Xの犯罪

 

 
 
 人はこういうことを二度も企てるものではない――ふたたび狂気に逆戻りしないかぎりは。
 果たして猫も、そうだろうか。
 見なければよかったのかもしれない、と、思う。
 一瞬の出来事だった。
 私は見てしまった。平和な家庭に、穏やかで優しい心に巣食う、隠された憎しみと心の闇を。
 事件は、多分、起こるべくして起こった。
 いいや、起こりはしなかったのだ、何ひとつ。
 であるから――もう、このことは、忘れてしまおうと思う。
 家主は怠け者で、部屋は散らかっていて、猫どもはバタバタとうるさい、そんな家庭で、充分ではないか。
 まあ…ご近所迷惑にならない程度であれば、だが。
 
 
 このところ、ダメとヨメの猫チェイスが熾烈だ。
 逃げるヨメをダメがキャットタワーのてっぺんまで追い詰め、後は上下で高速猫パンチの応酬が始まる。しばらく続くと、お互い飽きるのか、ぱったりとやめるか、ヨメが天井近い最上段から傍らの椅子の上へ、鮮やかなダイブを披露して終わる。
 先日、天竜さんとヨシハル♀が、二人揃って、
「ダメちゃんって、キャットタワーに登れるんですか?」
と、大真面目に質問してきて、思わず鼻血を吹きそうになったが、ダメだって、一人前(一匹前)に猫である。
 彼は大きくて重いだけで、身体能力そのものはヨメに劣らない。身の軽さや跳躍力ならヨメに軍配が上がるが、走ることにかけては、両者互角。(さもなければ、チェイスが成り立たない。)総合的に見れば、ガタイが大きくて力がある分、ダメが優勢である。
 往年のサモ・ハン・キン・ポーを思わせる敏捷性、と言えば、想像していただけるだろうか。
 ヨメが小さいうちは、ダメの方も、いくらか手加減しているように見えたが、成猫同士の闘いとなった今、ダメも結構本気でヨメを追いかけている。実は、このチェイス、互角なようでいて、気をつけて見ていると、ほとんどの場合、ダメがヨメを追いかけ、追い詰めている。やはり、どう考えてもダメの方が強いのである。
 
 

(キャットタワーに登れるという証拠写真) 
   
   
 そうは言っても。
 天竜さんとヨシハル♀が勘違いしたのも、まあ無理もないかな、と思ってしまう理由がある。
 ダメはある意味、あまり猫らしくない猫、なのである。
 対して、ヨメは、猫らしい猫である。
 どの辺りが、ダメよりヨメの方が猫らしいのかと言うと。
 どこにでも乗る・登る、という点が、である。
 ヨメが我が家に来て、「そういえば、ここは猫が乗ることができる場所だった」と、気が付いた場所も少なくない。
 リビングやパソコン部屋のオープンラック(の、最上段)しかり。
 洗面台しかり。
 ミミさんの骨壷が置いてある、リビングの細いカウンターしかり。
 極めつけは、洗濯機の縁と、浴槽の縁である。そんなところに良く乗るな、と思う。
 彼女は、足場の良し悪しということを、あまり考えていないようだ。
 即ち、自身の跳躍が届く所なら、そこに立錐の余地があるなら、そこはもう疑いなく、彼女の場所なのである。
 ダメはその点、慎重である。スペースの広さだけでなく、安定の良さも考慮して、グラグラするところには敢えて乗らないようにしているように思える。
 あるいは、お祭りの太鼓の次に怖い家主に、彼なりに遠慮しているのか。
 太り過ぎでお腹がタプタプしているオヤジ、見た目は鈍重で、性格は慎重なオヤジが、キャットタワーを俊敏に駆け登る様などは、見ていない人には想像できないのかもしれない。
 身軽にタワーの頂上まで駆け上がり、悠然として追撃者をせせら笑う嫁と、屈辱に唸り声を上げながら、床に腰を据えて退路を断つダメ――人が想像する二匹の猫チェイスとは、そんな光景なのだろうか。
 
 
 実際には、猫チェイスの場面で、そんな屈辱的なことは起こらないのだが。
 ただし、実際のところ、このごろのヨメの夫に対する態度は、決して良いとは言えない。
 姑として看過できない、という思いに捉われることがある。
 まず、食事の仕方。
 私は気をつけて、二匹の皿を同時に出すようにしているのだが、ヨメは、たいてい途中でどこかに遊びに行ってしまう。
 そして、ダメが食べ終わりそうな頃に、戻って来る。
 万年ダイエッターのダメは、常に腹八分目で我慢させられている。それなのに、彼が、
(もっと欲しい…)
と、切ない目をしているとき、ヨメはその隣で、ボリボリと良い音を立てながら、カリカリを頬張っているのだ。
 ダメが可哀想じゃないか、と、いつも思う。
 あるいは、猫のごはんタイムに、私が同時進行で他のことをしていて、戻ってきたヨメにカリカリを出すのが遅れると、ダメの皿に前足を突っ込み、姑の目を盗んでかっぱらいを働く。
 ダメと私が一緒に寝ていると、無理矢理、間に割り込む。(ダメは仕方なく、場所を移動する。)
 自分の進路上にダメがいると、平気で彼を跳び越えることは、前に述べた。
 彼女は天真爛漫に振る舞っているのかもしれないが、夫の方は、そう思っているかどうか…。
 優しくて気が弱くて、他者を押しのけることができないダメ。
 近頃の猫チェイスの激しさは、ひょっとしたら、我儘な妻の傍若無人ぶりを、日々ひたすら耐え忍んでいる夫の、ストレスの裏返しかもしれない…
 などと、ダメびいきの姑は、少しばかり心配な思いで見守っていたりするのだ。
 
 

 
  
 そして。
 事件は起こった。いや、起こらなかった。
 だが、私は見たのだ。
 耐え忍ぶ者の心の隙間に、悪魔がささやきかける、その瞬間を…
 
 
 ヨメは水が好きだ。
 私が浴槽の栓を抜いたりすると、必ず飛んでくる。
 その日、私はまだ、浴槽の栓を抜きはしなかった。残り湯を洗濯に使おうと思ったからだ。
 バスポンプを浴槽に入れようとして、蓋を開けたところで、何か他にすることができて、ほんの少しの間、そのまま放置した。
 ヨメがやってきた。
 身軽に浴槽の縁に飛び乗り、そのまま熱心に、たっぷり張られている残り湯を覗き込む。
 続けて、ダメがやってきた。
 彼も水面を覗きこんだ。洗い場に立ち上がり、浴槽の縁に手をかけて。
 二匹は、浴槽の縁の上と下に、至近距離で並んだ。
 次の瞬間。
 一瞬の出来事だった。
 ダメが、ヨメのお尻をつついたのだ。
 ヨメは、辛くも踏みとどまった。
 事件は、起こらなかった。
 
 
 浴槽の縁は、もともと幅が狭い上に、その狭い幅の半分くらいは、内側に向かって傾斜がついている。
 しかも、材質は人造大理石でつるつる滑る。当然、爪を立てる余地などない。
 ヨメは、足場の悪さを気にしない女だ。
 しかも、大好きな水に気をとられて、注意力が散漫になっている。
 彼女はこれまでにも何度か、風呂ポチャ事故を起こしている。ただし、いずれも水の量が少なく、大事には至らなかった。
 もしも、もしも…、
 あのとき、ヨメがバランスを崩して、たっぷり水の入った浴槽に転落したとしても。
 誰一人、それが事故であることを、疑いはしなかったであろう。
 もし、あのとき、ダメが彼女のお尻を、強く押していたら…
 そして、私がそれを見ていなかったなら…
 そう、完全犯罪が成立したのだ。
 
 
「人はこういうことを二度も企てるものではない――ふたたび狂気に逆戻りしないかぎりは。」
 アガサ・クリスティの「カーテン」に、無意識のうちに妻を殺そうとしてしまう男性の話が出てくる。男は、「ウサギと間違えた」として、妻に向けて散弾銃を放つ。だが、本能的に急所は外していた。怪我をした妻に見せる、彼の愛情と不安の表情。微かな疑念を抱いたことを恥じるヘイスティングズに、ポアロは言う。
「そのとおり。そういったことはよくあるものだよ。口喧嘩、誤解、毎日の生活の表面(うわべ)の敵意、そうしたものの下に、ほんとの愛情がひそんでいても不思議ではないのだ。」   
 
 
 我が家もそうであることを、願う。
 そして、ダメちゃんが狂気に逆戻りしないことを。
 
 
 いや、白状すれば、本当はヨメの風呂ポチャを、ちょっとばかり期待して見ていたんだけどさ。
 てことは、悪魔って、つまり私のことか。
 
 
 
 
 
 いや、むしろ、わざとじゃなく見えたけどね。
 何も、正直に言うことはないんだよ、ダメちゃん。