“優しくなければ、生きている価値がない”
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猫の甘え行動「ふみふみ」。
実家のなな姐さんは、人間に抱かれてふみふみする猫なので、実家のリビングには、「ななちゃんのふみふみ用毛布」だの「ななちゃんのふみふみ用フリースジャケット」だのが、常に設置されている。
彼女は、ふみふみがしたくなると、「踏ませなさい!」と、人間(主に姉)に命令する。
威丈高ではあるが、けっこう、可愛い。
ただし、母によれば、ふみふみしているときのななの表情は、
「踏まねばならぬ…」
とでも言いたげな、思いつめたものであるそうな。
で、我が家のダメちゃんであるが。
彼は、なぜか、ひとりで勝手にふみふみする。
毛布やら、ボア生地の座布団やら、踏みやすい、柔らかい布を探して、そこに行って孤独に前足を動かしている。
なぜか、ふみふみをする時、彼は必ず一人である。
私に寄りかかったり、膝に乗ったりして甘えている時には、ゴロゴロはするがふみふみはしない。
彼にとって、おそらく「ふみふみ」とは、安逸の中に埋没しようとしている自らと向き合う、ストイックな行為なのだ。
男・大治郎。自ら諮る神聖な時間に、女の胸は要らない。
冗談はさておき。
ふみふみは、お母さん猫のお乳の出を良くするために、仔猫がおっぱいを揉み揉みする行為の名残、だというが。
じゃあなんで、奴らは、悲壮な決意を秘めた顔でふみふみするのか。
ついでに言えば、だったら何で、あんなに爪を全開にしているんだ?
赤ちゃん猫だって、小さいなりに爪はある。爪を立てて揉み揉みされたら、お母さん猫だって痛いんじゃないだろうか?と、いつも思う。
いや、むしろ、その痛い刺激が大事なのか!?
…何だか、話がヘンな方向に行きそうだな。この辺でやめとこう。
とまあ、ナゾの多いふみふみではあるが、ダメが孤独にふみふみしている様子を見ると、
(幸せなんだね、ダメちん。)
と、ほほえましい気持ちになる半面、彼の孤独な少年時代を思い出して、ちょっと切なくなってしまう。
気が弱くて遠慮がちだったダメちゃん。誰かに甘えたくても、他の猫に押しのけられて、思うように自分が出せなかった少年時代。
やっと人間に甘えられる環境に来た、と、思ったら、あれよ、あれよと言う間に、大きくなりすぎて、仔猫のような甘え方は物理的に不可能になってしまった。
ダメが我が家に来た当初。甘えてみたいのに勝手が分からず戸惑っていた彼が、私とミミの周りをうろうろ歩きながら、立ち止まっては一人でひたすら足踏みしていた様子を思い出す。
一方。
ヨメであるが。
こいつは、いつも平気でダメの胸元に押し入って、遠慮なく甘えている。
何しろ、仔猫時代は、屈強の男であるダメの胸元に吸いついて「ちゅばちゅば」していたくらいなのだ。
その話を動物病院でしたら、
「優しいねえ。」
と、ダメは絶賛の的になった。
まあ、私としては、単に気が弱くて断れないだけだろう、と、推測していたのだが。
が。
昨夜。
私は見てしまった。というより、聞いてしまった。
こたつでお茶を飲んでいる私。その隣に、ダメ。
ヨメがやってきて、例によって、ダメの胸元に割り込む。
そして、久々に「ちゅばちゅば」を始めた。
いい大人のくせに、まだやってたんか、オマエ…と、私は呆れつつ、ダメが嫌がるようならやめさせようかな、と、様子を見ていたのだが。
ゴロゴロが聞こえる。
一瞬、耳を疑った。
それは、ヨメのものではなく、確かにダメの咽頭から発せられたものだった。
ヨメが無遠慮に甘えてくるのを、彼はむしろ喜んで受け入れていたのだ。
自分は、上手に甘えることができなかったくせに。
優しすぎるダメちゃん。
男・大治郎。
孤独な過去を心に秘めつつ、女の甘えに胸は貸す。
“タフでなければ、生きていけない。優しくなければ、生きていく値打ちがない”
(フィリップ・マーロウ)