台無しじゃない。」
家主はつい、不満をぶちまけるが、彼は聞く耳を持たない。
なぜなのだろう。
あるいは彼は、諦めきった力ない表情を敢えて世間に晒すことで、家主の彼に対する非道な扱いを、暗に告発しようとしているのかもしれない。
遡ること、二週間ほどになろうか。
ある夜、帰宅すると、廊下に猫の××が落ちていた。
「やーね、ダメちゃん。こんなところに落っことして。」
私は、その“犯人”が、彼であることを疑わなかった。特に根拠はない。そういうことをするのは、彼に決まっている。
だが私は、それがわざとではない、ということも、信じて疑わなかった。
おそらく彼はいつものとおり、正しい場所に正しい姿勢で、爆弾を投下したのであろう。ただ、何らかの事情でキレが悪く、不発弾を残したまま一定距離を移動してしまったものと思われる。
その日、私は“適度に”疲れていた。
つまり、「このクソ猫!」と悪態をついて怒鳴るほどの元気はなく、かといって、涙目になってへたりこむほど、消耗し切ってもいなかったのである。
私は黙って、さっさと「それ」を片付け、何事もなかったように、猫どもに晩メシを供した。
猫どもも、何事もなかったように出されたメシを食べ、食後は普段通りにくつろいでいた。だが、そのとき、もしかしたら大治郎氏は、あまりの静粛さに内心拍子抜けしていたかもしれない。
廊下に××を落とした時点で、帰宅した家主が怒り狂うことを、彼は予測していたかもしれないのだ。
下手をすると、「晩メシ抜き!」とか、理不尽なことを言い出さないかと、戦々恐々としていたかもしれない。
だが、何も起こらなかった。
おかしい。
こんなはずはない。
今にして思う。そのときふと目が合ったダメの瞳の奥には、微かな猜疑心の陰がさしていたような気がする。
その数日後。
今から一週間ほど前だろうか。
その朝、私は僅かに寝坊した。遅刻するほどではないが、時間が押して、気が急いていた。
大急ぎで猫どもに朝飯を出しながら、洗面所で歯を磨き、顔を洗って、着替えようとしたところで、寝室に忘れ物をしたことに気が付いた。
何しろ焦っている。慌てて洗面所を飛び出したのはいいが、洗顔時に外した眼鏡をかけるのを忘れた。
洗面所を出たとたんに、すぐ気が付いたのだが、勝手知ったる自分の家である。別段探し物をするわけでもないので、眼鏡がなくても用は足りる。そのまま廊下を走って寝室に行こうとした。
そのとき。
踏んだ。
あっと思った時は、もう遅かった。
「ギャー!」
悲鳴を上げて、ダメがすっ飛んで逃げた。スリッパの足が、悠々とカリカリを貪っていた彼のしっぽを、きれいに踏みつけたのだった。
「ごめん!ダメちゃん。ごめんよ。見えてなかったんだよ。」
それが言い訳にならないことは明らかである。彼はいつも、しっぽを伸ばしたまま食事をする。ド近眼な私の目にも、彼の大きな胴体は見えていた。となれば、そこにしっぽがあることは、見なくたって分かるはずである。そのせいであろう、足を下ろす瞬間、一瞬、そこに足を置いてはいけない、という予感めいたものが、確かに頭をよぎっていた。
だが、結局、踏んだ。
それも、タテに。
踵からつま先まで、正に足裏の中心を縦断して、彼の柔らかい尻尾の感覚があった。
謝罪しようと近付いた私から、彼は二歩、三歩、後じさりして逃げた。だがその後は、すぐに戻って食事を続け、食後はいつものクッションの上で、落ち着いてグルーミングを始めた。
「ごめんね、ダメちゃん。ごめんね。」
再び謝罪に訪れた私を、彼はこの上なく平静な目で眺めた。逃げも怒りもしなかった。何事もなかったようにグルーミングを続ける彼を見て、私はほっとすると同時に、何かひどく、申し訳ない気持ちになった。
おそらく彼は、踏まれ慣れているのだ。私に。
しっぽを踏まれたり、足を踏まれたり。今さら、この家主にはつける薬はないと思っているに違いない。
これが、「全てを諦めた」ということなのだろうか、と、忍耐強い彼を不憫に思った。
そして昨日である。
先週、久々の日曜出勤で一週間が長かったせいか、何となく疲れが抜けず、朝から体が重かった。午前中は所用があり外出していたものの、午後、帰宅してからは、何もやる気になれず、座ったら座ったまま居眠りを始める始末であった。
これはよくない、と思った。
やること・やりたいことはいくらでもあるが、どのみち手につかない。それよりは、来週に備えて疲れを取る方が先決だ。だったら、いっそのこと、布団に入ってきちんと寝た方がいい。
決心すれば実行は早い。即座に布団を敷いて、午後のまだ明るいうちから、本格的な昼寝を始めた。
そうして、どのくらい眠っただろうか。
辺りはすでに、夕闇に包まれていた。
突然、何者かが私を踏んだ。悲鳴を上げる間もあればこそ、曲者はまっすぐに、私の体を縦に突っ切り、腹から胸へ、そして最後に、私の喉を思い切り踏みつけた。
ぐえっ。
それはあまりに的確な踏み方であった。私の急所を狙ったとしか思えない、計算されつくした奇襲攻撃であることだけは、私の霞がかかった頭にも、とっさに理解できた。
――コラァ!喉はやめろ、喉は!!
だが、私の叫びは声にならなかった。私の視界は閉ざされ、私はその場に横たわったまま、なすすべもなく、戻りかけた意識が再び急速に遠のいていくのを感じていた。
私は一命を取り留めたらしい。
数時間後、意識を取り戻した私の耳に聞こえてきたのは、晩メシはまだかと叫ぶダメちゃんのドスのきいた絶叫であった。
私は手足を動かしてみた。大丈夫。普通に動く。視界が暗いと思ったのは、夜の闇のせい。布団の上に起き上がって、頭を動かしてみた。そして最後に、恐る恐る、声を出してみた。
「ダメちゃん、携帯取って。今何時?」
もうメシの時間はとっくに過ぎたよ!と、ダメが答える。私は自力で携帯を探り当て、時刻を確認した。ダメの言うとおり、猫の晩飯の時間を十分余り過ぎている。
起き出して部屋の明かりを点け、猫どもに晩飯を出しながら、私はぼんやりした頭で、数時間前の出来事を思い返していた。
あれは、夢だったのだろうか。
いや、夢ではない。確かな記憶がある。
では、いったい、誰が?何のために?
夢中でウェットフードを貪り喰う猫どもを眺めながら、私は突然、はっと気が付いた。
昼過ぎ、私は帰宅した際に、玄関を施錠した。その後、ドアにも窓にも、一切手を触れていない。つまり、この部屋は密室なのだ。
密室殺人未遂――。
即ち、犯人は、この二名のうちのいずれかということになる。
私はあのときの状況を、丹念に思い出してみた。「犯人」は私の腹を踏み、胸を踏み、喉を踏んで、私の上を一直線に駆け抜けた。
私の脳裏に、ひとつのキーワードがひらめいた。
――タ テ ニ フ ム
そのキーワードにより、甦るもうひとつの記憶。
――縦に、踏む
あのとき、踏んだのは私だった。そして、その私が、今度は踏まれたのだ。
では、彼なのか?
だが、なぜ…!?
“彼”は顔を上げた。そして、何事もなかったように、三割増ハンサムの目力で、次のカリカリを要求した。
人を殺める、ということは、生半可な決意でできることではない。
私は、そう思う。
不謹慎な話ではあるが、「ついカッとなって」とか「揉み合っているうちにはずみで」とった犯罪の方が、私には理解できる。推理小説にありがちな、いわゆる怨恨による犯行の方が、ずっと理解し難く思う。
人はそこまで、人を恨むものだろうか。
どれほど憎み、恨んでいたとしても、その相手を殺めるということは、同時に、自分自身の人生を殺すことでもある。相手がどれほど悪い人間であっても、その「制裁」が正義に基づくものであったとしても、人を殺めた者は必ずその亡霊に悩まされることになる。半狂乱になって見えない血に汚れた手を洗い続けるマクベス夫人のように。
だいいち、今の世の中、完全犯罪が成立する可能性など、万に一つと言って良いのではないか。犯罪を犯せば、まず間違いなく、それは暴かれ、犯人は獄に繋がれる。極刑に処せられるかもしれない。運よく極刑を免れ、刑期を終えて出所したところで、キャリアも信用も失い、友は離れ、重い過去と世間の冷たい目に耐えながら、辛い余生を生きることとなる。
そんなふうに、自分自身を殺しても良いとさえ思いつめるほどの恨み・憎しみとは、いったいどれほどのものなのだろう。
思うに、「殺人」を扱うミステリ作家が最も苦労するのは、その点なのではないか。
その犯罪計画が手の込んだものであればあるほど、長時間かけてそれを練り上げようとするに足る、強い動機が必要となる。
積もり積もった恨み。
人生そのものを狂わすほどの、大きな痛手。
だが、その恨みが、実は犯人の誤解によるものだった、というドンデン返しのオチも、ミステリの常套手段である。
危急の際に、生命を賭して彼を救ったのが、実は彼の標的となった人物その人であったとか。
彼の最愛の人を死に追いやったのは、実は別の人物であったとか。
真実を前に、自らの為したことの無意味さと、遅ればせながらの罪の意識に呆然とする犯人。すでに抵抗する気力もなく連行されていく彼を見送る、探偵とその恋人が佇む断崖の風景を、カメラは遠景で捉え、人生の空しさと人間の卑小さとを映し出す。
あの朝――。
自らのしっぽを縦に踏んだ家主の行為を、彼は、自分に対する報復行動と理解した。その数日前、彼はちょっとした失態を演じたが、家主は怒りも泣きもしなかった。だが、彼を許しもしなかったのだ。そしてババアは、陰湿な報復行動に出た。
彼は、耐えることを知っていた。
家主のやり方は、常に陰湿であった。口では愛していると言いながら、しっぽを踏む。足を踏む。メシを出し渋る。人トイレに閉じ込められそうになったことさえある。
だが、彼は耐えてきた。ひたすら黙って、耐えることを学んできた。
しかし。
耐えることは、許すことではない。認めることではない。
いつか恨みを晴らす時が来る。そう思えばこそ、耐えることができたのだ。
虐げられた日々のうちに、彼は猫生の盛りを過ぎた。同時に、家主も衰えた。明るいうちから疲れたと言って昼寝を始めるほどに。
今しかない。
残された猫生に、自由の陽光を降り注がせたいなら。
ババアの束縛を逃れ、自らの誇りと尊厳とを高らかに謳い上げ、瞳に宿る命の煌めきを、もはや誰に隠すこともなく輝かせるなら。
彼の脳裏に、踏みにじられた誇りと、裏切られた信頼と、そして空腹と失望の日々の記憶が、奔流のように甦った。
今、この瞬間に、おれはおれの猫生を賭けるのだ、と、彼は思った。
彼は息を吸い込むと、目を閉じたまま、目の前にだらしなく横たわる巨大な肉体の上をひと思いに駆け抜けた…。
今、ここまでお読みいただいた読者諸氏の頭の中には、確実に、容疑者Aの姿があることと思う。彼の哀しい半生に思いを馳せ、同情のため息を寄せてくれた方もいらっしゃるかもしれない。
だが。
ミステリには、もう一つの常套手段がある。
犯人が犯行を自供し、全てが解決したと誰もが思う。が、ただ一人、探偵は何か心に引っかかるものを抱えている。
そして。
その後の平穏の中で、彼は突然、理解するのだ。彼に釈然としない思いを抱かせていた「それ」が、何であるかを。
真犯人は、別にいる――。
それを証明する「あのこと」を、自分は目の当たりにしていたのに。
俺は――何て馬鹿だったんだ!!
そう。
ここまでお読みいただいたあなたは、気付かなかったのか。
もし、容疑者Aが真犯人であったなら、被害者にして語り手たる私は、今、こんなに悠長に、ブログなんか書いていられるわけがないのだ。
ふっふっふ。
引っ掛かりましたね。
そう。私は最初から気付いていたのさ。私の上を駆け抜けたそいつが「軽かった」ということに。
容疑者Aは今、私の膝の上にいる。私の右肘の内側を枕にして、ゴロゴロ喉を鳴らしている。
彼は、耐えることを知っている男だ。
耐えることは、許すことではない。
だが、彼は同時に、「全てを諦めた」男なのだ。
ぐーたら家主につける薬はない。そのことを、彼はよく知っている。だが、ぐーたらなりに、一応、メシは出てくるし、一応、トイレの掃除もしてるようだし、家の中は暖かくて快適だから、まあ良しとするか。
彼は、落とし所を知っている男でもあるのだ。
一方、容疑者Bであるが。
彼は先程まで、私の膝の上で、残念柄の腹を出していた。
それは「降参」「恭順」の意であると、私は理解した。
彼は、やりそこなったのだ。
そして更に、彼は自らの犯行が露見したことを知った。
彼は私を殺めるには、体重が足りなかった。いや、それ以前に、自らの猫生を台無しにしてもいいと思いつめるほどの、覚悟が足りなかった。
復讐よりも保身を選んだ彼が、仇であるはずの家主に腹を見せるのは、理の当然と言っていい。
人生(猫生)そのものを狂わせるほどの、大きな痛手。
長時間かけて、周到に練り上げられた、犯行計画。
そういえば、身に覚えのない罪で投獄されたBが出所して、既に1年余りが過ぎようとしている。