アタくんのお風呂屋センセイ

 

  
  
 今日、アタ坊の2回目の薬浴に行ってきた。
「アタ、お風呂屋さん行くよ。」
と、騙して――いや、真実を告げて連れて行ったのだが、果たして彼は、前回よりさらに大人しく、されるがままになっていた。
「いい子ねえ。」
と、動物病院の助手さんたちに褒められ、
「いやいや…。」
と、私が照れる必要はないのだが、見ていると、多少もがきはするものの、攻撃に転ずる様子はない。温和な男である。
「この子は、全然噛まない。ちょっと気の強い子だったら、私もう、噛まれてますよ。」
と、感心する助手さんの手首には、痛々しい2本の引っ掻き傷がある。
「もしかして、やられました?」
「ええ。昨日、ちょっと。」
 大変なお仕事だなあ、と、申し訳なく思いつつ。
 でも、変だよね。
 飼い主の私は、薬を塗ってやりながら、毎日のように、こいつにガブガブ噛まれているのにさ。
 
 
 話は遡って、先週の土曜日。
 前回の通院日である。
 病院の前に自転車を停めると、助手さんが出てきて挨拶してくれた。
「どうですか。毛、生えてきましたか?」
「いえ、駄目です。」
 そのとき、私は相当、投げやりな気分になっていた。というのも、2日ほど前に、アタ坊の後足に、新しい大きなハゲを発見していたからである。
 その直前まで、サークルのネット越しにアタ坊の顔を覗き込んでは、
(ちょっとだけ、きれいになったかも…)
と、淡い期待を抱いていただけ、ショックは大きかった。
 正直に言えば、最初のうちは「天下のトーダイ」とやらに足を踏み入れてみたい気持ちもあったのだが、そんな脳天気な考えは、とっくの昔に失せている。
 何しろ、予想外のインフルエンザで、すでに4日も仕事を休んだのだ。ようやく出てきたと思ったら、「猫を大学病院に連れて行くから休ませて下さい」とは、さすがの私にも、ちょっと言いにくい。
 それに、大学病院で診断を受けるとなると、結果は、本当に難病・奇病の類であるか、あるいは、それこそ真菌症だの疥癬だのといった、一般的な病気であるか、どちらかであるわけで、前者なら本当に大変だし、後者なら、主治医の先生に恥をかかせることになる。(この点については、本来、別に私が心配することではないのだが、詳しくは後に述べる。)
 だが、アタ坊をキャリーケースから引っ張り出して診察台に乗せると、
「あら、きれいになったじゃない。」
 先生の、明るい声が響いた。
「こっちも毛が生えてきています。」
「よかった、よかった。」
 言われて、恐る恐る、改めて間近で眺めてみると、確かに、先週はゴワゴワとシワのようになりうっすらと血まで滲んでいた、左目の上のカサブタが、目立たなくなっている。
 助手さんの示す前足のハゲには、確かに、短い毛が生え始めていた。
「あの、でも、ここに新しいのができてるんですけど…。」
「そうですね。でも、古いハゲにはみんな毛が生え始めてるでしょ。」
 新しいハゲは、もともと毛根が弱っていたところがゴッソリと抜け落ちたものではないか、という。
「よかった。ようやく薬が効いた。」
 先生は顔を上げ、微笑んでおっしゃった。
「アカルスですね。珍しいけど、仔猫のアカルスです。」
 
 
 アカルス(アカラス)。
 別名、ニキビダニ(毛包虫)症。
 先週、先生が「まさかねえ」と悩んでいた、病名。
 先週の悩みようを考えると、もしかして、あの後、先生も色々調べてくださったのかな?などと、ちらりと思った。
「あとは薬浴ですね。自宅で、できそう?」
「誰かに手伝ってもらえば、できなくはないと思いますが…。でも、顔や耳を洗うのは怖いです。」
「じゃあ、ここでやりましょうか?」
 願ってもない。
「今の飲み薬はまだある?じゃあ、それを続けて下さい。あと、週に1回、ここでシャンプーしましょう。本当は2回くらいやったほうがいいんだけど、そこまでは無理でしょ。あとは塗り薬で。」
「薬なら、家でも塗れます。」
「目に入れないようにくれぐれも気をつけてください。無理しなくていいから。」
 などと、今後の治療方針が次々と決まる中、先生はふと思い出したように付け加えた。
「仔猫だから、内服薬はもうあれ以上、使えないんですよ。後は薬浴で頑張るしかないんです。」
 
 
 ここで、一言、謝っておかなければならない。
 私の書いた1月27日の記事は、少々言葉足らずだった。というより、私自身が、大事なことを失念していた。
 先生は、「真菌なのか疥癬なのか」について、はじめから明言を避けていた。このため、どの段階かは忘れた、比較的初期だったと思う。話がよく分からなくなった私は、まさかと思いつつ先生に尋ねた。
「ひょっとして、ダブルですか?」
「おそらく。」
 ――何じゃ、その超豪華二点盛りは。
 その時は強い印象を受け、ブログに書くつもりで頭の中で文面まで考えていたのだが、それで書いた気になって満足してしまったらしい。その会話の存在を、私は完全に失念していた。
 先生が「ダブル」を前提に治療を進めている、ということをきちんと書かなかったため、多分、読んで下さった方には、誤解を与えていたと思う。
 1月27日の記事と写真を掲載して以来、ずいぶん色々な方から、「どう見ても真菌じゃないの?」といったアドバイスをいただいた。
 たくさんの方に気遣っていただいて、本当に有難い、と思う反面。
 アドバイスをくれた方々には、そんな意図は毛頭なかったものと固く信じる。だが、何度も言われているうちに、だんだん心が重くなってきたことも事実である。
 自分の(猫の)主治医を、無能呼ばわりされているようで。
 それで心が揺れてきてしまう自分が、もっと嫌だった。
 それでも、私は主治医を替えたくなかった。
 なぜって。
 私が先生を、好きだからである。
 人物に強い魅力のある先生である。一見ぶっきらぼうだが、心があたたかく、気さくで、ユーモアがある。飼い主の事情も気持ちもきちんと受け止めてくれる、度量の広い人だ。
 しかし。
 もし、患者が私自身であるなら、こうした主治医に対する好意や信頼感は、治療のため必要不可欠であり、また、良い影響を及ぼすものであるだろう。だが、患者は私ではない。
 私は、自分が個人的に好きだからという理由だけで、現在の主治医に無意味に固執しているのではないか。本当にアタ坊のことを考えるなら、その気持ちは、いったん横に置くべきなのではないか。
 今だから言えるが、相当深刻に悩んだ。
 だが、それも、いわば取り越し苦労であったわけだ。
 真菌の内服薬をもう出さないと言われたとき、私は勝手に、先生は真菌の可能性を捨てたのだ、と思ってしまった。それなのに、他の人はみな「明らかに真菌」だと言う。
 これで大学病院に行き、呆れたように「真菌症ですよ」なんて言われたりしたら。
 素人にも明らかな診断を、獣医師が誤ったことになってしまうではないか。
 と、いうわけで、私の気持ちは千々に乱れていたわけであるが、先生が「アカルス+真菌」の判断をして下さったことで、悩みは全て解決した。
 なかんずく、ホッとして表情が和らいだ先生は、ごく何気なく、こんな一言を漏らしたのだ。
「見た目は、典型的な真菌の症状だものね。」
 
 
 そして、今日。
「どうですか。よくなりましたか?」
「いやあ、微妙です。」
 毎日、薬を塗っているので、今までより細かく観察していると思うのだが、1週間のうちに、カサブタのカパカパが増えたような感じがしていたのである。
 だが、診察台に乗せると。
「きれいになっているじゃない。効いてる効いてる。」
「でも何だか、カサブタが増えたような気がするんですけど。」
 何だか、前回と同じような会話をしている気がするな。
「でも、みんな毛が生えてきてるでしょ。新しいハゲはできてない?」
「それはないです。」
「なら大丈夫。薬が効いていなかったら、ハゲが広がっているはずですから。」
 そのまま、アタ坊は二回目の薬浴に直行。
 ドライヤーの後、診察台に戻って、先生に薬を塗ってもらった。
「ずいぶん良くなったわねえ。ママが頑張ってくれたからよ。」
 ハイ、頑張りました。(ガブガブ噛まれながら。)
 でも、やっぱりここはまず、先生にお礼申し上げるべき場面だろうな。
「いえいえ。先生のおかげですから。アタ、お礼を言いなさい。」
 今度は、先生の方が照れた。
「いやいや。もう、猫山さんに見捨てられたら、どうしようかと思った。」
 
 
 一瞬、意味をはかりかねた。
 私がアタ坊を、見捨てると言うのか。
 そうではない、と理解するまでに、数秒かかった。
 つまり、先生も悩んでいたのだ。
 命に関わる病気ではないかもしれないが、確定的な診断が下せないこと、治療の結果を出せないことを、ずっと気に病んで下さっていたのだ。
 もしかしたら、そのとき、先生の脳裏には、ムムの突然の死もあったのかもしれない。
 諸々考えあわせて、ふと、胸が熱くなった。
「やっと見通しが立ってきた。目標としては、2月中にワクチンですね。」 
 
 
 共に悩み、共に傷付き、それでも、共に歩む。
 医療を語る人がよく使う「寄り添う」という言葉。それはつまり、このことを指すのではなかったか。