猫が飼い猫になる日


 
 
 先週、いや、先々週の土曜日のことである。
 前回書いたとおり、玉音を動物病院に連れて行った。
 診察中、何をしようとしていたのかは忘れた。ふいに、先生がしみじみと、
「やっぱり、ノラちゃんだねえ。」
と、おっしゃった。
 はい、確かに。もともと野良さんですけど…!?
 さらに。
 やはり診察中、二人いる助手さんのうち、先輩格の方の女性が、もう一人の女性に、
「あ、だめ。前から手を近付けないで。」
 ?????
 怪訝そうな顔をしている私に気付き、先生が解説して下さった。
「この子は、人間の手を怖がるんですよ。ほら。」
 見れば、助手さんの手を目前に捉えた玉音の耳は、見事なほどの水平ステルス耳と化していたものである。
 
 
 指摘されて、改めて注意して見ると、確かに玉音は、私の手さえ怖がっているようだ。
 別に何をするわけでもなくても、何気なく手を近付けると、とたんに耳が水平になる。いったん捕まえてしまって、膝に乗せたりすると、くつろいでゴロゴロ言ったりはするのだが。
 とりあえず、人間を見ると、反射的に身構えてしまうように見える。
 この現象は、実はダメちゃんにも、少しだけある。玉音と同様、前方から頭に手を近付けると、その瞬間、頭を引っ込めることが、度々あるのだ。
 このことは、ダメちゃんを我が家に迎えた際に、すでにYuuさんが指摘していた。放浪時代、エサヤリさんにでも頭を叩かれたのではないか、とおっしゃっていた。
 その後、ダメちゃんが私に馴れるにつれ、そうしたことは、ほとんど見られなくなった――と、思ったのだが。
「ダメちゃんは、撫でようとすると、頭引っ込めるよね。」
 ある日、友人たちがそんなことを言いだした。その観察の鋭さに、私は少々驚いた。
 私は最初から、Yuuさんに聞いて、彼の「頭引っ込め」を知っていたわけだが、そうした予備知識のない友人たちにも、はっきり意識されるくらい、実は、その「癖」は顕著だったのだ。
 ちなみに、アタゴロウには、そうした癖はない。山のてっぺんに捨てられてから保護されるまでの時間が短かったのだろう。幸いにも、その間に、自分を苛める人間には出逢わなかった、ということか。
 
 

  
   
 この週末、世間は三連休だったわけであるが、実は、私は四連休であった。
 金曜日に諸々の所用があり、休暇を取って外出していた。
 先週から、玉音のケージはリビングの中に移動してきている。さらに、室内フリーにする準備段階として、平日は、私が帰宅すると、ケージの入口を開けて部屋の中を自由に歩かせるようにしていた。そうして、私が寝るときに、再び捕まえてケージに収納する。寝ている間は目を離すことになってしまうのと、翌朝、忙しい中を追いかけ回して捕まえなければならないというリスクを回避するためである。
 毎日それを繰り返すうちに、玉音自身はもとより、男子どもも、玉音の存在に慣れてきた。アタゴロウと玉音は、追いかけっこをしている。ダメちゃんは知らん顔をしている。いずれも、仲間として受け入れたという明確なサインは示していないのだが、そうこうしているうちに、既成事実が積み重なってしまったので、まあ仕方ないか、という感じである。
 そんなわけで。
 木曜日の夜。翌日出掛けると言っても、朝早いわけではないので、思い切って玉音をケージに収納せずに、そのまま寝ることにした。
 そうして、一夜明けた金曜日朝。男子どもは、普段と変わらない様子であった。玉音も私の布団の近くまで来て、一緒になって朝食を待っている。どこで寝たのかは分からないが、こちらも特に変わった様子はない。
 朝食を食べ終わると、猫たちはリラックスタイムに入る。玉音も、どうやらそのまま寝に入るようだ。
 そこで、外出時も、玉音をケージに戻さずに、そのまま出掛けてみることにした。仕事に行くより短時間だから、“練習”にはちょうど良いだろう。
 帰宅すると、玉音は、マットレスの陰で寝ていた。そして、夕方になると出てきて、男子どもの夕食催促運動に、同志となって参加した。
 実に、堂々としたものであった。
 こうして、一ヵ月半に及ぶ、玉音嬢のケージ生活は終わった。
 
 
 仔猫は元気である。
 とにかく、走る。何だか知らんけど、やたらと走る。何人も、仔猫の疾走を妨げることはできない。
 そうやって走り始めた玉音は、ようやく本性が出てきたらしい。
 おとなしくて弱々しい印象であったチビタマであるが、こいつ、実は結構、自己主張がはっきりしているタイプのようだ。
 まず、メシに文句をつける。それも、大声を上げ、床を引っ掻きまくって暴れる。
 アタゴロウとやり合うと、恐れも躊躇もなく、まっすぐに反撃する。(おかげで返り討ちに遭い、また目の近くに傷をつくって、目薬のお世話になる羽目となった。)
 ダメおじさんには、さすがに鬱陶しがられていることを察してか、正面から近付いては行かない。が、おじさんの立派なしっぽに嬉しそうに攻撃を仕掛け、怒られても全く気にせずにいる。(これは歴代の猫が皆やったことではあるが。)
 そして。
 とにかく、やたらと逃げ足が速い。困ったものである。
「他の人間は怖いんですよ。ママのことは大好きだけど。」
 動物病院の先生は、そんなふうに解説してくれたのだが、何の何の。
 私が近付いただけで、逃げる逃げる。
 亡きヨメも、仔猫時代、私と目が合うとダッシュで逃げる娘だったが、こちらは、ひょっとして遊んでるつもり?と思わせるだけの、何と言うか、余裕のある逃げ方だった。
 対して、チビタマの「逃げ」は、本気である。
 その逃走姿は、やはり、どこから見ても、ノラさんのそれなのだ。
 手を近付けた時のステルス耳。そして、この逃げっぷり。
 先生のおっしゃった言葉の意味が、ようやく分かった。
 いやはや、猫を自分で拾うって、実に、勉強になるなあ。
 同時に、保護団体さんのありがたみが、身にしみて分かった。
 本当に、声を大にして言いたい。家に新しい猫を迎える際に、いちばんラクチンなのは、保護団体さんからいただくことだ、と。
 健康診断、ノミ取り、駆虫。病気や怪我の治療。人間と一緒に暮らすための最低限のしつけ。そればかりではない。人馴れも、猫馴れも、全部仕上がった状態で家に来るのだから、こんなに楽な話はないだろう。私は、自分で猫を拾うのが実に二十年ぶりとあって、飼い猫教育という手間の存在をすっかり忘れていた。
 いっそ、玉音を今から、安暖邸に修行に出したいくらいだ。
「そりゃ無理よ。あそこは名門校で、入試がキビシイんだから。」
 友人さくらはそう言って、あっさりと却下する。
「そうだよねえ。狭き門だよねえ。」
 もちろん、本当はそういう問題ではないわけだが。
 
 

  
  
 そのさくらが、土曜日の夕方に、我が家に寄ってくれた。玉音の人馴れ修行のために、私が頼んだのである。
 案の定、玉音は洗濯機の後ろだの、冷蔵庫の後ろだのに入り込み、なかなか姿を見せなかった。それでも、しばらく二人でリビングで喋っていると、時折、全身に警戒オーラをみなぎらせながら、見えるところを駆け抜けたりする。偵察活動といったところだろうか。
「ま、こんなもんでしょ。全然見られないかと思っていたから、上等よ。」
「すまないねえ。」
 本当は、さくらの手で玉音に触ってもらい、私以外の人間に慣れさせたかったのだが。
「飼い主の私のことも警戒するのよ。近付くと、とりあえず逃げるの。」
「そうねえ。この子を見ていると――、」
 さくらは、ちょっと考えてから言った。
「普通の飼い猫は、自分が人間だと思っているようなところがあるじゃない?でも、この子は、『アタシは猫だけど、アナタは人間でしょ?』って、そう思ってるみたい。」
 なるほど。
 つまり、猫と人間とを隔てる壁が、チビタマと私の間には、まだあるのだ。
 猫が飼い猫になるということは、人間の愛玩動物になることではない。人間も猫も一緒の、ひとつの家族になるということだ。そのために、壁は崩されなければならない…。
 
 
 とはいえ、今回のさくら来訪には、思わぬ収穫があった。
 アタゴロウである。
 客人があると、こちらも常に隠れてしまっていたアタゴロウだが、冒頭こそ押入れに隠れたものの、ほどなく、見えるところに出てきて、あきらかに寛いだ様子を見せた。あまつさえ、そっと近寄って撫でてやったさくらの手に、
「頭コツンしたわ。」
 そう。親愛の情を示したのである。
 でかしたぞ、アタゴロウ。
 オマエはもともと、短いとはいえ、安暖邸を経験している猫じゃないか。ヨシヨシ、その調子、その調子。
 そういえば――と、私は思い出す。今でこそ、さくらやこっこにはそれなりに懐いているダメちゃんであるが、彼も最初は、客人を警戒しまくる猫だった。それが、輪をかけて人見知りなヨメの登場と前後して、「お客が来たら姿を見せる」という努力をするようになったのである。
 ついでに言えば、アタゴロウが我が家にやってきてまもなくのこと。母と姉が訪ねてきた時、当時まだ人見知りを知らない幼児だったアタゴロウが客人の相手をしていたところ、彼はちゃっかり押入れの中に籠ってしまい、客が帰るまで全く姿を見せなかった、というエピソードも残っている。
 猫好きの客人が来たら、もてなすのが飼い猫の務めだ。そう、私は思っているのだが。
 どうやら、ダメちゃんも、その責任感に基づいて行動しているらしい。
 アタゴロウにも、その自覚が芽生えたのだろうか。
 あるいは、チビの前で大人ぶりたかったのか。
 ついでに、こうした「飼い猫の務め」について、アタゴロウがチビタマに教育をぶってくれると良いのだが。つい最近まで、自分もその義務を怠っていたことは、チビには黙っていてあげるから…。
 
 

  
  
 そんなこんなで。
 元野良の玉音ちゃんは、目下、全力で飼い猫修行中である。
 ケージを出て二泊目を終えた昨日朝、私が起き上がると、すとん、と音がして、玉音が掛け布団から飛び降りた。
 あれ?じゃ、今まで、私の布団の上で寝てたのかな?
 手を出すと逃げるものの、私が座っている周りを、ちょこちょこ歩いていたりはする。
 私が猫飯の支度をしていると、足許でにゃあにゃあ騒ぐ。
 少しずつ、「人間と一緒に暮らす」ということを、理解し始めたようだ。
 もう少ししたら、自分から私に甘えに来てくれるようになるだろうか。
「アナタは人間だけど、猫と一緒で怖くないわ。」と。
 
 
 当面の目標は、クリスマスである。毎年、我が家で行っているホームパーティの際には、三匹揃ってお客様をお迎えしてほしいものである。