記録として、残しておく。
ダメは現在、抗がん剤治療中である。
リンパ腫という確定診断がないままに、「賭け」ということで抗がん剤を始めたのだが、結果的に「当たり」であったらしい。
三回の投与後に、腫瘍は一見分からないところまで消えた。
それが、十月三十一日木曜日のことである。
九月二十八日に、内臓の検査をしたところまで書いた。
「次はお薬が無くなる頃でいいですよ。」
ステロイド剤は、二十四日に、十四日分を貰っていた。つまり、毎週火曜日に通院していたものが、今回、前倒しになった計算である。
故に、次の通院日は、十月八日となった。
十月八日。
嫌な予感はあった。
病状が、どうやら後退しているような感覚があったからである。咳もしていた。
例によってレントゲンを撮ったところ、
「大きくなってます。」
画像を見て愕然とした。元に戻っている。腫瘍が気管を圧迫し、ほんのわずかしか通っていない。ステロイドを始める前と同じだった。
ステロイドが、効かなくなってしまったのだ。
いずれはあり得るということを、知らなかったわけではない。だが、ついつい安心して、まだまだ先のような気がしてしまっていた。
となると。
抗がん剤を、やるか。
副作用が少ないことは知っていた。始めたら数週間で腫瘍は消えます、と、先生はおっしゃった。だがそれでも、その場では決断できなかった。
費用が高額であること。毎週通院しなければならないこと。そして、抗がん剤により寛解はしても、治癒はほぼ望めない、つまり、引き延ばしにすぎないこと。
ぐずぐず迷うのがいちばんいけない、と、先生はおっしゃった。始めるなら、木曜日にでもすぐ来て下さい、と。(水曜日は休診日)
決断を迫られた。重い決断である。
十月十日。
結局、ダメをつれて病院に行った。
正直に言えば、結局、決断できなかったのだ。迷い続けるうちに、やめるならいつでもやめられるのではないか、という「逃げ道」に思い当たった。ただ、それだけ。
その日から、抗がん剤治療が始まった。
最初は「お試し的に」ということで、いちばん弱い薬を、これは注射で入れて、副作用が出ないか、効き目がありそうかを確認するのだという。
その日の薬は、「L-アスパラギナーゼ」というものだった。
このときは特に副作用と思われる症状はなく、二~三日で呼吸の状態は改善した。
十月十七日。
レントゲン画像では、腫瘍は少し小さくなっていた。抗がん剤が効いたと思われる。危機は脱したようだ。
副作用もないようなので、今度はもう少し強い薬を使うという。「オンコビン」という薬だそうだ。今回から点滴での投与となる。朝、病院に連れて行って預け、夕方、仕事帰りに迎えに行くという方法だ。
先生がふと、「効かなかったら、先週中にお迎えが来てもおかしくなかった。」と漏らしたのを聞いて、ちょっと驚いた。そこまでとは思っていなかった。つくづく呑気な飼い主である。
「一度なくした命を、返してもらった」と、先生はおっしゃった。ギリシア神話のオルフェウスを思い出す。愛する者の命を取り戻すために「決して振り返ってはいけない」とは、思えば示唆に富んだ設定ではある。
十月二十四日。
前回の抗がん剤(オンコビン)の後、ダメは食欲が落ちた。その日の夜ごはんはよく食べるのだが、金、土、日、月と食べられない日が続き、火曜日二十二日の午後くらいから復活。二十三日は割合よく食べていた。
二十四日の朝も食べたがっていたので、何だかもったいない気がしたが、やむを得ず朝食を抜いて病院へ。
レントゲンの結果は、あまり変わっていない、だった。
良くもなっていないが、悪くもなっていない、といったところ。
前回の投与後に食べられなくなった話はしたが、血液検査の上では、どこにも異常はない。副作用は出ていないのである。あるいは、胃腸の粘膜だけが荒れたのか。体重は、四・二五キロまで減っていた。
「今度の薬の方が、副作用は出にくいと思います。」
今回の抗がん剤は、「エンドキサン」である。
夕方、家に連れて帰ると、ダメはたっぷりご飯を食べた。
十月三十一日。
同じパターンである。金曜日から月曜日は食べない。火曜日の午後頃から復活してきて、水曜日はまあまあ食べる。木曜日の朝も食べたがっていたが、断腸の思いで(?)、朝食を抜く。
この「食べない騒ぎ」に気をとられ、私は彼の咳が完全に止まっていることに、極めて無頓着になっていた。
「どうですか?」
と、先生に尋ねられ、
「あまり変わらないです。やっぱり、火曜日ごろまでは食べなくて、その後復活します。」
我ながら、完全に食事のことしか考えていない発言である。事実、その時は、食事のことをいつ相談しようかと、そればかりを考えていたのだった。
「腫瘍がほぼ消えてますよ。」
「…へ!?」
レントゲンの画像を見せてもらうと、確かに、腫瘍の影が分からなくなり、気管は正常な太さに戻っていた。細くなっているところ、くぼんでいるところもない。
「効きましたね。」
「はい。良かったです。」
「では、本格的にプログラムに入りましょう。」
というわけで、予定表をもらう。
抗がん剤は、最初のうちは毎週だが、だんだん間隔を空けられるようになる。私が相談したかったのもその点で、いつごろから一週おきになるかを訊きたかった。何しろ、投与後、四日も食べられないのでは、彼にとってあまりにも辛すぎるではないか。
予定表によれば、来週の投与の後、再来週は「お休み」である。つい、口の中で「やった!」とつぶやいてしまった。
単純に日付を割り振ってみると、十一月と十二月が月三回、一月~三月が月二回、そして、四月の第一週に最終十六回目を投与してプログラム終了である。
先が長いとも思うが、このような形でも、先の見通しとなるものを示されると、呑気な飼い主だけに、希望をもらったような気になる。
それにしても、気になるのは、一体、一回あたり何時間くらい点滴しているのか、ということ。尋ねてみると、実際に抗がん剤を流している時間はわずかで、あとはリンゲル液を入れているそうである。
「つまり、補液みたいなものですか?」
「まあ、そんな感じですね。」
ただし、そのリンゲル液の点滴は、迎えに行く直前までずっと続くそうだ。
なお、今回の薬は、前々回と同じ「オンコビン」である。
夕刻、迎えに行った際に、訊いてみた。
「先生、私ふと思ったんですけど、彼が食べられないのって、ひょっとして、軽く脱水しているってこと、ありますか?」
「いや、点滴中は水分をたくさん入れてますから――」
「いえ、そうではなくて。病院の日の夜は、むしろそれだからたくさん食べられるのかなと思ったんです。その後、脱水してくると、気持ち悪くて食べられなくなるのかと。」
実際、何だか気分が悪そうにも見えるのである。
「食事が摂れないのなら、脱水もあり得ます。あまり食べられないようだったら、間で一度、皮下点滴しますから連れてきてください。」
「でも、病院に行くのもストレスになってしまいますし…」
「それより、脱水の方が危険ですよ。」
家でやりますから補液セットをください、と言う勇気はなかった。
いや、勇気と言うより、十年ぶりで本当にできる自信がなかった。
それと、もう一つ。
「先生、相談なのですが、朝ご飯は、やはり抜かないと駄目ですか?」
「うーん、本当は抜いた方がいいんだけど、吐いちゃう危険性がありますから。でも、貴重なチャンスですよね。」
先生も、そこはよく分かっていたらしい。
「まあ、少しなら、いいですよ。満腹にならないように。」
あ。痛いとこ衝かれた。
そんなわけで。
仮に皮下点滴に連れて行くとなったら、土日だなと思っていたのだが、これは回避した。今回は前のように、いかにも気分が悪そうだということはなく、食欲も、いくらかあった。本当に少しずつだが、折に触れてちゅーるを舐めたり、かと思えば、アタゴロウが残したドライフードをポリポリやっていたりして、全く食べないということはない。また、私の方も、割り切って、一日一回ずつ、シリンジで強制給餌を続けていたから、脱水はしていないと思う。
寒くなってきたので、夏の間撤去していた、ボア地のキッチンマットを出したら、嬉しそうに「ゴロン舐め舐め」をやっていた。彼が機嫌の良い時によくする行動である。
抗がん剤も、強制給餌も、賛否両論あることと思う。また、私の飼い主としての至らなさに、イライラしたり、怒りを感じたりする方もいるかもしれない。一時期は、それを考えると気が滅入って、ダメのことをブログに書くのはやめようかとさえ思ったのだが、やはり記録として残すことにした。
そういう気持ちになれたのも、ダメの状況が落ち着いているからである。
有り難いことだ。やはり、医学って凄いなと思う。