世界三大恐怖

 

  
  
 今夜は、隅田川の花火大会である。(あった。)
 花火が見えるマンションに住んでいる友人から、遊びに来ないかと誘われていたのだが、諸般の事情により、今回は遠慮した。
 そんなわけで、遠く隅田川でにぎやかに花火が上がっている頃、うちの猫どもは、呑気に夕食を食べていた。
 そういえば、数年前、別の大会ではあったが、やはり花火が見える別の友人のマンションに遊びに行ったことがあった。
 そのお宅では、立派な体格のアメショ男子が、悠然とホスト役を務めていたのだが、彼は、メインイベントである花火が「ドーン」と鳴りだしたとたんに、クローゼットに籠ってしまい、花火大会が終わるまで、客の前に姿を現さなかったものである。
 我が家が、いかなる花火も見えない位置にあることは、ダメちゃんのためには、頗る幸運であったことだ、と、夢中でカリカリを貪り喰う彼を見て、家主は実感したのであった。
 
 
 ところで。
 詳細は省くが、家主は昨日も家に引きこもっていた。
 都内にお住まいの方ならご存知だと思うが、昨日の東京は、昼頃から雷雨に襲われた。
 家主は家にいたので、雷に対する猫どもの反応を見届けることができたのだが。
 
 
 二匹とも、走った。
 雷は、太鼓の次くらいに怖いらしい。
 特にヨメは、太鼓より雷に危機感を覚えるタイプらしい。奥の部屋まで退却しては、戻ってきてリビングと和室を一回り走り、キャットタワーの最上段まで駆け上ってまた降りてくる、を、繰り返していた。
 ただし、こいつは、意外と肝が据わっている。
 奥の部屋まで退却、といっても、そちらに籠るのではなく、入口付近で立ち止まり、離れた場所からこちらの様子を窺っただけで、すぐまた戻ってくる。怖がっているのか、単に興奮しているのか、ちょっと判別のつきにくい走り方であった。
 まあ、途中で、先日のダメと同様、押入れの襖を開けようと試みていたから、一応、恐怖感はあったのだろう。
 そして、ヘタレ男子のダメは、というと…
 
 
 話はここで、2〜3日前に遡る。
 実は、ダメと家主は、久々に喧嘩をした。
 喧嘩、といっても、家主が一方的に、ダメに対して怒ったのである。
 理由は、ダメが夜中にしつこく騒いだから。
 家主が酔っ払って寝ていると、ダメは時々、そういうことをする。多分、家主の眠りが浅いのを感知して、メシがもらえるのではないかと期待するのであろう。
 が。
 家主的には、そもそもアルコールのせいでイマイチ気持ちよく眠れていないのに(だったら飲むな、という尤もなご意見は、この際差し控えていただこう)、これ以上眠りを妨げられたら、明日に差し支える。だいいち、ご近所迷惑である。
 対して、常に立ち位置をわきまえているヨメは、決して便乗するようなことはなく、大人しく待っていた。
 となれば。
 両者の評価が、天と地に分かれるのは、理の当然である。
 ヨメはこういう場合、徹底的に要領がいい。ダメが不興を買っていることを感知すると、自分はあくまで、良い子で可愛い猫を演じ続けるのである。
 そんなわけで、ここ数日、家主の贔屓は、圧倒的にヨメの方に傾いていた。
 断わっておくが、決してダメを殴ったり、食事を抜いたりはしていない。ただ、ここぞとばかりに擦り寄ってくるヨメに、「お前は良い子だね」と(あてつけがましく)言いながら、彼女の背中を、愛情をこめて撫でさすっていただけである。
 割り込みのできないダメは、「ぼくも…」オーラを体中にみなぎらせながら、珍しく仲の良い嫁姑コンビへのストーカー行為に、はかない望みを託していた。
 その健気さが可笑しくて、そろそろ許してやってもいいかな、と思っていた矢先、雷が鳴ったのである。
 
 

 
 
 ダメは、走った。
 最初の雷鳴を聞いた瞬間、カラダが反応したのである。
 ヨメと一緒に、リビングと和室をぐるぐると走りまわった。
 が。
 彼は思い出したのだ、「雷はそれほど怖くない」ということを。
 その直前まで、彼は家主のすぐ近くで、切なく熱い視線を送っていた。家主は、それに気付いていたが、ことさら彼を呼ぼうともしないかわりに、拒絶もしなかった。
 彼は、家主を見、ヨメを見た。
 ヨメは、奥の部屋へと走り去ろうとしている。
 家主は、全く動じた気配もなく(当たり前だ)、先程と同じ場所に同じ姿勢で、床に座ったまま、食後のお茶を飲んでいる。
 ヨメが逃げ去った今、家主と彼の間を隔てる者はいない。
 彼は、そろそろと家主に歩み寄った。
 家主は、知らん顔をしている。
 彼は意を決して、家主のすぐ後ろに座ると、家主の脚に体をくっつけた。
 家主は、脚を引っ込めなかった。
(もう、怒ってはいないのだ…。)
と、ダメは悟った。
 彼は、家主の脚に体重を預け、静かに寄り掛かった。
 家主の手が伸びてきて、彼の頭をするりと撫でた。
 彼の咽頭は、我知らずゴロゴロと鳴った。
 雷鳴は相変わらず、バリバリと轟音を響かせている。だが、その音は、すでに彼の耳には遠いものとなっていた。
 
 
 と、いうわけで。
 ダメちゃんは、雷の恐怖を克服して、家主にくっついていたのであるが。
 これは、言い換えれば、ダメちゃんにとっては、雷よりも家主の怒り(の解除)の方が重要だった、ということである。
 つまり、ここから導かれる結論は、以下のとおりである。
 
 
 ダメちゃんの、世界三大恐怖。
 第1位 お祭りの太鼓
 第2位 家主
 第3位 雷
 
 
 ダメちゃんにとって、雷より怖いのは、家主の怒りなのであった。
 
 
 ただし、そのことに気付いた時のヨメの怒りが、上記の第何位にランクインするかは、現在のところ予測不可能である。