冬来りなば春遠からじ
実は、アタゴロウがハゲだらけである。
このほかにも、体中にある。一つ(手術痕)を除き、いずれも過剰グルーミングによるもの。
過剰グルーミングは、必ずしもストレスによるものではない、という知見もあると聞いたことがあるが、この場合は、まあおそらくストレスだろう。
さらに、先週は、またしても特発性膀胱炎を発症していた。今回は少々長く、一週間近くオシッコの出にくい状態が続いていたので心配した。
今は、お陰様で普通の状態に戻っている。
なぜ、今になって…という気もするが、そういうものなのかもしれない。
緊張の糸が緩んだのかもしれないし、コップの水が溢れたのかもしれない。
ただ、もう一つの可能性として、むしろ「茶トラくんが慣れてきたから」かもしれないことも、常に心の片隅に引っかかってはいる。
茶トラくんの方は、順調に行動範囲を広げているようだ。
私が帰宅した時、最近は、ケージの外にいることの方が多い気がする。たいてい、キャットタワーのステップか、食卓の椅子の下。先日は、押し入れの中にいた。
これは十二月一日のこと。
実家に渡すものがあって、姉が会社帰りに我が家に寄ってくれることになった。ついでに茶トラくん見ていく?と誘っていたのだが、生憎、その日は私が残業になってしまい、姉には玄関先に置いたブツを持って帰ってもらうだけになってしまった。
何なら中に入って、猫たち見て行ってもいいよ、とは伝えていたのだが。
夜、姉から届いたメッセージ。
「(荷物を)袋に詰め込んでいたら、ガラスの向こうに影がよぎるので、靴脱いで上がって、ガラス越しに面会しました。アタゴロウ君も奥に見えました。」
え…!?
三度見した。
「ガラス越しに面会しました」の、目的語は誰なんだ。
まさか、ね。
だが…。
アタゴロウが「奥に見えた」ということは。
何と、茶トラくんは、私の留守中にリビングの中をフラフラして、お客さんをお出迎え(あるいは見物)に行っていたらしいのだ。
マジか。
まあ、茶トラくんはもともとカフェ猫だから、営業の血が騒いだのかもしれない。(姉の説は「玄関に不審者が現れたのでニャルソック」。)
この辺りから、私は、茶トラくんについては全く何の心配もしなくなった。
彼が行動範囲を広げきれていないのは、単に、アタゴロウを警戒して近寄らないようにしているだけなのだ。アタゴロウ愛用のベッドやクッションにはさすがに触れないが、部屋の中の様々な場所は、アタゴロウがいない隙を見計らって、少しずつ探検している。アタゴロウと距離を置きながら、窓際で日向ぼっこするようになるのも、時間の問題だろう。(ヒーターの前は狭いのでしばらく無理かもしれない。)
だが、これは見方を変えると、茶トラくんがアタゴロウの縄張りを侵犯していることであり、これがアタゴロウのストレスとなっていることは否めない。
ところが、アタゴロウは、そんな茶トラくんを見ても、じっと見ているだけで怒ったり追い払ったりしない。
それでいて、関係ない時に、ケージの中にいる茶トラくんに因縁をつけているのだから、イマイチよく分からないのである。
もう一つ。
私が密かに懸念していること。
このところ、茶トラくんは夕食をキャットタワーのステップの上で食べることが多いのだが、その流れで、ステップに立って私を待っていることが、しばしばある。
ついでに、これは私が悪いのかもしれない。少し前に「腰パン」を試したら、どうやらツボだったらしく、彼の中で私の評価が上がってしまった。
そして、ついに。
先日、ステップに立っている彼を撫でていたら、茶トラくんは、自分から私のみぞおちの辺りに頭を擦りつけてきたものである。
地味に衝撃的な出来事であった。
(やべぇ。懐かれた。)
と、いうのは、八分の七くらい冗談であるが、残り八分の一は本気である。
懐いてくれたのは嬉しいが、アタゴロウがどう思うだろう?と、心配になったのだ。
パートナーがいるくせに職場の可愛い女の子を熱心に口説き、ついに浮気成功!までは良かったが、「次はいつ会えるの?」と真剣な目で尋ねられてうろたえる、能天気系チャラ男みたいなもんである。
私に懐くより先に、アタゴロウに懐いてほしかったなあ。
いや、そうじゃない。
茶トラくんは別に、アタゴロウに「嫌い」の意思表示はしていないのだ。アタゴロウが怒るから、なるべく近付かないようにしているだけ。
じゃあ、同じことがアタゴロウに言えるか。
私に懐くより先に、茶トラくんと仲良くなってほしかったなあ。
いやいや、それは無理。そもそも時系列的に。(笑)
そう。つまり、もしかしたら。
アタゴロウのハゲの原因は、私の浮気、なのかもしれないのだ。
もとより、二匹を交互に撫でて匂いの交換に努めてきたものであるが、常に「されるがまま」のアタゴロウに対し、手を出すととりあえず頭を引っ込める(だが、撫で始めるとむしろ首を伸ばしてくる)茶トラくんは、ただ撫でるのにも時間と手間がかかる。
しかも、撫でられそうな位置や態勢でいるところを見かけると、私がつい、チャンス!とばかりに手を出してしまうので、いきおい順番として茶トラくんを先に撫でてしまうことも多かったかもしれない。
いわゆる「縄張り争い」とまでの強い敵意はないかもしれないが、アタゴロウの心中は、穏やかならぬ気持ちでいっぱいであるはずだ。
そんなアタゴロウが可愛い。
と、人間は無責任に愛しさを募らせてしまうわけであるが、それで問題が解決するわけではない。
可哀想なアタゴロウ。
どうしてあげたものだろうか。
心の声が聞こえる。
(そんなの決まってるでしょ。茶トラくんがいなくなれば、平和は戻ってくるよ。)
理屈はそのとおりだ。
だが、これを囁いているのは、私の中の理性なのだろうか。それとも、悪魔なのだろうか。
茶トラくんをカフェに返せば、問題は解決する。それは道理だ。そのためのトライアルなのだから。
だが、それではあまりにも、茶トラくんが可哀想ではないか。
ここまで引っ張っておいて、彼自身は、すっかりこの家の猫になった気だろう。それに、これだけ長期間の不在である。今、カフェに帰ったら、再びカフェの猫関係の中で、一から自分の居場所を探さなければならないかもしれないのだ。
長期トライアルの難しいところである。
唯一、皆が幸せになれる解決は、二匹がそれなりに仲良くなってくれることだと思うのだが、こればかりは、神のみぞ知る、である。
私の我儘が、二匹の猫を巻き込んで、にっちもさっちもいかない状況を作り出してしまったのだろうか。
だがこれは、後悔すべき案件なのか。現段階で、そこまで悲観的に考えるべきことなのか。
自分の家庭の問題を、客観的に評価することは難しい。
ただ、一つだけ「言い訳」をするとしたら。
アタゴロウの過剰グルーミングは、実は、今回初めてではない。玉音ちゃんが亡くなった直後、茶トラくんが来る前が最初なのだ。
膀胱炎もしかり。玉音ちゃんの闘病中に発症し、玉音ちゃん没後、一人ぼっちでのお留守番(※)が、二回目の契機である。
つまるところ、彼は急激な環境の変化に弱い。もしくは、まるで人間のように、自分をめぐる人や猫の関係性に敏感な男である。そして多分、彼が孤独を愛するという事実はない。
そうこう言っている間に、季節が進み、我が家もついにヒーターを常用する生活となった。
これまで玉音ちゃんの特等席であったヒーターのまん前は、今はアタゴロウの指定席である。
昼間は日向の猫ベッドの中。夜はヒーターの前で、幸せそうに寝ているアタゴロウを見ると、彼がやがて今の試練を乗り越えてくれるのではないかと、ついつい期待してしまうのである。
※前々回、私はアタゴロウの二回目の膀胱炎発症の契機を「仕事で極端に遅くなってしまった」こととして書いたが、これは私の記憶違いであった。本当は仕事ではなく、遠方の身内に不幸があって、一晩だけ家を留守にしたのである。夜中に家を出て夜行バスに乗り、翌日の夕飯時に帰ってくるという強行軍だったので、家を空けた時間は二十時間ほど。だが、真夜中に一人ぼっちで取り残され、夜が明けても私が帰ってこないという異常な状況に置かれたアタゴロウの不安は察するに余りある。彼には本当に申し訳ないことをした。