和解・夫帰る


 
  
 我が家の“仮面夫婦”ことアタゴロウと玉音であるが、この頃、少しずつ距離が縮まりつつあるように思える。
 いや、もともと、距離を置いて付き合っているふうでもなかったのだが、前にも書いたとおり、玉音が大人になって以来、彼等はほぼ、追っかけっことプロレス「しか」しないというアクティブ過ぎる関係になってしまっている。二匹でくっつき合って眠っていたり、毛繕いをし合っていたりする様子を見かけることは、ほとんどない。それが、この頃になって、どうやら静かに寄り添っているらしい場面も、たまにではあるが、見受けられるようになってきた。
 冒頭の写真は、撮影日十二月十五日となっている。二匹が一緒にクッションの上にいるところを見たのは本当に久しぶりである。もしかしたら、玉音が我が家に来た最初の年の冬以降ではないだろうか。
 過日、玉音が大人になってから初めて撮れた二匹のツーショット写真を投稿したが、この写真の撮影日は十一月十三日である。二匹が歩み寄り始めたと思われるのはそのちょっと前くらいからなので、かれこれ二ヶ月弱経過している。その後、大きな進展はないが、たまにすれ違いざまに互いの頭や肩をペロリとやっているのは見かける。いずれ、ラブラブにくっついて寝る日も来るのではないかと、多少なりとも希望が持てる様子にはなってきた。
 たった今も、私がこたつに足を入れたら、玉音が飛び出してきた。布団を持ち上げて覗いてみると、中にアタゴロウがいたので、つまるところ、それまで二匹で仲良くこたつに潜っていたということになる。
 こうして二匹の距離が縮まりつつある、その理由は、ひとつには、玉音自身が、様々な意味において態度を軟化させてきているためであろう。私に対しても、時には自分から「撫でて」や「腰叩いて」を言いに来るし、寒さに負けたのか、これまでのように常に単独行動とは限らず、ヒーターを点けると、他の二匹が埋もれるクッションとヒーターの間に陣取っているところをよく見かける。夜は私の掛布団の上で、私に寄りかかって眠る。
 要するに、玉音も少しずつ、甘え上手になってきているのだ。
 
 

 
 
 背景はそんな辺りであろうと思われるが、実は、私が二匹の接近を強く感じた一件がある。話としては出来過ぎの感があるが、これをきっかけに二匹は絆を確認し合ったのでは…と、思わせるような出来事であった。
 十一月十三日にツーショット写真を撮った、その少し前のことだったと思う。北海道では雪が降っている一方で、関東では例年になく暖かい日が続いていて、それが急に冷え込んだ日が何日かあった。
 ある晩、風呂から上がると、玉音が洗面所を出たところで待っていた。
 前にも書いたが、彼女は私がお風呂に入る前に、「腰パン」を要求しに来る。だが、ひとしきり叩いてやって、私がお風呂に入ってしまうと、これで終わりだと理解するらしく、通常は、風呂上がりに再び要求しに来るようなことはない。
 珍しいな、と思った。
 可愛い奴め。今日はまた、いやに甘えん坊さんじゃないか。
 そう思いながら、身じまいをしつつ玉音の方をちらちらと見ていると、どうもちょっと様子がおかしい。何か落ちつかなげで、私の方を見たり、すぐ横にあるリビングと玄関との境の扉を見たりしているのだ。
 それでも、私は特に不思議にも思っていなかったのだが、身じまいを終えた後、たまたま玄関側に何かの用があって、リビングの扉を開けた。
 と。
 アタゴロウがのっそりと入ってきた。
 そう。私がお風呂に入る前に、何かのはずみで、彼を閉め出してしまっていたのである。
 玉音は彼女の横を通り過ぎるアタゴロウの脇腹に鼻を寄せて匂いを嗅いだ。アタゴロウは無愛想に、ちょっと玉音を押しのけるような足取りでリビングに入り、適当な場所を見つけて体を舐め始めた。
 玉音はそれを見て、自分もリビングに戻った。
 腰パンは、要求しなかった。
 
 
 多分、玉音は閉め出されたアタゴロウを気にして、玄関に通じる扉の前にいたのだ。
 一方で、中に入りたいアタゴロウは、反対側で、扉が開くのを待っていたに違いない。
 嵌め殺しのガラスを通して、二匹はお互いの姿を見ていたのか。あるいは、扉の隙間から匂いを確認し合っていたのか。
 寒い僻地に追いやられた夫を気遣い、扉の前で待ち続ける妻。その姿を見て、妻の自分への愛情を、今更のように深く思い知る夫。
 リビングの扉が開いたとき、夫婦の間には、静かな愛のドラマが始まっていたのかもしれない。
 
 
 汽車は定刻より半刻ほども遅れた。山の方で積雪があり足止めを喰ったのだと、誰かが大声で話していた。
 お玉は其の時間を、ただ待合室の固いベンチに腰掛けて過ごした。待つことは苦にならなかった。故郷を追われた夫の帰還を何年も待ち続けた身に、半刻やそこらが今更何であろう。待合室のだるまストオブの上で薬缶がしゅんしゅんと音を立て、揺らいだ窓ガラスを湯気で更に曇らせていた。お玉は襦袢の袖でそっと窓を擦って、慌ただしく行き交う人々でごった返す停車場の様子を眺めた。やがて汽車が着いたら、自分はあの人混みの中に愛宕朗を見出すのであろうか。其の時の事を思うと、お玉は何か胸が苦しくなる様な不安に襲われた。夫は自分を分かって呉れるだろうか。いや、其れより、夫の姿があまりに様変わりして仕舞っていて、自分が夫を見分けられなかったらどうしよう。そんな埒も無い心配が芽生えると居ても立ってもいられず、いっそ汽車が着かないで欲しいと云う思いさえ、ふと心に浮かんで来るのであった。
 愛宕朗が出奔したとき、お玉はまだ小娘も同然であった。何が何だか分からぬ内に、夫はもう戻って来ないのだと聞かされ、親類の中には離縁を勧める者さえ有った。其れを今日迄待ち続けたのは、ただ、其れまで兄のように慕っていた夫が戻って来ないと云う理屈に、どうしても得心がいかなかった為である。愛宕朗が本当に何か悪い事をしたとは到底思えなかったが、かと云って、無実だから必ず赦されて帰って来ると考えた訳でもなかった。突然の運命の変転をどう受け止めたものか考えあぐね、今迄と同じ日常を続ける事しか考え付かなかったのだ。舅は一切に無関心で、お玉に出て行けとも居ろとも言わなかった。其故、お玉は変わらず舅に仕えながら夫を待ち、いつしか時は流れたのだった。
 漸く汽車が到着した。お玉はホオムに出て、ステップを降りる人の中に夫の姿を探した。愛宕朗は中々現れなかった。遂に夫の姿をデッキの上に認めた時、お玉は心臓が止まる様に思った。手を振るのも何か憚られる心地がして、お玉は急ぎ人混みを潜り抜け、ホオムの上に立ち止まった夫の傍らに黙って歩み寄った。
 愛宕朗がお玉を見た。
「お帰りなさいませ。」
 お玉は小さな声で其れだけ言った。愛宕朗は無言で頷くと、先に立って歩き始めた。少し遅れて歩きながら、お玉は上目遣いに夫の横顔を盗み見た。愛宕朗は、お玉の記憶に有るより、幾分痩せた様に思えた。鬢の辺りに白いものが混じっていた。お玉はそっと夫の黒い長羽織に頬を寄せた。冬用の毛織物の湿った埃臭い匂いの中に、お玉の知らない何かヒンヤリとした匂いが混ざっていた。其れは寒い北の国から運ばれて来た、今年初めての雪の匂いだった。
 
 

 
 
 玉音が風呂上がりに洗面所の入口にいたのは、後にも先にも、その一回のみである。
 やはり、私を待っていたわけではないのだ。いや、待っていたのかもしれないが、もうしそうだったとしても、それは別に、撫でたり腰を叩いたりしてほしかったわけではなく、アタゴロウのために扉を開けてほしい、という意味であったに違いない。
「閉め出し」が、猫にとってどれほど深刻なピンチであるのか分からないが、そんな危機的状況に臨んで、玉音の中に、アタゴロウに対する強い仲間意識が目覚めた、と考えるのは、やはり大げさだろうか。
 対するアタゴロウの反応はちと物足りないものであるが、これはこれで、彼らしいとも言える。アタゴロウは一見、天真爛漫で感情表現がストレートなキャラクターのように思えるが、実はそうでもない。何度も古い話を持ち出して恐縮だが、玉音が入院し、治療を終えて帰って来た時の反応は、傍から見ても「ちょっと酷いんじゃない?」という冷たさであった。また、その結果、玉音との仲が気まずくなったのか、ダメと玉音が普通に仲良く接している様子を、ひとり複雑な表情で眺めているのを目にしたときには、ちょっとした悲哀のようなものすら感じたものである。案外、コミュニケーションが下手な一面があるのだ。
 であるから、ピンチに陥った彼に気遣いを示した玉音に対し無愛想な態度を取るというのは、まあ、アタゴロウならさもありなん、と頷けるところでもある。
 だが。
 それから数日経って、あのツーショットの場面が訪れた。
 長らくすれ違ってきた夫婦が和解した瞬間である、と、私は理解した。
 
 
 実は、ここまでは、正月二日に書いた部分である。
 何となくオチがつかなくて、どうしたものかと考えているうちに、私は当初の前提を覆す、ある場面を見てしまった――。
 
 
 以下は昨日のこと。
 
 
 昼頃、所用があって外出した。
 休日のこと。例によって、玉音は朝食後、押入れに潜ったままであった。
 仕度をして、玄関側の部屋にコートを取りに行き、リビングに戻ったところ、白い影がさっと走り去るのが見えた。
 ははあ。
 玉音め。私が出掛けたと思って、早速押入れから出てきたな。
 残念だったね、玉ちゃん。フライングだよ。
 苦笑しつつ、荷物を持って再びリビングを出、手洗いを使って、さて本当に出掛けようとしたところで、忘れ物に気が付いた。
 あ、手袋。
 昨日使ったバッグの中だ。
 そこで、三たびリビングに登場した私は、ついでに部屋の中を確認した。
 ダメは座布団の上で寝ている。
 アタゴロウは?と目で探し、ベランダに面した掃き出し窓の方を見ると、いちばん陽の当たる辺り、レースのカーテンが膨らんでいる。
 そうか。そこで日向ぼっこしているのか。
 いいねえ、猫の日向ぼっこ。癒されるよね。
 何となく、その光景が見たくなった。
「アタちゃん、行ってくるよ。」
 窓辺に歩み寄り、レースのカーテンをひょいと捲って見ると――。
 いたのだ、玉音が。
 アタゴロウと一緒に。
 一瞬のことだったのではっきりは見えなかったが、おそらく、二匹の体は触れ合っていたに違いない。
 私と目が合った玉音は、そのまま逃亡した。
 
 

(逃亡の図)
 
 
 私が家にいる休日の昼間は、押入れ(もしくはこたつ)から出て来ない玉音。
 私がいないと、室内に出てきているらしいことは、うすうす知っていた。
 私の前では日向ぼっこなどしない彼女が、私が留守の間、時には日向にいるらしいことも、何となく知っていた。
 いずれも、不意打ちして昼間に帰宅した際に、慌てて遁走するのを目撃したのである。
 同じ理屈だ。
  
  
 このオンナ――。
 本当はこれまでも、私が見ていないところで、始終アタゴロウといちゃついてたんじゃないの?
 
 
 何と云う事だ。
 和解でも再会でも無い。お玉と愛宕朗は、官憲の目を掻い潜り、密かに情を通じ合って居たのである。
 
 
 
 

(無関心な舅の図)